三章第十八話
「姉さん、ご馳走だったね」
「そうね、ブリザ」
フルゥスターリ王国の村々から買い集められた奴隷二十一名の中で唯一の姉妹であるチュヴァとブリザ、姉であるチュヴァが妹のブリザの髪をときながら夕飯の感想を話していた。
賑やかで笑顔が溢れる食事を終えて、寝床である小屋に戻った――先程連れ出された犬人四人以外の――捕虜達がまったりと談笑、夢の中へ、と思い思いに過ごす。
そんな捕虜らの中で森妖精族の少女は、初めて出会った一角獣の事を考えていた。
聖獣としてエルフから崇められているユニコーンだが、彼女が生まれ育った森からは姿を消して久しい。
伝え聞いていた通り、いやそれ以上に気高い美しさを内包し自然と頭を垂れる威厳を発していた。
自分は今伝説を目にしているのだ、魂から震えるような感激に酔いしれる。
だから、少女達に責められて沈んだ事も意味不明に駆け出して投げ飛ばされた事も幻覚だったのよ、そう自分に言い聞かせて憧れたユニコーン像を守っていた。
だが、突然感じ取った強大な精霊の力にエルフの少女がガバッと立ち上がり、その端正な美貌に驚愕を浮かべる。
つぎに険しい表情でその方向へ警戒しだしたエルフの少女に、部屋内に残っていた人間族の少女達が彼女へと驚きの視線をあびせるのだった。
エルフの少女が察知したのは地下迷宮の主ネームレスにより刑罰として命じられた事を終え、泣き崩れた一角獣ユーンの絶望と悲嘆で発現しかねない程の悲哀精霊の力である。
バンシー、泣き女とも表現される精神、かなしみを司る精霊の一種だ。
《ひっぐっひっぐっ、ぐしゅぅぐしゅうっ》
念話でしゃくりあげるという器用な事をしながら、プライドが高いユーンが人目(魔物目?)も憚らず号泣していた。
その念話はバンシーの影響か、聞いているだけで暗鬱な気分にさせられる。
ネームレスは豚人スチパノの反応を観察しながら、エレナに目配せでユーンを泣き止ませろ、と命じた。
そわそわと落ちつきなくネームレスとユーンを交互に見ていたネブラ、エレナがユーンの元へと歩み出すと自らも駆け出して一足先に慰めだす。
このようにユーンを慰める為、人造人のエレナとネブラ、コボルトのプリアとチリン、流れ的についていった小鬼族長フジャン、水精霊ミール、住居精霊リーンの魔物女性陣七名がネームレスの元から離れる。
ネームレス、スチパノ、女淫魔ヴォラーレ、枝悪魔長デンスは苦笑気味に、そしてバーナード達捕虜コボルト四人はいたたまれない表情でその様子を眺めていた。
ユーンの会話方法は念話の為、泣き喚くのをそのままにしておくと、頭の中に直接泣き声が響き辟易した為でもある。
ネームレス自身は妥当というか刑罰の一つ、軽いジャブの積もりだったのだがユーンからすれば一発ノックアウト級だった。
難易度は高いかも知れない肉体再生を命じたが、これは医者や看護師が診察や治療で異性の裸を見たりさわるようなものだろう、そう思っていたネームレスからすれば、こんなに意気消沈するとは思っておらず。
ユーンが念話で泣き言をたれ流さなければ、ネームレスは反省してろと放置していたのだが。
無作為にとばされていた念話がおさまり、ネームレス達に聞こえなくなった時点でプリアとチリンを呼び戻す。
そして捕虜コボルトも加えて釘をさした。
「さて、先程も口にしたが、バーナード、ヴォルツ、シュラム、クイール、お前達を治療したのは今日までの働きに報いてだ。だが何か問題を起こせば……」
ネームレスはあえてはっきりとした事は言わず、コボルトらにわかるようネブラの膝に鼻先を埋めて鳴咽をもらすユーンを見る。
プリアとチリンはスカートに隠されていたが、コボルト達の尻尾が練習でもしていたかのように一斉に足の間に巻き込まれた。
「情欲に負けて女を押し倒す事があれば千切る、肝に命じておけ」
コボルト男性陣がネームレスの「千切る」にこめられた覇気に尻尾を巻いたまま内股となり、復元された箇所を両手でおおい隠し涙目でガクガクと何度も頷き了解する。
己の言葉が十二分に男性コボルトらに刻まれたかをスチパノの様子もうかがいながら確かめ、ネームレスは女性陣へと顔を向けた。
「さて、プリヘーリア、チャーリーン、時期を見て子を成す事を命じる。だが、この男の子ならばと思えぬのなら、無理せずに申し出よ、それまでの働き次第で好みの男を用意するなどを考えよう」
二人からコボルトの妊娠期間などを聞き出して、Pを入手するまで許可は出さないがゴブリンと同じく創作によらない増員の為に今から命じておく。
