夏のサービスシーン
「――――へー。そんなことになってたんだー」
「まぁな」
いつものように俺たちが泊まっている馬車にケーラとリツィオが来ていた。
いつも夜の仕事が終わり、寝る頃になってからケーラ達はやって来る。そのまま一泊してから移動中の馬車でチャルナ達と遊ぶのが通例となっていた。
今はケーラにフェアリーとオーガの村の経緯について話していた。リツィオはチャルナと世間話だ。ルカは……気配からして馬車の外で警戒か。
「ま、フェアリーの方の犠牲になったやつの感情とか、オーガの悪評の払拭とか色々と一筋縄では行かないだろうがな」
「でも一応めでたしめでたし、ってことでしょ?やるじゃんユージーン」
「そうは言うが今回はギリギリなんとかなっただけで、実際は桃が無かったら完全にアウトだったぞ――」
「マスター、あたしのぬいぐるみ知らない?」
「ああ、布団の中にあるだろ。昨日一緒に寝てたし――――んで、今回は運が良かっただけだからな」
チャルナの声に適当に返事してから中断された話の続きを口にする。
チャルナはお気に入りのぬいぐるみがあると寝るときは抱いて寝るからな。
「うんうん。分かってるって。でもよく言うじゃない?運も実力のうちって」
「毎回運頼みにする訳には――」
「ユージーンさーん。おやつまだですかー?」
「ああ、今作ってる。待ってろ。――――運頼みっていうのはどうにも締まらないだろ」
今度はレリューか。今、鍋から桃の砂糖漬けを取り出しているところだ。
手元を動かしながらケーラとの話を続ける。
「う、うんそうだねー。それはそれとして、ユージーン――」
「ご主人様ー。ルイの下着知らないですー?」
「ああ。洗濯用魔法で洗って馬車の風通しのいいところに干してある」
「あ、有りましたですー」
女性物の下着は扱いが難しいからな。優しく洗って日陰に干しておかないと。
ついでに解れていたところも直しておいた。
「んで?なんだ?」
「いやさ、なんていうか……」
ん?どうしたんだ?ケーラがなんとも言えない顔をしているが……。
しばらく逡巡していたが、迷うようにして口を開く。
「ユージーン……。みんなのお母さんみたいだなー、って」
「おま……よりにもよって一番年下の俺にお母さんは無いだろ……」
そういえばいつの間にかこいつらの世話を見ている。
レリューはまだ分からなくもない。腐っても王族だしな。だがチャルナとルイは仮にも俺に仕えている立場なのだ。
この関係が正しいと言えるのだろうか?
「…………いやいや。チャルナに家事なんてさせたらどうなるかわかってるし、ルイなんざ剣の技磨きを優先してて花嫁修業もロクにしてないだろ。こいつらにさせたら何だかんだで俺の仕事が増えるだけだ」
「まぁそれもそだねー」
危うくお約束を踏襲してしまうところだった。
金タライに入っているレリューの前に出来たての桃を使った菓子を置いてから、愛用の前掛けを外す。
いかんいかん。気を引き締めねば。なにせこれから向かうのは夏の定番、風物詩。
「いよいよ海に入れるってんだから気合入れていかないとな!」
俺の上げた声に馬車の中の一同の視線が集まる。その中でリツィオが口を開いた。
「とは言ってもユー君?キミ、その海の向こうから来たんじゃん」
「バカ野郎!海は海でも海水浴は別物だってんだよ!」
「もはやご主人様自体が別物なのです……」
そう言ったルイに賛同するかのような視線を向けてくる女子一同。
分かってない。ああ、まったく分かってない。
「いいか?夏と言ったら海。海と言ったら夏。この二つは切っても切り離せない関係なんだ!そこんとこ間違えると死ぬぞ!気を抜くなっ!」
「うにゃー……いつものマスターじゃない……」
「照りつける太陽の下、開放的になった女の子。気になる彼の気を引くために、ちょっとだけ大胆な水着を着る。あるいは夏のビーチに咲く一輪の可憐な花となるために結構大胆な水着を着る。それが夏の戦場だッ!」
「兎に角大胆な水着があればいいの……?」
「キモイです……」
「全ては夏の太陽の仕業ッ!なんと罪作り!なんと開放的ッ!開放的ィィィィィッ!」
「わ、私なんていつも水着みたいな格好なのに……」
「ユー君私も〜」
確かにレリューは人魚だけあってビキニみたいな服を常日頃から着ている。リツィオはまんまビキニだ。
