リツィオの見た幻影
すいません。休日出勤となってしまったために遅れてしまいました。
本当に申し訳ない。
首に回された褐色の腕が絡まり、背中に柔らかな感触が伝わる。
後ろから首に腕を回されて抱きしめられている格好だ。
一瞬首を絞められたのかと身を硬くしたが、どうやら向こうにその気はないようで大切な宝物を胸に抱くように繊細な力加減で腕に力が入る。
声からしてリツィオか……?なんでコイツがここに?
「ごめんね。振り返らないでくれるかな」
「……いきなりこんな所で抱きつかれて、その上で振り返るなとはどうゆう了見だ?リツィオ」
「ちょっとね、お話をしたくてさ。探してたらここにいたみたいだから」
「答えになってない。それとこの状態になんの関係がある」
「顔を見られると話ができなくなっちゃうからだよ…………」
聞こえてきた返事は段々と小さくなっていき、最後には蚊の鳴くような大きさになっていた。
なんなんだ?いつになく……こう、しおらしい感じがする。
今までの表面を取り繕っているような印象でもなく、俺をからかう時のようなイタズラめいたものも感じない。こんなリツィオは初めて見る。
「そういえば炎龍討伐以来、初めてこうやって話すな。あの時も様子がおかしかったが、何かあるのか?」
「有るといえば有るんだけど…………個人的な話だから」
「…………」
煮え切らない。
あの時は知り合いがいきなり成長したせいで動揺しているのかと思ったが、今のリツィオを見ているとそういうのとは別な感じがする。レリュー達でさえもう俺の青年状態に慣れたというのに、ドライなリツィオが今も慣れないというのは何かおかしい。
そもそもコイツがあんなことで取り乱すようなタマではないか。
だとしたらコイツは何を隠している?
「おい、リツィオ。お前――――」
「昔むかし、あるところに少女が居ました」
こちらの言葉を遮って、リツィオが唐突に話を始める。
「彼女はある時から頭の中に突然浮かぶ映像に苦しめられてきました。その映像にはもがき苦しむ人々が登場し、彼女に助けを求めてくるのです」
「…………」
「彼女には彼らを助けることは出来ません。夢でも見ているかのように彼らに触れることはできません。何年も何年もその光景に苦しみ続けました。しかし――――」
リツィオはそこで言葉を一度切ると、腕の力を少しだけ強くした。
「何年か前のある日、唐突にその映像は変わってしまいました」
「…………見なくなったのか?」
「ううん。その映像の中に彼が…………ひとりの男の人が現れるようになったの。いくつもの黒い武器を以て彼は災いを遠のけた。彼の行いのお陰で人々は苦しむことはなくなり、平穏が訪れるようになった…………」
なんの話なのかは分からない。
だが、きっとコイツにとっては大切なものなのだろうということくらいは分かる。
「彼はね、その人々だけじゃなく少女のことも助けてくれたんだ。最後は助かるって分かったから、夢を見ても気にしないようになった」
「それで?」
「夢を見るようになってからも少女はずっと以前と同じように生活していたんだけど、ひとつ気づいたことがあったの。それは例の夢以外にも突然見える映像があって、それはこれから起こることを映し出しているってことに」
正夢のようなものだろうか。
夢を介して未来の光景を見ていたということか。
話の流れからなんとなくリツィオ自身のことではないかと思っていたが、これはもしかすると――――――
「何年も経って最初の映像だけが実現されないままずっと同じ夢を見続けていた。きっとこれはこれから起こる大きな災いをずっと警告し続けている。そう思った彼女は、夢の中の彼を探すことにした」
「…………だが、もうその災いは来ない。俺が炎龍を倒してオシマイだ」
話の中の少女がリツィオだというのなら、彼女が関係した事件で最も大きな事柄は間違いなく魔人襲撃事件だろう。あれ以上のことなど早々起こらないはず。
それが終わったということは、もうその夢を見なくて済む。どこの誰かは知らないがその『彼』とやらもお役御免だ。
そう思って出た言葉だったが…………。
「ううん……。だって|まだ夢は終わっていない(・・・・・・・・・・・)もの」
「ッ!?」
ゾワリと寒気が背筋に走る。
どういう事だ……!?夢を見続けている……!?
魔人の襲撃以上に、危険な何かが起ころうとしているというのか!?
まさか…………。いよいよあの『黄道十二宮』どもが動き出そうとしている……?
「ユー君……貴方がもし本当に夢の中の彼だというのなら、お願い。みんなを助けてあげて」
「…………勝手なことを言うな。そもそも本当に今の俺が夢の中のそいつかどうかなんて分からないだろうが」
「そうかもしれない。でもね、ユー君」
ふと、首筋に吐息がかかり、今まで以上の力で抱きしめられた。
背中に柔らかな物が押し付けられて、リツィオの鼓動が伝わってくる。
「私は貴方が彼だといいなと思ってる。そうあってほしい……」
「…………」
分からない。
今までは計算の上にリツィオは接触してきていると思っていた。
力のある者を己の側に引き込むために気のあるふりをしているのだと。
だが……今のこのリツィオの言動が嘘だとは――――どうしても思えない。
今は見ることができない彼女の顔。いつもの無表情を保っているだろうその裏に、切実に何かを求める素顔のリツィオが居るように思えた。
打算を超え、策略を超え、立場を超えて。
ただひとりの『リツィオ』の願いとして。
「…………リツィオ、俺は――――」
「すみませんがリツィオ様、人が近づいております」
「うおッ!?」
暗がりの中からいきなり声がした。
見れば木々に紛れるようにしてルカが立っていた。
ここに来て何度目だ?こうやっていきなり驚かされるのは。
リツィオはそれを聞いて立ち上がったようだ。背後で布の擦れる音がする。
「…………そう。それじゃね、ユー君。オネーサンは退散するよ。言いたかったことは言えたし、誰かに見られるとマズイから」
「え、あ、ああ……」
ヤケにあっさり引き下がるな……。
こんな所まで来るんだし、それなりに重要な案件だと思うんだが……。
疑惑をかけられている者と、それを擁護する王族がこんな人気の無い場所で密会しているなんて知られたら、諸々勘ぐられてしまう。
それは分かるが引き際が良すぎるんじゃないか?
