姫への階段その2
「ついにその時がやってきたか」フランツは“姫化”する覚悟を静かに決めようとした。
フランツ少年は髪が短いこと以外、外見はどう見ても女性であり声変わりも無かった。そのせいで絶世の美女アデルハイド姫にそっくりということで姫の影武者に作り変えられようとしていた。
そしてフランツの隣には魔女のように笑う姫の乳母。この乳母が監督するのだ。
熱したメスがじゅうじゅういっている。薄暗く他に音もない地下牢のような場所。メスを熱するための炎が医者らしき男の影を壁に投げかける。数倍に大きくなった影は、まるで今から獲物を喰らおうとしている野獣のようだ。
医者は興奮した様子でぶつぶつとつぶやいた「ふぅ。はぁはぁ・・・素晴らしい・・顔・・・綺麗な・・・お顔・・・うふふ」
フランツが恐怖のあまり叫ぼうとすると同時に猿ぐつわがされてしまった。既に革紐で全身が固定されているので身動きも既にできなかった。
医者の「はぁはぁ」とか「我が芸術作品よ」など狂ったような甲高い声で叫んでいるのを聞いて一旦固まった決意が揺らぎ始めた。
フランツは暴れ始めた。いくら固定されているとはいえ、身体がかすかに動き手術ができなくなった。
すると医者は手術が中断されて腹を立てたのか気が狂ったように「おーーーぅあぁぁぁ」と叫び、のたうちまわった。
姫の乳母が無言で手をパンパンと叩くとすぐに召し使いが何人かフランツを抑える。そして何か液体を飲ませた。フランツは魔法の薬だと思い込んでいたが後になってそれは単なる強力な酒だと分かった。フランツは意識が朦朧とし、張り裂ける緊張と相まってか意識を失った。
-気がつくと目の前に魔女が現れた。フランツは驚き飛び上がろうとしたが力が入らなかった。そして後から激しい頭痛と顔のかすかな痛みが襲った。
魔女にみえたのは姫の乳母だった。フランツの顔を覗き込むようにして座っている。何度も見ているのに今までこんな間近で見たことがなかった。そそり立つ大きな鼻やしわの刻まれた土気色の肌はどうみても魔女のそれだった。
フランツは何も喋れず長いあいだベッドの上で意識が飛びそうになりながらぼーっとしていた。
姫の乳母がしゃべりだす「ふむ・・・姫にそっくりじゃないか・・・まあよい・・・まあ、よい」独り言かと思ったが気がつくとベッドをはさんで向かいに例の薄気味悪い医者が立っていた。医者は甲高い声で「うぐふふ、私の、私の最高傑作ですよぉ」とフランツを見つめながら言う。
姫の乳母は「報酬については、先の取り決め通りだ。口外無用。するようならば・・・分かっておるな」
医者は「あははーもちろんですよ、いつもどおりです」姫の乳母と医者のやり取りはとりとめもなく淡々と続いていた。しかし二人は互いに顔を合わせることがなく、ずっとフランツを覗くように見ていた。
フランツは思う「悪魔の集会はきっとこういう場面なんだろうな」
二人のやり取りが続き、話の内容から次第に手術の全容が掴めてきた。
フランツは去勢されなかった。先天的に女性のパワーが強いとかで(当時はまだ女性ホルモンが発見されていなかった)喉仏など男性の特徴がが発達していなかった。フランツはその特性を授けた神に心底感謝した。
話の内容からすると胸は詰め物をするようだ。この頃流行っていた服装は胸が完全に隠れるものだったので別にニセモノでも良いらしい。
だが姫の乳母は「もし胸をさらけ出すような事態が想定されるなら・・・問答無用で・・・なんとかしてもらいますよ」と言い、医者は「あはは・・・むしろご要望があれば胸も作りたかったんですがねぇ・・・今のままじゃ完璧じゃないですよぉ」と胸が痛くなるようなやり取りも聞こえた。
「僕は、フランツじゃなくなったんだな」いっそ窓から飛んで死んでやりたい気持ちになった。自分が自分でなくなってしまった衝撃。この世から生きながらにして別れを告げたのだ。
気恥かしさと自分を失った悲しみで耐え難いストレスが次々と連続で襲った。
最初からフランツは女性的な要素が強く、筋肉質というより脂肪で柔らかい肌をしていたフランツは結局手術で顔など一部を刃で整えただけだった。
しかしそれが絶妙なバランスと技で、“姫に似ている”から“姫そのもの”になっていた。フランツは鏡を見て医者の技術に驚嘆した。自分を作り替えた彼は憎いが同時にその技術は評価できるものだった。
次第に意識がはっきりしてくると自分が全裸だったことに気がつき顔を赤らめた。
医者はいつの間にか何事もなかったかのように報酬を受け取ったらそそくさと部屋を後にしていた。姫の乳母はしばらくフランツを見つめたあと、何かぼそぼそとつぶやいて立ち去った。
それから1ヶ月フランツは髪型と胸以外は姫そっくりになったが生活は以前と変わらず授業や姫の技の伝授に明け暮れた。
そして久しぶりにローレン伯ガスパールの担当する“宮廷の情勢と相関”の授業時間がやってきた。
他の人なら別に気にならなかったが、心の拠り所となっていたガスパールには変わってしまった自分を見せたくないという気持ちに不思議となり、急にそこから居なくなりたいという気持ちになった。
授業が始まるとガスパールはそれを察してか、おもむろに「君がこうなることは知っていた。君の運命は過酷そのものだ。だがいいこともあるぞ」と言い出す。
フランツはうつむいたままだがガスパールと向き合った。「いいことって、なんですか」
ガスパールは言う「君は曲りなりにも姫になったのだ。ちょうどいいことに姫の権力は下手な男どもよりも強い。姫の居ない間に、上手く立ち回れば君は宮廷でなんでもできる」
フランツは返す「正直・・そんなの欲しくありません。僕は、僕を取り返したいです。えと・・うん、自由が欲しい」
ガスパールは「そうか・・・自由、そうだな」少しして思い出したように「君を逃がすことは姫に背くことだから私にはできない。だが、逃げるのでなくてちょっと外に“おでかけ”するならお手伝いしよう。私は君の世話も頼まれているからね」と話しだした。
「それはどうやって?」
「そこは自分で考えるんだ。いいか君は姫だ、姫は宮廷のどんなサロンや出入り口も通れる。頭良く、上手く立ち回れば君はそれなりに自由を手に入れられる。でも姫に見つかってはだめだし、市中に出て噂が立ってそれが姫の耳に入ったらおしまいだからな。いいか、うまーく立ち回れ。私もお手伝いができても責任取れないからな」
フランツはガスパールと話して希望が出て気が少し晴れてきた。成功するとは思えない話だが、全くできない気もしなかった。
フランツはこの時、ガスパールとより親しく話した。フランツにとって唯一の友と言えるのはこのガスパールだけだと思ったのだ。少なくともそのときは。
それから1ヶ月ほど後手術跡がなくなってきた。その頃から頻繁に姫の乳母が出入りをするようになった。
そして夏にさしかかろうとしていたこの日。姫の乳母は普段よりも多くぶつぶつと独り言を言いながらフランツに“仕上げ”を施すと言い放った。
「仕上げって何・・・まだ・・・何かあるのか」