三章第十九話
ネームレスの地下迷宮は、Pを消費する魔物創作に頼らない魔物増員を成功させた。
すなわち小鬼達の出産である。
代わる代わる産み落とされ、最終的な子供の数は十五人、内訳は男が十二人、女三人だ。
妊娠中の予想より少ないが、初産に加え群れ(ゴブリン一族)が安定しているのでこんなものだ、というのがフジャン、ランとネームレスが話し合い出した結論である。
この日の為にゴブリン居住区はネームレスの手で改築済みであり、拡張されていた。
ゴブリン達が寝床に使っていた部屋の隣(北(上)側)に、子供用の寝床、その奥(東(左))に専用の訓練場を。
訓練場の東、北に二部屋、南(下)に小部屋、ここまでをネームレスの創作魔法で創り出す。
小部屋の内三部屋を4Pで繁殖部屋に内装変化、一部屋を飲み水をわかせ排泄用の穴に3P、10Pで巨大鼠の集団を創作し配置していく。
繁殖部屋とはその名の通り、定められた魔物の妊娠、出産、成体までの成長、それらの速度が部屋内限定で加速されるようにする改造だ。
部屋内で必要な餌や水は魔力が提供される限り自動補充され、巨大鼠ならば一部屋で日に四匹から六匹の成体を排出可能である。
繁殖部屋内部の魔物は妊娠中、母体候補以外は成体すると、部屋から出なければいけない、と強迫観念に襲われて居座る事が出来ない。
逆に懐妊中、成体した雌でもっとも母体として優れている個体は部屋から出る事が出来ず。
部屋の効果で雌だけでみごもる事が可能なので、こんな仕様となっていた。
繁殖部屋に侵入は不可能な為に、他の魔物により食い荒らされ全滅する事はない。
この小部屋が三部屋で一日に十二匹から十八匹の巨大鼠が訓練場に放たれ、子供ゴブリン(コブリン)の訓練用獲物件食事とされる。
無論、最初から全ての小部屋に巨大鼠を配備しておらず、子供の数とバランスを取りながら増やしていく。
コブリンは産み落とされた時点で牙が生えており、授乳は必要なくそれ故にゴブリン女性に乳房はない。
もしネームレスがフジャンの外装カスタムを施していても、大草原というか、絶壁というか、どちらが前で後ろかという現状はどうしようもなかった。
羽妖精スリンに45P、これらの内装変化や巨大鼠に45P、合計90P消費している。
ダンジョン第二階層用に2500Pを確保しておくと、残りの使用可能Pは僅か10Pとなり、減り続ける預金通帳を見るかの如くネームレスを暗鬱な気持ちにしていた。
コブリン出産初日、二人のコブリンが生まれ一時間もせずに歩きだす。
この日に予定を合わせて執務室で執務を処理したり、計画を練っていたネームレスが、無事に産まれたと報せを受けコブリンを見てあまりにも可愛くなさすぎて絶句したが、何とか出産したゴブリンを労った。
早速、武術師範豚人スチパノとゴブリンレンジャーランがコブリンに戦闘訓練を施す。
その間にネームレスが巨大鼠を創作、繁殖部屋に転移召喚し、この日からコブリン選抜サバイバルが開始された。
これはコブリンを甘やかさず、互いに争わせて闘争心などを育てる処置だ。
そんなコブリンを、ラン、ハブ、ディギンで交代しながら二十四時間体制で監視している。
餌扱いの巨大鼠だが、生まれたてのコブリンらには強敵であり、下手すれば逆に喰われかねない為だ。
といってもゴブリンが手を出すのは、鼠が複数同時に出た時に牽制するぐらいだ、コブリンの経験を奪うような真似はなるべく避けていた。
見張り担当時間を終えランと交代し寝床に戻って来たディギンに。
「さ、ディギン。次を仕込むゾ」
「え゛!? いや、今日産んだばかりですから、腹を休ませた方が良いっす!」
「日が沈むまで、ガ ン バ ル ゾ」
語尾にハートや音符が付きそうなぐらい上機嫌な、本日出産したばかりのゴブリンにディギンが捕まる。
