二章第二十七話
ネームレス率いる襲撃隊は日が沈み闇が覆う森を整然とした行軍で交易路へ向かう。地下迷宮の外で活動していた小鬼ランと枝悪魔の二体と第一簡易拠点で合流。
食事を済ませ骸骨兵に見張りを任せたゴブリン達は眠りにつき、インプは獲物が休む休憩施設の監視役以外が、葉がすっかり落ちた木の枝で蝙蝠の様にぶら下がって休む。
そんな中、ネームレスは焚き火に火をくべながら物思いに耽っていた。傍らには骸骨兵長イースが辺りの気配と同化し、ネームレスの思考を邪魔する事もなく警護についている。
日が昇ればまた人間を殺さなければならない、覚悟を決めた積もりだったが直前になればまた迷いが浮かぶ己の弱さに気が滅入る。
(違うな、殺人への忌避感が薄すぎる自分に、だな。)
それに犠牲を出さずに、いや、そもそも勝てるかどうか。武具を用意し訓練を重ねたとはいえ所詮魔物としての強さは底辺。強者とぶつかれば此方側が一方的に殲滅される可能性の方が高かろう。
ネームレスは溜め息や憂鬱な表情、恐怖で震えそうな肉体を気合いでねじ伏せ表面に出さない。習慣化している事もあるが、休んでいるゴブリンの一部から視線や聞き耳をたてているのを感じているからだ。
「早く休め、明日に響くぞ」
実戦経験者である古参組は寝入っている様子だが、初陣である新参組はなかなか寝付けないようだ。魔物とてやはり命のやり取りは怖いだろうから仕方ない事なのだろう。遠足前夜の子供の様に興奮して、の可能性も大きいが。
遠征や外出時の負担が最も重い水分は小川から補給が可能、疲労がない骸骨兵にて予備武具や消耗品の移送、とゴブリンが運ぶ荷物は必要最低限にして疲労を抑えている。
だがそれでも武具に食糧とそれなりの重量を運んで来たのだから、無視出来ない疲労は蓄積されているはずだ。
寝食を共にし訓練に励んだ魔物達と、見ず知らずの隊商の商人や護衛の人間。どちらの生命を優先させるか等考えるまでもない。
だが、平和惚けしていると言われる日本で育ったはずの自分が盗賊同然、いや盗賊をしている事に思うことは多い。
(普通逆じゃなかろうか? とか、これがゲームや物語なら序盤で蹴散らされるか、精々中盤の山場で退治される中ボスの役所?)
おそらくこれらの役回りを押し付けられたのだろうが、だからと言ってそんな道化役は御免蒙る。遅かれ早かれ己の地下迷宮は発見され、冒険者、でなく探索者か軍隊が攻めてくる。
それらを退ければ、次は勇者なり英雄なりが相手だろう。だからといって辺境等で隠れて過ごし、何時来るか解らぬ襲撃者に怯えて暮らすなんて冗談じゃない。
一つの命を踏みにじれば十の悲しみを、百の憎しみをうむと解っていても、命を喰らい強くならなければ。この状況の元凶に感謝するのは癪だが自己改造や魔物創作といった手段は豊富にある。だがこれらだけでは駄目だ、忠誠を得て、知識を蓄え、脆弱な精神を鍛え上げて……真の強者に。
その決意を胸に寒さとは違う理由で震えそうな身体を膝を抱き締めて抑え、その姿のままネームレスは目をつぶり眠りを迎えるのだった。
※ ※ ※ ※ ※
内乱に揺れるヌイ帝国は元来、広大な領地を治める為に一帝四王制――全土の支配者たる皇帝により、直轄領と四つに分割された公国を任された公王――にて統治されていた国家だ。
百年前の五ヵ国同盟との戦争での歴史的大敗をへて様々な思惑により、秘密外交にて結ばれた協定により休戦。休戦条約にて約束された五ヵ国同盟への損害賠償と献上の為に課せられた増税が内乱の引き金となった。
ヌイ帝国南東部ヨルム公国にて増税に異議を唱えた商人達が国家反逆罪で一族もろとも処刑され財産を没収される。ヨルム公国はウウゥル大陸で唯一、他大陸との貿易が可能な港と造船技術を持ち、珍品や貴重品を取り扱う裕福な商人が多い。
