鬼と桃3
オーガの村はフェアリーの村と半日も離れていない場所にあった。
村の家々が普通の民家の倍以上のサイズがあることを除けば、それは人間の村と変わらない光景だった。
「おおッ!族長が……族長が帰ってきたぞ!」
「正気に戻って下さい!族長!」
馬車に括りつけられたオーガに次々と村人が駆け寄っていく。族長……フェアリーの村で暴れていたオーガにはまったく聞こえていないようで、鎖を切ろうと暴れている。
族長と慕われている様子は以前の賢明さを示しているようで、だからこそ今の理性なき獣のような姿には目を背けたくなるような堕落感がある。
「…………あれはね、この辺に出没する『罹患蚊』っていう魔物に襲われたオーガの末路なのさ。最期は村の者に殺される」
「『罹患蚊』?」
悲しそうに族長とやらを眺めるコネホ。
以前にあのオーガと親交でもあったのだろうか。
「見てくれはただの蚊の集まりなんだけどね。そいつらに刺されると色々な病気を発症するんだよ。人なら熱病に浮かされて寝込むだけで済むんだけどね。オーガは正気を無くして暴れ始めるのさ」
「凶暴化……」
「そういう状態異常なのか、よくわかっていないんだけどね。一度でも発症するともう戻れない。魔法も薬も効かず、狂気の淵に沈んだまま、目につくものをなんでも壊してしまうのさ」
なんとも迷惑な話だ。
さらに話を聞くと、夏の大陸ではオーガは魔物として扱われている原因がこれらしい。昔はここにも多くの集落があったが、オーガの襲撃が頻発するようになってから徐々に過疎化していったという。
フェアリーたちにも悪鬼羅刹のように語られて、印象は最悪らしい。
「フェアリーたちは逃げないのか?」
「逃げたくても逃げられないのさ。あの子らは樹に宿るタイプの精霊の血を引いているからね」
「気の毒な話だ。……ま、俺には関係ないがね」
襲いかかってきたら容赦なく殺すし、そうでないなら放っておけばいい。
「――――ユージーン。アンタに頼みがある」
「断る。雑魚を殺したところで大したエーテルにはならん」
ここでコイツがする頼みごとなんて大体決まっている。
その魔物を殺すか、あるいは――――
「いいや。あの族長を楽にしてやってくれないか?」
「そいつも含めて雑魚だと言ってるんだ。生前ならともかく、この村の恨みを買ってまで学ぶことがある相手だとも思わない」
大方、あの無残なさまを見て忍びなくなったのだろう。そんなことを言い出すのも予想していた。
俺の答えを聞いてコネホは大げさにため息を吐いた。
「……まったくどれだけ無情なんだいアンタは」
「俺にメリットがないのにそんなことをする義理はないね」
交渉は決裂し、そのまま俺とコネホは無言で眼前の光景を眺め続けた。
かつての長に呼びかける哀れな村人と、暴れ続ける獣。
慟哭と鎖の鳴る音がいつまでも虚しく響き続けていた……。
「…………ご主人様、本当にあのオーガはどうにもできないです?」
夜も更けて、護衛のために馬車から降りて警邏をしていたところにルイが声をかけてくる。
「どうにもならんだろう。俺は凶暴化のことについてもオーガのことについてもほとんど知らん。今更俺にどうこうできるようならとっくに解決してる」
「そう、ですか……」
残念そうに俯くルイ。一度戦ったからか、妙に同情的になっているようだ。
…………ちッ……胸糞悪い。
罹患蚊を殺しに行っても奴らはまた湧いてくるだろう。恒久的に防ぎ続ける方法がない限り、ただの応急処置でしかない。
あそこで族長を殺しても余計に胸糞悪くなるだけだ。今度は村人の恨み付きでな。どう転んでもこうなるしかない。
コネホもそこら辺はわかっているはずだ。
それでもあのバアさんが俺に頼もうとしてたのは――――
「…………クソッ!やりゃあいいんだろ!やりゃあ!」
「えッ?」
「他人に頭下げようとしない糞ババアがせっかく頼み込んできたんだ。ここで恩売って後でデカイ顔して回収してやるよ!」
「……素直じゃないです、ご主人様は」
ルイのしょうがないとでも言いたげな苦笑が返ってくる。
