三章第十四話
三月十四日、19時に改訂した改訂版と差し替えさせて頂きました。
地下迷宮の主ネームレスは、話の場を農場内の食堂に移した。
農場部屋で働く人造人エレナを筆頭とした魔物勢、奴隷商に買い取られヌイ帝国へ向かう途中でネームレス勢力により強奪された捕虜らに、新たに創作した魔物のお披露目が済んだからだ。
捕虜に個別で紹介した訳ではないが、多くの少女が仕事をこなしながら、ネームレス達のやり取りを見ていた。
そんな捕虜達が、己の生殺与奪の権を握るネームレスを気にして作業に身が入らないためでもある。
エレナは食堂内でのスチパノら新規の魔物の寝床を取り決める会議に、参加を要請されていた。
だが、ネームレスから許可を得て、まずはプリヘーリア(プリア)、チャーリーン(チリン)の両犬人を連れキッチンに向かう。
ネームレスの出迎えで、中断していた料理の下拵えを、あたらしく部下となったプリアとチリンにも手伝わせることで、料理人としての技量を確認するためだ。
手並みを見て、彼女達に任せられる仕事を与えて、エレナはネームレスの元に戻る算段である。
食堂のキッチンは、調理師が五、六人は楽に動ける広さと器具が用意されていた。
だが、ここで、ある問題が出る。キッチンの造りがネームレスやエレナの様な人間族基準の体格に合わせてあるので、プリアとチリンには大きすぎたのだ。
使いなれているエレナからすれば、予想通りの展開なので、二人を床に座らせて野菜の皮剥きを指示する。
可愛い生き物が二人並んで器用に馬鈴薯の皮を、やはり二人からすれば大きすぎる包丁を使いながらも、スルスルと器用に剥いていく。
そんなコボルトの少女らに、エレナが厳しくも優しい眼差しを注ぐ。
プリアとチリンは、至尊たるネームレス様が『自分』のために創作してくださった、と、エレナは受け取っている。
今回、チュヴァ、ミラーシ、ナーヴァの三人が精神的に追い詰められストレスで倒れた。
この件に関して、本来ならば捕虜の健康管理も担当するエレナの責任問題になる所だが、彼女の担う仕事量が膨大な為に、そこを気遣えなかった自身の責とネームレスは判断をくだしている。
そんなエレナの負担軽減の為に創作されたのがプリアとチリンなので、あながち間違いでもない。
巧妙に隠しているが、不穏な動きを見せる女淫魔ヴォラーレを操作する為とはいえ、ネームレスに対して(失態を晒した己にこうも配慮を頂けるなんて)、そうますます彼に傾倒するエレナだった。
※ ※ ※ ※ ※
エレナたち三人がキッチンへと姿を消し、ネームレス、豚人スチパノ、小鬼族長フジャンだけが食堂内に残った。
「フジャン、飲み物の用意を」
言外に席を外せと含ませた指示にフジャンは
「はい、わかりました。お話がおわったらよんでください」
こう返事をすると、エレナらを追いかけて、食堂から駆け出して行った。
そんなフジャンの、空気を読んだようで微妙にはずした対応に、残された男達は顔を見合せ苦笑する。
「……立っていても仕方あるまい、座るぞ」
その緩い空気のままで、ネームレスは近くのテーブル席に着く。立って控えようとするスチパノにも、同じテーブルに着くように勧めた。
当初は「ボスと同じ席に着くのはおそれ多い」と断ったスチパノだが、ネームレスが問題ないと断じて座らせる。
ネームレスは、改めてスチパノに、ユーンへの対処の要望を聞くも「ボスに任せます」と内心を推し量れない。
ネームレスは改造にて、人間族の男性にしか見えないスチパノの、表情や雰囲気に注意を払う。
スチパノは黒髪黒瞳、白い肌色と彫りの深さで欧米人的な美丈夫である。
ネームレスが思案した、いくつかの策の実行にも必要なために、スチパノは今までに創作された魔物の中でも、屈指の拘りでもって外装のカスタムを施された。
ネームレスとしては女性の造形を思い描く場合と違い、男性の創作にかける熱意の低さを補うためもあり、スチパノの外装にはモデルがいる。
といっても、ネームレスの記憶頼みであり上に、創造主の理想を多分に加えられて再現されることで、顔の造形や体躯の黄金比やらでスチパノの方が優れているために、似てはいるが別人と化していた。
