閑話 探索者4
フルゥスターリ王国北方の護りの要であり、交易にて莫大な益を王国へもたらす要塞都市アベローナ。四重にも列なる外壁はこの都市がいかに攻略についやす労力が莫大になるかと周辺国家に示唆していた。
王家直轄都市であるアベローナの名目上のトップは駐留軍司令官だが、実質的なトップは行政機関の長である市長だ。国王の代官である市長は駐屯軍の指揮権こそないが、拘束や捕縛に裁判権を所持している。
故にアベローナでは軍人だから、貴族だからと立場を利用した揉み消し等の特権はほぼない。ただしこれらの権限は平時でのみ、戦争や都市が襲撃を受けた等の緊急時は軍司令官に全ての権限が委譲されて軍の行動に横槍を入れられない様処置されていた。
探索者のパーティを率いるヴュニュスは、アベローナの傭兵地区と呼ばれる一角に居を構える傭兵団の一つに臨時講師として雇われていた。
雪に閉ざされ身動きのとれない夜神の巡り(冬)を前に自由民のヴュニュスとしては光神の巡り(春)までの臨時職として最上級といっても過言でない職であり、職場でもある。
傭兵地区とは名が示す通りアベローナの北外壁にある大門から戦神神殿を挟み広がる区域を指し、軍と市長と傭兵ギルドの三者協議に基づき定められた傭兵用に用意された土地だ。
傭兵見習いでも利用出来る安い宿から規模がそこそこの傭兵団用の拠点、訓練所や武具屋に食堂等々も傭兵ギルド員ならば様々な恩恵が受けられる。傭兵を家業にする様な血の気の多い人間を一ヵ所に集めて、交易商や行商に軍や一般人とのトラブルを可能な限り防ぐ為の処置だ。
信用と実績のある傭兵や団は内側の壁内部にある施設へと移り、最外部壁の傭兵地区を利用する傭兵は見習いから中堅層付近ばかりである。
ヴュニュスが講師として教える相手は、傭兵団員の子供たちでギルドの見習い規定年齢に達していない八歳から十二歳までの少年・少女ら。ギルド規定では十五歳からしか所属出来ない事になっているが、戸籍等が確りと制定されていないフルゥスターリだと体格や機転次第で入れない事もない。
農民の子は農民、職人の子は職人、商人の子は商人、こういう考えが基本的なフルゥスターリでは傭兵の子はやはり傭兵となるしかない。農民に職人、果ては貴族からでも傭兵と成す事は可能だが逆はまずありえない。
金の為にどこぞの戦場の露と消えるのが大概の傭兵達の行く末であり、功績を認められ兵士や貴族に取り立てられる事等は極めて幸運な一握りの傭兵だけだ。
「魔術師や神官が居ない状態で不死者系の魔物とあいまみえた時は、まず逃走を考えるべきだ」
石造りの小屋内で十数人の少年を前にヴュニュスは声を張り、対魔物講義を取り仕切っている。普段から少年らを教育している老傭兵は少年達の背後で小さくぼやいていた。
「……こいつら、俺がやるときはサボったり逃げ出すくせしやがって。美女が講師だと気合いの入れかたからして……」
深紅の髪に燃える炎のごとき瞳をしたヴュニュスは傾国の美貌の持ち主であり、五ヵ国同盟の一角ミュール王国とヌイ帝国の交易商、フルゥスターリ王国の行商とで賑わうアベローナでも屈指、いや、そのなまめかしい肢体を含めれば美女の頂点に座するとの評価を否定できる者はおらぬだろう。
「だが依頼によっては逃走もかなわぬ場面も多い。理想とすれば部隊に魔術師と神官が最低一名ずつ居ることだが、そんな事はまずかなわない」
一言一句を聞き逃さないといわんばかり気迫を醸し出す少年達にヴュニュスも熱が入る。
「君達も先達から言い聞かせられているだろうが、こんな場合こそ普段からの準備がものをいう。下級のアンデット相手ならば聖水は絶大な効果を及ぼすし、銀製の武器ならば実体のない幽体系の魔物にもダメージをあたえられる」