だがそうじゃない。いつもは隠れている部分を見せつける、その一瞬の開放感と羞恥心があるからこそ水着というものは良いのだ。
「お前らはだめだ。常日頃から解放しすぎていてむしろ開放的じゃない」
「もう意味が分からないです……」
「まぁ、ユージーンが我を忘れるほど楽しみなのはよくわかったよ」
「うぅ……ダメ出しされました……」
「あははッ。ざーんねーん」
「うにゃー。お魚食べられればなんでもイイかなー」
希望と欲望を乗せて馬車は進む……。
さてはて。
そんなこんなで件のビーチに着いたわけだが…………。
「解放ッ!解放ッ!」
「解放ッ!解放ッ!」
「諸君ッ!我々を押さえつけていた傲慢なエルフに一矢報いるためにッ!我々をッ!人民をッ!圧政の下から開放するためにッ!命を散らすことも躊躇わずに突き進めーッ!」
「うおォォォォォッ!開放ッ!開放ッ!」
「開放ッ!開放ッ!」
「我らオーク解放軍ッ!この武の前に魔法など屁でもない事を教えてやれー!」
…………何だこりゃ……。
ビーチでは何故か豚に似た醜悪な獣人が、隊列を組んで軍事行動中だった。
見渡す限り豚、豚、豚……。
水着を着たおねーさんも、サンオイルを塗っているオネーサンもいない。そもそも海水浴客がいない。
炎天下の下、湯気すら見えそうな暑苦しい駄肉の塊どもが、砂を鳴らして走っている悪夢のような光景が広がっていた。
「わー!見てみてマスター!あの人たち大胆な服(破けたぼろ布。露出度高)着てるー!」
「夏は人を大胆にするからな……」
「絶対何か違うと思うのです」
「しかも白目で血の涙流しながら言われても……」
何なんだあの豚どもは……!美しく神聖なるビーチ(の景観)を汚しやがって……!
「ケーラ!お前なら何か知ってるだろ!あれは何だ!?」
「あはは。あれはねー、現在絶賛戦争中のオーク族の人たちだよ。こっからちょっと先にあるダークエルフのところに攻めていくみたい」
「じゃ、じゃあ海水浴は……」
「当然巻き込まれるのを怖がって誰もいないよー。オークの人たちって性欲旺盛だからね。薄着でいたらたちまち襲われちゃうよ」
「か…………」
「か?」
「 神 は 死 ん だ ッ !!」
「お、大げさだなぁ……」
何が大げさなものか。水着美女のいない夏なんてただの地獄じゃないか。
何なんだ……!なんでこんなところで戦争なんてしてやがるんだ……ッ!!
「戦争なんて物があるから人は不幸になるんだッ!」
「良いセリフのはずなのに今聞くともの凄いダメな人の言葉にしか聞こえないです……」
「――駆逐してやる……!一匹残らず駆逐してやる!」
「ちょ!?ま、待って下さい!流石にあの軍勢に立ち向かうのは無理ですよ!」
走り出そうとした俺にレリューがしがみつく。
いいや、できる。俺になら……!神に力を貰った俺になら……!
そうか、俺の力はこの時のためにあるのか。そうと決まったらさっそくあの醜い豚どもを殲滅せねば。
「完全に暴走してるねー」
「いいからリツィオ様も止めるですッ!商団の方にまで被害が及んだらどうするです!?」
「補給物資を運んでる巡業商団に手を出したらどうなるか、あのブタさんたちでも分かってるって。――――ま、いい加減止めないとねー」
「止めてくれるな!あいつら一匹残らず豚足にしてやる!」
「ほかの部分もの凄く余らせる料理の仕方だね……。ま、いっか。チャルナちゃーん!」
「うぅー、にゃッ!」
「がッ!?」
チャルナの間の抜けた掛け声とともに俺の後頭部に鈍い衝撃が響く。それきり俺の意識は途切れてしまった……。
「痛……」
ジンジンと痛む頭をさすりながら起き上がる。
時間は……月あかりから見て真夜中か。ケーラ達も流石に寝ているような時間だ。夜の仕事と言っても明け方までしているわけではない。そんな時間まで来る客も流石にいないから時間が来たら娼婦たちも寝床に入る。
護衛は馬が動き出す朝まで仕事を続けなければいかないが。
ずいぶん長く気絶していたようだ。まったくチャルナめ……。手加減というものを知らんのか。
俺に手を出した本人は、猫の姿になってレリューやルイと共に寝息を立てている。後でお仕置き決定だな。
「大丈夫?ユー君?」
いきなり暗がりの中から声が響く。この声はリツィオか?