「さっきの答えは聞かなくてもいいのか?」
「大丈夫だよ。きっとユー君なら」
そう言うと先ほどまでの重い会話が嘘のように、あっさりと軽い足取りで去ってしまった。
後にはポツンとひとり残された俺。
嵐のように人の心をかき回すだけかき回して、行っちまうんだもんな……。
結局、先程の答えは自分自身にも分からないまま、有耶無耶になってしまうのだった。
「あ、誰かと思ったらあの時の子供……じゃねぇや英雄様じゃないか…………ッスか。こんな所でどうしたんです?」
「…………誰だっけお前」
リツィオが去ったあと、ひとり呆然としていると湖から人魚族の兵士が顔を出した。
千客万来だな。人が休もうとして外に出れば、どいつもこいつも全く……。
出待ちでもしてるんじゃないかと思うほどの遭遇率だ。
しかし…………ヤケに馴れ馴れしいが覚えはない。
いや、待てよ。なんとなくどこかで見たような…………。
「そりゃないッスよ!ほら、海底の神殿までご一緒した……」
「あー。そうだった。あの時の案内させたやつか」
そういえばナイフ突きつけてムリヤリ海底神殿まで連れて行ったっけ。
覚えてねぇよ、そりゃ。お前の印象後頭部だけだったからな。
あの時の兵士か。無事に帰れたんだな。
「今は違う格好なのによく分かったな。あの時は子供の姿だったろ?」
「そりゃ炎龍を討伐する時に間近で見させてもらいましたからね。驚いたッスよ。まさかあの時の子供が英雄様だなんて」
そういえば見たような気がする。援護射撃、と言ってもいいのかはかなり疑問な槍の一斉投擲の時に居たな。
まだ英雄ではないんだが……。まぁいいか。
「しかしお前、そんな喋り方だったか?」
「あ、いや。流石にレリュー様をお助けくださった方に無礼は働けないと思って……」
「いいよ、そんなもん。却って堅苦しいくらいだ」
「いやいやいや!今や兵士の中では伝説となってる人にタメ口でなんて喋れないッスよ!そんなことしたら仲間からリンチ喰らうッス!」
「伝説?」
田舎のヤンキーみたいな口調は無視して、その単語が妙に気になった。
兵士は俺のお目付け役のようなモノだ。それが敵対視するならまだ分かるが、伝説などと大仰な言い方をするのはおかしくないだろうか?
「それは人魚族の連中の話か?」
「いえ、会場の警備に当たってる連中も、各国の王族を守る騎士団の連中も絶賛してたッスよ。もちろん一番はウチですがね!」
「そこはどうでもいい。なんで兵士が俺を絶賛なんてする?魔人の協力者の疑いがかかっているはずだが」
「そんなものは上の方々が言ってるだけッスよ。表立って言えないから辛く当たってるッスけど裏じゃ人気ありますよ?」
「なんでまた……」
「そりゃ目の前で恐怖の代名詞のような炎龍を倒したからッスよ!」
いくら手柄を立てたからって得体の知れない奴だってのは分かるだろうに……。
かなりの疑問は残るが、これはこれで良い材料だ。
いつかは賛同者を得て表に出始めることを考えると、『英雄』派にとって追い風になるだろう。
「ふむ…………話を聞けてよかった。感謝する」
「いいえ!こっちこそレリュー様を助けていただいてありがとうございました……ッス。お陰でみんなあんなことがあったっていうのに表情が明るいッス!」
「ああ、あと、俺がココに居たってことは内密にな。抜け出して息抜きしてるのがバレたら……」
「言いません。ってか言えませんッス!」
「そうか……重ね重ね感謝する」
もし簡単に口を開くようならここで始末しなくちゃいけなかったからな。
「笑顔が怖いッスけど……取り敢えず俺は巡回の続きに戻りますッス!」
「ああ。また会おう」
その時にはその妙な口調も治ってるといいな。
兵士が湖に消えて、ようやく俺はひとりになれた。
リツィオの言う夢の事、アレも考えてみる余地はありそうだしコネホへの手紙も
なんと言って渡したら良いのやら。
これからのことについても考えをまとめなくちゃいけない。
ったく、なんで逃避した先で余計に厄介事抱えるハメになるんだか……。
ここでこれ以上長居するとまた誰かが来るかもしれない。そうなる前にさっさと退散するとしますか。
「あ……。またあの兵士の名前聞き忘れたな……」
まぁいいか……。
兵士の消えた湖の方向を見ながら、帰りの道を歩き始めるのだった――――。
次は17日木曜日に更新予定です。