三章第十二話
二月七日18時に改訂した改訂版と差し替えさせて頂きました。
ネームレスは緊急召集された小鬼らに新たに創作した三人を紹介、急な呼び出しにもかかわらず、完全武装で迅速に集った功を称えて労った後に休息に戻す。
仕えるとの言を簡単に覆す男ではない、ネームレスはスチパノの言動や醸し出る風格からそう評価した。故に最も信を置く骸骨兵長イースすら、他の骸骨兵と共に訓練へと向かわせる。
護衛を外す事により骸骨兵やゴブリンといった古参の魔物らに、そしてスチパノに信用を示したのだ。相手から信を得ようと欲するならば、まず己が相手に信を示さなければならない、こう考えたネームレスなりの誠意だ。
そして新たに創作した三人、豚人のスチパノとプリへーリア、チャーリーンの二人の犬人の職場である農場部屋に向かっている。スチパノに関しては一時的な職場になるかも知れないが。
スチパノの外見は人間族の美丈夫にしか見えない。切れ長の瞳、彫りが深い精悍な顔立ち。身長は百九十を越え身長に比べれば顔が小さく、八頭身、いや九頭身に近い。スマートだがコックコートに包まれた彼から貧弱な印象は受けず、コックより歴戦の武人といった感が強い。
ふわふわとした白い毛並みに垂れ耳のプリへーリア、毛並みの色は同じだがふわふわはしておらず耳がピンっと立っているのがチャーリーンだ。二足歩行する犬の姿をしたコボルトの姿そのままの二人だが、二人ともとても愛らしく、女性や子供受けする事間違いない。
移動時にDM室の騒動で二人揃って腰が抜けたコボルトの少女をどうするかとの問題はスチパノが治療する事で解決した。
ちなみにフジャンは部屋から緊張感が消えると自力で回復している。
スチパノに治療が可能になる様な技能は付与していないのだが、新たに浮上した疑問を頭にメモしてネームレスは足を動かしながら思考に耽る。
ネームレスが黙り込んだ事と、先程のDM室での失態でフジャンとコボルトの少女らも口を閉じ、スチパノはネームレスを観察する為に無言で視線を投げていた。
新たに創作された三人とも――スチパノには他にも思惑があるが――多忙な内政班の長であるエレナの負担軽減に用意された人員だ。
戦闘の勝敗を分ける要素は無数にある。練度、装備、士気、人数、地形……、これらの中でネームレスが特に重視しているのが後方支援だ。
戦争は数、との名言があるが、その数を支えられる地盤がなければ自滅するだけである。そういった観点からネームレスは農場部屋の業務運行に注意を払っていた。
それ故の追加人員、ユーンにプリへーリアとチャーリーンを創作したのだ。捕虜コボルトの働きぶりから、先ずは一体だけ創作するという慣例を破って二名創作したコボルトは、その創作必要Pの低さも相まって内政人員の主力候補でもある。
将来的には農場部屋自体を増やして食糧の増産が必須である以上、内政に適した魔物の創作によらない繁殖もしなければならない。
ネームレスなりに、いくつかの案を多角的な視点から運用しているので、あれやこれやでPが全然足らずに歯痒い思いを味わっていた。
中鬼オクルス反逆の検証、襲撃側という主導権を握っている間での強敵との戦闘経験、そういった理由をつけて自己強化は後回しにしているネームレスだが、Pさえ有ればとは悩んでいる。
もっとも、ネームレスの優先順位としては、これらの理由で自己強化は低い、Pに余裕があっても他の事に使われるだろうが。
農場部屋へと先導するのは、ランタン型の魔具を持つゴブリン族長フジャン、その後ろに地下迷宮の主ネームレス、枝悪魔長デンス、プリへーリアとチャーリーンのコボルト少女、殿をスチパノが勤める六名で向かっている。
小柄で歩幅が狭いフジャンの先導なので、一行の進みはゆったりとした物だ。そんな歩みの中でネームレスは、予想外の強さを誇ると思われるスチパノの考察、検証方法、彼の立ち位置等を思案している。
没頭するあまり隙だらけであるネームレスの後ろ姿にスチパノが眼差しを向けていた。つい先程まで、敵対的な関係だった、とも言える己がすぐ側にいるのに、こうも無防備に背を晒せる事を胆力があると評すべきか、油断、慢心からか、スチパノはネームレスを推し量る。
