街の異変
さて。この状況をどうするかねぇ……。
今、目の前にはずらりと並んだ兵士達が槍を構えて俺を包囲している。
どいつもコイツも不信感がありありと感じられる顔でこちらを見ている。おかしな動きをすれば今にも串刺しにされそうだ。
その人垣の向こう側にはこれまた不審そうな顔をしたコネホと警備長、ケーラがいる。俺の後ろには魔物の血でまだら模様になったルイが居る。
ルイは先程俺の姿を見てから呆然としていて話にならないので、事態の説明を聞こうと望翠殿に駆けつけたらいきなり包囲されてしまったのだ。
困惑している俺にコネホが声をかける。
「…………それで?今のアンタの状況はいったいなんなんだい?」
「チャルナに契約魔法を使ったらこうなったんだよ。元はただの声を届ける『コール』って魔法だがな」
今の俺の体はある意味見慣れた体……チャルナの体だ。
意識は俺のものなのだが、どうやらチャルナの体を乗っ取っているようなものらしい。俺の本体は本体で炎龍山脈にいて普通に動かせるようだ。
ちなみにチャルナの意識はある。あるがこの妙な状況に混乱しているようなので放置してある。
視界をリンクさせる魔法と『コール』の魔法を併用したらこのような状態になってしまった。併用が原因なのか、それともススメの『魔法の強化』が適応されたからなのか……。
ま、今はどちらでも良いだろう。それよりもこの剣呑すぎる状態をなんとかしなければ。
「それで?これはなんの冗談だ?この俺に切っ先を向けるとは」
「黙りな。アンタが魔人の手下だってのはもうわかってるんだ。これ以上近づくようならその猫ごと刺し貫くよ」
「はぁ?どうしたババア。更年期障害でも起こしてイカレたのか?この俺がよりにもよって魔人の手下ぁ?」
「この状況からするとそうとしか思えないんでね」
「それを説明しろってんだよ。何が起きてんだ?」
「白々しい……!全部お前がやったんだろうが……!」
今度は警備長か。吐き捨てる様子からは以前の私怨とはまた別の、憎しみのようなものを感じる。
なんだかなー……。話にならん。
「る、ルイが説明します。実は――――」
困惑している俺に気付いたのか、ルイがこの状況の説明を始めた。
兵士が武力蜂起したこと。
俺が居なくなったこと。
精神魔法の使用について。
それとの関連。魔人のスパイ。
考えられる最悪のシナリオ――――
「――はッ。そんなアホなことになってたのか。来る途中のあっちこっちで兵士が暴れてるわけだ」
「そういえばチャルナさんはどこにいたですか?」
「俺が乗り移った時は街のど真ん中で泣きながら剣振ってたな」
恐らく俺が居なくなったのでパニックを起こしてあちこち探し回っていたようだ。
俺には色々と前科があるからな。目を離したり、居場所が分からなくなると不安になったのだろう。
見つけた時には暴れる兵士相手に剣を振っていたから何事かと思ったぞ。
そういえば街で暴れている兵は一様に状態がおかしかった。ブツブツと何かを呟きながら逃げ遅れた市民に襲いかかっていたり、焦点の合わない目で虚ろに笑いながら建物を壊したり。
あまりに意味不明な状態だったので状況の把握を優先させて、ここまで来たのだった。
「とにかく、今の状態で俺個人にかまけている時間はないはずだ。すぐにでも兵の鎮圧に乗り出さないとマズい」
「で、ではやっぱりご主人様は裏切ったりなんてしてないです……?」
「裏切ってんならこんなところにはいねぇよ」
「どうだか。口ではどうとでも言えるだろう」
「アンタ本体はココにいないじゃないか。その娘が捨て駒だってことも十分にありえる」
「ご主人様はそんなことしないですッ!」
「ルイ!そいつは魔人に組みするような奴だよ!卑怯なことをしない保証なんてどこにもない!!」
俺の言うことにいちいち噛み付いてくるコネホと警備長に、ルイが猛然と食ってかかる。
何してやがんだ、こいつらは本当に……。今は蜂起した兵士と魔物が一緒になってここに攻め入っているのだ。身内で言い争っている場合じゃない。
「ここにまだ警備兵がいるってことは、望翠殿に立て篭っての篭城戦か。それならそれでいいが、こんな所でアホやってる暇があるならさっさと守りを固めるんだな」
「待ちな!どこに行こうってんだい!?」
コネホの怒鳴り声に合わせて、歩を進めようとした俺の進路を塞ぐように展開している兵隊が、その鉾先を俺に向ける。
チッ……マズイな……。いくらチャルナの体が獣人で身体能力が高いといっても、これだけの戦力じゃ突破は難しい。
「街の兵士の様子がおかしい。操られているのか、錯乱させられているだけなのかは知らんがこれだけ広範囲に力を行き渡らせるには何かしらのカラクリが必要だ。そいつを探しに行く」
「裏切り者のアンタに好き勝手歩き回らせるとでも思っているのかい!?アンタを殺せば兵の様子も元に戻るって可能性もある!」
…………様子がおかしいのは兵士だけじゃないらしい。
こいつ、こんなに証拠もなく人に食って掛かるような奴だったか?
