愚者の強権
――……。
………………。
……………………。
…………き……ロ……。
目覚……め……ろ…………。
目覚めろ……。起きるんだ……。
何かが……聞こえる……。
ああ……、そうだ……。聞こえている……。
俺はまだ……聞くことができる。
俺はまだ、死んではいない……。
誰かの声に意識がゆっくりと浮上してくる。
恐る恐る目を開けると、そこは瞳を開く前と変わらず、何も見えない暗闇のままだった。辺りを見回しても何もない。
どこまでも真っ暗な空間が広がっていた。
…………死んでない、と言った手前『ここが地獄か』なんてセリフは間違っても言えないか。
そもそも地球で死んだ後だって、あの白い空間で目を覚ましたんだ。恥ずかしくてうかつに死んだなんて言えないようになってしまったな。
さて、ここがどこか、なんて考えてもしょうがない。
戸惑うよりもまずは俺に呼びかけてきた奴を探すほうが先決か。そいつが疑問の答えを知ってるだろうし。脱出の方法も分かるかもしれない。
…………我ながらイヤぁーな慣れ方しちまったな……。なんで死んだ後の状況に慣れつつあるんだ。
「――――ほう。思ったより落ち着いているな」
ほら見ろツッコまれたよ。
やっぱりこんな状況に慣れる方がおかしいんだ。なんで2回目なのにスッキリしてんだよ、アホか。
ここはもっとこう、『はっ!?ココはどこだ!?私は誰だ!?』みたいな戸惑いを持たないとシチュエーション的に変なんだって。
「……おい?聞こえてないのか?」
「今忙しいからちょっと待ってろ」
「お、おう……」
空間全体から戸惑った感じの気配を感じるが、今はそれどころではない。
――そもそも1回目だってなんで全裸待機してんだよ。マイペースか。
異世界どうの言う前に自分の感覚が既に死ぬ前からおかしかったんじゃないか?やっぱりずっと本ばっか読んでたのがダメだったのか?
いや待て、確かあの前の日は露出モノの官能小説を読んでいたような――いやいや、それは関係ないな。
「…………まだか?」
「今いいトコなんだからすっこんでろ。……そもそもあの本はあいつらのオススメだからって借りたんであって、決して俺が露出に興味あるとは……無いとは言い切れないな。だが、だからといって――」
「…………。おい!こっちを見ろ!」
流石にしびれを切らしたらしい怪人物が声を荒げる。
めんどくさいな……。こちとらいきなり仮面の変神に対面したんだ。今更何が出てきても驚かんぞ。
そう思って振り返ると、なんてことはない。普通のおっさんだった。
――――首から下が行方不明になってらっしゃるようだが。
「………………」
「なぜお前はいきなり拳を固めて振りかブルッシャアッ!?」
「取り敢えず殴っておこうかと思って」
「とりあえずってなんだ!?」
ある種の礼儀だ。
しかし……えらい饒舌な生首だな。肺もないのによくしゃべる。
「死んだかと思えば出てくるのは野郎ばかり。何なんだかね。たまには女神とか戦乙女とか出てこいよ」
「知るか!?なんで死に慣れたみたいな言い方してんだ!?」
「はい、パンチツー」
「ゲブるッ!?」
問答無用で殴っておく。
こういうのにはロクな奴がいないのはターヴで学習済みだ。
交渉とか話し合いとかはとりあえず武力で制圧してからの話だ。最近の某猫型ロボの映画だってそう言っている。(気がする)
しゃべると殴られると思ったのか、生首のおっさんは黙ってしまった。
この暗い世界で、光もないというのにその姿ははっきりと見える。
「……んで?なんなんだ?この世界は?」
「………………」
「………………」(すっ)
「無言で拳を振り上げるな!分かった!分かったよ!言う言う!言うから喋らせてお願いしますプリーズ!!」
「やっぱりうるさいから黙らせておくか」
「理不尽!」
そんなこんなでこちらの力を十分に示してから話をすることができた。
「…………んで?おっさんは俺になんのようだ?」
「ようやく話ができるな……。我々は君に力を貸したいと思っ――――」
「断る」
「お願いだから話させて!?」
パターンがターヴの時と一緒じゃねぇか。話してる間に何かに寄生されてたりするんだろ。
もうコリゴリだっての。
「ん?我々?おっさんひとりじゃないのか?」
「とことん自分のペースで話すねキミ?友達なくすよ?」
「…………脳漿をブチ撒けろ」(すっ)
「文字通り手足が出ない私に手加減というものを適応してくれないかな!?………………コホン。混乱しているようだが、君はまだ死んではいない」
仕切りなおした……。
「ここは炎龍の持つ宝珠の中……魂を永遠に繋いでおく牢獄の中だ。君はそこに足を踏み入れかけている」