鼻先に人参を吊るすことによる仕事への動機付け、魔物や捕虜の掌握も試行錯誤段階であり、これもその一環である。
ネームレスがコボルト達と話している間に、エレナとネブラによりユーンは寝床にと指定された小屋へと誘導され泣き疲れて眠ってしまう。
エルフ少女の怪我治療、チュヴァ、ナーヴェ、ミラーシの体調回復、捕虜コボルトの肉体復元。
癒しの力を行使したとはいえ気絶やらが多すぎではなかろうか、農場部屋に来るまでイースから肉体面で、ネームレスから精神的にうちのめされた事を知らないエレナはユーンの評価をかなり下方修正していた。
ユーンの仕置き(第一部)を終えたネームレスは、エレナ、ネブラ、ヴォラーレ、フジャン、スチパノ、姿を消したままの羽妖精スリンを連れて彼専用の食堂へ。
プリアとチリンにユーンの面倒を任せ、デンスは詰所に戻り、ミールとリーンの精霊組は自由行動中だ。
農作物、家畜の管理責任者ネブラ、捕虜管理ヴォラーレ、地下迷宮管理統括エレナの内政官の幹部三名からネームレスは夕飯前に報告を受けるのが通例となっている。
だがまずはスチパノに仕事と役職を与える事に。
ネームレスはユーン襲撃事件後の事情聴取や雑談、イースを無傷で退けた武力、これらからスチパノを地下迷宮の武術指導員とする事は既に内定していた。
これからのやり取りは、他の魔物達への説明を兼ねた儀式的なものだ。
「スチパノ、武術を伝授するとしたら何が可能か?」
「そうですな、弓術、剣術、槍術……」
ちなみにネームレスがスチパノに付与した戦闘系技能は短剣、小型盾だけである。
だが、スチパノが自己申請したスキルは徒手を含む多岐のものを修めていた。
骸骨兵達との模擬戦での戦闘内容、偽りを述べるメリットが少ない事を考えれば、それだけ多様なスキルを所持している事になる。
ネームレスは驚くのも疑問に感じるのも疲れ果てて、スチパノはもうバグキャラでいいよ、と思考放棄気味だ。
ネームレスはエレナらの前でスチパノを正式に武術師範として任命、続けて内政関連の報告を受ける。
その後、ネームレスの夕飯ができるまで、スチパノを連れて訓練中の骸骨兵とゴブリンと合流する為に向かうのだった。
地下迷宮自然洞窟偽装区、大部屋。
骸骨兵長イースの監修下、骸骨兵、ゴブリンが訓練に励み武術を磨いていた。
だが、スチパノとの試合により骸骨兵は七体が行動不能、ゴブリンはラン、ハブ、ディギンとネームレスの側仕えであるフジャン以外の七名は妊娠中で激しい動きを禁じられている。
行動可能な骸骨兵はイース以外、弓兵でありその骸骨弓兵三体にランが加わり、弓術、弩術、特に弩を使った狙撃術に重点をおいて互いに指摘しあっていた。
喋れない骸骨弓兵とランのコミュニケーションは身振り手振りだが。
妊娠中のゴブリンは素振り、足捌き、体捌きを主とし、怪我や事故の心配が強い地稽古は避けている。
イースは棍を手に、練習用小斧のハブ、無手のディギンと実戦形式の乱取りをしていた。
そんな熱気に包まれた中、報告会を終えたネームレスがスチパノ、フジャン、相変わらず姿を消したままのスリンを共に顔を出す。
骸骨兵やゴブリンを集め、ネームレスはスチパノを武術師範位につけた事を説明する。
「承知致シマシタ。コレカラヨロシク指導ヲ願イマス」
「いえ、こちらこそ」
今まで戦闘班の実質的トップだった骸骨兵長イースが反対などを表さないからか、スチパノの強さを敏感に察した為か、ゴブリン達から異論が出る事はなかった。
イースとスチパノが話し合い、訓練の目標と過程、ゴブリンの妊娠などの注意点を申し送る。
ネームレスは、その様子を注意深く観察していた。
スチパノを高い地位につける事で、他の魔物に威張りちらさないか、礼儀を失する態度が出ないかと。
他にもイースが伝えているもの以外に、何か補足しなければいけないだろうかと伺っていたのだが問題はなさそうだ。
「イース殿と骸骨兵スウ以外の骸骨兵は槍以外の近接用武器がないのは問題でしょうな」
「ナラバ、ゴブリン達モ予備ノ獲物トソノ習熟ガ必要カ。ダガ、ネームレス様カラハ今身ニ付ケテイル技能を使イコナセト命ガアル」
「しかし、イース殿もそれだけではならぬと、剣だけでなく槍も修練されてるのでは?」
「ウム、槍ハ優秀ナ武器ダガ、柄ガ木デアル以上、戦闘中ニ切ラレカネン故」
「それならばやはり予備の武器は必須。弓兵と同じく小剣を骸骨兵の副兵装とすれば互換性もあるのでいいでしょう」
