三章第十七話後編
農家部屋にて、土弄り、事情聴取、根回しを済ませたネームレスは、シャワーで身嗜みを整えた後に執務室に戻っていた。
そして一息いれてからフジャンを呼び戻すためにインプを飛ばす。
ユーンが自然に目覚めるまで待つ積もりだったが、スチパノ、ヴォラーレの事情聴取も終わり、処罰への希望も聞け、ネームレスも懲罰を決めたので、この問題を片付ける事に。
もう夕食の時間帯となり、昼食の前に気絶したユーンの覚醒が遅すぎるのも理由だ。
気絶からの回復を待っていたにしては、ヴォラーレとご休憩三時間(四千八百円)でニャンニャンしたりしているが。
無論、ネームレスとて考えもなくヴォラーレを抱いた訳ではない。
事情聴取後のこれまでにない時間帯と場所で求めるという、ヴォラーレに印象付けていた固定観念外からの不意討ち、これにより思考能力を低下させて、仮に行為中にユーンが回復したとして、すぐに中断しても大丈夫なように速攻で言質をとっている。
それに今回のこの策は失敗しても構わない、むしろ成功しないだろう、そうネームレスは予想していた。
淫魔の得意領域というか存在価値関連で仕掛けたのだから。
ネームレスとしても、あんな子供染みた色仕掛けなどヴォラーレに軽くかわされるだろう、と思っていた。
元々の狙いは思わせ振りに「頼む」と言って、そっち関連に誤解させて言質をとる事だ。
その後にユーンを生かすべく協力を取り付けて、仕事に戻す積もりだった。
事情聴取後のやり取りは実験であり余興である、決してヴォラーレの反応にそそられた訳ではない。
エレナに夜伽を命じたネームレスだが、前回を考慮すれば本番は無理と判断している。
捕虜の健康管理で生じた疑問は解消済みであり、地下迷宮内政の要石であるエレナを壊すような真似はできず。
夜を前に下半身を軽くさせておかねばならなかった事に加えて、可能性は限りなく低いが下手をすればスチパノに悪く思われるかもしれないヴォラーレへ報酬の前渡しとして。
それに捕虜が倒れた件から発した、ユーンやスチパノ、試合で破損し買い換えた武具の資金などと頭が痛い問題が続きネームレス自身のガス抜きも必要だった。
以上の言い訳、もとい理論武装にてネームレスはヴォラーレを美味しく食べたのだ。
DMになる前、現代日本で本やネットで仕入れた技術や知識を、人間以上に頑強でそれ関連ならば何でも喜んで受け入れるだろう淫魔に実地検証しながら。
異常な程に悦んでいたが、自分へのヴォラーレからの気遣いだったかも、とネームレスは彼女に悪い事をしたような気もする。
このようにネームレスが反省している間にフジャンが執務室へ。
ネームレスは物思いを打ち切り、フジャンを引き連れて今日四度目となる農場部屋訪問に向かうのだった。
※ ※ ※ ※ ※
農場部屋に戻ってすぐさまエレナに報告したヴォラーレは、その覚悟を嘲笑うように何事もなく仕事に戻される。
安堵のあまりへたり込みそうな身体を叱咤して、農作業に励むネブラから何をすれば良いかと聞きに行く途中でヴォラーレはスチパノの働きぶりが目に入った。
といっても荷馬車を操り農具や捕虜を移送しているだけだったが。
忙しい時にここの段取りや手順が解らないスチパノが邪魔にならずに加勢可能な仕事がそれぐらいだったからだ。
重い物をヒョイヒョイと手早く荷台に乗せたり、ついでにと捕虜の少女も優しく上がらせたりしている。
そしてネブラに聞けば今日の作業はすでに終えて片付けに入っている、との事でもう夕飯だという話だった。
「……まぁそんな時間帯よね」
胃に穴をあけかねない思いを味わいながらエレナにネームレスとの間にあった事を告げてから続く事態に遠い目になるヴォラーレである。