「ライフドレインを受けすぎた……ってのは覚えている。しかしそれなら俺は死んでいるはずだ」
「ライフドレインで生命力を吸い取られた……吸い取られすぎた君は仮死状態にある。生命力と共に吸い出された君の意志が、この世界に溜まり、凝固し、魂の移し身と言える存在になったんだ」
…………鵜呑みにするわけではないが、もしそれが本当なら今の俺の人格は仮初のもの、ということになる。
「それで?俺の目を覚ましてどうしようって言うんだ?」
「…………意外だね。泣き叫んでもおかしくないのに」
「俺がなんだとしてもやることは変わらん。あっちの世界に戻ってあのクソドラゴンをぶちのめす。本体がなんだろうと俺がどうだろうと変わらない」
「そうかい。話が早くて助かるよ。君の本体はかろうじて向こう……此岸に留まっている。誰かが君のことを引き止めているようだ」
意識を失う前に感じた暖かな手の感触。あれがそうなのか?
「いや、あれは 私 の だ 」
「…………死ねッ!!」
なんでお前なんだよとか、そもそも手が無いだろとか、ここはチャルナとかレリューあたりだろとか、諸々言いたいことがあったが取り敢えず死ね!
「心無い若者の言葉はいつも老人を傷つける……。ともかく、事実の探求は後回しにしてくれ。ここを脱出して君の本体を起こすことができるかもしれない」
「…………つまりお前らがそれに手を貸す、と」
「そういうことだ。…………もう我々のことは薄々分かっているだろう。我々は炎龍に襲われ、食い殺された者だ」
わからいでか。その首を見たらな。
「せめてあの化物に一矢報いたい。君ならそれが可能だと思っている。今は決め手に欠けているようだがね」
「一言多いな。それで具体的にどうやって脱出するつもりだ?」
「あの割れ目から外に出てくれ。多分それで出られる」
「雑ッ!!」
視線の先を見れば闇が薄れて赤い亀裂が出てくるところだった。
なんだそれ!?もうちょっとなんかこう……あるだろ!汗と涙の冒険が!脱出劇が!
よくこれで協力するなんて言えるな!?軽く出られんだろ!
「勘違いしないでもらいたいのは、普通ならこの割れ目はすぐに塞がってしまう事だ。私達が必死になって再生を押しとどめている」
「へぇー……。そもそもなんでこんな割れ目が?」
「いつだったか猫が来てね」
「猫!?」
猫にやられたのか!?どんだけ弱いんだよドラゴン!!
「――――って待てよ。それって黒い毛並みで腹にピンクのリボン巻いてて片耳の先が欠けたやつか?」
「そうだ」
モロにチャルナだ。そういえば最初に戦って食われかけた時にチャルナのお陰で脱出
できたんだった。あんときの傷か。
……帰ったら少しねぎらってやるか。
とにかくそうと決まったらさっさとここを出て本体を起こさんとな。
おっさんの生首から離れて割れ目の方に歩いていく。
「待ちたまえ。行く前に我々の餞別を受け取って行ってもらおう」
「餞別?」
「協力すると言っただろう。せめてヤツを倒せる手がかりにするといい。それが我々の総意だ」
「……さっきから我々とか言ってるが他の連中はどうした。希望を託すようなこと宣ってやがるが、顔のひとつも見せやがらねぇで」
「それは仕方ないだろう。なにせ――――」
おっさんが言葉を切ると同時。
闇しか見えなかった空間に次々と浮かび上がる人影。
俺たちを中心にドーム状に広がっていく影は、みな体のどこかが欠けていた。
腰から下がちぎれ飛んでいる者、半身が炭化した者、深い爪痕が刻まれた者――。
共通することといえば一様に怨嗟の言葉を吐いていることだろうか。
それまで俺とおっさんの声しか聞こえなかった空間に呪詛の言葉が満ちる。
「――――まともに口を利けるのは私しか残っていないのだからね」
「……ッ!!」
「他の者は魂に刻まれた情動を垂れ流すだけの人形になってしまった。それでも残ったみなの意識を繋ぎ留めて注ぎ込んだ代表が私だ」
「……最後の最後で死人らしいことしてくれるじゃねえか」
「そう言わないでくれ。君に全てを託そうとしてるんだ。顔ぐらい見せてもいいじゃないか」
そう言って近づいてくるおっさんの生首。
それに合わせて周囲から光が集まってくる。俺とおっさんの間で集積した光が玉の形を取る。
そのまま俺の方に空中を滑って流れてくると体の中に溶け込んでいくかのように消えてしまった。
………………ほら見ろ。やっぱり何かしら寄生されるんじゃねぇか。
「酔狂なもんだな。こんなガキに全てを託そうだなんて」
「君のどこを見ればガキに見えるんだ?立派な青年じゃないか。胸を張りたまえ。君になら我々の想いは君を助けるだろう」
青年?
