09-B
フランカが見つけたのは、クイーンビーの蛹だったんだ。
しかも、羽化直前の。
こちらに接近しているクイーンビーの数は、ちょうど10匹。
日も落ちかけた今、その姿は巨大なコウモリのようにも見える。
それらが耳障りな羽音を立てて近付いてくる様は、とても不気味で、恐怖を煽った。
「やっぱり、羽化したては元気ね」
ノエリアは、引き締めた表情を幾分か緩める。その言葉が指すのは、奴らのスピードだ。
この農地に来た時に現れたクイーンビーは、驚くほどに動きが鈍かった。
だけど、さっき羽化したばっかりのこいつらの速度は、その比ではない。いや、それでも決して速くはないんだけど、確かに、人間の歩行速度くらいという説明に、間違いは無いようだ。
程度で言えば、早歩きってところか。
「全部倒すつもりで行くけど、もし倒し損ねた奴がいたらお願い。やれるね?」
そう言って駆け出すノエリアの背に、私たちは「はい!」と返事する。
10匹のクイーンビーは、一番最初に動き出したノエリアに反応し、束になって襲い掛かっていく。
顎を大きく開き、尾から伸びる針を正面に向けて。
その群れに向かって走っていたノエリアは、しかし突然足を止めた。
どうしたのかと身構えつつ見つめていると、少し後ずさった後すぐ横へ動き、しかしまた止まり、また後ずさって横へ。
繰り返される謎の動作。
「あ」
そうしてクイーンビーの群れへ目を向けた時、彼女が妙な動きをしていた理由を理解した。
固まっていた群れが、いつの間にか横に大きく広がっていたんだ。ほぼ横一列。
ノエリアの妙な動きは、そうするための誘導だった。
そして、ノエリアは剣を横に構え、一気に群れとの間合いを詰める。
クイーンビーたちも、羽音を一層激しくする。
正面から突っ込んでいくノエリア。そのまま行けば、奴らの顎や針の餌食。
しかしそうならないであろうことは、固唾を呑んで見守っていた私、たぶんフランカにもわかっていた。
「――!」
私もフランカも、その光景に驚愕する。
クイーンビーの群れにあと少しで激突というところで、ノエリアは横へ大きく跳び、片足で着地した直後、身体を捻り、さらに大きく、そして速く、反対側へ跳びつつ剣を振った。
その刀身は、群れの端にいたクイーンビーの身体を横に裂き、次いでその隣、さらにその隣と、次々に両断していく。
敵は、その攻撃に全く反応できずに絶命するしかない。
横に弧を描くように跳びつつ、クイーンビーの身体を粉砕していったノエリアは、最後に思い切り剣を振り切った。
それによってさらに2匹のクイーンビーがバラバラになり、最後の1匹の身体を、――掠めた!
「!」
バランスを崩しつつも、ほぼ無傷で済んだそいつは、ノエリアではなく、私たちの方へ飛んできた。
それがノエリアから逃げるためか、私たちの方が弱そうだと見たからなのかはわからない。
いや、敵との力量の差を計るなんて真似、あんな脳のちっちゃそうなファミリアにできるわけがないんだけど。
「こっちに来ます!」
慌てるフランカを、私は手で制す。
「ティナさん?」
「私がやる。任せて」
そう言って剣を構え、駆ける。
腕も足も、いや、全身が重たい。あれだけの重労働をした後だ、当たり前か。
だけど、あんな奴1匹、こんな状態でも倒せる。根拠の無い自信が、私を動かしていた。
羽を大きく動かし、顎を目いっぱい開いて突進してくるクイーンビー。
その形相に対する恐怖は無い。噛まれても刺されても、大怪我。それがどうした!
身体を捻り、思い切り剣を振る。
ざくっという感触と共に、刀身はクイーンビーの頭部に突き刺さった。意外と固い。だけど、石や金属ほどの硬さじゃない。
「ふん!」
力を込め、一気に斬り進める。
刀身は固い抵抗の中を進み、反対側へ抜け出した。
抵抗が無くなったことで思わずバランスを崩すけど、どうにか足を踏ん張って耐える。
その直後、乾いた音が地面を跳ねた。
「おー、やるねー」
ぱちぱちと音を立てるのは、ノエリアの手だ。彼女は、私に満面の笑みを送りながら、拍手をしていた。
それを見て、私は眉をひそめ、口を尖らせる。
「ノエリアさん。最後の1匹、わざと逃したでしょ」
あんな動きができる彼女が、倒しきれないはずがないもん。
「あら、バレてた?」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、歩み寄ってくるノエリア。
「いやぁ、あなたたちでも倒せるとは思ってたからね。ホントは、2匹残すつもりだったんだけど、ごめんね、フランカ」
ノエリアは笑いながら、地面でまだわずかな痙攣を残すクイーンビーを踏み潰した。
「それとも、全部あなたたちに相手させれば良かったかな」
そう言って穏やかに微笑むノエリア。
私はフランカと目を合わせ、ぎこちない笑みを浮かべるしかなかった。
そして思う。
きっと、ノエリアはわざとクイーンビーたちを羽化させたんだと。
彼女なら、羽化するあの一瞬で、奴らを潰せていただろうから。
蜂の成長は早い。それは、蜂に似た姿を持つクイーンビーも同じで、縄張りを少しでも放っておくと、すぐに成虫が増えてしまう。
この農地は、縄張りにされてから日が経っていたため、すでに羽化に至るまでに成長していたようだと、ノエリアは説明した。
草木を調べていたノエリアは、ほかにもかなりの数の蛹を見つけていたらしい。