考えられるのはコネホにまで何らかの魔法の影響下にあるか、あるいは――――
「――怖いのか?」
「!?」
「いつものお前なら俺がスパイなんていうのがありえないことはすぐに分かるはずだ。俺がもし敵だというのならお前らはとっくに精神魔法で人形のようになってる。――――そんなこともわからないくらい、今のお前は正気じゃない」
「あ、アタシがアンタにビビってるって言うのかい!?冗談じゃないッ!!」
「なぜそれほどまでに俺を恐れる?兵士が武装蜂起したから疑心暗鬼になるというのは理解できる。そこから俺に結びつけたのはなぜだ?」
「それは……!アンタが怪しいからで……ッ!」
「本当に俺が魔人のスパイなら、王族のひとりふたり殺されているだろうが」
「魔人の……魔王の脅威を伝えるには王族はうってつけだよ。王族を殺してしまえば……」
「本当に脅威を示そうとするならば、むしろなんの痕跡も残さず暗殺する方が恐ろしいだろう。俺にそんな簡単なことができないとでも?」
「……くッ……」
言い返せずに苦々しげに顔を歪めているコネホ。
周りの兵士も何かがおかしいと言うことに気づき始めたらしい。兜の奥から困惑した空気を感じる。
俺が魔人の手下だなんていう妄想は、ちょっと考えればすぐに間違いだとわかるようなことだ。
それでもなお、俺のことを疑い続けるのは――
「お前が恐れているのは俺じゃないんだな?お前が本当に恐れているのは、俺の強さの理由を『知らない』事に対してだ」
「……ッ!」
人が本当に恐れるのは一体何か、と聞かれた時、人は何を答えるだろうか。
猛毒を持つ大蛇?
鋭い牙と爪の猛獣?
違う。
毒あらば解毒し、爪あらば避ける。
人はいくら力強い魔物でも、厄介な生き物でも退けて生きていける。
本当に恐ろしいのは『強いと分かっている生き物』ではない。
人知の及ばぬ『怪物』だ。
相対すればそれがなにかも知らず、何をされているのかもわからずに殺されていく。
『知らない』ということは恐怖だ。
よく恐怖の代名詞に『暗闇』が引き合いに出されるが、あれは暗闇自体を怖がっているのではない。
暗闇の向こうに……己の理解で照らし出せない境界のあちら側に、何者かが潜んでいることを本能的に恐れているのだ。
「お前は、俺がなぜ魔人を退けるほどの強さを持つのか分からない。知らない。理解できない」
この世界ではスキルがある。
これさえあれば超常的な能力を発揮することができるが…………それを成すには月日が必要になる。
レオの話によれば、かつての英雄も長い年月をかけて己の持つスキルに気づき、それを意識して修業してようやく使えるようになる。
複数のスキルを持ち、早くから自覚してレベル上げをするような者はいない。普通の人間からすれば異常極まりないのだ。俺の力と成長の速さは。
「お前はなによりそれを恐れたんだな。知らないということを」
「…………」
コネホは何も答えない。
険しい表情のまま、俺のことを睨んでいるだけだ。
だがその態度が、俺の言葉を肯定しているようなものだ。
辺りの兵は何も言わない。
警備長やケーラ、ルイも息を飲んで見守っている。
これがただの裏切り者の始末ではないと気づき始めたのだろう。
「実に単純なものだ。知らないから怖くなる。怖いものなら……排除してしまえばいい。それが不合理な結論だとしても、何かしらの理由をつけて片付けたくなる」
コネホは俺が巡業商団に入り込んだ時から、俺の身辺を探っていた。
探して探して探して……やがて何も出てこなかった。
当たり前の話だ。
誰がこんな子供に神の使いが施した改造が宿っているなどと思う?
