三章第二十五話
早朝、地下迷宮中核部応接室。
応接室とはDMであるネームレスが定めた名称ではなく、魔物の創作などで使用する空中ディスプレイに写されるダンジョン全体像画面で確認した物だ。
ネームレス自身は当初この部屋を倉庫と呼んでいたように、何の情報もなしに応接室と結び付けるにはドアと扉以外何もない部屋では難しい。
もし、システムで応接室と表示されなければ、今も倉庫と呼ばれていただろう。
今は部屋の片隅にテントが張ってあり、背嚢などが多少乱れていたが几帳面に置かれている。
だが、他には何もなく石畳がむき出しの床、壁紙などもない無骨な壁、天井などシャンデリアなどの器具光源は見当たらず床に置かれている魔法の道具のランタンだけが室内に明かりをもたらしていた。
このテントや荷物は豚人スチパノの寝床であり、荷物は野営、採集用の装備や道具類である。
昨夜、床につくのが遅くなったネームレスだが、日頃の習慣から目覚めるのがはやく応接室にて汗を流していた。
早朝訓練には骸骨兵長イースを中心とした骸骨兵監視と技能修得時間検証の為に参加していたのだが、もはや日課となりダミーダンジョン創作にて骸骨兵達を見れない時も修練している。
ネームレスと共に中核部強制転移で一階層と分断された、小鬼族長フジャンと枝悪魔コルジァの側仕え組は食堂の片隅でまだ夢の中だ。
六尺棒を手に素振りをしていたネームレスだが、指導役のイース、豚人スチパノが居ないと正しい姿勢で素振りが出来ているか解り難い。
全身を写せる姿見を購入すべきか、頭のメモ帳に検討事項として記すると、ネームレスは足捌き、体捌きなどの基礎訓練を中心に約三時間程の時を修練に費やした。
ネームレスが修練に汗を流していた頃、イースやスチパノら捜索隊が二階層固定ダンジョンに突入する。
ゴブリンが二部隊、仮設補給基地設立や剥ぎ取りなど回収にラン率いる四名が、他ゴブリン四名の部隊が二階層と自然洞窟偽装ダンジョンを転移魔法陣を利用しつつ補給品の運搬にと慌ただしく行き来する。
農場部屋で働く魔物達はなるべく普段通りに行動を、ゴブリンの幼生体であるコブリンも二名のゴブリンに見守られながら巨大鼠を相手に、狩りや訓練に励む。
インプも四名が捜索隊に、二名は緊急連絡員として農場部屋詰所で待機している。
そんなネームレス配下魔物の中でも羽妖精スリンは立場が微妙だ。
ネームレスの所在不明である現状、前々からの取り決めでエレナは全権代行者として魔物達の頂点に君臨する。
だが、そんなエレナであってもスリンへの命令権は、唯一の例外事項として与えられていない。
動揺から様々な問題が吹き出る農場部屋の統括、捜索班への補給物資移送監督などで多忙な事も相成りスリンの存在は誰からも忘れ去られていた。
幾ら忙しいとはいえ食事の用意が必要ならば、そんな失態を晒さないエレナなのだが。
スリンの食事は花などの蜜で、女淫魔ヴォラーレの寝床である農家部屋の農地で育てられた花々から自力で摂るかネームレスの手ずからに与えられている。
そんなスリンはスチパノを監視する要員として創作された。
いかんせん、無駄に有能なスチパノに気付かれないようにせねばならない上、偽証されたり裏切られないようせねばならず。
加えて、創作Pが残り少なかったネームレスとしては、強化に必要なPを不利な技能を付与して稼ぐしかなかった。
本来ならば好奇心が旺盛で陽気な悪戯好きなピクシー(小妖精などもそうだが)であるが、そんな性質では隠密働きには不向きである。
ただ種族固定技能不可視化は偵察や監視に有効なので、性格改造も含めてカスタムを施す。
何故こんなスキルがあるのかネームレスを悩ませたがスキル社交不安障害――精神疾患の一つ、他者を前にすると強い不安感を感じ吐き気や震えなどに襲われる――(重度)を付与した。
