三章第十三話
二月十一日20時に改訂した改訂版と差し替えさせて頂きました。
新たに創作された精悍な美丈夫であるスチパノ、彼を抹殺せんと攻撃を仕掛けた一角獣ユーンは返り討ちに合いその屍を……
「だ、大丈夫、まだ生きてる! フジャン、治療を!」
ユーンの口に手をあてて呼吸を確かめたネブラは見事な金髪のツインテールを勢い良く跳ねらせ、空色の瞳に憂いを宿して倒れているユーンを見つめ、安堵と歓喜が入り交じった声でフジャンに懇願する。
必殺の威を込めた全力の突撃を利用され、空高く投げ飛ばされ地響きをおこす程に地面に叩き付けられたユーンだったが生きていた。
固い場所でなく芝が生えて多少なりともクッションになる地点に落ちた事、頭からや足からではなく側面からだった事が命を救う。
それら全てスチパノの計算通りなのだろう。地響きが立つ程の勢いで叩き付けられたユーンを、心配する素振りを見せないスチパノにネームレスはそう見る。正当防衛なので気にしていない可能性も大きいが。
投げ飛ばされたユーンの側までネブラによって連れて来られた、小鬼族長にして精霊魔法の使い手、歩く救急箱であるフジャンは、主人のネームレスにどうするかと視線で問い掛ける。
その視線に、創作されたばかりなのに何度も問題を起こすユーンをいっそ処分するか、そんな考がよぎったネームレスだが、事情聴取もなしには問題があるとフジャンにうなずいて治療の許可を出す。
中鬼オクルス反逆時の教訓を生かし、検証に必要な証言を取ってから……。ネームレスは内心で溜め息を吐き、気を落ち着ける。上に立つ者として感情に左右され公平な判断が出来ぬ様では人望(魔物望?)を失うだろう。
「エレナ、新たに配下にしたスチパノにプリへーリアとチャーリーンだ。プリへーリア、チャーリーン、二人の上司のエレナだ、従うように」
意識を切り替え、ユーンの事はネブラとフジャンに任せ、当初の目的通り魔物同士の顔合わせをする。
急展開についていけずに固まっていたコボルトの少女達が、ネームレスに己の名を呼ばれた事で我に返り慌ててエレナに挨拶する。
「はい、ネームレス様。コボルトのプリへーリアです。エレナ様、どうかご指導ご鞭撻のほどを、よろしくお願いします」
垂れ耳にふわふわな白毛のプリへーリアがエレナへ控えめな跪礼で自己紹介を締めくくった。
「わかりました、ネームレス様。チャーリーンです、チリンって呼んでください、エレナ様、よろしくお願いします」
続けて、ピンっと立った耳に大きな瞳でまるでぬいぐるみのような白毛のチャーリーンも同じように膝を折り挨拶を終える。
「ホムンクルスのエレナです。ネームレス様より身に余る栄誉ながら内政の長に任じられております。プリへーリア、チャーリーンのお二方の助力、あてにさせて頂きます」
立っていても地に付く程に長く美しい黒髪、それを高い位置でポニーテールにした蒼眼の美女エレナも、カーテシーにて二人に返礼した。
言葉使いも、物腰も、醸し出す雰囲気も、穏やかで弱肉強食の魔物の中で上に立つには相応しい態度に感じられない。エレナへの軽視に繋がりかねぬのだが、コボルトの少女らは尻尾が丸まり、逆らったら駄目だよぅ、と警鐘を鳴らしていた。
悠然と構えていたスチパノもエレナに一瞬、称賛の眼差しを送る。コボルトの二人は、自分の尻尾からの警告に従い、エレナへの対応にも細心の注意を払う。
この短い挨拶を交わしただけでコボルトの少女二人を掌握し、スチパノにも一目置かれる。この事がエレナがどれだけの存在かを示していた。
エレナがチャーリーンに「では、チリンと呼ばせて頂きますね」、その言葉を聞いたプリへーリアも「エレナ様、私もプリアと呼んでください」「ええ、プリアもチリンも改めて、よろしくお願いしますね」、と、美女と可愛らしい生き物二人の心暖まる交流が見られていた。
その影で、ユーンが倒れている付近から、「頑張って、フジャン!」「ぁぅぁぅ、あの、気絶してるだけで怪我はないのですょぅ」「へ?」、診察したフジャン自身すら不思議そうな口調でそう告げて、ネブラが驚きで目を丸くしている。