理由が無いように見えるのだ。俺の強さは。
もしそんな得体のしれない生き物が、1年間もずっと自分の近くに居続けたとしたら……それはどれほどのストレスだろうか。
少なくとも緊迫した状況下で、そいつを真っ先に疑うくらいには負担があったに違いない。
俺はコネホが何を思っているのかは分からない。
少なくともエルフの村までは、俺にもそれなりの信用を置いていたはずだ。
炎龍の討伐を任せ、その可能性を認めたからこそ交換条件として紹介状を書いてもらったのだから。
きっと何かしらのきっかけがあったはずだ。
いったい何がきっかけでその信用を無くしたのか。
知りたいとも思わないし、その信頼を惜しいとは思わない。
「いつまでもここでウダウダしてる訳にはいかない。最後にひとつだけ聞いて、その答えによって、お前らをぶちのめすか協力を仰ぐか決めようと思う」
「ちょッ!?ご主人様!?」
先程までの静かな睨み合いは、すぐに殺気立った緊張感の中に沈む。
こうして呑気に話し合っている間にも、望翠殿を覆う包囲は狭まってきている。時間がない。
一部うろたえている者が居るが、大抵の兵はすぐに武器を握る手に力を込め直した。
「随分勝手な物言いだねぇ……!アンタの命を握っているのはこっちなんだよ!?」
「お前らがどうとか関係ない。俺がどうするかだ」
「チャルナの体はお構いなしかい。……良いだろう聞くだけ聞いてやろうじゃないか」
渋々、といった様子だが聞くつもりはあるらしい。
俺は腕を組んで傲慢な態度を見せながら口を開いた。
「―――お前、本気で俺が誰かの下につくようなやつに見えるのか?」
「…………はぁ?」
ポカンとした表情を浮かべるコネホ。
チッ……もうちょい噛み砕いてやらないとわからないのか?
「お前の知っているユージーン・ダリアは、チマチマとどっかの誰かの下でせせこましく働いているような奴なのか、と聞いている」
「アンタ……この場面で聞くことがそれなのかい!?自分を信頼しろだとか、スパイじゃないだとか、普通はそういったことを言うんじゃないかい!?」
「生憎、そんな薄っぺらいもんは大っ嫌いなもんでな」
別に俺は信じて欲しいわけじゃない。
俺が信じてないのに、相手にだけ信じろなんて言えるわけがない。
ただ、コネホは知っているはずだ。
さんざん旅の中で味わって来た、俺の厄介さを。
「この緊迫した場所でこんなことをほざくようなイカレた奴が、まっとうにスパイをしているはずがない、ってことかい……」
「コネホ殿!まさかこやつの言うことを信じるのですか!?」
「信じる信じないという話じゃないんだよ。それがアタシらの知っているユージーンという型にハマるかどうか……判断するのはアタシらさね。
――警備長。アンタはどう思う?問答無用でアンタをぶっ飛ばしたようなバカが、他人の下についてやっていけるとでも?」
「そ、それは……」
歯切れの悪そうな警備長を押しのけて、コネホが前に出てくる。
「確かに、そうだ。アタシの知っているアンタの性格からすれば魔人の手下に成り下がったというのは考えにくい。だがね、ユージーン。それでもアンタが疑いは晴れたわけじゃない。『はいそうですか』と受け入れることはできない」
「そうかい……!」
交渉は決裂らしい。
俺はチャルナの体を操り、腰のナイフシースにある双剣に手をかける。
前言通り
俺が臨戦態勢に入ったのを見て、いよいよ騎士団の兵がいつでも動けるように足に力を込めるのが見て取れた。