理解がおよんでいるかとヴュニュスが一旦話を止めると少年らの顔を見渡す。困惑している少年が多く、互いに顔を見合せ己だけでないのを確認して安堵する少年達。
「銀は古より破邪の力を宿し、魔術刻印を刻んだり祝福を与えられなくてもアンデットや精霊を打ち払い滅ぼす事が可能だ」
基礎の基礎たる知識なのだが、との内心を醸し出さずに詳しい説明を加えるヴュニュスに、教官役の老傭兵は彼女に目礼で謝る。銀の説明はそれこそ学がないといわれる農民の子供でも親や親族、村人から教えられ知っている事だ。
「銀製の武器はひどく高価だ。だがいざという時の為に銀のナイフ一本でもあれば危機を脱する事ができる。そう、あれは私が……」
知識だけを詰め込んでも、やる気が継続しないかも知れないし、印象も薄くなりかねないとヴュニュスは教え子に自分が実際に体験した冒険談も交えて講義を進めるのだった。
ヴュニュスが傭兵団の臨時講師として熱弁を奮っていた時、彼女がリーダーを勤めるパーティのメンバーである三人もまた、それぞれ夜神の巡り間中の内職先を確保していた。
元々が農民で戦闘技術しか特技のないノワールは酒場に用心棒を兼ねたウェイトレスに、王都リオートの魔術師ギルドに所属するペルルは街灯に明かりの魔法を施したりする雑務にあたる部署にコネで。
最も魔術師ギルドの雑務は研究者的な、あるいは実戦的な魔術師に当然ながら不人気な部署なのでやっかみ等はなく、むしろ歓迎されていた。
そんな二人とは違い、職人としても食べていけるだけの技量のある大地妖精族オンブルは要塞都市アベローナの東方、その最も外壁付近にある通称職人区域にいた。煉瓦造りの無骨な建物が建ち並び、無数の煙突から煙が立ち上る。辺りには様々な騒音が響き、異臭が鼻につく。
その名が示す通り様々な職種の職人が工房を構える地区だ。鍛冶師や石工、革職人に靴屋に仕立屋と様々な職人がそれぞれの職種で固まり職業共同体を形成している。
同職内での足の引っ張り合いによる共倒れを防ぎ、品質の安定化や規格や価格の統一により共存共栄を実現していた。いわゆる職人ギルドの雛型であり、悪くいえば技術独占と談合にて儲けているのだ。
余りにも利に走りすぎれば消費者の反感を買い、治安悪化を招く原因にもなり行政から睨まれ潰されたり、目敏い商人が他所の町等から輸入して職人共同体に打撃を加えたり、とそこまで好き勝手は出来ないが。
それに職人共同体の発足は、職人の収入の安定化による技術向上や後身育成、不良品や低品質品の市場への流出防止にて信用向上と消費者側にも利点はある。
そんな職人共同体の一つ、鎧職人達が取り仕切る区域にある工房にオンブルは臨時職人として草履を脱いでいた。
技術独占を目的とする共同体に雇われる事は取り込まれ身動きがかなわなくなる。
本来ならば身内となり骨を埋める覚悟でなければ加入出来ず、共同体から脱け出すのは文字通り命懸け。職人は徒弟制度で技術を身に付け、親方はそれこそ弟子に対して絶対的な支配者である。
職人世界は軍隊に匹敵する上下関係、弟子は師である親方に絶対服従が当然の世界だ。十歳前後より弟子入りし、親方や兄弟子らにいびられながら技術を身に付けて一人前を目指す。
そんな職人世界はどうしても閉鎖的であり、排他的になってしまう。普通に流れの職人等は考えられないのだが、例外としてドワーフ達が居る。
戦士として職人して独り立ちを許された若いドワーフ達は武者修行の旅に出る。人間よりも進んだ技術を持ち、また再現不可能な技を駆使するドワーフは人間族の職人からすれば技量が違い過ぎて己の技を盗まれるという警戒対象にならない。
むしろ僅かでも技術を盗もうと宿を請われ、工房の貸し出しを願われれば断る事はない。そしてドワーフに技術独占という考え方がなく、新たに発見や開発した技術や工法は共用され、他人に教える事に禁忌もない。