のそりと四つん這いのリツィオが闇から這い出てきた。
「ああ。ったく、何も殴ること無いだろうに」
「そうしないと止まらなかったでしょう?」
その通りだから何も言えない……。
リツィオはおかしそうに微笑むと、視線を寝ているチャルナたちに向けた。差し込む月明かりの中で見るリツィオの笑みは鳥肌が立つほど妖艶だった。
何だ?なんでコイツは今そんな顔をしている?
「うふふ……。最近ユー君の周りに可愛い女の子増えてきたね?みんなユー君の事、気に入ってるみたいだし、どうする?ハーレムでも作ってみる?」
「どんな話の始め方だよ。作れるもんなら作って…………いや、やっぱいいわ」
何だかんだで俺が世話しなくちゃいけなくなる気がしてしょうがない。
「そう?…………ねぇユー君?彼女たちがもし、普通の人間の子供だったら誰とツガイになっていたかしら?」
「なんだいきなり……。そんな『もし』の話をしてもしょうがないだろう」
現実にはチャルナとルイは獣人だし、レリューは人魚だ。輝石の力で人間になったからといって魔力が湧くわけでもあるまいし。そんなこと考えても虚しいだけだ。
「いいから。もしよ、もし」
「んんー……。いや、たぶん変わらんよ。俺は誰とも魔法ツガイになる気はない」
もしも誰かとツガイになれたのなら、幾分楽な旅ができただろう。
苦楽を共にして愛情を育て、信頼を築いて困難に打ち勝つ。
俺がよく読む小説でもそう言った物語はある。それは憧れを抱くほど甘美で心躍る関係だ。羨ましくないと言ったら嘘になる。
だが、現実はコレだ。前世のトラウマがどこまでも足を引っ張る。
もしも隣に居る大切な人に裏切られたら。
俺をただ利用しているだけだったら。
そう思うと足の先から得体の知れない何か冷たいものが這い上がってくるのだ。
例えチャルナやルイ、レリューが相手でも変わらない。
「そうなの?勿体無いなぁ」
「ま、例え俺が良しとなったところであいつらの方がダメだと言うだろ。なにせ、俺は酷いご主人様らしいからな」
自分でもあいつらの待遇が酷いものだと思っている。俺ならそんな奴とツガイになるなんてゴメンだ。
「当の本人たちはそんなこと思ってないみたいだけど?美味しいゴハンもらって毎日おかしなことするご主人様だもん。退屈しないって」
「そんなん良い待遇とは言えないだろうが」
もっとあるだろ。良い給料、退職時間、優しい上司。そもそも俺の飯が飛び抜けて美味いというわけでもないだろうに。
飯とイベントに釣られるやつなんざ、リツィオとケーラだけで十分だ。
思うだけでなく口にした。
しかしリツィオはそれを聞くと、その笑みを深め――――
「それじゃあ、さ。私がツガイになってあげる、って言ったらどうする?」
――そんな言葉を言った。
「…………悪いがお断りだ」
「どうして?あ、私はユー君が悪い子でも構わないよ?愛する弟の全てを受け止めるのはオネーサンのツトメだもん」
リツィオは四つん這いのまま、俺に近寄ってくる。
その胸元が強調され、見事な谷間になる。褐色の柔らかそうな胸が腕によってむにゅりと歪み、思わずむしゃぶりつきそうになる。
元々薄着のリツィオがそんな格好をすればあまりの刺激の強さにドえらいことになっていた。
「ユー君はオネーサンにどんな『悪いこと』するのかなぁ……?」
誘うようなセリフで色気を振りまくリツィオ。
――――だが……その誘いに乗るわけにはいかない。
「なおさらお断りだ」
「……なんでかな?オネーサンはこんなにユー君の事好きなのに」
リツィオは手を伸ばして俺の頬に触れ、ゆっくりと顔を近寄らせてきた。
もうキスでも出来そうな距離。
鼻先が触れる近さ。
お互いの顔しか見えない距離で俺たちの会話は続く。
「いいや。お前は俺の事は好きでもなんでも無い」
「もう……。いくら私達のこと警戒しているからって、私の気持ちまで疑うのはひどいんじゃない?」
もっともな話だ。他人の好意を否定するなんて無神経な事だろう。
――――それが普通の男女間の話ならば。
「違う。俺は疑っているわけじゃない。確信してるんだよ」
それまで頬を摩っていた指が不意に、止まった。
ええ。タイトル詐欺ですとも。