ワーカメレオン
象を見てノロマそうだと思ったことはないだろうか?
ゆったりと動くその姿からは、素早く動くことなど想像しにくい。
それはある意味で愛嬌に繋がっているわけだが………象が生息する地域では毎年のように象による死者が出る。
大抵はその巨体に踏み潰されたものなのだが、それ以外で多いのは、その最大の特徴でもある鼻に吹き飛ばされての死だ。
何も鼻息で飛ばされるわけではない。
ユーモラスなその鼻は、実際にはとてつもない筋肉の塊だ。
考えても見て欲しい。
動きの支点たる関節もなく、時には巨木を持ち上げ、重みのある水を吸い上げるポンプの役割を持っている。
そんなことをする器官が、ただのお飾りである筈がない。
では――――人に同じような器官は無いだろうか?
同じく関節もなく、柔軟な動きを持つ器官があるとして、それが途轍もなく強力な膂力を発揮するならば……?
そう、例えば舌に、馬鹿げたほどの筋肉を詰め込んだなら――――。
張られたテントの間を、いくつもの影が駆け抜ける。
その影は鱗に包まれた肌を持っていた。
パッと見るとそれは、この夏の大陸でよく見る蜥蜴人のようにも見える。
だが、それは大きな勘違いだ。
もし、リザードマンと勘違いして迂闊に近づいてしまえば…………その長い舌で絡め取られてしまうだろう。
――――今、まさに目の前で犠牲になろうとしている彼らのように。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
「で、出たぞ!気をつけろ!」
真っ赤な赤い舌で持ち上げられ、恐慌して暴れるのは、ストラーダに訪れていた人間の商人らしき者だ。
そしてそれを持ち上げているのは、リザードマンに似た、だが、決して相容れないもの…………ワーカメレオン。魔物だ。
リザードマンがトカゲの特徴を持った人種だとするならば、彼らワーカメレオンは人の骨格を持った魔物だ。
それは人に似た姿をしてはいるが、人と意志の交換はできない。
ただ獲物を見つけ、その舌で手足を千切りとって腹に収めることだけを目的とする。
無理に爬虫類に人の骨格を持たせたせいか、同じような手足の長さだというのに、ワーカメレオンは直立できない。
不格好に背を丸め、知性のないことを表すように獣が如く前足をついて歩く。
そんな姿勢ではロクに獲物を捕まえられないが……彼らには舌があった。
「は、速……ッ!?ぐあああああああああッ!?」
俊敏に動く真っ赤な軟体は、酷く捉えづらい。
人は無意識のうちに動体予測……動いている物の次の位置を把握しようとする。
その時に予測の参考になるのは動きの起点、関節だ。
それが無い舌は、どこでどう曲がるかの予測ができない。
本来なら真っ直ぐにしか伸びないはずのカメレオンの舌。
魔物となったワーカメレオンにはそんな常識は通用しないらしい。蛇のようにのたくって、次の犠牲を探す。
宙に釣り上げられた商人の男性を、数匹のワーカメレオンが見上げる。
商人も、これから起こる自分の運命を悟ったのだろう。青ざめていた顔が、さらに色を失って土気色にまでなる。
先程も言ったように、ワーカメレオンは獲物の手足をもぎ取って食う。
最初の一匹が手足に舌を巻きつけなかったということは、獲物を動けないように空中に固定して――――周りの仲間と一緒に食うということ。
つまりあの商人は、空中に釣り上げられたまま、手足を別々の方向から引っ張って千切り取られる。
「う、うおおおおおおおおおおッ!!」
自分に巻きついている赤い舌を、狂ったように殴打する商人。
手が自由に動く今ならば、まだ逃げられる。そう考えているのだろう。
だが……返ってくるのは硬い感触ばかりのようだ。びくりともしていない。
ワーカメレオン本体は、遥か地面の下に居る。
関節を支点と言ったがてこの原理に乗っ取るならば、作用点が遠ければ遠いほど力点に要求される力は多くなる。
支点もなく、成人男性を何メートルも持ち上げられていられる力点とは一体どれほどのものだというのか。
そして、そんなものがあの舌に凝縮されているというのならば、どれほどの密度の筋肉となっているのか。
そんなものに多少の殴打を加えたところで、拘束が解けることなどある訳もなく。
「ち、ちくしょう!嫌だ!こんな所で死にたくない!こんな死に方なんて絶対嫌だぁぁぁぁぁぁ!!」