炉心の燃料の薪や原材料の鉱石や革、寝床に食事に酒の提供を報酬かわりに仕事の手伝いや人間族に再現可能な技や新工法を伝授するのだ。
自分の考えを主観とするので、人間側は盗んでいる積もりであり、ドワーフ側は教えている積もりなのだ。この考えのすれ違いは、人間・ドワーフ職人共同の技術は見て盗めが当然である為に気付けない大元の原因だが。
成人した人間を丸々茹でる事が出来るほどの大鍋が、ぐつぐつと煮だち悪臭を放つ。鍋の中身は皮を固める為の特殊な液体で、その配合や原料はこの工房の秘伝だ。
奥には鉱石を溶かす為の炉心が火を噴き、何人もの職人達が上半身裸で汗を流しながらハンマーを振るう。その近くで幼さを残した少年が薪を炉にくべ、兄弟子が熱して赤くさせている鉄を取り出すタイミングを盗み学ぼうと目を光らせていた。
そんな熱気が溢れる現場の隣の部屋で何人ものお針子の女性が革を縫い合わせ、鎧下用の肌着を縫っている。
アベローナ一の鎧鍛冶工房は夜神の巡り中に装備を更新する軍や傭兵からの注文に追われ、光神の時(朝)から夜神の時(夜)まで喧騒が途切れる事がない。
オンブルもまた、この工房でも二人の上位弟子と親方しか許されない騎士鎧の製作に手を貸していた。ある程度共用可能な遊びがある鎧と違い、軽量化の魔術刻印を刻んだり、ぴったりと体格にそいながらも動きを阻害しない造りにせねばならなかったり。この様な色々な、そして高度な技術を要求される魔術刻印付き騎士鎧造りが可能なのはアベローナだとこの工房だけだった。
日が沈んでも魔法にて昼間と変わらぬ明かりが闇から都市を浮かび上がらせるアベローナ。オンブルは工房の親方に招かれ共同体の会合という題目の飲み会へ。
ぺルルは白い息を吐きながら街灯灯しの巡回に魔術師見習いを引率、ノワールはかきいれ時を迎えた酒場で料理やエールのはいった陶器を両手に商人や職人で賑わうテーブルと厨房を行き来している。
そしてヴュニュスは先々代の団長であり、普段は教官をしている老傭兵ハワードと共にアベローナ四重壁内の二壁内側にある高級レストランで食事をしていた。
「いや、助かった。何時もは熱意に欠ける餓鬼どもも、ヴュニュスが教えりゃあんなに熱心になりやがる」
まぁ色気付く時期だしな、と普段より上等な服装姿のハワードは、葡萄が良質だった巡りに仕込まれた上質な香りと味わいのワインを楽しむ。
ヴュニュスもまたドレスアップした姿だが、露出はおさえられ清楚なイメージを抱かせる白を主とした姿だ。ただ豊満な肉体が彼女を裏切って色気を振り撒いている。
「あの年頃は外で駆け回るのが楽しい時期ですから」
他の客や店の従業員からの下品にならない程度の視線に晒されながら、ヴュニュスも柔らかく応じる。
「しかし、おねしょの後始末してやったチビが、こうも化けるとはな」
「お、叔父様! ん、ごほんっ。ハワード殿、物心つく前の話故に……」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべたハワードがヴュニュスをからかい。羞恥で涙目なヴュニュスが情けない表情で、その話は止めてくださいと訴える。
だが断る! とばかりにヴュニュスの幼少時の失敗談がハワードの口から語られた。
「あれだ、大きくなったら俺のお嫁さんになるから待っててねっていう約束覚えてっか? あの後、おまえが寝入ってから弟に殺されかけたぞ」
嘘だ、と否定したいヴュニュスだが、ハワードの語る内容に刺激されて忘れていたエピソードを思い出した。優秀すぎる己の記憶力と叔父を恨みながら彼女はグッタリと白旗を上げた。
「お、叔父様、本当に許してくだしゃい」
