三章第二十話
小鬼の子供達にハブとディギンが食糧を差し入れた。
だが、増員作業で体力や精気を吸い付くされ気味な上に、戦闘訓練、コブリンの監視などが加わり半死半生な二人が大量の食糧を用意したり運べるはずがない。
それが可能となったのも地下迷宮の主ネームレスが段取りを整えたからだ。
食料品の管理も担当する人造人エレナが犬人調理師プリへーリア(プリア)、チャーリーン(チリン)と共に食糧を麻袋に詰め、それを荷駄鞍に積んだ一角獣ユーンが運ぶ。
そして同行した人造人ネブラの手で麻袋はコブリン用寝床前に降ろされ、ハブとディギンが内部に引き摺りいれる。
この時、ネームレスからの差し入れで、生卵と大蒜が二人に渡されていた。
ハブとディギンがいるのにネブラが同行して荷下ろししているのは、荷馬となるのは承知したがゴブリンが己の身体に触るのを嫌がったユーンの希望でだ。
これがただ我儘からの希望だったのならば、豚人スチパノ襲撃他の罰として申し付けた事なのでネームレスも許さない。
だが、命を落とす事態に発展する可能性がある、となればユーンをまだ殺す積もりのないネームレスも希望を聞き入れた。
ユニコーンが純潔の娘を尊び魅せられ心を許すのは、彼女らが生命に満ち溢れている為だ。
そしてユニコーンはそんな娘と触れあう事で、本質ともいえる生命を司る力を強められる。
逆に男など汚れたモノに触れ過ぎると力が落ち、身体が黒く腐っていき命を散らせてしまう。
この話を魔法嘘感知を使用してユーンから聞き取り、技能魔物知識(広域)を所持するスチパノに裏を取ったネームレスはネブラに手伝いを打診した。
スキル魔物知識(広域)、ミニチガンに生息する魔物の広くて浅い、名前、魔物素材箇所、生態や習性などの知識を身につけるスキルだ。
ユーンに同行して荷物の積み降ろし、これをエレナに命じるのは役不足とネームレスは判断、女淫魔ヴォラーレでは意味がない。
となるとまずはネブラ、彼女の仕事の都合が悪いならコボルト調理師プリア、チリンのどちらかに命じる積もりだった。
何故先にコボルトに命じないのかは、身長の問題でユーンからの荷下ろしが困難だからだ。
こうした段取りをネームレスが整えたのも、コブリン達の洗脳が一段落した為である。
イチジョ、イチオの最初のコブリン生誕から約二十日、ネームレスの意を受けた武術師範スチパノがほぼ付きっきりで施した。
ネームレスも初の試みであり半ば失敗するだろう、最低限度の訓練を施行出来れば十分と考えていたのだが。
スチパノはネームレスの想定した最上に近い形で成し遂げていた。
地下迷宮生産施設農場部屋詰所。
疑似太陽が昇ったばかりで肌を刺すような寒さの中、サツマイモが詰まった麻袋を荷駄鞍に乗せたユーン、荷下ろしに同行するネブラを見送りにエレナが何故か二メートルもある虫取り網を片手に来ていた。
「皆、おはよう。(ゴブリン)女性陣がさがったので、食糧の運搬を頼む」
詰所に入って来たスチパノが部屋に居た魔物達に、にこやかに挨拶をして恒例になって来ている報告をする。
スチパノが来る前にフジャンがランと共にゴブリンの朝食を取りに来ており、同じ麻袋一杯に詰められたサツマイモを、一足先にゴブリン寝床部屋へと持ち帰っていた。
ネームレス、ゴブリン、骸骨兵の訓練を指導しているスチパノは、ゴブリン勢が調練を終えて寝床に戻ると報せに来ている。
コブリンへの食糧提供はネームレスの意向で、ハブとディギン以外のゴブリンには、それこそ側仕えのフジャンにすら内密にされていた。
スチパノがネームレス、フジャンと共にダンジョン創作に赴いている時はイースが報せに来ている。
スチパノが報告へと足を運んでいる間、ネームレスは骸骨兵長イースから身体中に青アザを量産されていたりしていた。
「間合イヲ確リト取ラレマセ」
(無理、いてっ、は、速いって、いたたったっ、ぐふっ)
「足元モ、ゴ注意ヲ」
(弁慶の泣き所は駄目ぇっ、避けた、よけれた! 格好付けて、「手加減無用」と言った過去の自分を殴りたぎゃぁ!?)