疑問を覚えて自分の体を見下ろすと、見慣れたユージーン・ダリアの体ではなかった。しかしだからといって上月裕次の体でもない。
元の体だとしたら年齢が若すぎる。十代後半くらいのそれに見える。
「おっさんには俺はどう見えてるんだ?」
「黒髪の中にひと房の金髪が混じってる、目つきの悪い青年だね」
……もし、ココに居るのが魂だとすれば俺の魂は間違いなく上月裕二のモノだ。
髪に金髪が混じっていたり歳が若くなっていたりするのは、ユージーン・ダリアの肉体に影響されたからか?
「さて、そろそろ行きたまえ。向こうのキミが死んでいないことに魔人が気づいたようだ」
「――分かったよ。とっととぶちのめしてくるさ」
考えることは後でもできる。あっちが死んだら元も子もないだろう。
割れ目のもとまで歩いていく。
受け取った物が何なのか、それは受け取った瞬間に理解した。後は使い方次第だ。
「君がそこを抜ければ奪い取られた生命力も一緒に戻っていくだろう。――――頑張りたまえ、若人よ」
「……精々見ていろ。俺がこの世界で英雄になる瞬間を」
「ははっ。期待してるさ」
首だけのおっさんに別れの挨拶がわりの強がりを吐いて、境界の向こうへと足を踏み出した。
赤い割れ目からその中の世界が滲みだしてくるように、黒い煙が奔流となって溢れ出す。
流れに乗って外に出て振り返ると割れ目がすぐに塞がっていくのが見えた。
意識が戻った瞬間、目の前にあったのは鎌を振り上げる死神の姿――ではなく俺にトドメを刺そうとしている魔人の姿だった。
仰向けに倒れた状態から横に転がる……のは間に合わない!
振り下ろされる刃を歯で文字通り食い止める。
「なっ!?アンタ生きて!?」
「ぐぎぎぎぎぎ……!あいふぃふ、ふぃにふぁふぇふぇふふぉんふぇな」
「何言ってんのかわかんないわよ!」
ごもっとも。
下から飛んでくる魔人の拳に足を乗せ、勢いを借りて後ろに吹っ飛ぶ。
力が入らないからこうした芸当を選んだが、案外何とでもなるもんだな。
自分の体に目を落とす。
先程までの青年の体ではない。いつものユージーン・ダリアの体だ。
生命力をしこたま吸われたせいか、体に力が入らない。
「いつつ……口の中ちょっと切っちまったじゃねぇか」
「知らないわよ、そんなの!それよりアンタどうやって生き返ったの!?」
魔人が俺のすぐ近くに居る。その向こうに炎龍がいる。
時間はどれだけ経った?あの暗い世界に居た時間、気絶していた時間はどれだけあった?
いや、今はいい。こいつを、こいつらを倒すことを考えろ……!
「生憎、死に慣れてるもんでな。確実に殺さないと何度でも蘇るぞ」
「リビングデットみたいなやつね……!だったら何度でも殺して殺して殺しまくってあげるわ!――――炎龍!」
「グルルルルル……」
「結局人頼みか!魔人の名が聞いて呆れるぞ!」
「こいつ人じゃないから問題ないわよっ!」
コイツの中身、ホントは小学生とか入ってないよな?
