閑話 捕虜のとある一日
ネームレスがDMとして君臨する地下迷宮。その一角に存在する農場部屋は食料生産施設である。
此処に生まれ育った村から奴隷商に売り払われ、移送中にネームレスに捕らえられた元フルゥスターリ王国民である二十一人の少女。彼女らと共に拿捕された奴隷商の奴隷でナーヴァ達の世話役だった森妖精族の少女、下働きとして使われていた奴隷犬人四匹を加えた総勢二十六名が捕虜生活を強いられていた。
起床は水が凍る程の寒気が支配する夜明けの時間帯、寝起きの習慣にと意味不明の踊りを強制されている。
「慣れると身体をあたためてほぐすのに、この踊りは良いね」
「朝ごはんは何かな?」
「白パンかな? 麦粥かな?」
「集中しないと怪我しますよ!」
四歳で最年少のインファを始めとした幼女組も参加していた。幼すぎて豊乳体操の意味が薄く、結束力を高め身体をほぐし怪我を防ぐ目的のラジオ体操を終えたら抜けても良い。だが「なかまはずれはイヤ!」と遊び感覚で楽しげに踊っていた。
「アルコ、コラゥ、インファ、ペローラ、今日もみんな元気だね!」
「あ、ネブラさま、おはよ!」
「おはよう! 体操が終わったら卵取りだよ」
「今日もいっぱい産んでるといいですね」
幼女組は魔法生物である人造人ネブラに率いられて、家畜小屋の一つ鶏小屋にて卵を回収する。
年嵩の少女達は、昨日の汚れ物を洗濯する為に農場部屋に隣接する入浴部屋に向かう。専用の大桶に部屋内で湧き出ている温泉と洗濯物、洗剤を入れると足踏みで汚れを落とす。
「……でね、……なのよ!」
「そうなんだ!」
農場部屋と入浴部屋にしか出入りを許されておらず、虜囚となって四ヶ月程過ごして話題などありそうにない。だが、少女達は日々うつろう小さな変化を見つけると毎日飽きる事なく仕事の合間や食事中、就寝前等に和気あいあいとお喋りの花を咲かせていた。
捕われの身で何を呑気な、とも言える。しかし、暴力を振るわれる訳でもなく真面目に働いてさえいれば叱責も特にない。さすがに談笑がすぎれば一言あるも、仕事の手を止めなければ見逃されていた。
女淫魔にして少女達の世話役であるヴォラーレが提案した懐柔策の一端である。女にお喋りを止めろなど、死刑宣告に等しいという一面もあった。
コボルトは馬や豚の世話に各家畜小屋で飲み水の補給や掃除、農作業の準備と忙しい。
これらが終わる頃には地下迷宮内政を統括する家令ともいえる人造人エレナ、コボルト料理人のプリヘーリア(プリア)とチャーリーン(チリン)が全員分の朝食を準備していた。
「うわぁ♪ 白パンにシチュー、鶏肉のサラダと林檎が出てる!」
「朝からおかわり自由って凄いね!」
朝食前の仕事を終え、駆け足で食堂に入った少女らは配膳台の上に並べられた料理と置場を見て歓声をあげる。
基本的に食事はエレナを筆頭にした料理人組が、個々の体格や年齢等を元に計算されたカロリーと栄養バランスを満たす量が提供されている。質の面でも最高であり、貴族様の食卓かと疑う程に美味しい。
普段の朝食は麦粥が主だが、それも味付けや出汁に具材と様々な調理で舌を楽しませていた。
売り飛ばされる直前まで領主である騎士候の館で働いていたナーヴァは、貴族の生活が他の少女達が夢想するほどに豊かでない事を知っている。少なくとも仕えていた騎士候家では、祝日でも此処で出されている毎日の食事より質が高い物はなかった。
通常ならば調理場出入口付近に置かれる配膳台まで個々盆を持ちエレナが盛った料理を受け取る半ばセルフ方式なのだ。この時に顔色やらで体調を見て、エレナがその者に合わせた量を調整する。捕虜勢と試行錯誤した結果、この方法に落ち着いたのだった。
その配膳台が食堂テーブル中央付近に置かれている時はおかわり自由を意味する。シチューの良い匂いが漂い、大鍋になみなみと溢れんばかりに注がれている。手篭に山盛りとなっている白パンにジャム、林檎は兎さんカットされ変色し難くなるように一手間かけられた。サラダは柔らかく煮た鶏胸肉と水菜、トマトの赤が鮮やかに彩られている。
少女達の多くが農民の出ながら、不作が数年続き満足に食べられない日が多かった。彼女らにとって食べきれない程の料理を出されるというのは最上級の報労である。例え不作でない時でも飢えずにいるのが精一杯、好きなだけ食べられる機会は豊作時の収穫祭ぐらいだった。