「待ちな」
「?」
「アンタは望翠殿の中に入って何をしようってんだい?」
「…………さっきも言ったろ。この状況を作り出しているカラクリ……魔法の増幅器だか発生源だか知らんが、そいつを探しに行く。望翠殿を囲んでいることから考えてここが魔人の目的地なのは間違いない。確実にここにある」
もともと、状況の把握のためにここに来たのだが、このままでは帰ってきたら焼け野原になっていることすらありえるのでなんとか解決の糸口を探すつもりだ。
「だからここを押し通る、と?」
「ああ。そんで邪魔するなら容赦はしない」
「はぁ……そうせっつくな。アンタをこの建物の中に入れることはできないが、一応騎士団の連中に不審物がないか探させてみるよ」
「…………どうゆう事だ?」
いまいち話が見えない。
俺のことは信じないが、俺の言うことは信じるっていうのか?
「ここでアンタにかまけていてもしょうがない、ってのは理解したよ。でも万が一ということもあるから、アンタを望翠殿の中には入れることはできない。アンタ自身が精神魔法の影響下にある可能性も否定できないんだ」
「入れることはできないが、俺を見逃すって事か?」
「そうさね」
「コネホ殿!?」
「ようは王族の皆様を危険にさらさなきゃいいって話だろう?ここで子供ひとりに手間取るより、今から来る魔物と兵士の対処に当たったほうが確実さ」
「ですが!コイツを倒したら兵が正気に戻るということも……!」
「ならノコノコこんなところに来やしないさ。例えそれが身代わりだとしてもね。駒をワザワザ減らすような真似はしない。
――それに、勝てるのかい?魔物を簡単に倒し、アンタを軽く吹っ飛ばすような相手に」
「ぐッ……」
あっちはあっちでもめているらしい。
今ここで俺に手間をかけるよりは中の不審物をそっちで捜索したほうが良い、という判断なのだろう。合理的な判断といえばそうだが、大した手のひら返しだ。
さて、そうなると俺はとりあえずは自由の身、ということだ。
すぐに意識を炎龍山脈に戻って――――
「ユージーン!アンタにまだ頼みがある」
「ああ?」
んだよ、疑惑は晴れた……わけじゃないが解放されたんだろ?
まだなんかあんのか?
「望翠殿にあるのはこっちで探すけどね、街の中にも恐らくカラクリはあるだろう。そいつをアンタに任せたい」
「……こっちは暇じゃないんだが?」
「アンタがどこでなにやってるか知らないけどね。今、街の中で動けるのはアンタみたいな腕っ節のあるやつだけだ。アンタがやらないなら被害はデカイものになる」
「だからやれと?」
「ああ」
…………。
現状、俺の本体は見つからないように岩陰に隠れながらゆっくりと山を登っている。
この程度ならチャルナの体を操りながらでも問題無い。
ただ、山頂に登るのは時間がかかる。
一応できなくもない。
が、圧倒的に人手が足りない。
この広大な街を、なんの手がかりもなくひとりで探し回ってどれほどの成果を挙げられるか…………。
「兵士を割くことはできるか?」
「さっきも言ったが、アンタを信用しているわけじゃない。守りが薄くなるようなことを許可するとでも?」
「…………だろうな。なら人手はこっちで何とかするか」
アテも無くはない。
この混乱の中でどれほどの人手を獲得出来るか……それでこの先どうなるかが変わってくるだろう。
やばい……全然執筆進んでない……。
タイミング悪すぎたなぁ……。まさに夏の大陸のクライマックスなのに……。