03-A
その高さを、目視で正確に測れる能力を持ち合わせてはいないけど、おそらく5メートル以上はあるんじゃないだろうか。
噴き上がった水柱は、その高さを維持したまま、軟体生物のごとくぐねぐねと蠢き始めた。
明らかに、水の動きではない。
遅まきながらそれを理解した途端、硬直していた身体の自由が戻った。
「ノエリアさん!」
と同時に、叫んで駆け出す私とフランカ。ノエリアが、あの噴出に巻き込まれてしまったかもしれない。
噴出したままのあれが何なのか、そんなことは考えなくてもわかる。
マンイーターだ。ノエリアの言っていた、マンイーターの親株に違いない。
「ティナ! フランカ! 来ちゃ駄目!」
「――!」
村の中心部へ出た私たちは、その声に足を止める。
いや、その声というより、そこにあった光景に驚愕した。
爆散した井戸から現れた水の塊。そこから伸び出た無数の腕の一本が、ノエリアの両足をまとめて絡め取り、上空へと引っ張り上げていた。
「離れなさい! 早くっ!」
「――!」
ノエリアの叫びに我に返った私は、しかし、その場から動けない。
「ティナさん!」
その声が聴覚を刺激した直後、私の身体に何かが衝突。突然のことに勢いを殺せず地面を転がる私の近くで、フランカの悲鳴が上がった。
「! フランカさん!」
私を突き飛ばしたフランカの身体に巻き付いた腕は、彼女もノエリアと同じように空中へと引き上げた。
「あ……」
地面で身体を起こし、何もできずに見ている私の視線の先で、フランカの身体がひょいと宙に投げられ、そのまま水柱――マンイーターの親株の体内へ放り込まれてしまった。
「フランカっ!」
叫ぶノエリア。
「フ、フランカさん……」
私が、私が何とかしなきゃ。自由に動けるのは私だけ。
私にしか、2人を助けることはできない。
立ち上がり、鞘から剣を抜く。
「何してるの! 早く逃げなさい、ティナ!」
そんなこと、できるか!
「ああああぁぁぁぁっ!」
声を張り上げ、地を蹴る。
待ってて! 今、助けるから!
「やめなさい! ティナぁ!」
マンイーターの腕が、一斉に私へ向けられる。あんな数、避けられるはずがない。
だけど、もう私の足は止まらない。そいつへの恐怖より、フランカやノエリアを失う恐怖の方が、勝っていたから。
「――!」
あと一歩で腕に絡め取られるというところで、ズダンと音を立てて何かが降ってきた。
それと同時に、私へ向かっていた腕が全て切れて宙に散る。
「――えっ」
「馬鹿っ!」
私の眼前に現れたのは、なんとノエリア。
驚いて足を止めた私の腕を掴んだノエリアは、マンイーターと距離を取るべく走る。
「待って! フランカさんが!」
「うるさいっ!」
叫び、家屋の影に私を連れ込むノエリア。
そして、その手が私の頬を思い切りはたいた。
「なっ……」
何をするんだと怒鳴るより先に、ノエリアの手が私の両肩を掴んだ。
「落ち着きなさい! あんな正面から突っ込んで、フランカを助けられるわけないでしょ!」
「で、でも……!」
言い返そうにも、言葉が出ない。そんな私から、マンイーターへ視線を移すノエリア。
マンイーターの身体の中では、取り込まれたフランカが手で口を押さえて苦しみもがいている。
「どうしよう……」
あまりの無力感に、私はその場にへたり込んでしまう。
「ティナ」
ノエリアの声が、意識の隅っこで響く。
「フランカ……」
どうしよう。このままじゃ……。
「ティナっ!」
「――!」
もう一度、今度は逆の頬をはたかれ、私はノエリアの顔を見つめる。
そこには、私を貫くくらいの強い眼光を放つ双眸があった。
「ティナ。フランカを助け出すには、あなたの協力が必要なの。よく聞いて」
眩しいほどに強い意思を湛える瞳に、私は幾分か冷静さを取り戻した。
「引っ張り上げられてる時に確認したんだけど、あいつの核は、運良くちょうどここらの家屋と同じくらいの高さをぐるぐると回ってる。私が、家の屋根に上って核を狙うから、あなたはあいつの注意を引きつけて」
「注意……?」
私の声は、情けないほどに弱々しかった。
「そう。でも、くれぐれも近付き過ぎないで。あいつの腕が届くギリギリの範囲を見極めて行動するの。チャンスは一回。失敗すれば、私もあいつに取り込まれてしまう」
その言葉に、すでに激しい鼓動がさらに揺れ狂う。