自らの足に絡みついた、ヌメった何かに気づいた商人が、絶望の声を上げる。
ゆっくりと頂点を目指して、真っ赤な舌がいくつもいくつも鎌首をもたげる。
エイリアンじみたグロテスクな光景だ。
それを目にした商人は、いよいよもって自分の死を悟ったらしい。
もはや悲鳴を上げる力もなく、不都合な現実から目をつぶることしか、彼にはできない。
だから――。
「おわッ!?」
いきなり真横に引っ張られた時には、心底驚いたはずだ。
まして、驚いて目を開けた先で、自らを殺そうとしていた魔物が血しぶきを上げて倒れるところを見たら、さらに驚いていたところだろう。
「はい、ナぁイスキャァァァァァッチ!」
「う、え……?」
商人は、視線をワーカメレオンに釘付けにしていたせいで、自らを抱きとめる男に気づかなかっただろう。
そいつは棍棒を片手に良い笑みを浮かべている、金髪碧眼のイケメンだ。
まぁ、ロベルトだがな。
「おい、ユージーン。いつまでも見てないで動いてくれよ」
む。気づかれたか。
「本気でそいつが死にかけてるんなら助けたがな。お前らが間に合いそうだったから放置してた」
「ヒッデーなぁ。――――ほら、もう大丈夫だ。向こうに避難テントがあるから、そこまで行けるか?」
「え、あ、ああ……」
何が起きたか分からない、とでも言いたげな困惑した表情のまま、商人は指さされた方向へと走り出す。
いきなり過ぎて、自分が助かった事が実感でわかるのは、きっと逃げ切ってゆっくり座れた時だろう。
本来ならば炎龍山脈に住んでいるはずのワーカメレオン達が降りてきたのは、炎龍襲撃事件の際に魔人に呼び寄せられた蟲の魔物を餌とするためだったのだろう。
まさにその残党を片付けていた俺たち冒険者に、ワーカメレオンの群れがキャンプ地を襲撃したという報告が届けられたのは、日暮れ間近となる時間だった。
「はッ!せぇッ!」
茜に染まる薄闇の中に、白刃が閃く。
そのたびに夕日よりも真っ赤な鮮血と、切り飛ばされた赤い肉片が宙を飛ぶ。
瀬奈の振るうブロードソードが、飛来する舌を切り飛ばした。
「グエェェェェェェアアアァァァァァァッ!」
「失礼するですッ!」
傷を負わされて激昂したワーカメレオンの本体を、横にいたルイが突撃して突き倒す。倒れた魔物にマウントをとって、止めを刺した。
致命傷となったところから、紫色のエーテルが吹き出す。
「く……そ……ッ!」
その向こうではロベルトが苦戦していた。
手に持つ棍棒に別のワーカメレオンの舌が絡みついて、上手く振りほどけないでいる。このままでは、先ほど助けた商人のように吊り上げられるか、武器を取り上げられるかのどちらかだろう。
助けがいるか……?
いや、そうではないようだ。
「――――なーんつってな」
にッ、と人の悪い笑みを浮かべるロベルト。
その頃にはもう、身体が浮き上がっていた。
――――ワーカメレオンの、身体が。
「グエ!?」
「るおらぁッ!」
急速にロベルトの方へと引き寄せられていくワーカメレオンの頭を、ロベルトの棍棒がまるで野球のスイングのような軌道で捉えた。
自分の運動エネルギーと棍棒の運動エネルギーを、余すことなくすべて受け止めた頭は、まるでスイカを地面に叩きつけたかのように爆散した。
そして、飛び散った血の端からすべてエーテルへと置換されていく。
「エグい戦い方してんな、アイツは……」
「まぁ実際問題、ああした方がダメージ効率的には良いんやろ」
「それにしたってワザワザ舌で捕まんなくても……。それでそっちの方はどうだ?」
いつの間にか横にいたこなみに聞く。
瀬奈とロベルトの戦闘組(ルイは万が一の護衛)は敵の数が多い方に割り振っている。代わりにリスクはそれなりに高い。
そんでもって田中、こなみの二人(+チャルナ)は戦力的に劣るので、魔物の数が少ないところに配置してある。
こなみはログゴーレムに指示を出す司令塔の役目だから、武器を持って直接対峙しなくても良いが……だからといって、こんな所で油を売っていられるほど呑気な立場ではない。
「ん。ヨッシーを予定通り囮に使ってるで」
「――――こなみさん!?こなみさぁぁぁぁぁ、あ、ちょっと!?マジでまずいんですってば!?」
「おい、呼んでんぞ」
見れば田中が一人で騒ぎながらこちらに走ってくる。
その背後には――何も居ない。
いや、違う。
居ないように見えるだけだ。
