三章第二十六話
狂戦士化した牛頭人が、咆哮で行動不能に陥った豚人スチパノを目掛け爆進する。
頭を左右に振り目を揉んで麻痺した視神経と朦朧とする意識を回復させようとするスチパノは耳も駄目になっておりミノタウロスが発する重々しい蹄の音も聞こえず。
片膝を付き身体を小さく丸める事で防御姿勢を取るスチパノに頭部の角では傷付けられぬと本能で判断したミノタウロスは撥ね飛ばすべく加速する。
理性が飛んでおり手に持つ戦斧を使う発想が出ないミノタウロスだが、二百五十の身長に分厚い筋肉でおおわれた身体、この体躯に相応しい体重を誇り撥ね飛ばされればスチパノとて重傷は避けられない。
このままでは車に跳ねられた小動物と同じ運命を迎えかねないスチパノだった。
「石弾魔法」
だが、横合いから降り注ぐ石の散弾がミノタウロスの脚を抉る。
ミノタウロスは片足を上げた瞬間の軸足に石弾をくらい足払いを掛けられた形になり転倒、しかし加速の勢いを殺せず床で身体を削られながらもスチパノから三センチ横を滑っていく。
魔法を掌に生成、魔力を注ぎ入れ威力を高めながらネームレスは駆け足で血塗れで起き上がるミノタウロスに近寄ると魔法を放つ。
ミノタウロスに理性があれば床を転がって避ける事も選べただろうが、破壊衝動に支配されている今そんな判断などできず。
はやく立ち上がり目の前の者を破壊する事しか頭にないミノタウロスは、巨体も相まってネームレスからすれば外す心配のない良い的でしかない。
それこそ「無駄無駄!」とばかりに石弾魔法を連射、スチパノや骸骨兵らが手間取ったミノタウロスを挽き肉へと変えていく。
無論、保険として枝悪魔コルジァが頭上で目潰し用の唐辛子爆弾卵を抱いて待機している。
そして転がされただけだった骸骨弓兵スークとケースも、矢が装填された機械式弓を構えてネームレスよりもミノタウロスよりに邪魔にならないように立つ。
小鬼族長フジャンはこっそりとスウに巻き込まれ何気に瀕死なインプに精霊魔法で治療を。
「ぁぅぁぅ、右手と右羽と右足が千切れてますぅ……、左羽もボロボロなのですよ。
傷口をふさいで体液が流れ出るのは防ぎましたけども、後はユーン様に任せるしかありません」
三十センチの小柄な体躯な為に耐久力や生命力が乏しいインプが、ダメージを受けた瞬間に絶命しなかっただけでも大したものである。
ネームレスが昨夜倒した個体同様、強靭な生命力でなかなか死にきれなかったミノタウロスが絶命する頃にはスチパノも復調していた。
「ボス、助かりました」
もはや原型をとどめないミノタウロスを前にしても油断なく警戒していたネームレスにスチパノはまず感謝を伝える。
白兵戦において体格、体重の違いは大きい。
格闘技の多くが体重別で別けられている事からでも、どれほど影響があるか理解し易いだろう。
特にボクシングならば一キロ違うだけで階級が変わる事もある。
スポーツと違い、ルールに縛られない何でもありの実戦ならば覆せもするが、ミノタウロスのように人外サイズとなれば難しい。
武器が短剣であるスチパノでなく、片手半剣を使う骸骨兵長イースならばまだ勝負になったのだが。
その点ネームレスの攻撃魔法は体重の違いなど関係ない。
例えるならば、ミノタウロスは分厚い装甲と必殺の一撃を持つ戦車でスチパノは機動力があり対多数用のガトリングガンを持つヘリ、ネームレスは歩兵が対戦車ライフルを担いでいるような物だ。
ミノタウロスではスチパノに当て難く、スチパノの攻撃はミノタウロスに通らない、ネームレスの攻撃は通るが攻撃時に機動力がなく回避できない。
これがミノタウロス(戦車)でなく山羊人など(歩兵)ならば多数が相手でもスチパノが一方的に虐殺可能で、ネームレスは逆になぶり殺しにされるだろう。
要は相性であり、ヘリ(スチパノ)もガトリングガンだけでなく対戦車ミサイルを積み込めば戦車も容易く葬れる。
「いや、気にするな。
ひとまず、スウ、シーザー、キースをDM室へ」
フジャンから負傷したインプの生存と重体を報告されたネームレスは、スチパノに転移魔法陣を使わせて絶大な癒しの力を有する一角獣ユーンの元へと運ばせる。
片手片足を折ったシーザー、盾ごと腕や肋骨を貫通され投げ飛ばされて身体中に罅が走るが何とか原型をとどめているスウはまだ良い。
ミノタウロスの怪力と両手用戦斧で叩き潰されたキースの回収は、ホウキとチリトリを必要とした。
戦闘以外には使いでが悪い骸骨兵以外のネームレスとフジャンで床に転がる、槍など使えそうな物資を集めているとイース班が到着する。
「ネームレス様、出迎エ遅クナリマシタ。
ゴ無事デ何ヨリ」