あの高さから叩き付けられたのに怪我がない、ユーンが頑丈なのか投げたスチパノの技量か。ネブラとフジャンの会話にも留意していたネームレスは、二人の会話からそんな考察もしつつ、コボルトとの簡単な交流を終えたエレナ、そしてスチパノ自身にも立ち位置を伝える。
「スチパノは我が直属だが、料理人としての技能を持つので、勤務として一時エレナの指示に従って貰う事もある」
どれだけの戦闘能力を有しているかでもスチパノに任せる任務が変わるが、現状だけでも水精霊ミールと同じ扱いで良いだろう、そうネームレスは判断していた。
DM室、ひいては農場部屋の最終防衛ラインである噴水部屋の主、即ちネームレスの地下迷宮での魔物最強位と同等の扱いという意味になる。
「了解です、ボス。紹介に預かりましたスチパノです、エレナ小姐と呼んでも?」
「エレナで構いません、スチパノ様。どうかよろしくお願いします」
ネームレスの言葉からほぼ正確にスチパノの扱いを見抜いたエレナは彼を様付けにして、己を一段低い立場に置く。
スチパノもエレナの人心(魔物心?)掌握等に見受けられる力量に敬意を払い、両掌を合わせて軽く頭を下げ、エレナも浅いカーテシーにて応える。
そんな才媛と出来る男のやり取りをヴォラーレは、スチパノをつまみ食い、いやいや、個人的に親しいツキアイしたいな、とながめていた。淫魔なだけに抜き差しする仲でもよい。
そんなアプローチをすればヴォラーレの計画が崩壊するのでやらないが。いっそ計画を放棄してスチパノに取り入るか、彼女をそう悩ませる程にスチパノは雄の魅力に溢れていた。
エレナとスチパノがそんなやり取りをしヴォラーレが悩んでいた頃、ネブラとフジャンはユーンを置いてネームレスの元へと戻ろうとしていた。
一応の負傷者なのでせめて屋根のある所へと連れて行きたかったネブラだが、フジャンと二人だけでは約五百キロもあるユーンを動かす事など出来ず。
どうしようにもないので、ネームレスの指示を仰ぐべく彼の元へと急いで向かう。
倒れている場所も詰所と食堂の間、一種のデッドスペースとなっている地点で邪魔にはならないが。
「ぁぅぁぅ。……あの、ネブラさんはどうしてユーン様を助けようと?」
道中でフジャンは、ユーンを何故に助ける行動に出たのかとネブラに尋ねた。どう考えてもあの状況下ではユーンの自業自得で助ける必要があるとは思えない。
下手すればネームレスとスチパノの両名から不興を買う事になりかねず。フジャンからすれば、ネームレスの指示が出るまでは動かないのが正しいと思う。
通り魔が通行人に襲い掛かり、逆に怪我をしたからとその通り魔を心配したり助けたりすれば、襲われた通行人や第三者がどう思うか、である。
特に弱肉強食が基本の魔物が上位者に牙を向いたのだ、どうなるか等考えるまでもない。それが理解出来ぬネブラではないだろうに、必要ならば彼女を弁護する積もりなので、フジャンはネブラの考えや助けた理由を知りたかった。
臆病だが恩知らずでないフジャンは、怖くて仕方ないがネブラの為にならばと覚悟を決めている。
「あの高さと勢いでたたきつけられてたからね、大変だって身体が動いたんだ」
「巻き込んでごめんね」と謝るネブラに、「気にせずに」と返したフジャン、二人は歩みを速めた。
「エレナ、プリへーリアとチャーリーンの寝床は捕虜達と同じ小屋に、スチパノは捕虜が使っている小屋の向かいにある小屋を考えているが問題は?」
もしかしたらスチパノの寝床に考えていた空き小屋を何かに利用していて使用出来ない可能性がある。その為にネームレスはエレナに確認を取る、スチパノになら緊急用のPから彼用の部屋を創作しても惜しくはないが、なるべくなら温存したい。
「はい、ネームレス様。私の記憶違いかも知れませんが……」
エレナの言を時折うなずき、視線でうながし、首を傾けて、エレナからの質問に答え、ネームレスは彼女が意見を出し易く配慮する。そんな二人をスチパノが気取られぬ様に観察していた。