これだけだとネームレスとも交流が出来なくなってしまう為、他にも様々なスキルを付与された結果、スリンはネームレスにだけ心を開き他者を忌避するようになる。
連携を重視するネームレスとしては苦々しい改造となってしまったが、監視要員としては極めて優秀な人材となっていた。
短時間で心酔させられるカリスマも手腕もないネームレスとしては、創作段階で手をいれて性質で掌握するしかない。
ならば創作するすべての魔物にスリンと同じようなカスタムを施せば裏切りを恐れる必要はなくなりそうだが、今の処ネームレスは無能な働き者を欲しておらず。
諫言出来ぬただの肯定者を側近にする予定はなかったのだがそこは妥協した。
事実、スチパノに察せられずに監視任務をこなした実績もある。
スチパノが監視に気付いていたが放置していた可能性はあるが。
コブリン教育も一息つき、スチパノがネームレスと行動を共にする機会が多くなった時点で、スリンの監視対象がコブリンに移行していた。
その為にネームレスの捜索に単独で赴きたい想いも強かったスリンであるが、己をおいて逝かれるはずがないと信じてコブリンの監視任務に従事している。
時間は進む、スチパノ班が愉快な山羊人と羊人の大群を、イース班が弱粘液と巨大蜥蜴の大群を虐殺していた頃。
鍛練を済ませシャワーを浴びたネームレスは食堂キッチンにて久々に料理に挑んでいた。
とはいえ、主食のパンは人造人エレナを中心とした料理人(魔物?)達が焼いた物が冷蔵庫(型の食料庫)に入っていたので、卵をフライパンで目玉焼きにしただけだが。
パン、チーズ、目玉焼き、ミルクの簡単な朝食を三人前用意、フジャンと共にテーブルへ運ぶ。
「ぁぅぁぅ、すみません、ネームレス様に料理を……」
「構わん。フジャンもコルジァも気にするな」
人間に換算すれば七歳か八歳ぐらいの身長のフジャン、体長が三十センチぐらいのコルジァに成人が使用する前提に設計されているキッチンが使えるはずもない。
フジャンもダミーダンジョン創作時にはエレナがあらかじめ用意していた湯で戻すだけの携帯スープを作るぐらいはしていた。
スチパノがダミーダンジョン創作に参加するようになると、料理関連は彼が一手に引き受けていたが。
ネームレスは恐縮するフジャンとコルジァをなだめて朝食を済ませ、洗い物も片付けた一行は執務室へ。
執務室備え付けの椅子に座ると地下迷宮の維持魔力を補充、念のために創作Pを確認するも残り使用可能Pは10Pと変わらず。
やはりというか当然というべきか、敵対的とはいえ同じ地下迷宮で創作された魔物を打ち倒しても加算はない。
中鬼オクルスを処分した時と違い、固定ダンジョンで自動生産される魔物からならばあるいは、こういう風に多少期待していたネームレスとしては残念な結果である。
魔力を回復させるのに平行して、二階層固定ダンジョン創作により、追加や変更された内容がないかと説明書とカスタム本を手にDM室の玉座へ。
玉座に腰を据えたネームレスは、救援隊が突入していないかと第二階層固定ダンジョン内部を空中ディスプレイに映す。
「あ、ランさんです!」
「デンス様も一緒に行動されてますね」
玉座の背後で控えていたフジャンと、ランタンなどが置かれているサイドテーブルの上からコルジァが画像を覗いて喜びの声をあげた。
画像にはデンスともう一名のインプが三匹の巨大蝙蝠と空中戦、唐辛子爆弾卵を抱えてバットからの攻撃を避ける。
バットが体勢を崩した処に矢が羽を貫き、床に叩き付けられ「キィーー」と断末魔をあげ動かなくなった。
床を見れば、他にも二匹のバットが息絶えており、巨大蜘蛛と争う三名のゴブリンの姿も見える。