「訓練中ニ考エ事デスカ?」
(スチパノならば、もう少し接待的くんっ「げぇっぐふぅ!?」
朝食前で良かった、と口から何かをリバースさせながら床に沈み、遠くなる意識の狭間でそう思ったネームレスである。
プリアとチリンが追加され、朝の忙しい時間帯にも余裕が出来たので、エレナとネブラもコブリンの食糧を用意したり、荷下ろしに同行したりと出来ている。
エレナはスチパノの報告を受けたら、ネームレスの朝食作りに専用の食堂へ向かう。
「おはようございます、スチパノ様」
「おはよう、スチパノさん」
詰所を寝床にしている枝悪魔達とユーン以外、エレナとネブラが挨拶を返す。
一応、和解しているスチパノとユーンだが、やはり仲が良いとはいえない。
もっともユーンが一方的に敬遠しているだけで、スチパノは微塵も気にしておらず。
そういうスチパノの余裕がある態度、乙女らからの人気にユーンがますます意固地になっているのだが、特に文句を言ったり攻撃に転じるなどと行動に移していないので放置されていた。
同じ部屋内にそんな二人が居れば空気が悪くなりそうなのだが、詰所内は別の緊張感に包まれている。
そう、普段通りのメイド服姿で立っていても地につかんばかりの黒髪をポニーテールにして、口元に穏やかな笑みを浮かべているが切れ長の蒼眼は鋭いエレナが虫取り網を槍、いや薙刀のようにスチパノに構えている為だ。
しかし、エレナの視線はスチパノに注がれておらず、彼の頭上部を中心として四方八方に油断なくめぐっている。
スチパノは苦笑しつつも自然体でエレナを見守り、ネブラは「……先輩」と心配そうに、インプは天井に張り付きエレナからの眼差しから身を小さくして震えながら隠れていた。
冬(地下迷宮内だが)とはいえ太陽(疑似だが)が昇り気温が上がっているはず。しかし詰所内はエレナが発する冷気で冷凍されんばかりだ。
《では我はネームレス様からの命に従い、ネブラを供として物資運搬の任に》
白馬の額に黄金色の角を生やしたような風体のユーンが詰所からの逃亡を謀るも、エレナからの
「ユーン様、申し訳ありませんが羽虫は何処にいますか?
気配を探っておりますが、詰所内にいるとしか解りませんの」
という問い掛けで脚が動かせなくなる。
エレナが羽虫と呼ぶのは羽妖精スリンであり、処女に鼻が利くユニコーンのユーンは、技能不可視化で姿を消していても正確な居場所を察知していた。
スチパノですらインビジブル発動中のスリンは感知できず、部屋内に居ると感じられるだけでも凄まじい。
ただ、ユニコーンの守護対象である純潔を守る娘たるエレナとスリン、そのどちらにもつけないユーンとしては黙秘を選びたかったのだが、本能からの警告に従い白旗を上げた。
《うむ。それ(スチパノ)の頭部を盾に……》
「スチパノ様!」
ユーンが喋っている途中でエレナは鋭くスチパノに警告を飛ばしながら虫取り網を繰り出す。
回避に失敗していれば首を持っていかれたな、と一瞬前まで己の頭があった場所を空気を焦がしながら通過した虫取り網を見て、スチパノはそう評価した。
能面のような無表情でしばらく残心していたエレナだが、今日も捕らえられず。
「では私はネームレス様の朝食を用意に向かいます」
油断なく虫取り網を構えながら詰所から出て行く。
ネームレス以外と交流しようとしないスリンを心配した、エレナやネブラを始めとした内政班があの手この手で捕まえようとする策の一つである。
余計に逃げられている感はするが、穏やかな交渉は悉く失敗しており、致し方ない面もあるのだ。。
ネームレスに相談を持ち掛けた事もあったが「スリンの好きなようにさせておけ」とにべもない。
コブリンは訓練期間中なので除外するとしても(将来的には戦闘班だろうが)魔物達には役割を与えられている。
当初は内気で恥ずかしがり屋らしいスリンに配慮しての、歩みよりだったのだが仲立ちをネームレスに進言したとき知り得た彼女の役職がエレナの目的を変えてしまう。
ピクシーのスリンに与えられている役職は、ネームレスのペットである。
スチパノやインプ長デンスは、スリンには他の魔物達に伏せられている役目があり、その為に欺瞞としての役職名だろうと冷静に受け止めていた。
だがしかし普段ならばスチパノ、デンスに勝るとも劣らない察しの良さを発揮するエレナは、あまりにも(彼女からすれば)素敵役職に暴走を開始、スリンを羽虫と呼び出して虫取り網を持ち出す。