そうしてこの日の作業を何とか終えた捕虜達は、農場部屋食堂で開催された回復祝いに出されたご馳走を堪能しながら、可愛らしいコボルト調理師のプリアとチリン、外見的には人間族にしか見えない豚人スチパノという新顔と交流していた。
ユーンは新入りとの交流会を兼ねた夕飯に誘われもせず、相変わらず農場部屋の一角に気絶したまま放置されている。
ネブラはついうっかり忘れていただけだが、他の者は承知しながらの扱いだ。
これまではエレナが独りで切り盛りしてきた厨房だったが、プリア、チリンの加入により料理の幅もひろがる。
食堂キッチンのオーブンをフル活用してローストチキンを焼く、こまめ(五分間隔ぐらい)に様子を見て表面が乾いていたら油を刷毛で塗り込まなければならず、他の料理を作りながらだと美味しそうに焼き上げられなかった。
このような料理を任せられるならば、三十人分もある他のメニューに取り掛かれる。
馬鈴薯と卵を茹でている間にきゅうりを輪切りして塩揉み。
やわらかくなった馬鈴薯をボールで熱い内にすり潰す。この時、隠し味に砂糖と酢を投入。
そこに茹で卵も加えてあらめに潰す、馬鈴薯の粗熱がとれたら、塩揉みしたきゅうりを洗って絞って水気を切りまぜる。
自家製マヨネーズを加えて、塩で味を調整すればポテトサラダの完成だ。
卵だけでも二十個使うのでやはりエレナ単独時には厳しい料理だった。
上機嫌で調理するエレナにひかれ、プリアとチリンものびのびと料理に励める。
戦場と見間違う程にせわしない厨房だったが、空気は和気藹々とした明るいものだった。
プリアもチリンも尻尾を振りながら、踏み台を手にハムスターのように動き回る。
おかげで尻尾がスカートの中で擦れてしまい、調理がすんだ後にエレナへ相談する事に。
二人の尻尾が擦れて痛む、との訴えにエレナは、この件は確りとネームレスに具申すると確約した。
こんな厨房側の頑張りにより、食堂テーブル上には様々な料理が並び、目と鼻と舌を楽しませている。
幼少組は可愛らしいコボルトの少女二人に熱視線を飛ばしながらも、先ずは食べるのが優先だとばかりに口に詰め込む。
あまりにも詰め込み過ぎて四歳のインファが喉を詰まらせかけたが、エレナに優しく沢山あるからと背中を擦られながら諭される事件もあったが。
八歳以上の少女達はそんな幼子の世話を焼き、同じような食べ方になりそうなのを抑えて、なるべく見苦しくないように口に運ぶ。
そして気付かれないようにとバーナード達コボルトのテーブルにいるスチパノに注視していた。
男が女性の視線を気にするように女だって男性を気にする。
特に、顔、性格、働きぶり、強さと全てが文句なしの優良物件が相手ならば尚更に。
なかには警戒の視線が強い娘もいるが、大半は値踏み的なそれである。
そんな注目を集めるスチパノだが、それらを軽く流して真剣な表情で料理の研究に打ち込んでいた。
同じテーブルで食事するバーナードら元奴隷コボルトは、スチパノとの格の違いをひしひしと感じ緊張感につつまれながらも、プリアとチリンに鼻の下を伸ばしていた。
去勢されているので永遠に純粋な身を宿命付けられている彼らだが、それ故になお女性への憧憬が強い。
同じテーブルを囲むコボルトなぞ簡単に消し去る戦闘力の持ち主を忘れようとする現実逃避が入っているのは否定できないが。
食堂が賑やかで華やかに食事を楽しんでいる時に、フジャンを引き連れたネームレスが農場部屋に辿り着いた。
だがどうも夕飯中らしい、敏感にそんな空気を読んだネームレスは、先に詰所でデンスらインプの報告を受け、監視体制の組み直しなどを話し合う事にする。
この急な予定変更にフジャンは疑問を感じなかった、どころかネームレスは当初からデンス達インプ勢と話し合った後に、ユーンの問題を処理する予定だったのだろう、と自分のなかで結論づけた。
