幕間:リツィオ視点
一時間前に一話更新していますので、読んでない方はそちらを先にどうぞ。
―――――リツィオ視点――――――
エルフというのは思考の種族とされる。
生まれてから死ぬまでにずっと何かを考え続けずにはいられない。
事実、エルフの里を訪れると思案に明け暮れるエルフを見つけることができる。
ひとりひとり考えていることは違うが、眠る一瞬、死ぬ間際までエルフは思考を続ける。長すぎるエルフの生では考えることが多すぎた。
だからこそ、私にとって何も考えられなくなるほどの出来事、というのは衝撃的なものだった。
――10にも満たない子供が、馬車を抱え上げて空を悠々と飛ぶ炎龍を撃ち落とした。
呆然として何も出来なかった私の、目の前で。
到底信じられる光景ではなかった。
頭の中が真っ白になり、何も考えられない。そんな事態は初めてのことだった。
何があろうと思考を重ねてきた私が、意識を保ちながら何も考えられなくなることがあるなんて。
その衝撃を作り出した本人は、燃え盛る炎に照らされて不適に笑みを浮かべていた――――
きっとユージーン…………ユー君のことが気になっていたのはそのことがあったから、かしら?
そうでなかったらそれはきっと…………ユー君が彼に似ていたから。
何年か前から見えていた救国の英雄。
精悍で鋭い目つきの、逞しい金髪の青年。
もっとも、ユー君はまだ小さいからあの人ではない。そんなことが分かっていてもユー君はからかい甲斐があるんだけどね。
彼のことが無かったら、私のパートナーとしてしてもらいたいくらいね。
歳は気にならない。エルフの長い生、ちょっと待つくらいなんてことはない。
そうでなくとも彼には確かな実力がある。手駒として引き入れることも考えて今からツバを付けておきたかった。
丸一年、ずっと探し求めてみても彼の姿はこの大陸のどこにも無かった。
信頼できる各村の代表者に接触し協力を求めるのが目的の旅だったけど、私の心の中では彼を見つけるという方が優先して浮かんでいた。
彼さえいればこの先に起こる事件だって解決できる。
だというのに、彼は見つからずエストラーダにまで到着し、会議は始まってしまった。そして事件はもう始まってしまっていた――
「どうするおつもりですか!?聞けば当たりは包囲され、魔物と魔人の走狗と化した兵士が押し寄せていると聞く!」
ヒステリックに叫んでいるのは秋の大陸の大臣、だったかしら?
あそこは頑丈な防壁に国が包まれていると聞く。だからこんな時の免疫が付いてないのかもしれない。
「そこの臆病者はわめきたてるだけで何もしようとはせん。ココはこの建物の全戦力を持って打って出るべきだ!」
「なんだと貴様!貴様のところの腑抜け兵士なんぞ真っ先におっ死んで足を引っ張るに決まっている!!」
ああ、もう……。仲の悪い国の人同士が一緒にいるとこうなっちゃうわよね。
今の望翠殿ではパニックになった王族と大臣たちが互いを罵り合う、最悪の会議が開かれていた。
幸い、会議場の周りまで来て敵の侵攻の勢いは衰えている。
逃げ込んできた市民の収容も進み、ある程度の安全はある。
でもだからって……貴重な会議の時間を潰してまで罵声を浴びせ合うなんて、実に無益な事だとわからないのかしら?
「だいたい、この大陸の兵士はどうなっておる!魔人に操られるなんて鍛錬が足りない証左ではありませぬか!」
っと、こっちにまで矛先が飛んできたわね。
この大陸で会議を開く関係上、夏の大陸の代表となる王族が進行を務める事になる。
私と、カンタンテ王がそれだ。
「魔人は長い月日をかけて仕掛けを施しているようです。鍛錬でどうこうできる領分ではありますまい」
「ならばどうして我らの騎士団は無事なのだ!?精鋭ならば魔人の誘惑を跳ね除けられる!騎士団こそがその証拠だ!!」
「魔人の魔法は時間をかけて仕込むもの。最近来たばかりの騎士団では操られるまで影響が出なかっただけやもしれませぬ。安直な言葉で我らの兵を貶めないで頂きたい。
何より、ここで私たちを責め立てたところで何が変わるというのです?我らをつるし上げれば脱出できるわけでもあるまい」
ホント、嫌になるわよね。いい年したおっさんが取り乱してみっともない。
さて、見ているだけでは状況は進展しないし、いつまでも黙っている訳にはいかないわよね。私もそろそろ王様やらなくちゃ。
「――皆様、不安になるのはわかります。ですが、今は状況を冷静に判断して解決の糸口を見つけなければいけません」
ちょっと魔法を使って声が響くように細工する。
声が届く範囲にいる者は、私の言葉が水が染み込むように心の深いところに響いて感じられるはずだ。
「この望翠殿に仕掛けられた魔人の呪具はすでに取り除いてあります。これ以上、兵士が暴走することはありません。いざとなれば水上から少しずつ近くの村まで脱出することもできます。落ち着いてお話をお聞き下さい」
