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姫への階段

 実感の沸かないままアデルハイド姫の乳母に連れられて、ある部屋へ入った。


「今日からお前はここで暮らすんだ」と突き放すように姫の乳母が言う。


 牢獄のような部屋で長い監獄生活の始まりかと思っていたフランツだったが、その予想は外れた。自由の無い生活には変わりなかったが。


 部屋は快適な温度が保たれていて、日の当たりもよくついでに身に余るほど豪華だった。食事には全て銀食器が使われた。召し使いが運んでくる料理はひとりでは食べきれないほどだった。


 最初は全部食べきろうと頑張ったがある程度まで食べると後ろから「おやめなさい」という姫の乳母の声が聞こえて強制的に止めさせられた。料理の内容はアデルハイド姫と同じらしかった。姫は食べる量が決められているらしい。庶民は時に食べられないことだってあるのに、宮廷では余るほど、いや実際余る量を食卓に出しているのだ。


 時には宮中の晩餐会の訓練として何人かの召し使いが貴族役を演じてミニ晩餐会が開かれた。堅苦しく、食事の味もわからないほどだ。


 すぐに“女化”させられるのかと思い、絶望していたフランツだったが来る日も来る日もその気配は無かった。


 ヒモを引っ張れば呼び鈴が鳴り専属の召し使いたちがやってきて、なんでも身の回りの世話をした。だから衣食住には不自由しなかった。


 とは言っても行動に自由はなく、移動できるのはひとりでは広すぎるくらいの寝室、執務室、応接間、あと2つほどの家具も何もない自分の与えられた生活空間だけで、その外へは出してくれなかった。外から鍵がかけられ、バルコニーは4階で下の中庭には猛犬が放されていた。


 当初は牢獄に放り込まれた罪人のごとく、やることは多く無かったが次第に時間の自由もだんだん無くなってきた。


 いつもの召使いたちやまた乳母が出てきて姫の過去や性格、着替えから扇の持ち方から化粧の仕方などを徹底的にたたきこまれた。ある日は姫専属という各分野の家庭教師がフランツに教鞭を振るった。さらに姫に忠誠を誓っているという高位の貴族や大臣ら数人が宮廷の人物相関や情勢などを教えた。


 フランツは自分がだんだん姫化していくことに恐怖を感じていたが、宮廷の裏話など自分が普通だったら一生知ることがない知識や体験することのない宮殿の部屋での生活に魅せられてもいた。


 ごくたまに、夜更けだれも居ない時に姫の風呂に連れて行かれた。

風呂は気持ちよく、フランツはこの時間がとても好きになった。


 あるとき、いつものように家庭教師が音楽の歴史について講義しフランツが椅子にもたれかかっていると入れ替わりで貴族が入ってきた。いつも人物相関を教え込んでいる男で、ローレン伯ガスパールという。


 気さくな紳士で快活、貴族というよりは酒場でどんちゃん騒ぎに混じっていても不思議じゃないような庶民的雰囲気を持っていた。フランツはこの男には好感が持てた。


 フランツは自分が置かれた状況を知るため、以前「僕はいつ姫にされるんですか」とか「この先、僕は女にされてしまうのか」とか直球な質問をしたがガスパールは「姫に忠誠を誓っている私には答えられない。姫を裏切ったら君へ何も忠告できなくなってしまうしな」などと常に逃げていた。


 フランツはダメ元で今回も「いつ女にされるのか」と切り出してみた。するとガスパールはこう答えた。「私は姫に忠誠を誓っているから答えることはできない」-いつもと同じだ。


 「だが-」とひと呼吸おいて「君には今まで宮廷の人物について肖像画を交えてあれこれ教えてきた。だが君はまだホンモノを見ていないな?姫はそろそろ君に本物をみせるべきだとおっしゃられた」


 「私が思うに、本物をみせるということは君を宮中を歩かせて実践訓練させるためだと踏んでいる。本来の君の身分じゃ宮中を自由に歩けないからな。」


 フランツは答える「つまり、そろそろ僕は姫にされるわけですね」


 ガスパールは表情も変えず何も答えなかった。ただこくっと少し顎を縦に振った。


 「姫のエスコートは私が担当することになっている」フランツはついに女化される恐怖と共にこの男がついてくれると知って心が少し和らいだ。


 幾日か過ぎて姫の乳母がフランツの部屋に入ってきてフランツを連れ出した。


 姫の管理する宮中のこの一角は、不思議と人が居なかった。後になって聞いたが衛兵が人を締め出していたらしい。


 こつこつと歩く音だけが響く。乳母はある部屋の鍵を開けフランツを中へ入れた。フランツは何をされるか分かっていた。ついに姫にされるときが来たのだ。


 乳母はこそっと言った「安心しな・・・お前は声変わりもないし見た目も十分姫そっくりだ。去勢はしない。そんな野蛮な文化はこの国には無い」


 そうは言ったものの、授業じゃカウンターテナーの歌い手は少年の声を維持するために去勢してるって話だし、そう言って安心させるだけでいつの間にかやられてるんじゃないかなんていう嫌な予感もしていた。


 その部屋は薄暗く埃臭かった。フランツは鉄製のベッドに仰向けにされて両手を縛られた。首も固定されてますます恐怖が募ってきた。


 横目に見ると姫の乳母は魔女のようにくっくと笑っている。


 そして第三の足音が近づいてきた。メスのようなものが見える。「あぁ、これで僕の男の生涯は終わってしまうのか・・・」


 フランツは覚悟を決めて静かに目を閉じた。

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