彼女と違いデンスは、ネームレスが空気を読んで、仕事の順序を入れ替えた事に気付く。
思慮深いと受け取れるが、これは配慮しすぎでなかろうか、DMであり創造主であるネームレス様が空気を読むのではなく、我々配下に読ませる立場であろうに、魔物によっては増長を招きかねない、諫言するべきか。
こんな考えが浮かんだデンスは、この事案を重要検討事項として早急に思案する事を決めた、だが今は報告や監視体制の構築を優先する。
「今現在日中、監視の外部派遣は帝国、王国方面に一人ずつ、内部監査に農場部屋、ゴブリンにやはり一人ずつ、ネームレス様の側仕えに一人と五名あたり、二名は夜勤にと休んでおります。ここにスチパノ殿を筆頭とした新参の監視を加えますと破綻します」
詰所でフジャンが用意した折り畳み式の椅子に座るネームレスに、インプ長デンスが現状の監視体制をこう報告した。
普通に考えればネームレスから不興を買いかねないが、デンスは部下に無理をさせて監視体制を崩壊させる事の方が主君の意向に背くだろうと予想している。
無理をさせる時は迷わず命じられるだろうが、基本的に余力を残す体制を好むと今日までの己達の扱いからデンスはそうネームレスを分析していた。
デンスの報告にネームレスが少し考えてから指示を出す。
「スチパノには専用の監視要員を用意する。夜間のゴブリン監視を解くのでその人員で新入りの魔物達に監視をつけろ」
「了解しました。新たなインプで?」
そんなネームレスに怒りなどが見当たらない事から、デンスは己の推測が正しかったと内心の安堵を表に出さないように注意を払いながら返答した。
このように監視体制の話し合いを済ませるとネームレスは、食事が終わりエレナ達の手が空いたなら知らせるようデンスらに命じる。
そしてネームレスはフジャンを引き連れ、執務室にて創作予定魔物関連の事項を確認、DM室の玉座に座り計画ノートをひろげた。
緊急用に保持していたPを使わなければならない事態にネームレスは、思い通りにならないものだと内心で苦笑を浮かべる。
監視体制にまで気がまわっておらず、その為の要員を創作しなければならなくなった事に。
第二階層用に2500P確保しておくと、残り使用可能なPは火急用にと残しておいた100Pしかない。
それ故に、なるべくならば冬があけ、雪が消え去り交易路にて隊商等への襲撃を再開できるまで手をつけたくなかったからだ。
だが、スチパノに住居を創作するのを惜しくないと判断したように、必要ならば使用する事に迷いはない。
守銭奴とまでいかないが、倹約家気味のネームレスとしては、改めてPを使わずに、あるいはなるべく浪費がない方法がないかとノートに目を通す。
そんなネームレスの内心は相変わらず表面に出す事もなく、フジャンやインプには悠然と構えている風にしか見えない。
ユーンはともかく、プリア、チリンの二人に関しては監視の必要はなさそうだが、そういう油断から足元をすくわれる。
こう考えるネームレスは例え戦闘能力や危険性が低いと思われる魔物でも見張りをおき、監視と共に観察させていた。
これらの報告から己の観点からだけでなく、第三者からの情報も考慮して個性の把握に努めている。
様々な魔物改造を綴ってあるノートから創作魔物候補をしぼり、検討を済ませたネームレス。
以前から計画をたてていた三竦み監視体制への移行第一歩目も兼ねて、新たな偵察用の魔物を創作する。
中鬼オクルス反逆以降、任務関係で例外的に創作されたスチパノ以外の初魔物種族創作慣例に従い、性別を女性にしてカスタムを施す。
これまでの経験則から女性の方が反逆し難いからだ。
フジャンやユーンのカスタムで痛い目を見ている精神系技能付与、しかしPが少ない現状多少の欠点は目を瞑るしかない。
気分が滅入るカスタムを済ませると、心踊る彼女の外装カスタムに取りかかる。