それはともかく。
「さっそく使わせてもらうぜ、おっさん」
あの黒い空間の中でのことはしっかり記憶に残っている。
そしておっさんからの贈り物も――――。
はっきり言えば、おっさんから託されたのは『想い』だ。
別に『俺の分まで生きていてくれ……』みたいな青臭い話ではない。
あの空間に満ちていた亡者たちの想念。それをひとかたまりにして渡されたのだ。
憎悪、怨嗟、悲痛、嘆き……。
ドラゴンによって食い殺され、その魂を啜られた大勢の人間の恨みつらみが俺の中にある。
その対象は何か、考えずともわかるだろう。今、俺の目の前に居るドラゴンだ。
自分達の命を理不尽に刈り取った憎い存在が目の前に居る。
そう考えただけでも血が沸き立つような感覚に襲われる。
そしてそれに呼応するような感覚が確かに俺の中に芽生えていた。
「…………」
「な、なによ。いきなり本なんか取り出して。そんなもんでどうするつもり?」
思い出せ。俺が死んだのは何故だ?こんな所でいらぬ苦労を強いられている、そもそもの原因は何だった?
俺の中で亡者の無念に共鳴しているのはいったいなんだ?
いいや。思い出す必要などない。一瞬たりとて忘れたことなど無いのだから。
それはずっと俺の近くにあったし、俺もまた、そいつを使っていたのだから。
『ススメ』を開く。
勝手にページがめくれ、文字が浮かび上がった。
――――――――――――――――――――――――
【ユージーン・ダリア】
固有スキル
・ケース【憎悪】:愚者の強権
――――――――――――――――――――――――
今までになかった項目が、新たな能力が発現している。
「――――……また覚醒イベント、……の上にさらに他人の力を借りて、なんて正直気に入らないが……」
そうだ。気に入らない。
夏の大陸に来てから久しく使っていなかった気がする言葉だ。
忘れるな。俺の力の根源は何かに怒り、憎んでこそ本領を発揮する。
「――四の五の言ってられないんでな。……行くぞ」
宣言と共に身のうちに巣食う、俺と、俺の物ではない憎しみに身を委ねた。
爆発的に感情が湧き上がり、活力を失っていた体に力が入る。
噛み締めた歯が音を立て、握り締めた手の平から血がしたたる。
喉奥から俺の真っ黒なハラワタが上ってくる錯覚を覚えながら、それを吐き出すように言葉を紡ぐ。
「『我が名に於いて行使せん』」
魔法の詠唱とは違う、異質な言葉の連なり。
最近は口にする事も無くなった、スキル発動の呪文だ。
「『愚者は望む。全てを欲す』」
憎い 憎い 憎い――
これほど強く感情が沸き立っているというのに、魔力は露ほども湧いてこない。
もう魔力に変換するだけの生命力が残っていないからだ。
では、誰が俺の命を奪った?
いったいどこの誰が、何の権利を持って命を奪う?
「『権利無くばその権利を、力無くばその力を』」
力だ。
強者は弱者に『暴力』という『権利』を使って全てを奪う。
ならば力を奪えば全ては逆転する。
強者は弱者に。
弱者は強者に。
「『簒奪するは我。据えるは粗暴。掲げしは力。全てを欲し、全てを望む――――』」
結局は暴力という理に縛られ、弱肉強食の世界から抜け出せない。
そうと分かっていても力を求めずにはいられない、そうせずにはいられない。そんな愚者のスキル――
「――――《強権簒奪の愚者!!》」
詠唱の終わりとともにススメからにじみ出る無数の影。
それは青く半透明な口だった。
球形の体に歯の生え揃った顎だけを備えたそれはフワフワと俺の周りを飛び続けている。
これが俺の――新たなる力の形!