骸骨兵長イースと麾下五名の骸骨兵は真っ直ぐネームレスの前まで進み片膝を付き頭を垂れた。
イース班付きのインプも空中で頭を垂れている。
そんなイース達を労うとネームレスは骸骨兵八名に命じてミノタウロスの両手用戦斧、金剛鉄製と鉄製の両方をDM室へと運びいれる。
鉄製の方は骸骨兵が四名居れば問題なかったが、金剛鉄製の戦斧は六名必要だった。
これは金剛鉄の比重が鉄よりも重いからである。
重量は増すが金剛鉄製の武具は硬く、欠けず砕けぬと最上級に数えられる素材だ。
銀が持つ浄化に似た力があり、もし金剛鉄製の戦斧で粉砕されていたらキースも滅びて復活はかなわなかった。
それでもイースの見立てだが再生に七日はかかる。
負傷したインプを預けて急ぎ戻って来たスチパノの報告から、手足や羽が千切れ重体だったインプは二日程動けないが復帰可能と知れた。
この時点で捕虜が夕食を摂る時間帯であり、ネームレスは早朝から第二階層固定ダンジョンで捜索や戦闘で疲れているであろうスチパノとラン率いるゴブリン班に撤収を命じる。
未だに魔物の死体から剥ぎ取って回収しているラン班にはイース班付きのインプが伝令に飛ぶ。
ラン班とは別に自然洞窟偽装ダンジョンから二階層固定ダンジョン内仮設補給基地を往復して武具を運び、剥ぎ取った素材を持ち帰っていたゴブリン達は交代に備え既に休んでいた。
ネームレスはフジャンにコルジァの分断組に、骸骨兵長イース、骸骨兵エースとコス、骸骨弓兵オースを加えて一階層に向けてDM室から固定ダンジョンに逆侵攻に出る。
残った骸骨兵達はネームレス一行を見送り、動ける骸骨兵はDM室から転移魔法陣を起動させ自然洞窟偽装ダンジョンに戻った。
既に固定ダンジョン内の主な魔物は殲滅しており地図もある事からネームレス一行は順調に進む。
その途中、部屋や通路にある天井に繋がっていない人間二人分ぐらいの太さをした柱、岩柱をピック(つるはし)で崩して丸太状のシーダ材を、偶に鉄鉱石を採取する。
ネームレスからすれば採取用の岩柱から何故にシーダ材が出てくるのか、というよりシーダ材ばかり採掘されるのか大いに謎だ。
階段部屋までの最短経路にて発見した四ヵ所の岩柱からシーダ材が七本、鉄鉱石が二塊採取できた。
ラン班に撤退命令を届けたインプと入れ替わり、インプ長デンスがネームレス一行の元へと合流する。
デンスからも無事な事と二階層ボス撃破に対する祝辞を聞き、それと同時にラン班撤退完了の報告をネームレスは受けた。
固定ダンジョンの魔物と遭遇する事もなく二階層を脱して一階層階段部屋で、転移魔法陣にネームレス、フジャン、コルジァの三名は登録を済ませる。
「イース、デンス、打ち合わせ通りに」
「了解デス」
「承知しました」
岩柱から採取した丸太や鉄鉱石をイース達に預け、先に転移魔法陣で自然洞窟偽装ダンジョンに戻したネームレスはフジャンとコルジァを引き連れ、イースらが転移した転移魔法陣に向かうのだった。
ネームレスと無事合流できた事はスチパノが重体のインプを急いで運んだ時、エレナとユーンに伝えられる。
片手片足に片羽が千切れ残った羽もズタズタだったインプは、ユーンの黄金色の角で再生された。
さすがに身体の半分近くを肉体復元されたインプはリハビリを兼ねて二日は安静を命じられたが。
復元されたインプを農場部屋で待機していたインプ二名に任せ、エレナは食堂キッチンに戻る。
調理場に勤める犬人のプリア(プリへーリア)とチリン(チャーリーン)はエレナの、というか内政班魔物に漂っていた張りつめた緊張感から必死に失敗などで叱られないようにと調理に励んでいた。
ネームレスと無事に合流したとの報せで昨夜から続いていた切迫感が消え失せてプリアとチリンは安堵の息をはく。
「さて、プリア、チリン。
夕飯(捕虜の)に二階層から持ち込まれた肉を使いますよ」
捜索と平行して採取された物のなかで食材としても使える素材は、コウモリの肉、トカゲの肉、トカゲの尻尾、山羊の肉、羊の肉、と五種類あった。
今回は入手できなかったが食肉赤花や胞子茸からも食材素材が剥ぎ取れる。
エレナを中心に三人で話し合い、夕飯まで時間がないので長時間煮込まなければならない山羊肉や羊肉のスープ系は諦め、トカゲ、山羊、羊肉はステーキに、コウモリ肉は野菜と共に煮込んだスープとして出す事に。
山羊肉は新鮮な事もあり山羊刺しにする案も出たが、元が魔物素材なので火は通すべきと破棄された。
何故にご馳走が出たのか頭に過った捕虜達だったが特に悩む事もなく舌鼓をうつ。
「はにゃん〜美味しいよ〜」
「これ何の肉なのかな?」
「はふぅ、はむはむはむはむ」