まずは安心させてその上で話し合わなければ。
先程の罵り合いを見ていた一部の王族は、既に冷静になっているみたい。
あれよね。パニックになった人を見てると却って冷静になるヤツ。
「ワースティタース王女の言う通りだ。皆様、どうか落ち着いてくだされ。ここで仲間割れしていては魔人の思う壺だ」
「それは……そうだが……」
戸惑っている王族もいるみたいだけど、ここは強引に今の話を進めたほうがいいわね。話合いの中で脱線していく人がいれば、こっちで軌道修正していく感じで。
「では……今の望翠殿にはどれほどの戦力が残っているのでしょうか?」
「まず、各国の騎士団。ですがこれは皆様の最低限の守り。動かすことはできないと考えましょう」
ここであからさまにホッとするのはいただけないけど気持ちは分かる。
「あらかじめ警備に回していた大隊の内、正気を取り戻したり街から合流した者で回復率は8割、といったところでしょう」
「その人数でここを突破することは可能でしょうか?」
「まず、無理でしょう。一時的に包囲に穴を開けることは可能でしょうが、皆様を護衛しながら出て行くのはまず無理だと考えておいて下さい」
「そうですか……」
ああ、せっかく落ち着かせたのに一部の人たちが思いっきり失望しているのが分かる。カンタンテ王ももうちょっと言葉を選んでもいいんじゃないかな?
さて、どうやってこの状況を巻き返すか……そう考え始めた時、会議場の扉が大きな音をたてて開かれた。
「――――ご報告です!街から冒険者の集団が望翠殿に集結!街にあった魔人の仕掛けを粗方破壊し、これ以上相手の戦力は増えることはない、とのことです!」
「おおッ!」
「やるではないか!」
そう、良かった……。これでひとまずは安心ね。
コネホさんからユー君のことは聞いてたから、ちょっと期待してたけど彼の仕業かしら?
「その冒険者たちに伝えて頂戴!街の詳しい状況を聞きたいからここに来るように、と」
「で、ですがここに粗野な冒険者を入れるわけには……!」
「そのような格式を気にしている場合ではありません!急ぎここに来るように伝えなさい!」
「は、はいッ!了解しました!」
弾かれたように出て行く兵士の背中に、僅かな期待が集まる。
これで状況が動く……。
しばらくして案内されてきた冒険者達は自分たちを見つめる貴人たちの視線に一瞬たじろいだが、すぐに代表と思われる壮年の男が進み出て頭を垂れる。
「エストラーダ冒険者ギルド所長、クリフ・ストックです。この度は――――」
「堅苦しい挨拶は後にして、お話を聞かせて頂戴。今の街の状況はどうなってるの?」
「はッ!これは失礼を!…………冒険者達は街の各所、主に兵士の詰所などにある魔人の呪具を破壊。その影響で操られていた兵士は正気を取り戻し、魔物共は狂乱しております!」
「そう。それはご苦労様です。でもよく魔人の呪具を見つけられたわね?」
「魔人の情報を持ってきた者が居りましたゆえ。……おい、嬢ちゃん達、出番だ」
「は、ハイです!」「うにゃ!」
あれは……ルイちゃんと……チャルナちゃん?二人共外で戦っているのは知ってたけど……。
「あなた達は以前にもお会いしましたね。と、いうことは彼が魔人の情報を?」
「は、はい!ご主人様がルイ達に魔人のしていることを教えてくれたです!ご主人様はレリュー様を救いに炎龍山脈へ行っているみたいです」
「山脈に……?まさか神殿を通って行ったの?」
「にゃん!」
「……いったい何者なのですか、その者は?ワースティタース殿?」
会話を見守っていた王族が疑問の声を上げる。
……言っていいものかしらね……。
「その者なら儂も会ったことがある。春の大陸から来た貴族のユージーン・ダリアという者だ。儂の娘を救っ――――」
「ユージーン!?その名はたしか、報告に上がっていた魔人の手先ではありませぬか!」
「なんだと!?」「そういえばたしかに先ほど……」
ありゃりゃ……言っちゃったよカンタンテ王。
もうちょっと空気を読むように忠告しておこおうかしら。
コネホさん達との話し合いでそのようなことが可能性としてある、という報告が警備長の口から告げられていたけど……。
チャルナちゃんの体を借りている時の報告は非常識過ぎて会議にまでは上がっていない。
「人でありながら魔人と手下に成り下がるとは、と思っていましたが……!そんな者の言うことが信用に足りますか!?」
「あるいは何かしらの罠かもしれない!脱出しようとココから出たらさらなる伏兵が……」
「なんと恐ろしい……!」
まずい。このままじゃユー君がスパイだと確定してしまう。
せっかく教えてくれたことも無駄になってしまったら、彼はどう思うだろうか?