危機管理意識が欠如した愚者、と断ずるにはDM室での対応と整合性が取れない。ならば、信じた、あるいは信じようとしているのだろうな、スチパノは隙を晒す態度をそう結論付けた。
コボルトへの対応から配下を駒扱い、数字扱いする様には見えない。それが決め手となり、スチパノはネームレスに仕える事を決意した。君は君たり、臣は臣たり、君が君足らぬならば諫言を持って正さねばならぬ、それを聞き入れるだけ器量があるか、そして真に君主たるか、と見定めんが為にスチパノはネームレスに一層注視するのだった。
地下迷宮の食を支える生産施設、農場部屋は人造人エレナが手綱を握っている。彼女の下に農業と家畜の管理に彼女と同じホムンクルスのネブラ、女淫魔ヴォラーレが農奴の管理をしていた。
農場部屋外のDM室や執務室等の掃除を担当している住居精霊リーンもまたエレナ配下だが、作物の水撒き等を手伝っている水精霊ミールはネームレス直属である。あと、農場部屋詰所(農場部屋と迷宮の出入口)で、ほぼ置物と化している、動く石像ロッシュはエレナ麾下だ。
ヴォラーレが世話役の名目で管理している農奴は、奴隷としてヌイ帝国に向かう途中で奪取された少女達である。村を、家族を養う為に奴隷に落ちた彼女らの他にも、奴隷商の下で労働奴隷として使われていたコボルト、少女らと同様商品の奴隷だった森妖精族と合わせて二十六名だ。
エレナはこれだけの部下の統轄、作物の育成計画の立案や他にも多数の仕事を抱えている。そして、ネームレス、農奴の捕虜に加え、ゴブリン十一名、インプ七名の三度の食事の用意も彼女の仕事である。
多忙な中、これらを完璧に達成し不満を感じさせないエレナの手腕に舌を巻く。故に、捕虜のチュヴァ、ミラーシ、ナーヴァの三人が体調不良に陥って発覚した、健康管理の不備も、責任者であるエレナの仕事量を考慮すれば見逃したのも致し方なかろう、これがネームレスの見解だ。
むしろ、エレナの負担に気付かなかった己の責任であり、それらの解決の為に捕虜の健康管理と医療担当に一角獣ユーンを。妊娠中のゴブリンが多数いる事から、ますます手が掛かるであろう調理の担い手にコボルトの少女二人を新たにエレナの下につける。
スチパノは地下迷宮第二階層が完成するまでは、農場部屋に勤務させて、いや、まずは戦闘能力の確認を……、この様な事を思案しながら農場部屋にたどり着いたネームレスは、エレナの姿を求めて室内を見渡す。
詰所から出て来た一行は、近くで作業をしていた捕虜達から注目を浴び、本日三度目のネームレスの訪問に慌てる彼女らが右往左往する。
仕事を中断してネームレスを出迎えるべきか、そうするよりも仕事に精を出した方が彼の不興を買わないか、との迷いからだ。
そんななか、ヴォラーレがネームレスの元に駆け寄る。
「ネームレス様、いかがなされました?」
「エレナは何処だ?」
ネームレスは、彼の背後に控える三人に注意を払うヴォラーレにそう尋ねた。
「お待たせして申し訳ありません、ネームレス様」
ネームレスがヴォラーレに問いただした直後、エレナが農場部屋食堂から出てきて返事をする。ネームレスがエレナを呼び出すと予測していたデンス、農場部屋食堂に飛び込みキッチンに居た彼女を連れ出して来たのだ。
困惑の表情を浮かべ、作業に身の入らない捕虜達の動揺と原因を素早く見抜いたエレナはネームレスに
「捕虜に作業を中断させ、出迎えさせましょうか?」
「いや、構わん」
確認を取り、仕事に集中する様に指示をだす。ネームレスの答えはエレナの予想通りの物だが、彼を目前にして彼女が頭越しに指示を出してネームレスの面子を潰さぬ様にとの配慮である。
その間にデンスが農場部屋に居る魔物らをネームレスの元に集めていた。ネブラ、ミールと次々とネームレスの元に送り、最後にユーンの元へ。
傷心から意識を手放し、立ったまま気絶していたユーンにデンスが声をかけ起こす。声をかけただけでは覚醒しなかったので、上空から態々(わざわざ)冷たさが一段と増している、小川の水をぶっかけて目覚めさせた。
《冷たっ!? 何事?》
「ユーン殿、ネームレス様が御呼びです」
身体を振るい水分を飛ばすユーンに、飛沫がかからぬ距離から告げると、デンスもまたネームレスの元へと戻る。
《こ、高貴なる我の輝く毛並みが……》