スチパノと同等、あるいはそれ以上にネームレスによって外装にこだわって創作されたのは、エレナ、水精霊ミール、住居精霊リーンの三名だけである。
ミールにかんしては、外見に影響する技能、美形や可愛などは付与されていない。
彼女は、ネームレスにより外装関連のスキル付与なしでの、外見の改造がどれほど細密に可能か、とのテストケースであるからだ。
それ故に、ネームレスが創作した魔物の中で、最も外装に手間と時間を掛けられたのはミールだったりする。
ミールは水精霊という種族的には平凡な美しさなのだが、ネームレスの尽力により、肉体の外装は美少女そのものだ。
しかし、召喚前の外装改造確認画面では、十代後半ぐらいの少女かつ我儘体型だったのに、十歳前後の美少女で絶壁、もとい、外見年齢通りの体躯で召喚された。
この結果に、費やした労力や時間と釣り合わない。そう判断したネームレスにより、外装を重視しない魔物の外見の改造はひかえられていたのだ。
スチパノは銀幕で活躍していた外装モデルを強く意識して創作したためか、映画の中のモデル並みに強そうになってしまっていた。
ユーンを投げ飛ばしたり、コボルトの少女らの治療をしたり、などとネームレスが付与した記憶のないスキルを有していたりもする。
スキル美形以外にも、魔物の能力や技能などに影響を与える要素がありそうだ。
同じスキル美形を付与したスチパノやエレナと、フジャンを比べると能力のひらきがありすぎる。
スチパノとの会話からも、彼の有能ぶりをひしひしと感じながらネームレスはこんな考察もしていた。
ユーンから攻撃を受けたスチパノだが、逆にそれは見事に返り討ちにする。
怪我も被害もなかったが、それでも何の落ち度もないスチパノに喧嘩を売った事にかわりはない。
ネームレスとしても、女淫魔ヴォラーレ襲撃未遂の件も含めて、ユーンから事情聴取して処罰を決める予定だ。無論、ヴォラーレからも処罰への希望や事情を聞いてからだが。
スチパノからユーンへの処罰希望内容にて、性格推測を試みたのだが、処罰内容をネームレスに一任されてかわされてしまう。
(試されているな)
ネームレスはスチパノの返答時の表情や雰囲気、瞳の輝きからこう感じながらも、会話の内容を変えスチパノの性質を知ろうとする。
人心掌握の基本は公正なる信賞必罰だ。
だが、今現在、ネームレスはこれを他者に公正だと知らしめる手段がないに等しい。
公正で公平な処罰を与えるには、厳密に法と照らし合わせて刑罰を決めなければならない。
しかし、法令を定めていない現状では、処罰の内容やらはネームレスの胸三寸となる。これは褒賞にもいえる事だ。
褒賞を与えすぎても、処罰が過ぎても、差し障りが出る。
弱肉強食である魔物達には強者としての畏怖で服従させられる。
だがそれだけでは、畏縮させてしまい、魔物の実力を十全には発揮させられまいとネームレスは考えていた。
魔物にも意思があり、恐怖で縛るだけでは自主性や積極性を奪うだけだろう。
スチパノの本質、いや個々の魔物によりネームレスの対応も変わる。
仁、愚、知、蕩、信、賊、直、絞、勇、乱、剛、狂……、何を尊び、軽んじ、蔑むのか。
金か、地位か、名誉か、色か、何れを欲するのか、働きに、忠誠に何を用いて報いれば良いのかを見極めなければならない。
ネームレスの感覚としては、捕虜勢、ゴブリン、インプには基本的に恐怖で縛り、骸骨兵には義で掌握していた。
だが、スチパノとの余人を交えぬ会話をすることで、ネームレスはいかに己が魔物との交流不足であったかと痛感していた。
男二人が同じテーブルに座り、無言で向き合っている。
雄弁は銀、沈黙は金、という考えで行動して来たネームレスには、他者との会話、特に私事にかんしての話題が少なすぎた。
ネームレスの持つほんの僅かな話題がつき、地下迷宮で天気の話をしても、されど創作されたばかりのスチパノに趣味やらを問い掛けても致し方なかろう、と必死に話題を考えるのだが……
スチパノは、そんな気まずい雰囲気を気にせず、ネームレスを急かすわけでも、この空気を変えるべく己から話題を提供する事もしない。
これらがスチパノの交渉術なら強かというか駆け引きが上手だと称賛ものだ。
処罰を一任するとの提案もネームレスを気遣ったものなのか、それとも譲歩を引き出したいのかと判断に迷う。