ネームレス様からの許可を、取ってあるゾ、えと休ま……、引きづられて行くディギンに「南無南無」とハンカチを片手に涙ながら見送ったハブだった。
赤玉が出かねないぐらい搾られるのは、もう勘弁なハブである。
二日目、この日は二人が出産してコブリンは六人になる。
やはり最初にスチパノが指導し、昨日生誕してそれなりに成長したコブリンには座学も施す。
武器は様々な長さの棍棒だけであり、スチパノは斧、槍、爪、牙、それぞれの基本的な扱いを教えるだけで、何を使うかはコブリン達に任せられている。
個々の判断力なども監視するゴブリンや枝悪魔が検視していた。
「ハブ、さ、ネームレス様のご期待に添いましょう」
「いや、ほら、俺も交代にそなえて寝なきゃ」
「キャハ、駄目駄目ぇ。天国につれていってよぅ」
男性陣が睡眠時間を削られるのは当然である。
「せめて一対一で、二人同時は……、あーー!?」
三日目、新たなコブリン誕生はなかった。
コブリンとはいえ六人に繁殖部屋が一部屋では、巨大鼠が少な目なのだが弱肉強食の掟に従い、武力、知恵、要領などが劣り衰弱、あるいは餓死するのも計算のうちである。
コブリン達は専用の寝床と訓練場から出る事、また食糧を持ち込む事も禁じられていた。
だが、初日は二人だけだった為に、激しい戦闘の末に撲殺した鼠が六匹、この内二匹は食事となって消えたが、四匹残る。
食べきれなかった鼠はスチパノに習い、内臓をくりぬき(美味しく食べました)熱湯をくぐらせ……、と保存食にされていた。
ちなみに監視に産後のゴブリンも組み込まれて、ハブとディギンの負担軽減がネームレスによりはかられる。
四日目、二コブリン追加、スチパノを置いて、フジャンとダンジョン創作に赴いていたネームレスにインプを飛ばす。
五日目、三コブリン産まれ、ネームレスにより巨大鼠が空いていた繁殖部屋に。
このように対処され、弱肉強食という魔物の掟と、スチパノからネームレス配下として相応しい精神の持ち主になるように洗脳、もとい矯正教育を施された。
その結果……
「ナナオ、クオは左から、ナナロウ、クロウは右から追い込め。ニスケはあたしと一緒に正面からいくぞ」
種族的に個人プレーに走りがちなゴブリンだが、コブリン達は役割分担し連携を取れるようになっていた。
コブリンらに名前は与えられていない。
基本的に子育てするという認識がないゴブリン族、その為産まれたその日から、自分の食い扶持は自分で稼がねばならず。
力も知恵も経験もない幼少のコブリンが生き延びられる可能性は低い。
これだとコブリンが群れに所属していても意味がなさそうだが、成体になるまでは見張りなどの仕事の免除、群れが確保している寝床の使用権などと一族に連なる利点はある。
専門の寝床や訓練場が用意されているコブリンには関係なさそうに見えるが、野良の魔物ならば安全に眠れるのは非常に大きい。
コブリンらの現状は現代社会ならば、まず間違いなく育児放棄で訴えられるだろう。
そんなコブリン達はネームレスから密かに命を受けたスチパノにより、自分たちで仮の名を付けれる名目と知識が与えられた。
それを元に初日に産まれたコブリンの名は、イチジョ(一女)、イチオ(一男)、二日目に合流した、ニジョ(二女)、ニオ(二男)、ニロウ(二郎)、ニスケ(二助)、と生誕した日付順に振られた数字との組み合わせだ。
ネームレスとしても郷に入れば郷に従えと、ゴブリンの生態や習慣を尊重する積もりであった。
だが、教育方針・内容を聴取すれば、いくらなんでもスパルタというか、殺すだけになりそうでネームレスがゴブリンに気取られないように介入する事を決意させる。
戦闘となれば、死ね殺せと命じる以上、普段はなるべく命令で押さえ付ける事を嫌ったネームレスの判断だった。