うぅ、乙女らよ、本当に淫魔は危険で危ないのだ。と、気絶前の光景を思いだし、どんよりとした空気をまといながらネームレスの元へとユーンは歩く。ユニコーンにとって、何よりも大切な乙女や乙女候補からの口撃を受け、その後遺症で言葉使いが変になっている。
きゃつらはひたすらにエロい事しか考えておらん、油断すれば同性異性の区別なく食っちゃうんだぜ、あいつら。あの女狐から乙女らを守らねば、落ち込んどる暇等ない。
決意を新たに気持ちを入れ替え、ネームレスの元へ急ぐユーンの視界に、排除対象のヴォラーレを含む一行の姿が入る。だがユーンは宿敵とも言える淫魔さえ意識から消し飛び、ひたすらにネームレスの背後に控える美丈夫に目がいっていた。
処女だからとて無条件にユニコーンの背に跨がるのを許される訳ではない。受肉した精霊と称えられるユニコーンは、外見だけでなくその精神、魂を見抜く力がある。
外見だけと言うように、見た目も重要だが、気高い精神や純粋無垢といった内面がもっとも重視され、ユニコーンの背を許される乙女は何百人に一人、という確率だ。
ただでさえ気位が高いユニコーンだが、ユーンはカスタムにて技能プライドを付与されており、倍どころか二乗されたぐらい扱い難い。
そんなユーンから見てもネームレスの背後にたたずむ美丈夫、スチパノの精神の気高さは目を見張るものである。切れ長の瞳を持ち、彫り深い精悍な顔立ち。ぱっと見だと足が長くすらっとした印象だが、ユーンには実戦的な筋肉とスタミナを支える脂肪が絶妙につけられた肉体だと看破していた。
落ち着いた眼差しだが、油断の欠片もない。だからと言って警戒心や緊張感が伝わってくる様な事もなく、穏やかに余裕さえ感じられる。
簡単にユーンから見たスチパノの印象を表すとこうなる。
こんな男が大切な乙女を大人の階段かけ上らせて散らす。
《天はユニコーンである我、故に我の怒りは天の怒り、すなわち天誅!》
魔物特有の力の差を感知する能力で、己ではかの美丈夫には逆立ちしても敵わぬ、ユーンはそう嫌になるほどスチパノとの実力の違いをはっきりと感じる。
だがしかし、座して待てばその内ユーンの大切な乙女らが、「私、貴方にならあげてもいいです……」となるのは目に見えていた。
乙女の、乙女の大ピンチ、我が、我が守らなきゃ、ユーンは相討ちでも殺す覚悟を決め、誇りさえ捨て去り名乗りもあげずに必殺の想いを込めて突撃を敢行した。
スチパノを貫くべく角を向け一直線に駆け出す。かの美丈夫を打ち倒せる可能性は十分な加速を得られるこの不意討ちの初撃のみ、額の角を輝かせ地を蹴る四肢に力を注ぐ。
乙女の為にならば己の命も、誇りすら惜しくないユーンに迷いはない。
創作された魔物はDMとの意志疎通を容易くする為に、DMが持つ知識の一部を刷り込まれる。異世界の魔物のはずなのに、しぼうふらぐ(死亡フラグ)等の表現を使ったりするのはそれ故だ。
ネームレスは農場部屋内の魔物が集まるまで、エレナから臥せていた少女らの経過やらの報告を受けていた。
そこに疾風迅雷の如くユーンが駆け抜けネームレスの背後に居たスチパノに襲いかかる。
《てぇえんっちゅぅうぅぅ! ギャーァアァアァァアアッ!?》
が、打ち合わせでもしていたのか、と疑ってしまうぐらいスチパノは綺麗にユーンを投げ飛ばした。人形同士なら有り得る光景である、逆にスチパノが撥ね飛ばされたのなら想像も容易い。
しかし、ネームレスの目にうつるのは体重が五百キロはあるはずの馬体が宙を舞う姿。
これにはネームレスもぽかんと口を開き、エレナとヴォラーレは目を見開き、ネブラは不思議そうに首を傾げ、デンスは固まり落ち、ミールは何時もの無表情と様々な反応を示した。
そんな反応にスチパノは何事もなかった様に軽く肩をすくめる。
《……きゅっ》
地響きを立て地面に叩きつけられたユーンは再び意識を手放す。
「スチパノ」
それで何とか正気を取り戻したネームレスが掠れた声で呼び掛け
「ボス、どうされました?」
「迷惑を掛けた」
配下の不始末なので詫びを入れた。
後、やっぱりあんなに綺麗に投げ飛ばす様なスキルは付与してないのだがな、ネブラが「大変だよ、さ、フジャン!」「へ? ぁぅぁぅ!?」とフジャンの手を取り、ユーンが倒れている場所まで走り出すのを、ネームレスは頭痛で回転が鈍い頭で見送るのだった。