この事件で帝国に反感や危機感を抱いた、あるいは見切りを付けた商人らが非主流派で冷飯を食わされていた貴族や野心家の豪族等に水面下で援助し反乱を誘発。
事実上の敗戦にて権威と戦力に致命的な打撃を受けていた帝国に鎮圧する力はなくヨルム公国は滅亡。その勢いは帝国を討ち滅ぼすかと思われたが、反乱軍内部と支援していた商人達の主導権争いで空中分解してしまう。
この主導権争いで国力回復に必要な時間を得た帝国の逆転勝利かと周辺諸国が見守るなか、ヌイ帝国北東部グルム公国が独立を宣言、帝国と矛を交える事も辞さない姿勢をあらわにする。
反逆討伐軍とグルム公国軍は皇帝直轄地とグルム公国領の境で、にらみ合いの硬直状態に。その為帝国は戦力を張り付かせておかなければならず。
その上帝国首脳部はグルム公国の独立宣言で疑心暗鬼に駈られ、他二公国への備えに両公国方面にも軍を派遣。結果内部分裂し各個撃破し易くなった元ヨルム公国方面反乱軍への大規模派兵が不可能となってしまう。
これらの結果、内乱は長期間化し帝国の弱体化と傭兵の需要の拡大をうむ。その為に近隣諸国、五ヵ国同盟内のヌイ帝国と国境を接するソーロ王国とミュール王国、大きな産業が育たず外貨獲得の為に国家自体が傭兵家業をしているエテルノ王国の三国を主に多数の傭兵が帝国東部の戦地に出稼ぎに出ていた。
それは同じく国境を接しているフルゥスターリ王国内の傭兵も変わらない。一旗あげる、食い扶持、名誉、血を浴びる、と様々な理由で多くの傭兵が帝国や反乱軍に雇われる為にヌイ帝国に。
そんな傭兵達の一部が帰国の途につき、ネームレスが待ち構える交易路をフルゥスターリに向け南下していた。
ヌイ帝国とフルゥスターリ王国を結ぶ交易路沿いに建てられている休憩施設、帝国と王国の中間付近に有る石小屋。寒さの厳しい早朝、小屋の前で馬車を点検する者、武具を手に鍛練に汗を流す者、その様子を監視するモノ。
三年を超えるヌイ帝国への出稼ぎから帰国の道中である傭兵団――そしてインプだ。
「団長、そろそろ出発しましょうぜ」
「手抜かりはねぇな?」
「うっす」
熊を連想させられる体格、白いものが目立つ茶髪に髭面、巨大な両刃の斧を見事に操る男に馬車の点検を済ませた青年が声をかけた。傭兵達から敬愛を込めて親父と呼ばれる傭兵団長は、ぐるっと鍛練に励む団員を見回しながら、それとなく周囲に警戒の視線を送る。
(昨日から誰かに観られてる様な気がするんだが)
副団長や見張りをしていた団員にも確認したが、団長以外の誰も異常を感じず。団長自身も確固たる根拠もなく、引退を決めた事で精神的に不安定になったせいかもな、と苦笑をもらすと大声を出し鍛練の終了を告げ慌ただしく出立の準備に追われる団員に唾を飛ばして指示を出すのだった。
三台の馬車が交易路を進む。どの馬車も二頭立ての幌馬車で、先頭と最後尾の馬車周りに四人ずつ、中央の馬車に二人の合計十人が護衛として並走していた。残りの人員は御者台や馬車内に居る。
「今日は天気が悪いな、一雨来そうか?」
「これだけ寒いと雪かも知れんな」
馬車内の傭兵らが暇潰しに話す声が御者台にて馬を操る団長や並走する護衛の耳にも入る。
「しかし三年ぶりか、子供に顔を忘れられてなきゃいいが」
「ま、しゃぁないわな。今年で(いま)十二だったけか?」
「それぐらいだな」
家族の話をする者。ヌイ帝国最南西にある城塞都市ハルから旧ヨルム公国領まで、時期にもよるが徒歩だと一半巡り(約百三十から百五十日)。馬車や河川で船を利用しても一巡り(約九十日)ぐらいかかる。