「あ、姉さん、その肉取って」
「こっちのお肉かしら、ブリザ?」
「ガツガツがっ……ごぶぅっ!?」
「うわ、ヴォルツが喉に詰まらせた!」
「いつもの鶏肉じゃなさそうよね?」
「ふぅー、ふぅー、はい、冷めたわよ」
「ラレ(ヴォラーレ)姉さん、あんがと」
幼く舌足らずでヴォラと発音できないインファが無邪気に満面の笑顔でヴォラーレに礼を述べると肉に夢中でかぶりつく。
その様子を優しく微笑み見守っていたヴォラーレのスカートを引く小さな手が。
視線を向けるとインファの次に幼いコラゥが上目遣いでヴォラーレに自分の分も冷やして欲しいと甘えねだる。
離れた席でコボルトのヴォルツが逝きかけていたが、同席のコボルト以外の捕虜はご馳走に夢中で気付いて貰えなかった。
「い、逝くなヴォルツ!?」
「み、水ーー!」
慌ただしいコボルト達に気付いたエレナがヴォルツの背中を叩いて救う。
そんなこんなで、暖かく賑やかで幸せな一日を終えた捕虜達は魔物達の思惑通りネームレスが行方不明になった事に気付く事はできなかった。
「数日様子を見て捕虜に問題が出なければ、ネームレス様へのメニューに加えましょう」
「な、何か問題が出た場合は?」
「その時はゴブリン一族に。
悪食で胃も腹も頑強なゴブリンならば問題ないでしょうから」
捕虜達が食事を済ませて最後の一人が寝床小屋に入ると、後片付けをプリアとチリンに任せてエレナ、ネブラ、ユーンの三名は農場部屋から出て行く。
そして第二階層を、DM室に向かう。
固定ダンジョンの魔物が再出現する前に、そしてやはり捕虜達に気取られないように転移魔法陣に登録を済ませる為だ。
エレナ達が登録を済ませたら交代でヴォラーレ、プリア、チリン、リーンが向かう予定である。
登録するまでは移動に時間が費やされるが、帰りは転移魔法陣で大幅に移動時間が短縮される筈だ。ただし何か問題が出ればどうなるか解らず。
あまりに遅い時間になれば、また後日にずらす事も視野にいれていた。
エレナ一行は地上出入口、二階層への階段部屋で登録を済ませる。
そして骸骨兵長イースを筆頭とした護衛団に守られながら第二階層固定ダンジョンへと足を進めたのだった。
ネームレス一行は捕虜が夢中で料理を口に運んでいる間に登録を済ませ、フジャンをゴブリン居住区に下がらせる。
コブリン監視を命じていた羽妖精スリンとコルジァを交代させて転移魔法陣に登録するようにと命じた。
ネームレス自身は地上出入口の転移魔法陣にて階段部屋に先に転移してスリンの到着を待つ。
骸骨兵達は待機していたインプを護衛してDM室を目指しているはずであり、ネームレスは今この瞬間だけ完璧に独りだ。
ミノタウロス戦後から動いてばかりいて消費した魔力を回復できておらず、壁に背を預け腕を胸の前で組むと目を瞑り休む。
立ったまま休むくらいなら転移が可能になったのだからDM室の玉座にでも座って休めばと思わないでもないが、寝落ちしそうなのでネームレスは立ってスリンを待つ。
昨夜は眠るのが遅かったのに起きるのは早く、訓練に魔力補充に本の調査と昼寝やらする暇はなかった。
イースやスチパノ達が攻略にてこずるようならば危険だとしても再び打って出る積もりでいたのだ。
ミノタウロス戦以外は苦戦らしい苦戦もなかったので、ネームレスはDM室で待機していたが。
あくまで念の為、スチパノ一行がボス部屋近くまで来てからは魔力を施設維持用にと補充していた作業も控えて魔力を温存、ダンジョン内監視機能にて姿を追っていたが、自身が打倒したミノタウロス相手にスチパノが苦戦するのはネームレスとて予想外である。
どちらかといえば、スチパノとミノタウロスの戦闘から何か学べないか、そういう意味合いで見ていたのだ。
スチパノ達の苦戦に慌てて増援に駆け出し、幸運にもミノタウロスの咆哮が終わった瞬間にボス部屋に入室した為にネームレス達は影響から免れる。
そしてキースを粉砕するのに手間をかけたのでスチパノに突撃するミノタウロスに魔法攻撃が可能な距離まで接近できたのだ。
スウ、インプ、シーザー、キースが戦闘不能に追い込まれる。インプにいたっては死にかけたが、犠牲を出さずにミノタウロスを撃破したのだった。
スチパノ救援までの流れを思いだして問題点の洗いだし、反省点や改善策を考慮しつつ休んでいたネームレスの肩が少しだけ重くなる。
お待たせしました、と静寂に包まれた室内でもネームレス以外には聞き取れないように報せたスリン。
「……行くぞ」
目を開くとネームレスの邪魔をしないようにと気配を消して側に控えていた骸骨兵長イースを供に二階層へ降りていくのだった。