そんなことになったら、今度こそ本当に、私一人で何とかしなくちゃいけなくなる。
そして、何とかできる自信は、全く無い。
「いい? わかった? ティナ、あなたしかいないの。あなたに全てがかかってる。やれるね? ティナ!」
再び、私の肩を掴むノエリア。そんなこと言われても、足に、力が……。
「……!」
ぎゅっと、私の身体を包む、ノエリアの身体。
「大丈夫。あなたならできる。自信を持ちなさい、ティナ」
耳元で響くノエリアの声は、こんな状況だというのに、とても落ち着いていて、優しかった。
「……やれます。やってみせます」
自然と、そんな声を発していた。さっきの情けなさは、どこにもなかった。
いつもの私の声だった。
ノエリアは私の身体を解放し、「よし」と私の頭を撫でて微笑む。
「じゃあ、行くよ。ティナ!」
「はい!」
私は素早く立ち上がり、剣を握り直した。
ノエリアと別れ、再びマンイーターの前に飛び出した私は、とにかくこいつの攻撃範囲を把握するために、周囲を走る。
そんな私を捕まえるために、マンイーターは腕を伸ばして襲い掛かってきた。
「わっ! っと!」
駆けながら、腕を避け続ける。
冷静になれば、その攻撃がそこまで速くないことがわかる。これなら、避けるだけなら問題無い。
だけど、早く勝負を決めないと、取り込まれたフランカの命が危ない。
「フランカさん! 今助けるから!」
声が届くかどうかはわからない。いや、届いていないと思う。だけど、せめてそれくらいはしないと気が済まなかった。
私のせいだ。
私がすぐに離れなかったから、フランカがこんなことに……。
「……くっ」
悔やんでも、過去には戻れない。私は歯を食い縛って、怒涛のごとく押し寄せる腕を避け続け、距離を測り続けた。
腕がギリギリ届くくらいの距離を導き出し、その距離を保ちながら、マンイーターの周囲を走り続ける。
……まだ? まだなの? ノエリア!
「――うっ!」
ノエリアの状態を確認しようと、一瞬マンイーターから目を離した次の瞬間、私の左腕にマンイーターの腕が巻き付いた。ヌメヌメとした感触に、鳥肌が立つ。
「くっ!」
ぐいっと引き上げられそうになる直前、私は身体を回転させて剣を一閃。腕を斬り飛ばして難を逃れる。
が、今の動きで鼓動が激しくなり、呼吸が乱れてしまった。それと共に、体力が大幅に失われる。
「くそっ!」
苦しい。でも、走り続けなきゃ!
敵の攻撃は、尚も続く。それを避けて、避けて、また避けて、そのたびに体力が途切れそうになりながらも、前進はやめない。
いや、もうとっくに体力は底をついていた。私の足を動かしているのは、ただの意地。
それが、いつ、ぷっつりと切れてしまうのか。
そんな恐怖とも戦いつつの前進だ。
「!」
偶然、屋根に上ったノエリアの姿が視界に入った。
やった! これでフランカは助かる!
「あっ……」
その時、その一瞬の安堵が、私の意地を途切れさせた。
足がもつれ、視界がガクンと下がっていく。
そこへ接近する、マンイーターの腕。私は何もできずに、あっさりと捕らえられてしまった。
「ティナ!」
ノエリアの声が聞こえるのと同時に、ものすごい勢いで家屋の屋根より高い位置まで引き上げられる。
逃れようにも、その腕は私の身体に吸い付くように離れない。剣で斬ろうにも、この高さから落ちることを考えると、手が出せない。
そうこうしているうちに、マンイーターは私を身体の中に取り込もうと引き寄せ始めた。
「や、やめてっ!」
猛烈な速度で膨れ上がる恐怖。
「やだああああぁぁぁぁ!」
心は、完全に折れていた。ただ死にたくない一心で、何も無い虚空へ手を伸ばして叫んでいた。
「――!」
次の瞬間、突然マンイーターの身体がビクンと大きく脈動し、無数の腕が暴れ、私はその高さから空中へ放り出された。
全身から血の気が引く。
このまま地面に叩きつけられればどうなるか。それを瞬時に想像してしまった。
「――うぐっ!」
が、意外にも、衝突はすぐだった。それでも、背中からの衝撃は全身に伝わり、一瞬、息ができなくなった。
「ううっ……」
一体、何が起きたのか。私は、どこに落ちたのか。
全く事態を把握できないままどうにか上体を起こした私は、目の前の光景に愕然とした。
苦しげに蠢くマンイーターの身体に、ノエリアが飲み込まれかけていたのだから。