「な、なんのまねよ!?そんなちっこいモノでアタシたちを――」
「喰いつくせ!」
俺が指示を飛ばすと一斉に獲物に向かって飛んでいく。
魔人は今はいい。狙うはドラゴン。まずは奪われた物を返してもらおう。
「グルオオオオオオオオオオオオッ!?」
ドラゴンの苦鳴がクレーターに鳴り響く。
青い球体が通過した跡はゴッソリと抉れ、血肉が剥き出しになって溢れてくる。
あれほどの頑強さを誇った甲殻も、焼き菓子か何かの如く容易く屠られていく。
しかも球体は自立した意思を持つかのように、弧を描いて戻ってきてはさらにその体を貫いていった。
「ちょッ、ちょっと、嘘でしょ!?炎龍のウロコがあんなにあっさり壊れるわけが……!?」
関係ない。
どんな力を身につけていようとも、どれほど堅い権力が守ろうとも、俺の放った憎しみの前には意味がない。
その力を喰らってスキルは大きくなる。
「アンタ……ッ!何をしたのよッ!」
魔人が元を断とうと俺に鎌を振り上げてくる。
「『我と我が名と我が標 誓いによりて敵を断つ 破敵の大剣 いざここに』」
「『ソード・クラフト』!」
使えないはずの魔法で生み出した大剣をかざし、振り下ろされる大鎌を受け止める。
「嘘ッ!?なんで魔法が使えるの!?生命力は限界まで吸いきったはずなのに……!魔力に変換する余裕があるわけ…………」
手元のススメはアイテムボックスのページを開いている。
今まではただアイテムの名前が並ぶだけだったページに新たな変化が起きていた。
ボックスが使用可能になった当初からある赤い枠。その隣に新たな枠が出来ていた。
青い球体が龍の体を削るたび、アイテムボックスには次々とアイテムが増えていく。
→真炎龍の甲殻
→真炎龍の翼膜
→真炎龍の火鱗
→真炎龍の鋭角片
球体が食らった物がアイテムとして収納されているのだ。
そして新たに増えた青い枠に、炎龍の素材をドロップする。
「…………ッ!」
ドロップされたアイテムが消えて、俺の体にわずかに活力が戻ってくる。
そしてその作業を行うたび、少しずつ球体は大きさを増していった。
――――獲物からその血肉を奪い、喰らい、啜り、大きくなっていく捕食者のスキル。
それが新たに会得した俺の力だった。
「――わかるか、トカゲ野郎。それはお前の振るった暴力に食い殺された、人間の憎悪の力だ」
組み合った魔人越しにドラゴンに声をかける。
当然返事はない。俺だって本気で返事があるとは考えていない。
青い球体を打ち払おうと必死になって炎を吐いたり尾を振ったりしているその姿に、強者としての威厳は無くなっていた。
「何を言ってるのよ!人間だけがいかにも被害者みたいな顔してるけど、アンタたちだって生き物を殺すでしょ!何が理不尽な暴力よ!」
返ってこない返事は、目の前の魔人から告げられた。
「ああ、そうだ。俺がこうしてやっていることだって、お前らからしたらただの暴力だ」
そんなことは百も承知だ。
だからといってはい、そうですかなどと食われてやることなど出来はしない。
大鎌の刃を下から跳ね上げる。
踏み込んで放った2擊目を、鎌の柄で押し返される。
魔人は鎌を振り下ろすことは諦めたのか、今度は突き出すようにして武器を振るう。
突きになれば狙いが単純。早いだけなら簡単に避けられる。
「そうと分かっていても憎まずにはいられない。己に振り下ろされた拳を恨まずにはいられない!」
俺もかつて悩んだ。
俺に暴力の鉾先を向けてくるモノに問答無用の憎しみを覚えてしまうことがあった。
自分が煽ったり仕向けたりしたにもかかわらず、だ。
その時は自嘲した。
自分で『暴力』を振るっておきながら、相手の『暴力』が憎い、だなんて。
だが、今なら分かる。
「俺が憎いのは『自分以外の振るう暴力』だ。振るわれる力は……奪うための力は俺だけでいい……ッ!俺だけが持っていればいい!」
「なッ……!そんな自分勝手が許されると思ってるの!?」
「誰が許すと言うんだ!?神でさえも己の都合で奪い、押し付け、騙す!所詮力なんてエゴとエゴのぶつかり合いだろうが!」
叫びをぶつけるように剣を振り下ろす。
堅い金属音を立てて鎌の柄に刃が食い込んだ。
正しければ、お利口にしていれば誰かが守ってくれる?
そんなわけあるか!だったらどうして俺は死ななきゃいけなかった!?どうしてあいつらはドラゴンに食われなきゃいけなかった!?
殺されるいわれがなくとも、いつかは理不尽な力にさらされる!