収穫される野菜の種類が比べものにならない、それらの野菜で献立も豊富となり飽きがなく目と舌を楽しませている。
肉料理が鶏肉しかないが、フルゥスターリ王国農民や奴隷には肉料理など余程の事がなければ口に入らず。不満を抱くはずもない。
しかも主に奴隷コボルトが世話をし、他の皆で可愛がっている桃色の珍しい豚が、最近子を六匹産んだ。子豚が乳を必要としないまで大きくなれば絞められる予定もある。
自分達の口に入るか解らないが、捕虜一同期待に胸を高鳴らせていた。
少女達はもう以前の生活には戻れないようにと味覚と食事量、感性を持って調教されている。
「……じゃあ、昨日の夜はエレナ様呼ばれたのかな?」
「そうだと思うよ」
手早く朝食を済ませた一部の少女らが頬を赤らめ、声をひそめて会話する。夜分誰に呼ばれて何をしていたのか謎だが少女達は、小声で嬌声をあげるという器用な事をしながらお喋りを続けた。
「んー、エレナ様、今日は機嫌良さそうだね」
「そうね、長く続いてくださるといいのだけど」
久々の豪華な朝食に舌鼓を打ち、ミラーシは相席のチュヴァとナーヴァに問い掛ける。
班長として任せられている彼女達は朝食の席で、その日にするべき作業を話し合い人員の配置等を定めていた。
同じテーブルにエルフの少女も居たが、澄まし顔で料理を口に運んで無関心に見える。その長い耳先が高速で上下に動き食べるのに夢中で人間族より高性能で倍近く長いのに話が耳に入ってない。
奴隷商に付けられた魔法の道具で喋れないのもあり、食事に夢中のエルフを生暖かい眼差しで見守り、三人は今日の段取りを交え相談を続ける。
エルフの少女は、ネームレスに捕らえられてこの地に連れ込まれても敵意を隠さなかった。しかし、一角獣ユーンの登場と水精霊ミールやエレナ達と長く過ごした結果、態度を軟化させている。
相対的に交流が少なく、小鬼や枝悪魔等の魔物を使役するネームレスへの不信感が根強い。彼が革の加工に顔を見せるたびに鋭く睨んでいた。だが最近は『絶対こんな生活水準に負けない!』という視線から『この生活水準に勝てなかったよ…』となって険しい表情は見られなくなっている。
「……あのさ、何度もっていうか毎日言ってるけど床じゃなくてテーブルで食べなよ」
「あ、ネブラ様。はい、いいえ、すいません。落ち着かなくて……」
「僕は平気だけど、先輩からまたお小言もらうよ?」
食堂の片隅でこの時間帯は給仕として動くネブラが、元奴隷コボルト達に恒例の注意をしていた。
地下迷宮に連れてこられた当初は、テーブルを利用していたのだがプリアとチリンが農場部屋に来てから床で食事をするようになったのだ。
ネブラとしては意味不明の行動に映る。エレナが強く叱責せずに「適切に思いを告げなさい」とだけ訓告するだけなので余り強くは諌めていない。
*****
朝食を済ませると捕虜全員で作物の水撒き
農場部屋の水源は、部屋に散らばって設置されている井戸と北端に西から東へと流れる小川だ。
井戸は農作地からやや離れており、この部屋で一番困難な作業が水汲みである。
「おはようございます、ミール様」
「おはよ、ミール」
少女達の挨拶に頷いて返事をする水精霊ミール、食事の必要がない彼女は朝日が顔を見せてからずっと水撒きをしていた。精霊である彼女は、持って生まれた技能である程度の水を生み出す。捕虜らのように水源から汲んで運ばなくていい。少女らの負担軽減にと水源より遠い畑から撒いていた。
農業部屋の季節設定が冬になっており、ネームレスからの指示で畑面数が減らされている。
農家は冬は休みだろう、という彼の思い込みから冬にしか栽培不可の野菜と麦しか育てていない。
それに加え、ネブラの勘を頼りに半日(午前中)仕事になるように調整されていた。
十時の休憩も食堂まで戻らず、寒い中外で済ませている。ネームレスから与えられている、作業着の保温性が優れているのでそこまで辛いという訳でもない。
魔法瓶にいれられていてまだ熱いハーブティーを両手で包み、水撒きで冷たくなった手を暖める。茶請けのビスケットを頬張る。水を撒きながら次の作業の収穫によさげな野菜がどの面にあったかを頭に叩き込んでいた面子が話し合う。