「お待ちください!彼はもしかしたら本心から敵に寝返っていたのではないのかもしれません!」
「ワースティタース殿!?何をおっしゃられる!?」
「あえてスパイを演じることで魔人を油断させ、その情報を手に入れた、とも考えられます。ここで彼を裏切り者と断じるには早計かと」
ああ、ゴメンねユー君。こんな言い方しか出来なくて。
あとでなんとか埋め合わせはするから。
「一理ある……が、それが真実であるかどうかは分かりますまい」
「そうです。もしその者が本当に寝返っていたら、状況はさらにまずいことに」
「あるいはこの冒険者たちも……」
懐疑と敵意の視線が議場に駆けつけた冒険者たちに注がれる。
おいおい聞いてないぜ嬢ちゃん達……、という呟きが聞こえたが、ここでなにかしても状況が悪くなるだけということを理解してるらしい。武器を構えることなくそこにいる。
みんな疑心暗鬼になっていて、もはや冷静な判断ができないみたい。
これをどうにかするのは骨が折れるわね……。
とにかく話をしなければ、と口を開いて――――
「貴方がたがそんなことを気にする必要はありません。もうすぐ全てが終わるのですから」
「ッ!?」
唐突にそんな声が聞こえた。
聞こえてきた方向は……後ろ!?
振り返れば望翠殿の湖に面した側、大きく開かれている窓から異形の者が佇んでいた。
その姿を認めた者から悲鳴が上がる。
魔人――!こんなところにまで姿を現すなんて!
王族がうろたえているところを見ても、魔人はまゆ一つ動かすことなく言葉を紡ぐ。
「もうすぐ魔王様が復活なされます。だというのにこんな所で醜く仲間割れをしているなどと……御目汚しになるので掃除しにきました」
魔王、と聞いていよいよ精神的なタガが外れたのか、恐慌状態になった王族の声が響く。
いくら魔人ひとりだけとはいえ、ココに居る戦力でどうこうできるかしら……?
きっと騎士団は自国の王の安全を最優先するだろうし。
「私は夢魔。貴方がたが悪夢の前にひと時の淫夢を見たいというのでしたら協力して差し上げます。ご希望の方は前に進み出てください」
そんなことを言うが進み出るものなどいない。
魔人も本気で言っているわけではないのだろう。その余裕が魔王の復活という最悪の事態に真実味を持たせる。
張り詰めた空気が望翠殿に満ちている。
兵士も王族も、誰ひとり動けない。
異様な緊張感の中で誰ひとり動こうとしない。
「そうでなければ……ここで大人しく魔王様の復活を見ていなさい。――――ああ、見なさい、ちょうど復活の儀式が終わったようです」
見上げた先、山脈の頂上から飛び立つ影が見えた。
あれは……炎龍!?
ゆっくりとこちらに向けて飛んでくるその巨体は徐々に大きくなっている。間違いなくこちらを目指している。
遠すぎて見えづらいがその背中には誰かが乗っているように見えた。
アレが……魔王……?
だとしたら、レリューちゃんは……彼女を助けに行ったユー君は……!
「おお……そんな……」
カンタンテ王が同じ結論に達したのか口を抑えて涙を流し始めた。
「人の世はここで終わり、これからは魔王様の治める世界がやって来る。あなたたち人間にとっては悪夢の始まりね」
「…………私はそうは思わない」
「貴方がどう思おうと結末は変わらないのです、ダークエルフの王よ」
「いいえ。私は信じている。あの子が……ユージーンがそう簡単に死ぬわけが無い」
いつでもふてぶてしい彼が負けるところは想像できない。
一度撤退してでもことを為そうとするはずだ。
ユー君は私のことを信じていないようだったけど、私は彼を信じている。
ユー君が裏切っている訳が無い。
キツイ事を言っても酷いことをしていても、彼は心のどこかに優しさを残している。
きっと彼は優しさを捨てきれない。
炎龍はもうすぐ近くにまで来ている。
以前に襲われた時よりもその体は大きく見える。不安で心が押し潰れそうけどしっかりしなくちゃ。
私が信じてあげなければ、彼を信じる者は誰も居なくなってしまう。
「うにゃ!マスターは負けないもん!」
「そうです!ご主人様はきっと誰にも負けず、私たちのところに戻ってくるです!」
「あなた達……」
……あはは。何を勘違いしていたんだろう。自分より信じる者がいるじゃない。
「ま、嬢ちゃんたちがそう言うんだ。信じてやらなきゃ夢がないわな」
「儂は最初から信じておる」
冒険者ギルドの所長、カンタンテ王がそれに続く。
そうだ。彼が死んでいなければどうにかなる。あんな子供に希望を託すなんて自分でもどうかしていると思うけど、何故かそう信じられる。
無駄に自信満々で不遜だった彼を、信じている。
「ユージーンだけじゃない。この街で必死に生きようとしている人々がいる……!彼らが諦めていない限り、人の世は終わらない!例えここで私たちを倒しても!」
「勢いこんでみても状況は変わらないです……!世界は悪夢に――――」
「あなた達魔人が人の見る悪夢だとしたら!あの子は――」
魔人の言葉を遮るように声を張り上げる。
堂々と、胸を張って。誰にも不安を見せないように。
そうだ。こんな所で死んでいられない。
そんな未来は見えていない。
私は生きて、生き抜いて彼に会いに行くんだ……!