DM、創造主として、絶対者の強権という伝家の宝刀の威光を高めるという思惑もあるが。
これでスチパノがネームレスの考えに異を唱えれば、もっと手間隙を取られ諦めなければならない事も多くなったが、幸い賛同を得られた。
本当ならば繁殖部屋を創作する予定はなかったのだが、ゴブリン達の実戦式訓練方法があんまりだったので、創作に踏み切ったのだ。
このようなネームレスが陰になり日向になりの援助でコブリン十五人は、脱落者もなくすくすくと立派な成体へ、そして優秀な兵にと成長している。
ただ成長し体つきが成体に近付いて食事量が増えた事、繁殖部屋から鼠があまり出て来ない日などと食糧不足でコブリンらは飢えだした。
成体に近付く程に、産まれてすぐは鼠一匹は食べきれなかったのが足りなくなり出す。
特に栄養状態が良かったイチジョやイチオは、身体つきも立派で鼠二匹ぐらいなら余裕で食べきるだろう。
こうなると弱い者、産まれが遅く身体が小さいコブリンや、上手く鼠を捕れない者などが食べられなくなり衰弱してますます食べられずと悪循環に陥り、末に餓死か競争相手を減らすべく始末されてしまうのが普遍的なゴブリンの思考だ。
だが、スチパノから道徳教育も施されているコブリン達は、仕留めた鼠は公正で公平に分け与えられている。
こうする事により、同じ釜の飯を食った仲にさせ結束力などを高めさせる狙いで、こうなるように意識誘導した結果だ。
しかし、同時に指導されている合理的な思考から働きに相応しい配分にすべきではないか、そんな考えも空き腹を抱えたコブリンらに広がって来ていた。
それに加えて、このまま公平に分けていれば摂取不足からの栄養失調で身体が育ちきらないかも知れず。
弱肉強食と女性上位の本能にてコブリン十五名の頂点であるイチジョは、のたうちまわるよう苦悩の果てに、断腸の思いで五名殺す事を心に定めた。
もし、これまでの生活で働かなくとも食べられると手を抜くコブリンが居れば、それらを排除する事で間引きしていたのだが。
これにはスチパノの尽力があり、そんな兆候が見られたコブリンは迅速に矯正されていた為である。
尤も、集団生活ができそうにない、矯正不可能なコブリンがいればネームレスの許可もあるのでスチパノが訓練中の事故で退場させていたが。
そんなスチパノの厳しいが暖かい訓練に励まし合い耐え、力を合わせて巨大鼠と戦った、その鼠を分け合って美味いと笑顔を交わした……、これまでの共に過ごした苦楽の日々が誰を選ぶかと悩むイチジョの頭を過り瞳から心の汗が流れそうになる。
なるべく他のコブリン達に内心を悟らせないようにと頑張るイチジョだが、色々な経験が足りない彼女ではネームレスのように上手くはいかなかった。
もし、許されるのならば間引く者にまず己を選びたいイチジョ、だがコブリンらの指揮官であり貴重な女である彼女にそれは許されない。
苦悶で表情を歪ませ汗を滴らせるイチジョを見て、産まれが遅かった、ゴオ、ゴロウ、ナナオ、ナナロウ、クオ、クロウらが覚悟を決める。
五日目に産まれたのは、ゴジョ、ゴオ、ゴロウの三名だ。
名が示す通り、ゴジョは貴重な女性なので除外される。
コブリン達は大を生かす為には小を、上位者に死ねと命じられれば自ら死ぬ事も辞さないように育てられた。
叩き込まれた合理性が七名のコブリンらに、コブリン集団としての生存と発展には己が死ぬのがもっとも効率が良いと判断が出来てしまう。
ネームレスは、何も考慮せずにただ命令に従うだけの無能な働き者を必要としておらず、一から育てられるコブリン達は命令の意義を理解して従うか拒否するか判断出来るように教育されている。
その上で自らの命を捨てる事が出来るようにするという難題をスチパノは見事に成し遂げていた。
いくら洗脳に適した条件がいくつも重なっているとはいえ、これだけでもスチパノがどれだけ有能かと理解できる事項だ。