どんな世界だって最後には自分の身は自分で守らなくてはいけない。
自分に振るわれる可能性のある力を憎んで何が悪い!
「何が……何が英雄よ!!アンタ、みみっちいほどの俗物じゃない!」
「あいにく、この世界のシステムはスキルさえあれば英雄と認められるみたいなんでな!そのみみっちい俗物に倒されて踏み台になりやがれ!」
自分でも分かっている。
俺の抱いてる考えは、英雄的行為の真逆、利己主義でしかないと。
それでも心は納得しない。できるわけがない。
――――英雄的行為が人を救ってくれるのならば、俺はこの世界に居ねぇんだよ!!
魔力が溢れ出る。
憎しみが身を焦がし、俺の殺意を駆り立てる。
それに呼応して青い球体の動きがさらに早まっていった。
「グルオオオオォォォォォォォォンッ!」
ついに耐え切れない、と言うようにドラゴンが叫ぶ。
その体はあちこちから血を吹き出し、元々赤かった表皮を自分の血でまだらに染め上げていた。
ちょうど、商団を襲っていた時と同じ光景。
しかし今のそれはこぼれ落ちる命を嘆く、最後の断末魔に変わっていた。
「せっかく目覚めさせた炎龍が……ッ!アンタに死なれちゃ困るのよ!まだ宝珠を完成させてない!」
「だったらその宝珠俺がもらってやるよ!」
球体に思念で指示を出す。
空中を飛び回りながら、あるいは堅い甲殻を削りながらドラゴンの額に殺到する。
「――ッ!逃げなさい!」
「グルッ!」
また飛んで逃げるつもりか!毎度まいど逃げられてたまるか!
「『我と我が名と我が標 誓いによりて敵を打つ 破敵の鎖鞭 いざここに』」
「『ウィップ・クラフト』!」
どうせ風に巻かれて武器が届かないってんなら、俺が直で行ってやる!
点火球を無数に生み出して、背中に張り付かせる。
一歩踏み出すごとに炸裂させて加速する。
「あ、コラ!待ちなさい!」
「ぐうッ……!」
当然幾度も衝撃が背中に走る。合わせて魔人の攻撃も当たっているようだが、今は構ってられない。
ドラゴンの方は必死に羽ばたいているが、翼膜に穴が空いているせいで上手く飛べないようだ。
以前と比べて目に見えて上昇する速度が遅い。
ようやく浮き始めた頃には足元にまで迫っていた。
せっかくなのでその厳つい角やらトゲを利用させてもらう。
精製したムチを操り、トゲに引っ掛けることに成功した。
「おわッ!?」
引っ張り上げられてこっちの体まで宙に浮く。
そしてそのまま空へ――――
「――ってマズいだろ!レリュー放って置きっぱなしかよ!」
慌ててドラゴンの胴体の上に登り、岩棚を確認した。
なんで助けに来た当人の事忘れそうになってんだよ。
幸い、戦闘の余波はここにまでは及んでいなかったようで傷ひとつ無い。
気絶はしているようだが、無事なのは良かった。その体にムチを巻きつけて引き上げた。
「っの、待ちなさいってば……!」
魔人か。自前の翼で飛んで来たのか、俺より後ろのトゲに掴まって息を整えている。
あの青い球体は……だめだ。ついては来られないようだ。
「しつこいな……!黙って置き去りになってれば良いものを!」
「そういうわけにはいかないのよ!ここでならさっきの丸っこいのだって使えないでしょ?炎龍が落ちたらアンタたちだって無事では済まない!」
たしかにそうだ。ドラゴンは急速に飛び上がり今や山脈の上空にまで浮かび上がっている。
ここで炎龍を倒したらエライ事になる。流石に俺でもどうなるか分からない。
というかこのドラゴン、一体どこに向かうつもりだ?俺から逃げるつもりなのに一緒になって飛び上がってるというのに、一目散にどこかを目指しているような。
「――ってうおッ!?急に加速した!?」
「ちょ、ちょっと止まりなさい炎龍!止まれってば!アタシの言うことが聞けないの!?」
制御不能かよ。どうすんだ。
いや、どうもこうもないか。いつまでも飛び続けているわけにもいかないだろうし、降りそうになったら止めをさせばいいだけだ。
――という都合のいい考えはすぐに改めるハメになった。
強いGに俺も魔人も動けなくなっていると、前方に見えてくる物があった。
「あれは……エストラーダ!?」
「アンタにガリガリ削られた分、人間でも食べて回復しようとしてるんでしょッ!」
暴力的なまでの横風で互の声がうまく聞こえないために、怒鳴り合うように声を張り上げる。それでもその絶望的な内容は理解できた。
この巨体があの都市に落ちる。
混乱してるあの街でドラゴンが暴れまわるなんて考えただけでも寒気がする……!