残念だが美形や可愛のスキルを付与する余裕はないのでネームレスの地力頼りになるが、種族補正でなかなかの美形に造り上げた。
周囲も目にはいらない程の集中力を発揮し、ネームレスの様子を伺っていたフジャンが、彼の丹精込めて手入れされた日本刀を連想させる真剣な表情に見惚れている事にも気付かない。
体型は隠密働きを期待する以上、スレンダーの方がいいな、そう己を説得して断腸の思いでそのように設定する。
真剣を通りこし、鬼気迫る迫力で一点(フジャンとインプには認識できないが空中ディスプレイに写るカスタム画面)を見詰めるネームレスにフジャンは凍りつき、インプは発せられる怒気で気絶寸前だった。
このようにして創作された彼女を骸骨兵、インプに紹介が済んだ時点で農場食堂の後片付けも終わる。
ネームレスへ報告に向かうエレナら内政班と合流したのだった。
詰所で合流したネームレス達はまず、今日三度目となる魔物の顔合わせをする。
「エレナ、新たに創作した羽妖精のスリンだ」
「……あ、あの、ネームレス様、より、ご、ご紹介、預かり、ま、ました、スリンですーー。……エレナ様、よ、よろしく、お願いしますーー」
疑似太陽が沈み詰所内の光源が手元のランタンしかない中で、スリンの短い金髪がその魔具が放つ光で儚く淡い輝きを照り返す。
その背中から透き通る四枚の羽も七色の光を宝石のように乱反射する、その羽で空中に無音でホバーリングしていた。
顔が小さくわかり難いが、妖精族の名に恥じない端正な美貌の持ち主である。
気弱そうな光を強く宿す大きな瞳は今にも涙がこぼれそうに潤み、注目を浴びるあまりさらされる視線に恥ずかしそうに身を少しでも隠そうと小さくしてエレナに頭を下げた。
緊張の為かどもり声もかぼそく聞き取り難い、かなり近くまでよらないと聞こえないだろう。
困り顔のエレナに己の声が届いていないと察したスリンは、おそるおそる彼女の肩にとまり改めて挨拶する。
「スリンです。よろしくお願いします」
視線から外れたからか、スリンはかぼそいのは変わらなかったが、どもったりはせずに喋ることができた。
スリンは体長がインプらと同じように三十センチ程だが、やはり身体のバランスは八頭身で腰の位置も高く括れもありその為に胸部が盛り上がり臀部もぷるんと突き出て、何よりも臀部から太股のラインが美しく、美脚の持ち主だ。
人間サイズまで大きくすれば、スレンダー巨乳の評価を受けるのは想像に易い、自分に嘘をつけなかったネームレスである。
こんな調子のスリンにネームレスは、エレナ、スチパノ、ミール、ネブラ達、最後にヴォラーレと順々に紹介を済ます。
個々に挨拶させているのはスリンに魔物の順位を教える為だ。
フジャンは、小さくて可愛いのに綺麗な上、自分と同種の匂いがするスリンと是非とも仲良くなる為に交流せねば、とヴォラーレに挨拶を終えた彼女に話しかけようとするもスリンは恥ずかしさに耐えきれないとばかりに空中にとけるように姿を消す。
「こんな性格だ、気にするな」
フジャン、ネブラ、プリア、チリンらが見えなくなったスリンに目を丸くし口を大きくあけるなか、ネームレスはそう締めくくりデンスに捕虜のコボルト達を連れてくるように指示を出し、ユーンの元へと歩き出す。
何故この時に(捕虜)コボルトを呼ぶ必要があるのかとフジャンは頭に過ったが、光源を持たぬネームレスの足元をあわてて照らしつき従う。
皆と同じように足を進めながらヴォラーレは、先程のスリンの態度にあざといものを感じて頭を悩ませていた、初対面なのだから多少猫を被るのは当然としても、それだけでは説明がつかない違和感を嗅ぎとる。
人心(魔物)掌握に優れたエレナや観察力などが高そうなスチパノを中心に魔物らの様子をうかがうも、この二人と精霊達はヴォラーレには何を考えているか読みとれない。
