三章第三話
地下迷宮の主であるネームレスが、内政面での片腕たるホムンクルスのエレナから緊急事態の伝令を受け取った朝から時間は昨夜に戻る。
一部の野菜が壊滅してから段階的に減らされる仕事に、もしかして役たたずとして処分する為の準備ではないか。仕事量が減り遊びの時間が増えた事を単純に喜ぶ子供らと違い、時に大(村や商売)を守る為に小(村民や従業員)を切り捨てる事を知る歳嵩の少女や犬人は戦々恐々する日々を過ごしていた。
追放された処で帰れる場所等なく。故郷の村に戻れば、家族に村民にと迷惑が及ぶ。
故郷以外の町や村へ行っても働けないので遠からず破滅が待っている。基本的に就職するには保証人が必須であり、間口が広い傭兵ギルドでも、ギルドが認める保証人が居ないと門前払いだ。
大概は出身地の長である村長や神殿の神官が務める。村民も町民も領主の財産である、しかも基本的に職業選択の自由も権利もない。
兵役すら、誰が領主の何処出身との保証が必要であり。農民は嫌商人は嫌、と逃げ出すだけでは盗賊か奴隷に身を落とすか野垂れ死ぬだけなのだ。
これらの保証人制度は、民が納める税が収入源である国や領主、そして神殿の強い庇護がある。無論、商人や職人ら雇用側にも利があり、様々な利権が絡まり強固な構造と化していた。
基本的に権益を守りたい職人や、将来の競争相手を育てたくない商人らの元でまともに技術伝授や商売教育を受けるのは難しい。保証人に加えて紹介状等もなければ使い潰されるだけだろう。
ネームレスの口から直接問題ない、と伝えられている捕虜達がこうも不安に駆られているのは内政班の暗躍があるからだ。
暗躍には不向きな性格でちょっと残念なネブラや極端に無口である水精霊ミールは加担していない。エレナとヴォラーレが捕虜達の増長を防ぎネームレスへの忠誠や敬愛を植え付けるべく不安を煽り、慰め、また煽りと、捕虜の心理状態を調整しているのだ。
巧みな話術で二人は捕虜達の味方を装いつつ、ネームレスを貶さずに捕虜の心境を操作する。
仕事をせずとも、手を抜こうとも食事を減らされたり体罰はないと増長を防ぎ、役に立たなかったり手を抜けば処分されてしまうと恐れる様に。
「……あ、あの、ヴォラーレ様」
「どうしたの、ナーヴェ?」
入浴と夕食を済ませて、捕虜達の寝床小屋にて寝る前のお喋りもそろそろ終わる頃、捕虜である冬の初頭生まれにてダンジョンで十四の祝いをしたばかりの栗毛の少女ナーヴェが言いづらそうにヴォラーレに話し掛けた。
「大丈夫ですよね、私達」
暖炉型の冷暖房魔具の力で冬なのに毛布一枚で十分暖かい室内なのに、ナーヴェの言葉でまだ起きていたチュヴァやミラーシは血の気が引いて震えだす。
ナーヴェも幼い子達に配慮して、幼少組が寝入るまで待ってこの話題を持ち出した。
「ネームレス様は働きには報いてくださる方よ」
少し困ったかの様に、言いたい事があるが口に出来なさそうに見える風に演技をしながらヴォラーレは直答を避ける。
「そ、それじゃ何で仕事を減らされてるんですか!?」
チュヴァ達よりも顔色が悪く青を通りこし白くなっているナーヴェは、寝ている子達に気遣い声量はおさえているものの声質は切羽詰まったものだった。
見かねたチュヴァとミラーシも加わりヴォラーレと三人でナーヴェを宥めだす。ヴォラーレは腹の底で計算通りになっている状況を冷徹に観察しながらだが。
エレナとヴォラーレが捕虜に施している心理操作は簡単な情報の制限と与えるタイミング、出過ぎない助言によるものだ。
考えや思考を押し付けられたと本人が感じれば効果は薄い、故にエレナ達が望む方向に誘導して、捕虜自身が自分で考え抜いたすえの結論だと思い込ませる。
捕虜らの信頼を勝ち得たエレナとヴォラーレからすれば、思惑通りに行き過ぎる事を警戒してしまう程に計略が進む。
インターネットもテレビやラジオに新聞等の情報触媒や報道機関もない為に伝聞でしか知識を得られないウウゥル大陸の、村社会の狭い共同体しか知らぬ元農民でなおかつまだまだ経験が少ない若輩者ばかり。
そんな少女達の思考誘導や心理操作など、たやすい事だ。それに何も捕虜らに嘘偽りを述べている訳ではない。例えば地下迷宮と生まれ故郷や馬車での旅中の(そと)食事の違いを聞いたり、だ。