それ以外は今まで通り、有能で優しいエレナなので問題はおきていないが、そろそろネームレスに彼女の暴走を報告すべきでないか、という声が魔物らにもれ出している。
エレナの後ろ姿を心配そうに見送るネブラだった。
ちなみにスリンはエレナから虫取り網で追い掛けられている事をネームレスに報せていない。
そんな一見平和なようだが様々な問題を抱えつつも地下迷宮創作は進む。
本拠地の自然洞窟偽装ダンジョン部にある、地上出入口に繋がる小部屋から西(左)に真っ直ぐ通路を創作範囲限界まで掘り進み、今度は北(上)へ再び真っ直ぐ掘進。
北側限界範囲で二階層への階段(予定)部屋を創り、迷宮らしくなるように部屋、通路、罠などを創っていた。
西進、北進する通路は地下迷宮側の近道として利用する。
地下迷宮を攻略せんとする侵入者に使われないよう、二重の隠し部屋、落とし穴というか空堀を創る予定だ。
攻略者の心理としてダンジョンに入ってすぐの部屋に隠し扉があるとは思わないだろう、とネームレスは予想している。
例え、油断なく慎重に調査され発見されても、隠し部屋にまた隠し扉があるとは知らなければ気付くのは難しいだろう。
よしんば突破されても、幅を最低五メートルはとる通路に続くドアがある壁から掘られている空堀を前にすれば、魔法などで空中にとどまる事が出来なければ通路に続く扉を開けれない。
ちなみに魔物が移動する時は、通路に置いてある板を堀にかけ並べて橋にして渡る予定だ。
重量がある魔物や馬は無理だろうが、今現在のネームレス配下魔物戦闘員は骸骨兵とゴブリンのみ。
例外としてスチパノが居るが、彼に関しては心配するだけ無駄だろう。
水面を歩くには、右足が沈む前に左足を、左足が沈む前に右足をと繰り返せば良い、とばかりにとんでも技術を実践してくれそうだから。
ネームレスとしてはスチパノが壁走りしても驚かないと思う、実際目にしたら腰を抜かすかも知れないが。
だが現状は創作用のPが少なすぎて、隠し扉を創作できないので予定しているだけである。
コブリンらの育成も一段落した、と判断したネームレスは、予定通りダンジョン第二階層を2500P使い固定ダンジョン化した。
固定ダンジョンとは、部屋、通路、魔物があらかじめ用意されているダンジョン階層である。
創作魔法や、Pを消費して部屋や通路を個々に創るより必要なPが多くなりDMや他の階層魔物を襲ったりする欠点もあるが、魔物を倒されても再出現したり食糧提供が必要なかったりと利点もあった。
これによりネームレスの手元に残ったPは僅かに10Pのみ。
春が来て雪が消えるまで、もう問題が起きない事を願うしかないネームレスである。
しかし早々に、ここで想定していなかった問題が発生した。
第二階層を創作したので、地下迷宮中核施設である、DM室、執務室、応接室、食堂、寝室などが第二階層最奥地点に転移したのだ。
そして自然洞窟偽装部にある地上との出入口にもっとも近い部屋、西(左)に第二階層への階段があるダミーダンジョンに続く通路、東(右)にはゴブリン居住区に続き、南(下)に地上への出入口がある小部屋に転移装置である魔法陣が出現する。
転移魔法陣は出入口間近の部屋、降下階段のある部屋に刻まれ、DM室では召喚魔方陣のように使用時のみ具現化する。
使用方法は簡単で魔法陣に乗ると、空中ディスプレイに魔法語で、跳べる部屋の一覧が出されるので行きたい部屋を選ぶだけだ。
ただし使用するには、一度その魔法陣に触れ(踏む)なければならない。
DM室の玉座にて、第二階層創作と同時に説明書が光り、本を調べたら記載が増えており、ネームレスはこれらの事を知った。
魔物を召喚する訳でもなく、危険性はないだろう、とスチパノはコブリンの指導、スリンはコブリンの監視、骸骨兵とゴブリンは自然洞窟偽装部大部屋で調練中である。
内政班は農場部屋で仕事中であり、DM室に居るのは、ネームレス、側仕えのゴブリン族長フジャン、インプ伝令コルジァ、の三名だけだ。
フジャンも最近は武器を扱う訓練に励んでいるが基本的に後衛の回復役、コルジァは戦闘能力を極限に削られた偵察・隠密任務を重視された非戦闘型。
すなわち、ネームレスは戦力が限り無く零に近い状況で第二階層という仮定敵対勢力に主力と分断され孤立化したのだ。