《乙女らよ、我に捧げる事を差し許す》
仕事の邪魔にならない様に気を付けて、少女達の周囲を遊歩していた一角獣ユーンが、自分に構えと手空きな少女に絡む。
ユーンの評価は当初に比べれはかなり改善された。影ながらエルフの少女が頼み込んだ事もあり、邪険にされる事は少なくなる。尤も、死んでいなければどんな怪我や病気もたちどころに癒す力を持っている一角獣としては扱いは雑だ。
*****
「ナーヴァお姉さん、やっぱり糸繰り上手ですね」
「こねぇ、おうたきかせて!」
収穫を終え、昼食も済ませたナーヴァ達は、物置として利用していた小屋を改修した作業小屋で午後の仕事に取り掛かっている。因みに、荷物の回収から機織り機の設置まで豚人スチパノの活躍によるものだ。
エレナの許しを得て、捕らえられている少女達は畑の一角で綿花を栽培していた。それから収穫された綿を糸にする糸繰りを習得していた少女らが、まだ修めていない娘達に教えている。
糸繰り、機織りの技能は女の嗜みであり、農家等市民階級の女性は最低限これらが出来ないと嫁ぐ事が許されない。長く家に篭る夜神の巡りに家族が次の年に着る服を織るのが女達の役割である。
これが巧みかそうでないかで女社会での地位、ひいては家族付き合い、自身や娘の嫁ぎ先や婿入り等と影響が大きい。
「うん、そうだよ。 インファは器用だね、でももう少し細くした方が良くなるよ。コラゥは、もうあっちでも良さそうだね」
ナーヴァの視線の先には、チュヴァの指導と監視の元に二台ある機織り機を使い布を織る少女達がいた。
「本当!?」
「ええ、今紡いでいる物が終わったら、出来上がった物を持ってね」
「ぬにゅ……」
「インファは糸繰初めてだったんだから、みんなよりも遅れるのは仕方ないよ。頑張ろ」
彼女達が織るよりも上等な衣類が支給されるなか、木綿を作っているのは少女らの花嫁修行もあるが練習としての意味が大きい。虜囚の身で結婚が出来るかは疑問であるも、教え伝えるのが女の習慣である。
機織り機は三台納入されており、残りの一台を使いミラーシが美しく銀色に輝く布を織っていた。
巨大蜘蛛から剥ぎ取れる蜘蛛の糸を、弱粘液の採取品であるスライムの体液と水を混ぜ合わせて作られた粘着とり液に浸ける。体液と水の配合割合や浸けておく時間等は最重要機密とされていた。失敗に次ぐ失敗の果てに発見した調合率であり、ネームレスは秘伝にして市場を独占する予定である。
売り先が地下迷宮管理機構しかない以上、現物が地上に出回らないので誰にも盗られる心配はない。それでも一反(蜘蛛二匹分の糸を使用)で二千仮想銀貨前後もするとなると製造方法や過程を隠したくなるのも解らない事はない。
同じ剥ぎ取り品であり布として織れる羊毛や山羊毛に比べると価値が百倍に跳ね上がる。
値段が判明してから財政不足を補う為に、ネームレスとゴブリンは絶対蜘蛛を殺す隊と化していた。
「みんな、十五時だよ、食堂に集まって!」
作業小屋の扉が叩かれ、ナーヴァ達の返事も待たずに開かれるとネブラの明るい声で告げられる。
歓声があがり、今進めている作業の切りが良い所で手を止め食堂へと急ぐ。
間食は餅の入っていない汁粉で少女達に歓声を持って歓迎される。此処で採れた小豆と砂糖を大量に使うので、甘味として人気は高いが手間暇が掛かる事もありなかなかお目にかかれない一品だ。
男ばかりの元奴隷コボルトは苦手としており、チリンらから別の物を与えられていた。
「おしるこが出るって、ほんとエレナ様ご機嫌なんですね」
「これって豆を長時間煮込まないといけないってプリアが言ってましたよね」
「美味しく作ろうとすると、鍋を付きっ切りで見てないと駄目だとか」
安楽と休憩をすごした少女達は作業小屋へ、コボルトらは家畜小屋へと別れる。
エルフの少女? 彼女は『ユーン』専属です。作業小屋にいれても煩いので、他の少女達から「寒い中、すいません」と謝られているが本人は一角獣の世話が出来て幸せそうだった。
《水の乙女よ、今日こそは愛でて……、ちべたぃ! ちべたぃ! ぬ、ぬぉ、せめて喋ら、ぐるっぽっ!?》