突如、何もなかった空間にかぱりと穴が開く。
薄暗い菱形の穴から、真っ赤な舌が飛び出して、田中の足元をすくう。
「うひゃああああああ!?――――あぐッ!?」
すっ転んだ田中はゴロゴロと転がり、テントの間を突っ切って開けた炊事場で頭を打って止まる。
田中が痛みで動けない間に、足元をさらった舌の持ち主が姿を現す。
ワーカメレオンの擬態能力だ。
色を変えて周囲に溶け込む、なんてレベルじゃない。完全に透明になっていて、見分けがつかなかった。
一匹現れると次々に姿を現して、狭い炊事場で完全に田中を囲んでしまった。
普通なら絶体絶命、なのだが……まったく、運の良い奴だ。
「今や!ログゴーレム一斉吶喊!」
「「「「ミ゛ーーーーーーーッ!」」」」
周囲のテントが一斉に翻る。
中から現れたのは待機していたログゴーレムの集団。
最初からココに誘い出すつもりだったのだが……警戒心が強いこいつらを、上手い事誘導できたのは田中の逃げっぷりが真に迫っていたからか。
「グエェェェェェァァァァァァァァァッ!!」
不意を突かれて動揺しているワーカメレオンの頭に、手製の棍棒が振り下ろされる。
木を削り出しただけの野蛮で無骨な武器が、それに見合うだけの威力を炸裂させて、先程のロベルトの作り出した光景を、ワーカメレオンと同じ数だけ再生した。
凄惨な撲殺現場は、すぐに血煙の代わりのエーテルの濃霧に包まれた。
「イテテ……ひっどいですよ……、こなみさん!すぐに助けてくれるって言うから囮になったのに!」
「助けたやろ?大丈夫やて」
「でも頭打ちましたよ!?」
「死んでへんなら許容範囲やて」
「救助ラインが低すぎる!!」
「大丈夫だ。少し落ち着け」
「ユージーンさん……」
「まだ来世がある」
「うっかり死んで輪廻回ってんじゃないですかソレ!?俺が動物とかになる前に助けてくださいよ!?」
俺が人間→人間と来ているあたり、大丈夫そうな気がするんだがな。
「にゃ」
木の上からチャルナが落ちてきて、田中の隣に降り立つ。
チャルナが上で見張っていたから死ぬようなことは無かったと思うが、それでも怪我は嫌だよな。
擦り寄ってきたチャルナの頭を背伸びして撫でながら、ねぎらいの言葉をかける。
「チャルナ、おつかれさん」
「うにゃ〜」
「田中、打ったところをこっちに。……そうだ。動くなよ」
幸い血も出ていない。
簡単な治癒魔法で打撲を治す。
「――――どうしたんです?大丈夫ですか?」
「瀬奈か。なんでもない。そっちは終わったか?」
「はい。こちらは問題ありません」
さして疲れてもない様子で立っているところを見ると、この程度はなんともないらしい。
その後ろから来るロベルトが、元気にルイに噛み付かれているところを見ると、向こうも大丈夫か。
「ゆ、ユージーン……女の子のキスはいつでも大歓迎な俺だが……これはちょっと勘弁願いたいね」
「がるるるるる……」
「名誉の負傷だろ。謹んでお受けしとけ。――ルイ、もっと強く」
「ふーーッ!」
「アッアッーーーーー!?」
「あの、ユージーンさん。先ほど気づいたのですが、ステータス欄に変化があって」
悲鳴を上げるロベルトを、瀬奈がまるっとスルーしているあたり、噛まれてもしょうがないことをしたんだろうな。
それはともかく。
「変化?」
「武器、という項目が増えていて、そこにゲージバーのようなものが……」
「俺も有るぜ。今んとこふたつだな」
「ウチは……無いで。その代わり、作れる物の項目が増えとるね」
「…………」
「ゲージの中はどうなってる?何か、溜まってるようには見えるか?」
田中は聞くまでもないとして、全員に起きた変化か……。
こなみはひとまず放置だ。、ロベルトと瀬奈に起きた変化について考えるか。
ゲーム的に考えるならば、ゲージが何かで満ちていればそれは特定の行動で減るのだろう。魔法使ってMPゲージが減ったり、必殺技使ってクールタイムのゲージが減ったり。
「何もありません。ああ、でも脇に【E:1891P】という表示があります」
「ということはそのポイントを使って何かをするんだろうな」
「取り敢えず使うてみたら?」
「ええと……これで良いんでしょうか……?」
「うむむむむむむ……」
不安げな瀬奈と、唸るロベルト。
思考操作でポイントを消費しようとしているようだが……。上手くいくだろうか?