そんなセリフはツンデレにでも言ってやれ。
俺は考えをまとめる為に馬車に向かって歩き出した。
―
翌日、俺はオーガの村からほど近い森の中にいた。
この辺でよく罹患蚊が目撃されるという情報を得て、足を運んだのだった。
とにもかくにも病気の本体を観察しなければと考えたのだが、さて上手くいくかどうか。
「おっ。あれか」
丁度森と湖の接しているあたりから黒いモヤに見えるモノが姿を現す。
俺の耳には何かが振動するような重低音が聞こえていた。
アレが罹患蚊で間違いないだろう。
俺はさっそくアイテムボックスから対罹患蚊用に用意した物を取り出すのだった。
―
「……それで、上手くいったのですか?」
「……見てわかんだろ。失敗だよクソッタレ」
全身に刺された跡がある俺にレリューが聞いてくる。
ルイは部屋の隅で心配そうに目を向けてくるだけで何も言わなかった。
「変な病気にはなってないですか?大丈夫ですか?」
「ああ。元々俺は病気になりにくいんだよ。普通の治癒魔法も効くし。オーガじゃない限り、あの蚊は大した脅威にはならん」
罹患蚊は剣で攻撃しても意味がない。だが、炎などで追い散らすことは簡単に出来た。
しかし、分散した状態でも刺してくるのでオーガのような巨体ではたまらないだろう。
試したのは菊を燃やして出る煙を使った撃退など、日本に居たころの蚊退散の知識だ。
蚊取り線香の代わりに菊を大量に集めて燻すのは、江戸の昔から使われる伝統的な撃退方法なのだが、異世界の蚊には効かなかったらしい。
他にも洗剤の代わりになる石を削って、匂いのキツいジュースに溶かし込んだ『簡易ホイホイ』も試したりしたが全て不発だった。
「魔法使えば一発なんだがな。それじゃオーガは使えないだろうし。どうしろってんだよまったく」
「罹患蚊を倒しても族長は救えないです。方法はないですか……?」
「んな顔すんなよルイ。族長の処刑はまだ先だぞ」
このオーガの村では凶暴化したオーガは処刑することになっていた。それでもコネホが頼み込んで先延ばししているとか。
「んー……ルイ、襲われたときになんか気づかなかったか?」
「そんないきなり言われても困るのです……」
「私もですよ……」
「だよなぁ……」
ちょっとした手がかりで良いんだ。何かないだろうか……?
「――――お疲れーっ!ってありゃ?どうしたのユージーン?頭抱えて?」
「ケーラか。お前も襲撃の時いたよな?なんかおかしなこと無かったか?」
いきなり馬車に来たケーラにも聞いてみるか。ダメ元でもなんかの手がかりになるかも知れないし。
「んー?そういえばあのオーガって、目につくもの全部壊そうとするんじゃ無かったっけ?」
「そうだよ。それがどうかしたのか?」
「いや、ほら。フェアリーの村であのオーガが一番最初に壊したのって桃の木だったじゃない?フェアリーとか商人の人とか居たのになんでかなーって」
「なんだそりゃ……。あの辺で一番デカいのが桃の木だっただけだろ」
「そう言われればそうなんだけど……」
桃。桃ねぇ……。
桃、オーガ、蚊。何のつながりがあるって言うんだ。
「桃、オーガ、蚊……。オーガ、といえば鬼。桃と、鬼。…………桃太郎?」
「何それ?」
なんだ?何が今ひっかっかった?
前に聞いたことがあるような……。
「桃、オーガ、蚊。桃、オーガ、蚊。桃、オーガ、蚊」
「うわ……なんか危ない人みたい……」
「ちょっと……怖いですね」
「桃、鬼、蚊。桃と鬼と蚊……。桃と鬼と病気……?」
そういうことなのだろうか。イヤまさか。
世界が違うんだ。そんな上手くいくわけがない。
だが、それでも――――
「――もしかしたら上手くいくかもしれん」
「えっ!?マジで!?」
「本当ですか!?」
「というか、今のアレからどうやって解決方法が出てきたのか非常に気になるです……」
「うるさい。モノは試しだ。とっとと片付けるぞ」
そうと決まればさっそく実験だ。
うまくいけばもろもろ一気に解決する。コネホにも当初よりデカイ恩が売れるだろう。