宴の後は
炎龍墜つ――――――
その衝撃的なニュースは誰に聞くでもなくエストラーダ中の誰もが知っていた。
気絶していた兵士などの特殊な状況を除き、その光景は街中の誰もが見ていたからだ。
轟音が空に鳴り響き、赤黒い光が閉ざされた部屋の中にまで届いた。
魔物の襲撃と兵士の狂乱に戸口を閉ざしていた市民もこれには驚いて、外に恐る恐る顔を出す。
そして空を見上げた者は例外なくさらに驚くことになった。
空に舞う巨大な炎龍の姿と、それを両断したこれまた巨大な剣。
伝説の炎龍がいるというのも驚きだが、それを切り分けた剣もまた、神話が如き力を示した。
もとより世界規模の変事の噂が流れていたところにこのエストラーダ襲撃事件が起こったため、人々の不安は最高潮になっていた。
民衆を守るべき兵士が狂ったように人を襲い、街には魔物が闊歩する。
そんなこの世の終わりと言える状態で絶望の淵に沈んでいた人々が、災厄の象徴とも言える炎龍を屠った剣を見ればどうなるか。
そんなものは火を見るよりも明らかだった。
――――英雄現る――――。
人々は口々にそう噂した。
乱世に現れ、乱れた国を立て直し脅威を打ち破る、人の限界に到達した戦士。
天を裂き龍を討った者と物語に謳われる英雄を結びつけることは容易だった。
噂は際限なく広がっていく。
疲弊しきった人々が動き出すまでには時間が掛かる。
今までに積み上げてきた物を失った喪失感から立ち上がるためには、すがる何かが必要だった。
英雄の噂は必要だったのだ。
民衆にとってそれは暗い明日を照らす光であり、拠って立つための杖であった。
王族の集まる天上殿会議から何も発表がないのもそれに拍車をかけた。
復興の指示や物資の配給については通達があるものの、例の剣や英雄については何も音沙汰がないのである。
自分たちを守ってくれなかった王族に対する不信感を募らせ、さらに英雄に傾倒していく一因となった。
いずれにせよ、街で人の口の端に上がるのは英雄のことについてだった。
彼、あるいは彼女はどんな人であるのか。
あの剣は一体なんなのか。
それぞれが必死に明日の為に生き延びる手段を探しながら、関心を寄せている。
彼は今、一体どこにいるのか。
何を考え何をしようとしているのか――――。
さて、その英雄がどうしているのかといえば……。
縛 ら れ て い た 。
比喩でもなんでもなく、椅子に縛り付けられて呑気にあくびをしていた。
誰が?
件の英雄様が、である。
いやまぁ俺のことだが。
「――――で、あるため、日に日に民衆の関心は高まっておりまして、このまま何も発表しないわけには……」
壇上では心底弱りきった、という表情の政務官が報告書を読み上げている。さっきのような街の状況、人々の関心の対象――――『英雄』についての。
只今会議の真っ最中であり、議場には多くの王族や高官の姿がある。
ある者は頭を抱えて机に突っ伏し、またある者は顔を手で覆い天井を見上げている。
財政難のところに大国が攻め込んできたとしても、ここまで暗澹とした状況にはならないだろう、という空気が議場を満たしていた。
ここまで出席者たちを悩ませる議題はなんだ?
もちろん件の英雄様について、である。
いやまぁ俺のことだが。
「はっはっは。まぁ気楽に行こうぜ?」
「お前が原因だよ!!」
和ませようとしたら隣に立っていた警備兵にいきなり暴言を吐かれた。全くひどい奴だ。今回の事件の功績者である英雄様になんてことを言うんだ。
いやまぁ俺のことだが(笑)
「くっくっく……」
「メチャクチャご機嫌なのです…………」
「にゃはは」
呆れた声と笑い声が近くの席から聞こえる。
俺とは違って拘束されてないルイとチャルナが、それぞれ違う表情でこちらを見ていた。いくら治療を施してもすぐには治らなかったせいで、両方共あっちこっちに包帯やら湿布やらを引っ付けている。
「ゴキゲンでないわけがない。さっきの報告書を聞いただろ」
「だからって今笑わなくても……。機嫌がいいのなんてご主人様ぐらいなのです」
「チャルナもー」
「ああ、そうですねー……」
心底疲れたような顔で言い返す気力もないルイ。
それでもこの議場の中ではまだマシな方、ということを鑑みれば、いかに出席者たちの疲労が溜まっているか知れるだろう。
王族たちを悩ませている原因は俺だが、では何に、どうして悩んでいるのかといえば――――
「不謹慎ですよ、ご主人様。今は――」
そこで一度言葉を切って、自分達の後ろに並ぶ陰鬱な顔を眺めてからため息をついてから続きを口にした。
「ご主人様が『英雄か否か』を決めるための会議なのですから」
なぜそんなバカみたいな事で悩まなければいけないのか、とでも言いたげな空気がアリアリと滲むようなため息だった。
事の発端は(というほど大したことではないが)俺が魔人の手下、もしくは協力者ではないのか、という疑惑だ。