捕虜達とプリアらの寝床を一緒にすると、捕虜が終始監視されていると感じかねず、精神的に過大な重圧を与えて休養が取れなくなるかもしれない。故に捕虜とは寝床を別にすべきである。
エレナからの問い掛けで口にした、ユーンの寝床は馬小屋にあてる積もりだというネームレスの言にも、それはコボルトは犬と変わらぬから、寝床は犬小屋で構わぬと言うに等しい。これはユーンとはいえ臣下に対する対応ではない、とエレナから諌められる。
本来ならば後々ネームレスと二人だけの時に話すべき、意見を求められた時にエレナはそう頭によぎった。
しかし、己ですらすぐに思い浮かぶこの様な穴だらけの案を、思慮深い創造者であらせられるネームレス様が気付かぬはずがない。ならばこれは、新たな配下に諫言を聞き入れる器量を示される為の深謀遠慮に違いない。
ネームレスからの問い掛けに言葉を返す刹那の時間で、この様に彼の言動の意味を憶測したエレナは、それ故にあえて衆人環視の元で意見具申をしたのだった。
はっきり言えばエレナの考えすぎで、ネームレスとしてはそこまでの深慮はない。
他にも、コボルトだから犬小屋……との諫言も、とうのコボルト達からすれば犬小屋を許されるなんてと感涙ものだったりする。
魔物社会でのコボルトの扱いがどれほど凄惨かを表す事例であったが、プリアとチリンは空気を読んで沈黙を選んだ。
ネームレスの面子を守る為に直諫でなく諷諫で、凛として毅然な態度で彼を諌めたエレナの評価がネームレス、固唾を飲んでやり取りを見ていた魔物や捕虜らから上がる。かといってネームレスの威光が傷付く事はなかった。
エレナの意見を聞いたネームレスは
「エレナよ、忠言を嬉しく思う。おかげで過ちを犯さずにすんだ」
彼女を褒め称え、憤怒の欠片も表さずにその意見を受け入れる度量を示したからだ。
ここまで来ると芝居の様な印象を与えかねないのだが、ネームレスもエレナも心から誠意と真心を持って対話をしているので、そんな演技を思わせる事はない。
いや、エレナはそうだが、ネームレスは多くのモノ達の視線を意識している様子なので多少演じている部分はある。
ある意味冷徹に観察に徹していたスチパノには、ネームレスは大きな器量を持つ様に見え、エレナには忠臣に至る素質を感じられた。
エレナがネームレスに進言している間に、フジャンが仲立ちをしてネブラがスチパノに詫びをいれる。ネームレスとエレナの邪魔にならぬ様に、簡潔かつ極小で交わされたが、ユーンの事など既に忘却の彼方だったスチパノは簡単に受け入れていた。
そしてネームレスとエレナの会話が終わるのに合わせて、ネブラとフジャンは勝手な行動に出たことを平身低頭で許しを乞う。
ネブラも短慮を認めて謝罪しており、スチパノからユーンの処罰を求める言動はない。それ故にユーン自身は別としてネームレスは特に問題にする気はなく、ネブラの件は不問にした。
ネームレス、エレナ、そして本人の問題でもあるのでスチパノの三人で寝床の話し合いをする事に。
ネブラの「あのユーンさんの問題でも、あ、屋根の下に……」これらの発言は黙殺され、エレナ、スチパノ、フジャン以外の魔物は仕事に戻された。
ユーンを気にするネブラに、ミールが無表情で肩を叩き、首を左右に振って仕事に集中させる。その心使いに感謝して、ネブラもまた作業に戻った。
捕虜の少女達も、ユーンがヴォラーレに放った暴言への怒りは冷めておらず、唯一気にかけていたネブラも諦めた以上、ユーンは放置されたままだ。
デンスも流石に今回のユーンの行動を取り繕う事は無理と、新たに加入した魔物への監視やらをどうするかインプ内で会議する為に休息中のインプらの元へ。
ヴォラーレは、ユーンざまぁ、こんな内心の嘲笑を分厚い捕虜を心配する優しいお姉さん風な猫を被って隠し仕事に。
そしてユーンはそぞろ寒さの中、ネブラのせめてこれだけでも、とかけられた毛布一枚ですごす事になったのだった。