「止めてやる……!」
「出来もしないことを言わない方がいいわよ!」
こんなこともあろうかと、既に種は蒔いてある。
手袋をはめた手の平で、手を打ち鳴らした。
刹那、それまで何もなかったように見えていた炎龍の体のあちこちに、水の玉が出現した。
「なにコレ!?」
魔人がうろたえている間にも、それは膨らみ続け――やがて破裂した。
炎龍の体の広い範囲に水がまとわりつく。
「こんなモノでどうしようってのよ!?というかいつの間に用意したの!?」
「んなもん、お前に向かって何発も撃ってただろうが!」
そう、これは魔人に牽制用として発射していた魔法弾、だったものだ。
手袋の内側には点火球の魔法陣が縫い込まれている。
そして拳銃型魔道具のグリップ部分には魔法弾の魔術回路の一端が伸びている。
元は魔力供給用の回路だったが手袋の魔法陣と接続し、ちょっとした仕掛けを施せるようにしておいた。
発射した魔法弾に何もぶつからなかった場合、点火球として射程ギリギリの空間に留まるようにしてあるのだ。そしてその属性は弾倉にセットされた弾に依存する。
今回、俺が発射しておいたのは水属性。
破裂すると爆発する火属性の点火球と違い、水の属性は周囲の水分を吸収して破裂する。
そしてこのタイミングでそれを発動させたのは――――
「寒ッ!あ、アンタ、こんな上空で水なんか撒くんじゃないわよ!」
100メートルごとに0.6度ずつ気温は下がる。1キロで6度。
この上空がどれほどの高さなのかは知らないが、気温は相当低い。
水とこの風当たりでドラゴンの体温は加速度的に低下しているはずだ。
「ってわけで失速しろこの変温動物!」
いくら翼が生えて火を吹こうが、ドラゴンはドラゴン。爬虫類。見た目は。
ならば生物学的に考えて変温動物だろう。火山に住んでいることから考えても間違えてはいないはず。
上空に逃げられた時のための万が一の策だったが、用意しておいて損はなかった。
ドラゴンの羽ばたきが目に見えて衰える。
加速も落ち着いてきてこれなら動けるだろう。
レリューを小脇に抱えたまま、トゲを掴んで頭の方へと進む。
魔人は…………寒くてそれどころではないようだ。モロに頭から被っていたからな。
ドラゴンはエストラーダの近く、湖の上まで来ている。
これ以上進む前になんとかしなければいけない。
唯一の勝機はあの宝珠。
あれに生命力が集まっているするならば、あれさえ奪い取ってしまえばズタボロのドラゴンなんてすぐに死んでしまうだろう。
水の上なら落ちても何とかなる……はず。高度もそれなりに下がったし。
コート型魔道具をムササビのように広げたら滑空も出来るかもしれない。やったことはないが。
「分が悪くても賭けるしかないな。……というわけでさっさと死ね!」
「グルオウッ!?オオオオォォォォオオオオオンッ!?」
一気に距離を詰めてドラゴンの額、その中心にある宝石を抉りとる。
悲鳴を響かせた炎龍が頭を振って、っておい!?
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
ちょうど宝石を手に取っているところで手が塞がっていた。
片手にはレリュー。もう片方には宝石。
俺の体を固定するものは…………無い。
「嘘だろッ!?」
気づいた瞬間には俺の体は宙に投げ出されていた。足の裏になんの感触もない。
更にはゆっくりと離れようとしている俺とレリューに向かって、ドラゴンがその口を開こうとしていた。その口の端からはチロチロと炎が覗いている。
――マズいッ!?
咄嗟にセグメントでレリューと俺の全身を覆い、内部に全力で冷却魔法を使う。
黒い布に視界を閉ざされる寸前、赤熱した息吹が放たれるのが視界に焼き付いた。