「そういうお前の所は初産だったよな」
「あぁ、顔を見たくて必死に生き残ったよ」
「男か女かもまだ知らないんだよな?」
「まぁな。俺が国を出た時はまだまだだったしな」
国内ならともかく他国への手紙等貴族でもなければ出さないし届かない。
「無事に出産して待っててくれるさ」
医療技術が低いウウゥル大陸では死産も多く、無事産まれても一歳を迎えられない赤子もまた多い。
そんなしんみりとした会話もあれば
「へへっ、報償金と給与で目標額達成したんだぜ」
「そういや坊主は風乙女も吟遊詩人も買わずに貯めてたわな」
傭兵団の中でも若手で今回が初遠征参加者二人の会話に先輩傭兵が口をはさむ。風乙女は娼婦の隠語であり、吟遊詩人は酒場等で歌と演奏で糧を得るのだが、それだけでは厳しいので肌を売る事もある。
「ほら、待っててくれる恋人に悪い気がして」
「あん? でも坊主は花買いはしてたよな? それに何時死ぬかわからねぇ傭兵稼業だ、恋人や伴侶に遠慮する事ねぇだろ?」
若手にそんな事を言っているが、家庭では尻にひかれているのを知っている団長や熟練組は苦笑を浮かべていた。特に遠征帰還の毎に泣き付かれて夫婦間の仲介に入る団長は、お前が言うなてか自重しろと馬を御しながら思っている。
「花買いは花だから浮気じゃねえっす!」
その言い訳は女性に通用せんよ、と同じ様な事を言って痛い目に合った男性陣が胸内で呟く。ちなみにそう思った男性陣は若手以外の皆だったりする。そして花買いも隠語だった。
「あー、はいはい。それで何の目標額だったんだ? 良い武具でも見つけていたのか?」
「俺、帰ったら結婚を申し込むんだ」
その様な事を背で聞きながら団長は改めて考えこむ。もう傭兵を続けるには厳しい年齢になり衰えを感じた団長は、この遠征で現役を引退し団長の座を副団長に譲る事にしている。
残りの人生は家族同然である傭兵団の後進の育成をしながら、のんびりと暮らす予定だ。戦場で死ぬこともなく、子宝にも恵まれ、孫の顔も見れた。
殺し殺される傭兵家業、死に場所は戦場かと思っていたが、どうやら家族に見守られて逝けるらしい。そんな事を考えている団長だった。
旅の心得として情報収集を確りと行い、行方不明になった隊商や魔物・盗賊の目撃等もない事を確認していた傭兵団。彼らを油断しすぎの愚か者と断じるのはいささか言い過ぎだろう。
傭兵団にすれば不幸な事だが、ネームレスが襲撃した奴隷商の帰還は当初の予定になく、本来なら夜神の巡りに入ってから本隊と一緒に帰国予定だったからだ。 奴隷商一行の行方不明は現時点では、まだだれも気が付いておらず。問題が表面化するためには奴隷商本隊の帰国か帰国予定時期を大幅に遅れるかしなければならない。
他にも小規模で普段から往復している交易商が複数何事もなく交易路を利用していた為に。何組もの交易商が行方不明になっていれば、当然傭兵団ももっと厳しい警戒体制を敷いていた。
だが現状は気を大きく緩め、外国に派遣されるだけの実力を持つ傭兵団らしからぬ油断を招く。そう、幌馬車の天井にインプ達が侵入した事に気付かない程の。
ネームレスが安全策を取り小規模の隊商狙いで動き、一組でも隊商を襲撃していれば不穏な情報が流れ、傭兵団は移動時間の遅滞を招いても、馬車に積んである戦場用の鎖帷子や小片鎧、板金鎧で防御をかため完全武装していただろう。
傭兵の視点から見て待ち伏せに適した地形を前にすれば、斥候を放つなりして人員を馬車に乗せたまま近づく事もなかっただろう。
全て仮定であり、この傭兵団が不穏な情報を掴んでいたとしても、変わらぬ対応だったかも知れない。
そして傭兵団が率いる馬車は死地に何の警戒もなく近付いて行く。