私たちが担当した農地の中に蛹がいなかったのは、単純に卵を産みつけた時期の違いによるものだと思う。
「クイーンビーって、何を食べるんですか?」
すっかり暗くなった帰り道。私はふと、そんな質問を投げかけていた。
それは、ずっと気になっていたことだ。
卵はともかく、幼虫の数もかなりのものだった。
あれだけの数の幼虫を成長させるには、それなりの餌が必要なはず。でも、それらしきものは見当たらなかった。
まさか、農作物を食べていたなんてことはないだろう。
するとノエリアは、「あれ? 見なかった?」と質問を返してくる。
「何をですか?」
「動物の死骸」
「え」
目を丸くする私たちに、ノエリアはもう一度「死骸だよ、動物の」と言う。
「……いいえ、見てません」
そう答えてから、フランカに「ねえ?」と聞く。それに対し、フランカは「ええ」と頷く。
「もしかして、クイーンビーって狩りをするんですか?」
「まぁ、する時もあるんだろうけど、大抵は死骸を探して運んでくるって感じかな。あの動きじゃ、ロクに狩りもできないだろうしさ」
確かに、あれじゃあ動きの速い動物は捕まえられないだろうな。
「草むらの中には、いろいろあったよ。あの大きな顎で細切れにして運んだ死骸が、そこらじゅうにね。あの草むらが、貯蔵庫みたいなものだったんだろうね」
想像して、嫌な気分になる。
「クイーンビーは、ファミリアのくせに、進んで人間を襲おうとしない珍しい種類なの。あくまで、縄張りを守るために戦うんだよ。でもまぁ、危険な奴には変わりないけど。縄張りになった場所が住宅街だったりしたら、そこで暮らす人々が襲われるわけだし」
進んで人間を襲わない、か。
「……人間は食べないんですか?」
ファミリアには、人間を主食とする種類も存在する。
「食べるよ。肉だったら何でも食べる。でも、動きが鈍いせいで捕まえられない。奇襲で隙を突くか、自分たちよりも遅い人間を襲うかってくらいしか、奴らが人肉を手に入れる手段は無いね」
やっぱり、食べるんだ。
……クイーンビーよりも遅い人間、か。
あんまり想像したくないけど、その意味が理解できちゃうと、自然と想像してしまう。
きっと、そういう被害も過去にあったんだろう。
「まぁとにかく、2人とも、今日はお疲れ様」
そう言いつつ、ノエリアは私とフランカの身体を見やる。
「……とりあえず、宿に戻って、食事の前にお風呂に入りなさい。支部への報告は、私1人でやってくるからさ」
「え、でも」
私の言葉を、ノエリアは「いいから」と制する。
「そんな疲れた顔してるあなたたちを、これ以上歩かせたくないんだよ」
……確かに、フランカはすごく疲れた顔をしている。私も、あんな顔なんだろうか。
「わかりました。先に戻ってます」
そう呟くと、ノエリアは微笑み、私とフランカの肩をぽんぽんと優しく叩いた。
腕が思うように上がらないというのは、不便なものだ。頭もロクに洗えやしない。
「こんな感じでよろしいですか~?」
「うん。いい感じ~」
宿の浴室。私は鏡の前で床にぺたんと座り、フランカに頭をしゃかしゃか洗ってもらっていた。
たとえ2人とも腕が上がらなくても、片方がこうして座っていれば、もう片方はさほど腕を上げずとも相手の頭を洗ってやることができる。
どうしようかと少し悩んで、出した結論がこれだ。
私の頭が済めば、次は私がフランカの頭を洗ってあげることになっている。
「うふふ、見て下さいほら、泡の髪の毛~」
「あははは……」
フランカも私と同じくらい疲れているはずなのに、相変わらず明るい。
まぁ、明るく振舞ってるだけで、その顔にある笑みはすごく疲れてるんだけど。
「じゃあ、流しますよ~」
「は~い」
蛇口を捻ると、頭上にあるシャワーヘッドからお湯が降ってきた。
少しぬるめだけど、疲れた身体にはちょうどいい。
頭から顔へ、そして身体へと、泡の塊が落ちて溶けていく感覚も、妙に気持ちいい。
泡が完全に落ちきったのを確認した私は、シャワーを止めて「よいしょ」と立ち上がる。
「じゃあ、交代ね」
「はい。お願いします」
そうしてフランカの頭をわしゃわしゃと泡だらけにしている内に、リビングの方から「ただいまー」とノエリアの声が聞こえてきた。
寝支度を整え、部屋の明かりを消す。
「ノエリアさんも、お疲れだったのですね」
リビングの奥に並ぶ三つのベッド。その一番左のベッドでは、すでにノエリアが寝息を立てていた。
私は大きなあくびをして、「みたいだねー」と呟く。
「私も、眠くて仕方ないや。明日からまた別の仕事だってノエリアさん言ってたし、しっかり身体を休めないとね」
「そうですね」
明日から3日続けて仕事をすると聞いている。
一つの仕事に3日かけるんじゃなくて、1日1仕事。全て、ファミリア関係らしい。
「……静かですね」
「そうだね」
商業都市とは思えないほど、この辺りは昼夜問わず静かだ。特に夜は、人の声も気配もほとんど無い。
夜闇にあるのは、虫の声だけ。
「寝よっか」
ひとしきり窓の外を眺めた私たちは、ベッドに入る。なかなか柔らかくて、寝心地は申し分ない。
「おやすみなさい、ティナさん」
「おやすみ、フランカさん」
そう言い合い、仰向けになって目を閉じる。
今日のことや明日のことを考える暇も無く、私の意識は水に落ちた絵の具のようにぼや~っと薄まっていき、すぐに、すぅっと消えた。