常に無表情のミールと笑顔のリーン達精霊組が何を考えているかはヴォラーレ以外にも謎だろうが。
他の魔物達はネームレスが近くにいるからだろう無言で歩き、スリンが姿を消せることに驚いているが、あとは何か感じている様子はない。
警戒だけはしておきましょう、そう結論付けたヴォラーレだった。
そんな中未だに気絶中だったユーンを叩き起こす。
《高貴で偉大なユニコーンである我を、乙女が膝枕で優しく揺さぶり起こすのが当然だろうに……》
冷水を顔に浴びせられて覚醒したユーンの第一声がこれだった。
そんな寝言は全員流し、ネームレスはこの場に集う魔物らを前にユーンとヴォラーレ、スチパノの間に起きた事件を説明を兼ねた事情聴取をする。
今この場には骸骨兵、動く石像ロッシュ、任務中のインプ、フジャン以外のコブリンを除くネームレスが創作した魔物達が集っていた。
この地下迷宮で初めて起きた魔物同士の衝突という事件に対し、どんな対応をとり処罰を与えるかを周知させる為だ。
襲撃を起こしたユーンが恥じ入る事など何もないと無駄に雄々しく語った動機を簡単にまとめると、スチパノのような男がいると乙女が大人の階段かけ上る駄目絶対、淫魔は存在する事自体が論外故に二人共見敵必殺、となる。
このような襲撃理由に魔物ら――デンスにより連行されて来た捕虜コボルト四人も含む――の哀れみに満ちた生暖かい視線がユーンにそそがれた。
真の動機を隠す為の嘘と疑うには、あまりにも突拍子のない理由だったので逆に本当なのだろうな、と妙な真実味があった。
ネームレスとヴォラーレは互いに死んだ魚のような目をして視線だけで会話をする。
『これやっぱり始末した方が良くありません?』
『……当初の予定通りに』
ユーンの主張に苦笑するスチパノを横目に、ヴォラーレと最終的な打ち合わせをすませたネームレスは判決を言い渡す。
「緊急避難でも正当防衛でもなくスチパノに危害を与えようとしたのは重大な過失だ」
反論はないかとユーン、そして他の魔物らにも視線で問う。
ネームレスとしては意外な事に、己の正当性を鼻息を荒くして訴えるような真似はせずに、覚悟完了とばかりに毅然としている。他の魔物達からも疑問や否定的な言動はなかった。
「……不満や諍いがあるならば、いきなり暴力を持ち出すではなく、我や上司に相談して判断を仰ぐ事を命じる」
再び視線でヴォラーレに口を噤めと指示を出し、ネームレスは必死に事前に考えていた流れから外れた事態を己の望む方向へ向けるべく思考を加速させて発言内容を組み換える。
ネームレスの予定では、もっと声だかに抗弁してくるユーンに厳しい叱責をあびせ死刑を申し付けたところで、ヴォラーレが弁護に入る事で被害者からの擁護だからと罰を軽くする、こういう形に持っていく積もりだった。
これならばスチパノに対して彼を重要視していると印象付け、他の者達には戦闘を仕掛ければ死罪になると戒められ、ヴォラーレの言を取り入れる事で諫言しても受け入れられる寛容さを周知できたはず。
だが現状のユーンは粛々とした態度でネームレスの言葉を受け入れており、今ここで死刑を口にすれば厳しすぎる、と他の者達に思わせかねない。
「……死傷者も出ていないが、攻撃を仕掛けた事、被害具合を考慮すれば処罰は強制労働が妥当」
スチパノの様子を特に注視しながら魔物らの反応を観察、ユーンは驚いた風だが馬の表情をネームレスが読みきれず断言出来ない。
同じような理由でコボルト六人の情動は監視させているインプの報告で後から考える、従順なコボルト故に問題はないだろうが。
そして某淫魔と同じく精霊組はネームレス、インプ共に顔色をうかがうのは至難だ。