死角になり易い頭上から攻撃してくるバットをインプが引き付けランが弓矢で仕留め、ゴブリン三名がランを守りながらスパイダーを槍で刺し、跳び掛かりや飛ばされる糸を盾で防ぐ。
冷静に互いを援護し合い、しっかりと連携を取るゴブリンとインプの前にバットは全滅しスパイダーは二匹逃げ出して戦闘は終了した。
デンスらが警戒する中、ラン達ゴブリンは死体から素材を剥ぎ取る。
そこまで確かめたネームレスは画像を次々と切り替えてイースやスチパノの様子も目に入れ、一階層の様子も確認。
農場部屋鶏小屋。
「ぁぅぁぅ、ネブラさんが鶏に突っつかれ追いかけられてます……」
「あ、泣いた」
農場部屋食堂キッチン。
「プリア(プリへーリア)ちゃんとチリン(チャーリーン)ちゃんが分身してます!?」
「リーンではあるまいし残像ですよ、フジャン。
のんびり屋のチリンが必死の形相で調理してますね。
ネームレス様、この画像は早送りしているとか?」
そんな機能はない。
入浴部屋。
画面に『プライバシー保護機能が働きました』と表示されるだけであった。
一通り見てまわったネームレスは問題なかろうと説明書を手に取りページを開くと読書に集中する。
フジャンは瞑想を、コルジァはやる事が見つからず人形のように微動もせずサイドテーブルに座っていた。
ネームレスの発見を託された捜索隊は固定ダンジョンの魔物に立ち阻まれるも迅速に撃破し攻略を進めている。
イース班とスチパノ班が部屋や通路を合計四十七箇所踏破、スチパノ班が遂に第二階層固定ダンジョン最深部であるボス部屋の大門を開く。
イース班が捜索した箇所は結局、あのマーラモドキが居た通路奥の部屋で行き止まり、現在は最初に別れた仮設補給基地となっている階段部屋から出てすぐの部屋を経由してスチパノ班が捜索を進める地区に向かっていた。
二班の活躍により固定ダンジョン内の魔物は巨大蝙蝠、巨大蜘蛛、巨大蜥蜴の巨大シリーズが三種、魔獣種の灰色狼、食肉赤花、胞子茸の植物系が二種類、弱粘液、山羊人と羊人の妖魔系二種で合計九種の魔物を確認、撃破している。
ボスに相応しい広大な部屋内に無数の柱が立ちドーム状の天井と繋がっていた。
インプが天井高く舞い上がり魔物を探し、スチパノと骸骨兵が機械式弓を手にした弓兵を背後にゆっくりと歩みを進める。
そして遂に固定ダンジョンを守る最後の魔物たる牛頭人をスチパノ班が発見した。
ミノタウロスはスチパノ達に腰を落として背中を見せる姿で「……モッ、モヴォーー!」と肩や背筋、二の腕に脚の筋肉に力をいれて盛り上げ周囲に汗の雨を撒き散らしている。
骸骨兵スウが右側に、シーザーが左側に広がり、弓兵キースとスークが片膝を付きクロスボウの照準を合わせた。
最後の弓兵ケースはミノタウロスの前面に室内にある柱を利用して見つからないように大きく迂回しながら向かう。
そのような動きで侵入者に気付いたミノタウロスが立ち上がると振り返る。
血走った目に涎をだらだらと垂らす牛頭、二百五十センチはある身体は大量の汗でテラテラと光り肥大化した筋肉でおおわれていた。
その様子にまた色物かと片眉を上げたスチパノだが、ゼェゼェと肩を上下させ目が虚ろなミノタウロスに思考を切り替える。
床に転がされている巨大な両手用戦斧に一瞬だけ視線を飛ばすスチパノにミノタウロスは手に持つ両手用戦斧を横向きに振り抜く。
スチパノは上体を後ろに反らして回避、体勢の崩れたミノタウロスの太股にそれぞれ槍を突き刺すスウとシーザーだが分厚い筋肉に弾き返される。
いかんせん骨しかない身の骸骨兵は、どうしても重さが足りず、殺傷力を出すのに速度に頼らなければならない。
これ程までに体格が違い、体重がある相手だと刺す武器である槍は筋肉に阻まれ通すのが至難だ。