ドラゴンを討伐した後、湖から救出された俺は王族のようなと言って差し支えないような待遇を受けた。優秀な魔法医師を優先的に回されたり、最高級の客室で用意できる限りのもてなしを受けた。
…………らしい。
その間俺は気絶していたので全くと言っていいほど覚えていない。全部ルイとチャルナからの又聞きだ。いまいち詳細を言えないのはその為だ。
そうこうしているうちに俺の名前が報告されて、『あれ?そいつあの裏切り者じゃね?』となった訳だ。
それまで英雄として俺を迎え入れようとしていた議会は大騒ぎになった。
何しろ自分たちを助けてくれた人物が、そもそも窮地に陥れた者の仲間だった(かもしれない)のだ。蜂の巣を突いたような騒動になったらしい。
気絶しているうちに殺してしまおうという案も当然出たが、先程の報告書にあったように民衆は巨剣の英雄を拠り所としている。明日をも知れぬ者たちが、縋るための希望さえ奪われたとしたら…………その結果は考えるまでもない。
今の街の情勢は非常に危うい均衡の上に成り立っている。
ここでバランスが崩れたとしたら、犯罪率の上昇やら野盗の台頭やらなんやらで復興はさらに遠のいてしまうだろう。
そもそも本当に俺が魔人の仲間なのかという疑問を唱える王族もいた。
魔人を降し、炎龍を屠った実力があればワザワザこんな所で潜入する意味はないのでは?ということだ。その力を使えば世界の異変にも対処できる。
それに対して『よくわからないけどもっと恐ろしい何かを企てているのかも』という趣旨の発言があった。(かなり意訳しているが)
そんなフワッとした理由で疑われてたまるかと、言いたくなるが今の今まで守っていた兵士がいきなり反乱したので、民衆のみならず王族さえも疑心暗鬼にとらわれていると考えれば仕方がないことなのかもしれない。
会議は回数を重ねれば重ねるほど混迷を極めて行った。
これから起こる世界の異変に俺を『英雄』として取り込みたい派閥。
変事が起こるからこそ、疑わしい者を『魔物』として排除しようとする派閥。
どちらをとってもメリットとデメリットがある為に双方の主張は平行線を辿るどころか複雑に絡まり合ってこんがらがり、出席者の頭を悩ませては会議の足に絡まり躍らせている。
そんな混沌とした場所に、俺は縛り付けられているのである。
「いやもうそれが楽しくて楽しくて。くっくっく……」
「そんな悪そうな笑い方するから誤解されるのです。そもそも魔人に逃げられなければこんなことにはならなかったです……」
そうそう、忘れるところだった。件の魔人達は望翠殿の議場から逃げおおせていた。
体中を触手…………もとい縄で拘束しておいたのだが、それを断ち切って逃走したらしい。元はコート型魔道具の一部。生半可な力では切れることなどないのだが…………。
まだほかに協力者がいたのかもしれない。
非常に惜しいことをした。せっかく触手を作れるようになったのだから、あれやこれやと使い道を考えていたのだが…………。残念だ。
とにかくそれがこの状況をややこしくさせている一因でもある。
「こいつらは魔人を庇い、不利になるとみるや捕らえたなどと嘘をついて逃がしたのですぞ!?」
「そんなことを言いますが証拠はあるのですか!?いたずらに騒ぎ立てて結束の綻びになればそれこそ魔人の思う壺ではありませんか!」
「その無条件の信頼の根拠は何か教えていただきたいものですな!」
「彼はエストラーダに来る道中の村々で、村人を困らせている魔物を倒して回っていたという実績があります!事実、私たちの村も彼の世話になったのですよ!?」
「それ自体がきゃつらの策略でないとなぜ言い切れるのですか!?」
と、こんな有り様だ。
擁護に回っているのは夏の大陸の各村代表、カンタンテ王、リツィオ、それとアルフメートの王。ちらほらと他の大陸の王族も居るが、前述の連中よりも関わりが薄いせいか言葉に力がない。
はっきりと発言できるほど俺の身元にい確証がないが、力のある戦士だから擁護しておけば後々有利になる、と踏んでいるのだろう。
「…………だいたいなんでそんなに笑っていられるのです?ご主人様の力が疑われてるのですよ?」
「そんなにおかしいか?後ろ見てみろよ」
「…………?」
「うにゃ?」
ルイ達が居るのは議席の一番下、俺がいるのは演説に使う台のすぐ横。
今のルイ達にはずらりと居並んだ王族たちが見えているはずだ。
「こいつらがこれほど頭を悩ませているのはな、俺の力を認めているからだ。排除するにしろ、受け入れるにしろ、俺の持つ力が大きすぎる。……迂闊に身動きできなくなっているんだ」
俺は力を十分に示した。
そしてそれは確実に人々に強烈な印象を刻みつけた。良くも悪くも無視できない力を示すこととなったんだ。
これほど愉快なことはない。
俺は今まさに、英雄に至る階段に足をかけている……!