ミールならば付き合いも長く、なんとなく通じ合えるネームレスだが、リーンは本当に何を考え感じているか解らない。
彼女らと比べればネブラはわかり易く、思いの他軽い罰に喜びを表している。
罰が軽すぎませんか、そんな表情を浮かべているエレナ、スチパノは不満も驚きも見せず悠然と構えていた。
「……ユーンにはまず、バーナードらコボルト四人の治療を命ずる」
何故に呼び出されたか解らずに、身を縮こませ空気化に努めていた捕虜コボルト達が飛び上がる。
《ネームレス様には寛大な処置を感謝奉る。しかし、御言葉をかえすようですが、彼らは怪我も病気も見当たりませぬが……》
震えた思念で、これまでの態度からは想像できぬ程に丁寧な言葉使いでユーンは恐々とネームレスに問い返した。
目は虚ろに焦点があわず、その四肢は小刻みに激しく震え、汗が身体の下に溜まらんばかりに滴りおちる。
「怪我ではないが、肉体を破損しているだろう。それをユニコーンが持つ癒しの力で復元するように」
あらゆる病気も怪我もたちどころに癒すと伝承される一角獣の黄金色の角、その力を持ってしても年単位過ぎている肉体の欠損を再生可能かどうかはネームレスは解らない。
さすがに無理だろうな、と思っており、半分は純潔を尊ぶユニコーンに、それを奪うものの治療を命じる事事態を罰の一部にしていただけだ。
可能、不可能どちらに転んでも捕虜コボルト達の忠誠心やら好感度を上げられるだろう。
ネームレスとしては、できたら儲けものぐらいの期待度だったのだがユーンの様子からどうも可能らしい。
そして、この考察は正しくユーンは返答に切羽詰まる。可能だと答えれば角をそこに触れて治さねばならず、出来ないとすればユニコーン力を貶め、偽りを述べる事になるからだ。
ユーンは緊張で呼吸困難気味となり、口を大きく開き必死に息をする。
なかなか返事をするなり行動に移るなりしないユーンを叱りとばそうとしたネームレスだが
「お恐れながら、ネームレス様、申し上げたき儀がございます」
「許す、何なりと申せ」
エレナにより遮られる。
鏡に写る己の姿に脂汗を流すガマの如く固まるユーンをおいてエレナが口開く。
美辞麗句を省くと、コボルト達を治療する前に本人の意思を確認すべし、との事だった。
エレナの言に納得するネームレス、だが進言時「ネームレス様の御慈悲を受け取らぬはずがありませんが」などとコボルトらに圧力をかけていたので、バーナード達が拒否できるはずもなかったが。
このように葛藤している間に外堀を埋められたユーンは、ネームレスの最終通達を受けてコボルト達を瞳から光沢が消え失せ虚ろな眼差しで回春する。
元奴隷コボルトらの去勢方法が挫滅式だったので除去式よりは負担が軽かった。
己の赤子を手放さなければならぬ母、あるいは老いた親を捨てねばならぬ子のように壮絶な悲壮感を醸し出しながら癒していき、最後のコボルトを治療すると崩れおちる。
ネームレスとスチパノ以外の姿が見える魔物達がユーンの健闘をたたえるように拍手を送った。
特にネブラは涙を流しながら「頑張った、頑張った」と精一杯手を叩いている。
そんな空気の中、ネームレスとスチパノはお互い顔を合わせて苦笑し、治して貰ったコボルトらは非常に気まずそうな様子で拍手していたが。
しかし、そんな暖かいというかなんというか混沌とした様相を引き裂く念話が意識に叩き付けられる。
《うわぁあぁぁんっ! 汚れちゃったよぉっ》
この世の終わりとばかり絶望にみち溢れた悲痛な思念を飛ばし泣きわめくユーン。
農場部屋の雰囲気が通夜や葬式よりも暗く重苦しものとなる。
「ぁぅぁぅ、悲哀精霊が……」
ことのほか重い罰となってしまったようなので、スチパノも納得してくれるだろうとヴォラーレを除く女性陣がユーンを慰めるのを遠い目をして見守るネームレスだった。