ネームレス配下である迷宮側から、食事の質と量の事を言い出して恩着せがましい印象を与えずに、捕虜自身に気付かせるのだ。ネームレスの下での生活がいかに恵まれているかと。
与えられて当然との増長を防ぎ、今の待遇が続くようにと労働効率を落とさない、むしろ上げる努力をする方向へと。
これらの処置を受けているのはチュヴァにミラーシとナーヴェ、それに森妖精族の少女の四人のみ。正確にいえばエルフの少女を落とす為に、状況の不自然さを軽減させ落とし易くする為にだが。
エルフの少女以外の三人は以前から農作業の効率を上げる提言をしていた。魔具の首輪で喋れないエルフとて仕事の手を抜いたりはしていない。
それに少女達も愚かではない、元々働く事が当然であり、以前の腹を空かせながら実らせた麦を口に入れる事無く租税として持って行かれてしまう。そんな生活も寒さに凍える事もない、今の暮らしとどちらをとると言われれば、答えは決まっている。
故郷や家族に申し訳なくもあるが、それらの為に奴隷として売られたのだ。生んで育てて貰った恩は返せたはずで義理も果たせたはずだ。
恩だ義理だとの思考はエレナ達の誘導の結果だが、人間族の少女の大半は折り合いをつけていた。
コボルト達は、調教されてはいるが魔物の本能もあり勝者である強者たるネームレス勢に気にいられようと積極的に仕えている。エレナやヴォラーレが問題ないと放置するぐらい。
捕虜勢で唯一の戦闘員であり消極的中立と感じられるエルフの少女を標的にしたエレナの、正確にはヴォラーレの謀略だった。
ネームレスは自分が捕虜と頻繁に会うと己への畏怖が薄れかねない、との配慮から伝達をエレナの口から任せていた。それに目を付けたヴォラーレがエレナに交渉して謀略に引き込んだのだ。
どの様にしてと説明すると、農場部屋の季節設定が秋から冬に切り替わり、野菜の一部が駄目になって騒ぎとなった日の夜まで遡る。
ヴォラーレは何時ものように捕虜達とお喋りを介した交流で好感度や信用度を稼いで寝かしつけた。その後に彼女は農場食堂のキッチンにてエレナと共に食器を洗い、ネブラにミールとリーンはテーブル拭きや床の掃除と仕事を振り分け別れていた。
労働の疲れと満腹感、迷宮に来るまでの生活習慣から捕虜の寝る時間ははやい。一時期、年嵩の少女らは食事の後片付けを手伝っていたが、身体を休めて農作業に集中させるようにしている。
色々な出来事からすっかりエレナに頭が上がらなくなったヴォラーレは、己が画策している計画を推し進める為に恐怖で逃げ出そうとする身体を何とかねじ伏せてエレナに後宮創設の話題を振る。
「エレナ様、至大至高にし唯一無二たる支配者であらせられるネームレス様の周辺には相応しい華で飾らなければならないと愚考致します」
今まで観察したエレナの性格や思考から彼女の不興を買わずに賛同を得られるだろう理由付けと言い回しをして。下手に機嫌を損ねたら命がないとの危機感が強いヴォラーレは、エレナの分析は念入りに行い、頭の中で何度もシミュレーションしてから。
ヴォラーレの推測通りか、あるいは部下からの意見具申を頭ごなしに否定する気はないのかエレナは激昂したりする事もなく応じた。
「ええ、ヴォラーレ。それは当然必要です。ですが、今現在後宮を作り上げてもネームレス様の邪魔にしかなりません」
少なくともネームレス自身が迷宮構築の為に動く必要がない段階にまでならなければ、それまではエレナとヴォラーレで奉仕すれば問題ないとエレナは考えている。
エレナからの却下にヴォラーレは状況が変化すれば賛同を得られる、とこれ以上の説得は無意味で不興を買うだけだと判断すると話題をかえようとした。
「そうですね、エレナ様。ネームレス様が寝室でゆっくりと休めるようになってからですね」
「そうね、ヴォラーレ。でも、前準備だけはしていた方が良いかも知れません」
まさかの意見にヴォラーレは食器を布巾で拭い食器棚に仕舞う手を止め、食器を洗うエレナの後ろ姿を思わず凝視する。ヴォラーレが想定していたエレナの反応から大きく外れた発言だったからだ。
計画が前倒しになるのは歓迎すべき事なのだが、ヴォラーレは何故か違和感を強く感じる。
分析が不十分だったから、エレナの思惑や感情を読み間違えた。予想外の発言の原因をあげれば幾つか思い浮かぶ。命懸けだったから、エレナのプロファイリングはかなり緊密に行ったのだが。