「あの子はあなた達、悪夢が見る悪夢よ!!」
叫びが議場に響き渡る。
諦めてはいけないんだ……ッ!
「貴方は何を言って……ッ!?」
その時、会議場の誰もが異変に気づく。
炎龍が空に漂い、空中に炎を吐きつけている。
激しく燃える炎で空が照らされ、混乱の中にあるエストラーダを浮かび上がらせた。
「何を……しているんだ!?」
「おい!見ろ!炎の中に何かが――!」
誰かが張り上げた声に従い、炎の中を注視する。
なに……?炎の赤の中に、場違いな黒がひとつだけ混じっている……?
赤く躍る光の中で、黒いそれははっきりと目立っていた。
炎龍の吐くブレスに焼けることなく佇むそれは、重力に引かれて落ちてきた。
「ま、魔王だ!魔王があの中に入ってるんだ!」
「何を馬鹿な……!」
「魔王でもなきゃあの地獄の炎の中で無事なわけ無いだろうが!」
不吉な言葉に背筋が冷える。
川を干上がらせると言われる炎に耐えられるものなんてそうそう有るわけがない……!
「お、おい!こっちに落ちてくるぞ!」
「逃げろおおぉぉぉぉぉ!!
炎の勢いに押されたのか、元々勢いがついていたのか。
それはかなりの速度で望翠殿目掛けて落ちてきていた。
「と、いうか思いっきりここに当たるコースじゃないです……?」
「うにゃ?逃げる?」
「そんなこと言ってる暇は…………うおおおおおッ!?もう目の前じゃねぇか!」
「きゃああああああああああああああッ!」
「うわああああああああああああああああッ!?」
悲鳴を上げて逃げようとするが明らかに手遅れだ。
轟音と共に真っ黒な塊が落ちてきて破砕音を響かせる。
…………ことは無かった。
『おおおおおおおおおおおッ!反発ッ!!』
「え……?」
誰ともしれない声が聞こえ、その塊はゆっくりと速度を落として軟着陸をする。
今の声は……?
魔人もこれがなんなのかわからないようで、驚きで瞳を丸くしている。
少なくとも魔王ではないようだが……。じゃあ一体何……?
異様な状況に誰もが動けないでいると、その黒い塊が布のような音をたてて解けた。
「あー……ったく。クソったれ。驚きでもっかい死ぬとこだった……。臨死体験とかもう勘弁だっての。ポンポン魂抜けてるし、緩くなってるとかないよな?」
「え……?あ、あれ……?」
意味不明なボヤキを口にしながら現れたのは……彼だ。
鍛え上げられた逞しい体。赤みの混じった金の髪。鋭い目つき……。
この一年、大陸を回ってずっと探してきた青年がそこにいる。
あ、あれ……?ええと……なんて言えばいいんだっけ?ずっとかける言葉を考えていたのに、肝心な時に言葉が出てこない。
こんなことは初めて……じゃなかったっけ。そうだ、一度ユー君の時も……。
「お?リツィオか。ちょうどいい手伝え!あのドラゴン、倒すぞ!」
「え、え?ちょ、ちょっと待って下さい!?なんで私の名前……?」
こちらが混乱しているというのに、さらにわけのわからないことを言う青年。
その仕草は、先ほど信じるといった少年のそれに似て――――
「うにゃ!マスタアアアァァァァァッ!」
「おっと!じゃれついてる暇はねェぞ、チャルナ」
え?なんでチャルナちゃんが飛びついて……?それにマスターって?
まさか……まさかまさかまさか……ッ!
「え、えと……もしかしてご主人様、です……?」
私の疑問をルイちゃんが口にする。
チャルナちゃんが懐き、マスターと呼ぶ人。それは――
「もしかしなくてもお前の仮の主人、ユージーン・ダリアだが」
「えええええええええええええええええッ!?」
そういう彼の体はどう見ても10代後半の青年の姿だった……。
リツィオの『見ていた』発言とか諸々後回しです。
次は19日に更新します