そんな心配を他所に、ふたりの神器が光を放つ。
「おおッ!?」
「きゃッ!?」
驚いた二人が悲鳴を上げるが、すぐに光は収まっていった。
光が消えたあとの神器は、それまでの形と違う形になっていた。
瀬奈の剣も、ロベルトの棍棒も、紫色のウロコのような装飾で柄の部分が覆われている。
直剣だった刀身は曲がりくねり、棍棒は柄の先端に付いていた打撃用の鉄球が無くなっている。
ふーむ……。あのウロコ、先程まで戦っていたワーカメレオンのとほぼ同じだ。
ということは……神器が戦った魔物の特性を取り込んだ……?
「《葉隠の波曲剣》を開放……?」
「こっちは《幽し 棍棒》って名前だな」
「ちょっと待ってろ。鑑定してみる」
そういえば久しく使ってなかったな。
神器に対して効果があるのかは分からないが、使ってみて損はないだろう。
頭の中で鑑定と念じる。
――――――――――――――――――――
【葉隠の波曲剣】
分類:短剣
ワーカメレオンの力を吸収した剣の神器の一形態。波のようにうねった刃が特徴。
元は儀式用短剣のために攻撃力は低いが、最初の一撃のみ攻撃力を倍増させる。
武器特性:隠形
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
【幽し棍棒】
分類:棍棒
ワーカメレオンの力を吸収した棍の神器の一形態。
この棍棒をただの棒だと侮る者は、見えざる力で打ちのめされるだろう。
武器特性:隠形
――――――――――――――――――――
…………武器特性?
隠形、って……真言宗でもないのにか?
摩利支天の印でも結ばないといけないのだろうか?
「隠形という武器特性が付いてるな」
「オンギョウ?」
「念じてみても変わらないか?」
「うーん……。俺は特に。セナちゃんは?…………。あれ?居ない?」
「なに?」
先程までそこにいたはずの瀬奈が忽然と消えていた。
また《アクセラレーター》のアビリティで移動したのか?
「ここに居ます」
いきなり目の前に瀬奈が現れる。
加速ではないことを示すように、頭からゆっくりと。
…………驚いて声が出にくい。
「…………どう、なってんだ、それは……?」
「言われた通りに念じてみたのですが……私もびっくりしました」
そうは全然見えないが……。
だが、隠形の意味するところは分かった。
ワーカメレオンの特性を吸収して、擬態能力を得たのだろう。
問題はロベルトの方か。
「なんでお前の方は成功しないんだ?」
「んー。なんでだろうな?」
手に持った《幽し棍棒》を見下ろして、何気なく振り下ろすロベルト。
ヒュッ……ズガゴン!
「………………」
「………………」
振り下ろした棍棒は地面に触れていない。
だというのに…………地面には大きく亀裂が走っていた。
まるで――――巨大な何かで叩かれたかのように。
「…………。ちょっと持たせてみろ。手を添えて、なんの力も込めるな」
「……ああ、うん」
万が一、ロベルトだけ使えるように神器が設定されている事態に備えて、ロベルトの手の上から棍棒を握る。
…………。うん。なんか重心がおかしい。
ヤケに先端の方が重いのだ。見えている以上に長さがあるように感じる。
まるで棍棒の先端に別の何かが付いているように。
『この棍棒をただの棒だと侮る者は、見えざる力で打ちのめされるだろう』……。
こういう意味か。
「なるほどな。瀬奈のは念じて発動、 ロベルトは常時発動なのか」
「えーと、つまりなに?この棒の先っちょには、目に見えてない鉄球が付いてるのか?」
「そういうことになるな」
「危なっかしいことこの上ないな」
「元に戻せないか?」
「あー、ちょい待ち。こうか?」
一瞬だけ棍棒が光ると、最初の形に戻った神器がロベルトの手に握られていた。
瀬奈たち勇者が持つ神器は、どうやら俺の持つススメと根本的に違うらしい。
この世界の魔物を吸収して、成長する力か。
使い方次第では強力な力になるだろう。