「そう、なのです?」
「アタシは分かんないからマスターがそう言うんなら、きっとそうだよー」
「――――お前らそこまでにしておけ。いくらなんでも不敬すぎる」
っとと。流石にここで軽々しく口にしていい話ではなかったか。
先ほどと同じ兵に発言を咎められた。全身に鎧を纏った完全装備の兵だ。
いくら縛りつけているとは言え、俺がドラゴンを投げたのは全員が知っている。こんな縄など薄絹のように切り裂いてしまえる。
だからこその兵なのだが――――
「ああ、すまんな。大人しくしているから、そう怯えないでくれ」
「ッ!…………黙っていろ……!」
「へいへい」
兵士とて人の子。俺が隣にいるせいか、常に緊張しているようでこっちが息苦しくなってくる。
緊張している空気を和らげるように、大きく欠伸をしていつ終わるともしれない会議に意識を戻した。
…………とはいえ。
せっかく功績を立てたというのに縛り付けられて放置されていては、いくら俺が上機嫌でも限界がある。既に会議は朝の部から夕の部へと移行しており、かれこれ10時間ほど座り続けている計算になる。
ま、あれだ。ぶっちゃけて言うと暇だ。
会議での俺本人への扱いは腫れ物を扱うように慎重、というか接触してこない。
元凶である俺に何かを聞こうとすることはなく、意識的にこっちを無視しているようだ。
兵士の意識も会議の方へ逸れているようだし、ちょっとしたイタズラでもしてやろうかね。
椅子にはセグメントを着た状態で縛り付けられている。
それを『変形』させて、っと。…………うん。良いんじゃないか?
こっそりと背中から蜘蛛の足のような形に整えた腕を生やし、ちょっとだけ左右に移動してみると、音も立たないで素早く移動できる。
「――――ッ!?」
「ん?」
おっと、ルイに気づかれたようだ。
チャルナは…………寝てるな。
「ッ!ッ!!」(ブンブン!)
必死に首を横に振っているが…………はて、何を伝えようとしてるのか分かりませんなぁ。ケケケ……。
丁度いい、ルイで遊ぶか。コイツはいちいち反応が面白くてからかい甲斐があるからな。チャルナは笑うばかりでつまらんし。
カサカサという擬音が聞こえてきそうな挙動で左右の兵士の頭の上に、前肢を伸ばす。それだけでルイが短く悲鳴を上げそうになって慌てて口を抑えていた。
顔も真っ青だし、ホントにいいリアクションするなぁ。
ここで俺が好き勝手に動けることが王族にバレればどうなるのか、ルイはきっと必死に想像を巡らせているはずだ。
きっと今以上に警戒されてしまうだろうし、下手すれば王族どうしのバランスが崩れてしまうかもしれない。もし排除派に傾いたとして、俺の従者として共に戦ったルイ達は…………。
…………。
とはいえ、俺がそんな事を気にする訳もなく。
「〜〜ッ!〜〜!!」(ブンブンブン!!)
兵士の後ろで機敏に反復横とびすると、ルイは勘弁してくれ、とでも言うかのように首と手を必死に振る。
「……ん?」
「あッ…………!」
流石にそんな動きをすれば兵士が気づかない訳が無い。
先程の兵士がこちらをくるりと振り返り――――
「――――どうかしたか?」
「…………。いや、なんでもない」
何事も無かったかのように座っている俺を見てすぐに視線を戻していた。
「………………!!」
思いっきりこちらを睨みつけているルイ。
あらかじめ予想しておいたので特に問題はない。気づかれたら……仕留めてしまえば大丈夫だろう。くくく…………。
お次は糸のように加工したセグメントで天井を登ってみるか――。
残りの会議の時間を『セグメントの変形に慣れるための練習』という建前の下、ルイを散々にからかって過ごした。幸い、他の誰かにバレるようなことはなかったが…………会議の後で思いっきり叱られた。
セグメントの変形に関してはいくつか分かったことがある。
変形できるのは布の容量が許すまで。複雑な形状は作れず、その使った分だけ伸ばせる距離は縮む。
織られた布地すら解いて糸状にしたとして最大限伸ばすと50メートル程だ。ここまで来るともはや服の形にはなっていない。
そして変形できない 部分があるのも確認できた。
魔法陣が縫い込まれている背中の部分だ。そこだけはどうやっても動かなかった。
結局、今回の会議でもロクなことは決まらず、侵攻から2週間経っても結論は出なかった。