それでも死の恐怖に震えて、イチジョに志願が出来ないでいるが、死ぬ覚悟を、巨大鼠と同じ運命に殉じる腹をくくれただけでも尋常ではない。
歯茎から血が流れ出す程に牙を食い縛るイチジョ、死の恐怖に震えながらも殉じる覚悟を固めるコブリン男性陣。
そう、イチオやフタオらも食糧を多く消費する己が死ねば多くの数を残せると静かに死を受け入れていた。
緊張感が高まるコブリン達の訓練場に痩せ細り、本来ならば人間族に換算すれば十代後半ぐらいの青年であるはずなのに、百歳ぐらいの老人にしか見えないハブが入ってくる。
監視の交代時間であり今まであたっていたディギンと入れ代わるためだ。
だが、同じぐらい痩せ細り老けたように見えるディギンと共に、何故か訓練場や寝床の数ヵ所に置かれている小型段ボールの中を確認しだす。
これまでにない行動を取るハブとディギンに、訓練場にいたコブリン、寝床で休んでいたコブリンが注目する。
何時何時鼠が繁殖部屋から出てくるか予測が難しいので、コブリン達は三交代体制を整えて対処していた。
スチパノの教導は訓練場で行われており、その時に鼠が出てくればすぐさま実戦訓練として狩りに移行する。
全ての段ボールが空なのを確認、すなわちインプによる監視がないのを確かめたハブとディギンはコブリン達の前にネームレスより禁じられていた食糧を差し入れた。
鼠以外で初めてみる食べ物、十五人で分けても一人頭三から四個はある生のサツマイモに目を丸くするコブリンズ。
「……くぅ、食えっ……」
「ぅ、う、美味い、っ、っすっ」
ハブとディギンはカラカラに乾いた声でコブリン達に勧める。
コブリンらは顔を見合わせて困惑していた。
こんな事への対応はスチパノからまだ教わっておらず、コブリンはどうすれば良いか判断できない。
監視としてスチパノによるコブリンへの座学も見ていたハブは対応も学習済みだ。
「せぇ、責任はぁ、、せ、せぇ、先任の、俺が取るぅ」
この言葉を皮切りに、本能で目の前の物が食べ物だと確信していた腹ペココブリン軍団は、果敢にサツマイモで出来た山を攻略にかかる。
ラン、ハブ、ディギンの負担軽減にと出産したゴブリンも監視に組み込まれた。
だが、再び妊娠したり、子作りに頑張り過ぎてダウンして参加出来なくなるなどして、うやむやになり結果的に三人以外のゴブリンは監視から外れた。
ランも監視の優先順位が低く、ゴブリンが参加するより増員作業を優先させたので問題にならず。
男性陣に文句をいう権利も監視を休む許可もあるはずがなかった。
ハブとディギンは監視に、増員作業にと体力を消耗するのに睡眠時間は削られるという生き地獄を味わう。
入浴部屋の恩恵がなければ間違いなく死んでいた。腹上死で。
内々にネームレスから救援の手が差し伸べられてはいたが、後々に密告したと女性陣に誤解される事を恐れた二人から拒絶されていた。
だが、いよいよ命の危険をひしひしと感じだしたハブとディギンは、ネームレスにコブリンへ食糧の提供を願い出る。
男女比を埋めれば、誤解もされずに生き延びられると思いついたからだ。
そろそろコブリンへの食糧提供が必要と考慮していたネームレスも、わたりに船と許可を与えた。
このような経緯を経て、女性陣には秘密裏にコブリン達へと食糧提供がおこなわれている。
夢中でサツマイモを食べるコブリンらを見守り、巨体鼠への警戒にもあたりながらハブとディギンは奇しくも同じような事を思っていた。
(鼠との戦闘や餓死でなんて楽に死ぬなんぞ許さん)
(お前らも早く大人になって女性陣に御奉仕するっす)
深紅の瞳に暗い情念を燃やしコブリンを、正確にはコブリン男性陣に視線を注ぐ二人のゴブリン。
((お前らもこの生き地獄を味わえ)っす)