フジャンが用意した椅子に座るネームレスに二人が一斉に顔を向ける。
小剣が四本で仮想銀貨1600枚の出費か、そんな苦悩を魔物らに悟らせずにネームレスは了承を伝えた。
ただ続けて話題になったゴブリンの予備武器は、工兵働きも任せる積もりだから手斧(一個40枚)にするようにと命じる。
能力値から戦斧(160枚)を除外できたが、それでも十個で400枚、合計2000枚、魔物二体分の支度金を消費する事が決定した。
早速、武器の購入に執務室へと向かうネームレス、運搬員にと数名が同行する。
スモールソード四本、ハチェット十挺、訓練用の短棒などが多数、それらを、フジャン、ラン、ハブ、ディギンが持ち運ぶ。
「ぁぅぁぅ、なるべく早く戻りますね」
「戻る必要はない。フジャンも護身にスチパノから指導を受け、近接戦闘の技術を身に付けるように」
最後に残った武具を縛り背負い、両手に武器を抱えたフジャンは、驚きで目を大きくする。
「ひゃいっ! が、頑張ります!」
イースとスチパノの話を聞き、ネームレスも考えを改めて、第一線で戦えなくとも最低限の護身ぐらいはフジャンにも身に付けさせようと命じたのだ。
他にもスチパノの教導効率観測に近接戦闘技能を持たないフジャンを被験者にする為でもある。
「スチパノにはダンジョン創作時に同行を命じる。故に無理をして短時間で覚える必要はない」
そう伝えて、フジャンを見送り気配が遠退くと、ネームレスは腰のポーチから蜂蜜のはいった瓶を取り出す。
「スリン」
「お側に」
そう告げると空中よりにじみ出るようにスリンが姿を表した。
フェアリーショートの金髪から先の尖った耳が覗き、細い首を右に傾けて顎を引き、垂れ目の琥珀色した瞳を上目遣いで一途にネームレスへ向け、ふわっと机の上に降り立つと横座る。
人間サイズになおせば、股下数センチの超ミニで背中から生える四枚の羽を出す為に背が大きく見える桜色のドレス、緑色に染められたコルセットにも似た装飾具が腰の括れと胸の豊かさを強調していた。
下半身はパンティストッキングが包み靴はヒール付きグラディエーターサンダル、ネームレスが拘った脚線美をきわ立たせている。
右腰にポーチと水筒、左腰には鞘におさめられた真っ直ぐな剣状のものを差した姿だ。
ネームレスがスリンに左手人差し指を差し出す。
スリンは両手でその指を拝すると、恥ずかしながら爪先に何度も口付けて胸に抱き締めた。
「スチパノの監視、できそうか?」
「はい、ネームレス様。難しいとは思いますが、不可能ではないです」
ネームレスの指を放し、彼が用意した瓶入りの蜂蜜を猪口に注いだものを受け取ると、腰に剣のように鞘付きで差していたマイストローを抜き取る。
スリンはネームレスに視線で許可を得ると、音をたてないように注意しながら蜂蜜を口にした。
彼女の寝床を何処にするかの話し合いを済ませると、早々にスチパノの監視に向かわせる。
ネームレスは執務室で雑務をこなし、夕飯を済ますと今日は早めに寝室に下がるのだった。
ネームレスが寝室へ姿を消すと、エレナは鬼気迫る表情で洗い物を片付け、土煙があがるような勢いで着替えや肌の手入れ用具、香水などの化粧品を手にすると入浴部屋へと突撃する。
骸骨兵長イースが棍で槍の、ディギンは爪操技の、妊娠中のゴブリンは手斧の型稽古を。
ランはハブと訓練用の手斧で打ち合い、スチパノはフジャンに合う武器はどれかと様々な武器の基礎訓練などを見ていた。
ユーンは泣き疲れて眠り、プリアとチリンは裁縫道具を手に自分達に与えられているロングワンピースに尻尾用の穴をあける手直しに精を出す。
スリンとインプはネームレスから与えられている段ボールを被り任務に励む。
朝倒れたチュヴァ、ミラーシ、ナーヴァは不安を解消され久々に熟睡、人間族の少女らも爆睡中のなか、エルフの少女とコボルト四人は色々と悩み寝付けずにいた。
エレナは入浴部屋で(夜伽の)完全武装を整える。立っていても地につく長さの美しい黒髪は夜会巻きにし、普段は隠されている色気が滲むうなじを出す。
ネームレスの希望でエプロンドレスを外した、身体のラインがはっきりと表れる背中ファスナーの黒色ロングワンピース姿だ。
薄化粧を施したエレナは、興奮で濡れた吐息をもらすと下品にも駆け出しそうな身体を制してネームレスの寝室へ入る。
こうしてまれにみる忙しさだった地下迷宮の一日が終わりをむかえる。
ちなみに次の日もエレナはユーンから邪険にされるような事はなかった。