いくら何でも気にしすぎかしら、とヴォラーレは思考を切り替えると、素早く捕虜達への心理操作に必要な思考誘導の方法等をエレナと話し合ったのだった。
ナーヴェを三人係りで宥めて寝かせると寝床小屋から出てヴォラーレは、農場食堂の後片付けの手伝い兼エレナへの報告に向かう。
ヴォラーレが出て行った捕虜小屋では、彼女が居た時は近寄らなかったエルフの少女が寝入ったナーヴェを抱き締めると精神を司る精霊に働きかけて弱っている心を癒しだしていた。ヴォラーレから監視を引き継いだ枝悪魔から観察されながら。
「そろそろナーヴェは限界です。明日は計画通りネームレス様に足を運んで頂くべきかと」
「そうですか。ならば明日の早朝、ネームレス様に伝令を飛ばします」
エレナとヴォラーレが捕虜に施している心理操作は、捕虜の不安を煽り恐怖心を強めたところで救いの手を差し出す、という古典的な方法だ。不安や恐怖心が強ければ強い程、それから助け出された人はどう思うだろうか。
吊り橋効果と言えば聞こえは良い、きっと助けてくれた者に不安や恐怖心に比例して好意や親愛を感じるだろう。劇的な効果などなくて良いのだ、僅かでもそれが積み重なればやがてはどうなるかは想像に易い。
もっとも似た事を繰り返せば気付かれてしまうので、壊れる寸前まで追い詰めてから、だが。カルト教団等が行う手法であり、マインドコントロールや洗脳の手段である。人間の心や想い、信念を変えるのに薬や暴力など必要ないのだ。
恩にもならない事で恩に着せ、必要のない罪悪感を植えて後ろめたく感じさせればいい。
例を出せば、試食がある店頭販売だろう。無料、試しにと食べてしまえば無意識的に『食べたのだから買わなければ』となる人間心理に元付いた販売方法であり、効果があるから多く見られるのだ。
捕虜の中にネームレスへの好意を欠片でも芽生えさせれば、後は淫魔の得意領域である恋愛の駆け引きを応用すれば良い。エレナに気取られないように表面では、エレナに恐怖して従順な振りをしながら内心で高笑いをあげるヴォラーレだった。
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エレナは朝の体操時、今にも倒れそうな顔色で動きに精彩を欠くナーヴェやチュヴァ達を直接確認した後、病気で倒れるような者は処分され兼ねないと働かせて欲しいと必死でいい募り抵抗する少女らを「いいから休みなさい」とヴォラーレと二人係りで無理やり休ませる。
見張り役をヴォラーレに任せるとすぐさまネームレスへ緊急召喚の伝令を飛ばした。不安がる残りの少女らをネブラやミールにリーン、コボルトにエルフの少女と協力しながら宥めて仕事や食事をさせる。
心配のあまり泣き出す子を抱き締めたり涙を拭いたりしながらも、捕虜小屋でチュヴァ達を介護しながらもネームレスの救いの手の有難さを重くするべく動いているだろうヴォラーレを思惑に頭をまわす。
悪魔であり淫魔であり捕虜への演技を含む対応を考えれば、ヴォラーレが己を利用して何事かの陰謀を張り巡らせているのは読める。
エレナはヴォラーレの考察をしながらも「大丈夫よ、すぐにネームレス様がどうにかしてくださるから」と慰めている少女に声を掛け、一緒に残った少女らとその面倒を見るエルフの耳にも入るように意識して行動していた。本来の目標であるエルフの少女は、一般人である元農民の少女達と精神力が違い倒れる程の精神的負担の領域にない。
チュヴァらの体調不良が精神的な物からだと理解している、というよりそうなる様に策を労したのだから、その心配事(処分されるのではとの不安)が解消されれば回復するのは簡単に予測できる。
そうなればネームレスへの畏怖が強い捕虜も畏敬の念が強くなるだろう。事前に聞かされていれば、エレナが言っていた通りだ凄いとネームレスの畏敬がますます高くなり、なおかつエレナへの信用も高まるに違いはない。
エレナはこういう計算の上で、強く印象に残る様にと一人一人の名を呼び抱き締めて慰めながら似た言葉を語り掛ける。慰めている少女とエルフの少女の印象に強く残るように。
今回は外堀を埋め、本丸攻略への足掛かりが出来たと満足しておきましょう。聖母の如く捕虜を慰めながらエレナは冷徹にエルフの少女を落とす次の策とヴォラーレの狙いを考えるのだった。