農場部屋に隣接する入浴部屋へと続く橋の袂で戯れるユーンとミールを体育座りで見守る彼女の表情が絶望と諦めを足して二で割った様だとしても、きっと、多分。
*****
外で一角獣が一方的に水精霊になぶられている頃、仕事を再開した少女達が居る作業小屋に来客があった。
「忙しい所にすまんな」
「いえ、良くお越しくださいました、スチパノ様」
慌て、少女らが出迎えようとするのを制して、気にせず続けるようにと言付けるとスチパノは小屋に荷物を運びいれる。彼とは村で使っていた物よりも高性能で扱いに慣れない機織り機の指導に、一時期は毎日の様に顔を合わせていた。
今でも手隙な時に手伝いに来ており、ある程度気軽い付き合いが出来ている。
「スチパノ様が来られてる、という事は……」
「主人は何時もの場所で作業をしてる」
数日おきに農場部屋の片隅で、皮加工作業に訪れているネームレスだが捕虜勢との交流はほぼない。
当初はゴブリンを引き連れて加工していたのだが、生産や加工作業が致命的にゴブリンの肌に合わないのでネームレスとスチパノの二人だけになっていた。
ハブとディギンの練度は十分なのに加え、第二世代ゴブリンの活躍もあり二人は第三世代生産に向かわせている。決して彼らがネームレスが丹念に処理した皮を最後の仕上げに失敗した罰ではない。
ゴブリン居住区でフジャンとラン以外の第一世代ゴブリンと第二世代ゴブリンの雌に、昼夜関係なく交互に搾り取られて死んでしまいそうであるが、きっと男の本望だろう。
ネームレスも一応、搾り殺さないように雌ゴブリンに命じている。万が一にそなえ監視役兼医者としてフジャンも置いて来ていた。押しの弱い彼女が止められるかは別として。
「無理無理無理無理かたつ無理!」
「許して欲しいっす! もう立ちません! それはヒューマン用の増強剤っす! 俺らには効果うすいっす! 前立腺マッサージって、おい、やめ……あっー!?」
スチパノが持ち込んだのは組立式の機織り機だ。予算の都合で三台しか用意できなかったのだが、巨大蜘蛛の糸を使った布が高額で売れたので少女達から追加の要望もあり供給となった。
嵌め込み構造の織り機を手早く組み立てるスチパノと新しい機織り機に、幼い少女らは気も移ろう。
特に幼い少女が使い易い様にと、小型の織り機が出来上がると思わず喝采があがる。
スチパノを気にして注意してまわるチュヴァら歳嵩の少女も、新たな機織り機が気になるのは同じであり叱る声に力がない。スチパノは苦笑気味に見なかったふりをしつつ組立を速めるのだった。
「羊毛や山羊毛を使った布造りは下の娘に任せて三人はなるべく蜘蛛糸の布を織るように、と主人の仰せだ」
「はい、ご主人様の期待に添えますよう尽くします」
「余り気負わない様にな。主人は貴女達の働きに不満はないそうだ」
組立が終わったスチパノは少女らを労うと、パン生地作りに調理場へ足を向け小屋から出て行った。
彼の姿が見えなくなると、少女達は興奮気味に新しい道具の使い勝手を調べる。
「機織り機が増えて助かったね」
「まだ身体ができていない娘用のが入って良かったわ」
個々の習得具合を考慮して、班分けをする。野良仕事は半日におさえられ、村に居た頃と違い家事から解放されている為に織り物に使う時間は長い。仕事を持ち回って変化をつけねば集中力が持たないのだ。
体格に合わない物を使うと、どうしても効率が落ち織り手の消耗も早い。
今は農作業がおさえられているので良いが、季節がかわれば朝から晩まで外仕事となる。
「申し訳ないけど、次の日に影響がない範囲で織って欲しいわ」
捕虜の世話役であるヴォラーレに相談するとこのように帰ってきた。
一応、朝の体操から少女達と一緒に行動していたのだが、ヴォラーレもまた魔物の性として生産に向かない性質をしている。水撒きの時は水をくんで来るだけ、収穫時は東端にある果樹園で高い位置に生えている果物を飛んで取るぐらいだ。
織り物関連では少女達から「ヴォラーレ様は何もしないでください」と禁止されており、本当に見学だけである。
この様に魔物と交流しながら作業、再びネブラが呼びに来て夕食。食後、交代で入浴しつつ機織りを進めて幼子から就寝する。そして二十一時付近で捕虜勢が住まいにと充てられた小屋から明かりが消える生活をしていたのだった。