そこにキースとスークのクロスボウから矢が放たれるも一本は戦斧で、もう片方は身体を捻る事でかわされる。
インプが卵をぶつける隙をうかがうも油断なく視線で牽制され難しい。
弓兵の二人は槍が通用しない事から小弓での攻撃は無駄と判断、クロスボウを引き絞り準備を進める。
ミノタウロスは攻撃が効かない骸骨兵を無視して、インプと弓兵の動きに注意しながらスチパノに息もつかせぬ猛攻で襲いかかった。
右から左に戦斧が空気を切り裂いてスチパノの上を通り過ぎ、短剣がミノタウロスの腕に叩きつけられるも回避や次の攻撃への備えで体勢が整わないのでダメージが与えられずにいる。
スウやシーザーも槍ではどうにも成らぬと見て槍を捨て、スウは騎士剣を、シーザーは小剣を抜き盾を構えて接近を試みた。
タイミングを合わせてシーザー、スウと左右からミノタウロスの脇腹目掛け剣を真っ直ぐに構え突撃する。
だがスチパノへの攻撃を兼ねた右から左の振り抜き、スチパノは回避するも左側から突撃していたシーザーは戦斧の一撃で吹きとばされた。
斧の軌道に盾を割り入れられた事、当たる瞬間衝撃にあらがわずに跳んだ事により両断にされる事は防いだが盾を粉々に砕かれ自身は柱に叩きつけられる。
その間にスウの騎士剣がミノタウロスに吸い込まれ加速と剣自体の重量もあり半ばまで突き刺さった。
グモヴォーー!
激痛で絶叫をあげつつもミノタウロスはスウに戦斧の石突きで攻撃を加える。
盾で防ぐも盾、左腕、硬化革鎧、肋骨と貫通、背中から両手用戦斧の石突きと柄を生やしてミノタウロスの怪力にて頭上で飛ぶインプ目掛けて弾丸代わりに撃ち込まれた。
予想外の攻撃にインプは回避もままならず、スウに巻き込まれながら床に叩きつけられボロボロにされる。
ミノタウロスの脇腹にささる騎士剣にはスウの右手が握りしめたままの形で肘から先がついたままだ。
ミノタウロスがスウとインプに意識を向けている間にスチパノの両の短剣が腹筋の筋肉と筋肉の狭間を根元まで貫く。
ミノタウロスはインプにスウを投擲した為に上の位置にあった石突きをスチパノ目掛け降り下ろす。
抜く暇はない、スチパノは腹部に刺した短剣から手を離し後ろに飛び避ける。
そのタイミングでスチパノの援護を兼ねたクロスボウの狙撃がミノタウロスを襲い二本は避けられるも、結果的に伏兵と化していたケースの狙撃が背中に深々と突き刺さった。
ピキピキと牛頭、腕、身体から太い血管が浮き出て、目が白目の部分も含めて深紅に染まる。
狂戦士化、一定の負傷や痛みなどで理性を失うかわりに尋常ではない力とタフネスぶりを発揮して目に見える全てを破壊しつくす。
ヒュゥーーーッ、とミノタウロスは鼻から胸が倍の大きさになる程に空気を吸い込む。
隙だらけのミノタウロスだがスチパノは耳を塞ぎバックステップで距離を稼ぐ。
トン、トン、トンと三度目のバックステップ中にミノタウロスの大咆哮が室内を震わせる。
音として認識出来ない程の咆哮に距離を取り耳を塞いでいたにも関わらず全身を揺さぶられ鍛え難い鼓膜を通し脳にダメージを受けてうずくまってしまう。
スウとインプは床に叩き付けられてから動きが見られず、シーザーは柱にぶつけられた時に左腕と左足を折り行動不能に。
弓兵三人も咆哮の衝撃で転ばされてしまっていた。
ミノタウロスは破壊衝撃の赴くままに手近に転がっていたキースに戦斧を何度も降り下ろし革鎧も小弓も小剣も転がされても手放さなかったクロスボウもバラバラに粉砕されてしまう。
スチパノは脳へのダメージで視神経がやられ視界が殺され、朦朧とする意識を何とか戻そうと頭を左右に振っていた。
その動きが気に触ったのか狂戦士化したミノタウロスはスチパノに向かい突進するのだった。