その後も様々な思い出を語るハワードだが、声量はおさえ料理等を従業員が持って来た時は黙ると一応の気遣いはしていた。そういう気遣いより、失敗談を忘れていて欲しかったヴュニュスだったが。
ヴュニュスが父の兄であるハワードと偶然再会したのは光神神殿より死霊魔術師討伐依頼を一応終えて、アベローナで光神の巡りまでの内職探しをしていた時だ。
「しかし綺麗になりすぎだろ? ヴォルフ(弟)もメアリー(義理妹)も確かに顔は良かったし、ユニスも二人の面影がある。だが始めは判らんかったぞ」
ユニスという父と母を喪ってから使われなかった愛称を耳にしたヴュニュスは、両親が居て、叔父が酒を片手に自分を構ってくれた過去を懐かしむ。
「私は一目で判りましたよ? ただ剣鬼の字で呼ばれた叔父様が、何故にあの傭兵団に居たのかが解らなかっただけで」
字、地域によっては二つ名や異名とも呼ばれる。自分で己を名付ける剛の者も居るが、ほとんどは本人の知らないところで呼ばれ始める。
同業者やギルド員、雇い主から呼ばれるならば一流の傭兵になったと考えてもいいだろう。もっとも呼ばれる本人が納得しているかは二の次だが。
古い名て呼ばれたハワードは苦い物でも食べたかの様な表情になり、それを見たヴュニュスは失敗談の仕返しが出来たとクスクスと笑う。普段の凛とした姿からは想像出来ない、幼さが残る年頃の少女の微笑みを浮かべていた。
「俺がユニス達から離れて、もう十五年か。そりゃチビも一人前になるか」
ハワードもまた、過去に思いを馳せる。懐かしい捨てた故郷を。
「裸一貫からやり直しだったからな。過去の栄光にすがる気がなかったんだよ」
だからギルドにも同名の別人として新たに登録しなおした、とハワードはヴュニュスに説明する。異名持ちである彼を惜しんだギルドが特例として許可したのだ。
その時点で戦士としての肉体的な絶頂期を過ぎていたハワードは無理はせず。剣鬼と称され一匹狼だった以前と違い、傭兵団を創設しての活動を始めたのだ。
「まぁ俺の事ぁこれぐらいにしてだ。ヴォルフとメアリーは元気か? というか、あの二人がよく傭兵家業というか探索者家業を許したな。ん? もしかして家を飛び出たのか?」
「……父はダンジョン攻略中に、母は病気で亡くなりました」
「……そうか。そいつはすまねぇな。何時だい?」
「叔父様が街から出ていって七年過ぎてです。父が死んでから、母が追う様に」
財産を騙し取られた事は話さなかった。近くに居てくれていたならば、ハワードは助けてくれただろう事をヴュニュスは確信している。両親の死を悼んでくれている叔父にこれ以上の負担をかけたくなかった。
ヴュニュスの失敗談を語っていた時と違い、物悲しくも懐かしい両親との思い出を語るハワードに感謝しながら、姪と叔父は亡くした家族を想うのだった。
格式高いポース式レストランて食事を済ませたヴュニュスとハワードは、彼女が泊まる宿まで送る為に二人でゆっくりと歩いていた。
「……それでハワード殿。ヌイ帝国へと出ている傭兵団本隊は何時帰国で?」
両親の死を告げてから続く空気を変える為に、叔父様でなくハワードと名で問いかけ、仕事の話をふるヴュニュス。
「……あぁ、もうぼちぼち帰ってくるはずだ。案外、交易路に居るんじゃねぇか」
真っ白になった頭髪をオールバックにしているハワードは、両親の話の前より老け込んだ印象だったが、仕事の話が始まると悠然としたちょい悪親父風な表情を取り戻す。
「帝国も反乱軍も戦力立て直しの時期だからな。小競り合い程度で本格的な戦闘はまずねぇしな」
おかげさんで団に緩い空気が出てたから、帰って来たら喝をいれたる。と冗談交じりにハワードは語り、ヴュニュスの気遣いを受け取る。
だが二人に、ハワードの前に彼が築き上げ鍛えた傭兵団が戻って来る事が二度とないと知る術はなかった。