無言で会話の、いやこの場の主導権を取り合っている二人だが、スチパノはこの駆け引きを楽しんでいる一方で、対面するネームレスは表面上微塵の動揺も焦りも表していない様に見せながら、新たな話を振れずに内心でだらだらと冷や汗を流していた。
「人間族の数が多く見受けられますが、何故に?」
状況を動かすべく、スチパノが話題を振る。無言のままでも得られる物は多いが、やはり言葉を交わした方が、より精度の高い情報が出る。
「今のところは農奴としての労働力だ」
「苗床ではなく?」
普遍的魔物からすれば、労働力としてなら人間を殺し、Pにかえてコボルトか猫人を創作した方が問題が少なくすむ。
農場部屋にいる魔物らとの面通しは済ませた、しかし、捕虜達とはまだなので断言出来ないが、スチパノが見かけた範囲では女性ばかりだった。
そこから推測すると、魔物の数を増やすのに使うか、褒美用に飼っているのか。
ただあまりにも幼すぎる子供も目にしていたので、スチパノもなかなか判断がつかなかったのだ。
「此方に歯向かわなければ、苗床にはせん。魔物勢に下げ渡す事も考えていない」
そうスチパノに釘をさすネームレス。
オークはゴブリン以上に性欲が盛んで、魔物内でも嫌われ危険視されている。
ゴブリンと同じく、異種族にも種付けが可能、性質は邪悪そのものであり、人間族、森妖精族、大地妖精族らヒト勢力圏では徹底的に狩り尽くされていた。
もっともネームレスが受けるスチパノの印象は武人そのもの、えてしてこういうタイプは戦えぬ弱者を軽く扱うはずだ。
この対応でスチパノの心証を悪くする恐れもあるが、これで関係が悪化するならば遅かれ早かれ破綻する。
それにおそらくスチパノも、あくまで現状を確認する為だけで、捕虜を苗床にしたりする事をネームレスが肯定すれば諫言を呈しただろう。
ネームレスはこれまでのスチパノの対応からそう予測し、はっきりと断言した。
この反応に、もしかすればネームレスに催促したと疑われたか、まぁオーク故にそういう心配をされても仕方あるまい、内心でそう苦笑いしながらスチパノは問いを続けようとする。
彼的な嗜好でいえば、目にした魔物も人間族も細すぎて好みから離れていたので、そんな積もりは欠片もない。
「お待たせしました」
そう告げるまで、物音一つ気配さえ察知されずに己の背後を取ったエレナに、スチパノは驚愕する。
表面には表してなかったが、座っているので咄嗟の事態に反応が遅れる恐れがあったため、細心の警戒にあたっていたのだが。
同時に、それが当然の如く受け止め、流れる様に労わり、報告を聞くネームレスにもスチパノは感嘆した眼差しを一瞬だけ向けた。
話題に困り果てていたネームレスを察知したエレナが、食堂とキッチンを結ぶ出入口で待機していたフジャンにさえ気付かれる事なく、馳せ参じた結果だった。
おかげでフジャンが、茶器や茶請けやらをのせたお盆を、頭の上に乗せたまま凍り付き、戦慄におののいている。
(ぁぅぁぅ、物理的にわたひを退かさないとキッチンからでれにゃいはずなのですよ〜)
エレナの登場で話題が寝床関連に移り、ネームレスに呼ばれたフジャンが、お茶を配りながら盗み見たエレナは何時も変わらぬ穏やかな様子だった。
そんなエレナにどうやって自分に気取られずに食堂に抜けたか聞き出したい衝動を、本能が「聞いたら後悔する」と警告するのでフジャンはおさえた。
普段よりもガチガチな様子で、お茶を配るフジャンを不思議に思いながらも、ネームレスは話を進める。
スチパノの希望を最大限に配慮する積もりのネームレスだったが、本人はテント等の野営道具さえ用意して貰えば寝床を用意しなくとも構わない、と要望の難易度が低い。
エレナの助言もあり、スチパノはどうも本心から寝床は何処でも問題ないらしいとネームレスは納得した。
ユーン、プリア、チリンの寝床は、当初スチパノにあてようとした小屋に。
スチパノは暫定的に、実質倉庫となっていた応接室を寝床に定める。
寝床の問題に一応の決着をつけたネームレスは、エレナと農場部屋詰所に居た枝悪魔長デンスにユーンが目覚めたら報せるように命じて、スチパノとフジャンを連れて農場部屋をあとにするのだった。




