二章第二十二話
大地より太陽が姿を表し、優しく力強い光が降り注ぐ。
だが鬱蒼と繁った木々と切り立った崖が日の光を遮る森奥、朝露で輝く草花から小瓶に露を集める人影があった。
黒色に染められたローブに深く被ったフード、小瓶以外に荷物は見当たらず、この様な場所ではあまりにも軽装すぎた。
風が樹を揺らす音に人影は慌てて周りを確かめる。
その時、近くの枝から急に鳥が羽ばたき、羽音に驚いたのか人影は「ひぃっ」と声を漏らすとぺたんと尻餅をついてしまう。
その衝撃でフードが捲れ、その顔を晒す。
病的な白肌に銀髪、紅色の瞳は潤み、表情は極度の緊張と恐怖を浮かばせていた。
だが彼女の美しさを損なう処か儚さを際立たせ、見る者が居れば庇護欲を掻き立てられるだろう。
一見すると人間族の少女だが、額から突き出た二本の角、小さな唇に牙が見られ人外だと知らしめている。
フードを深く被りなおし、辺りをビクビクと窺い安全を確かめると、露集めを再開する小鬼のフジャンだった。
崖にぽっかりと口を開ける地下迷宮出入口近辺から小瓶一杯の朝露を集めると、巣穴に逃げ込む兎の如く地下迷宮出入口へ飛び込み、ほっと一息吐く
「こ、怖かった、です」
震える声でそう呟くと、大事そうに小瓶を抱きしめ奥へと進むのだった。
出入口付近はフジャンと同族のランや枝悪魔達によって、狼や熊などの肉食獣、行方不明になった奴隷商の捜索隊が来ていないか、他に危険等がないかは日に最低二度は調査されている。
特に日が昇るこの時間帯は、ランの元から迷宮に帰還するインプが追跡者や目撃者の有無を念入りに確かめる、それ故に安全性は格段に上がっていた。
外出を願い出たフジャンが護衛もなしに許されたのは、そういった背景があるからだ。
これらの状況は簡単にだが彼女も聞かされている。
松明もランタンもなく、自然洞窟に偽装された迷宮を歩くフジャンに迷いは見られない。
普通の人間なら一寸先も見通せない暗闇だが、魔物の多くは闇を問題としない。
それに彼女は色素欠乏であり、強い日差しや明かりに弱い。
吸血鬼の様に直射日光にさらされれば灰になる程ではないが、肌にたちまち激しい日焼け、いや火膨れができ命の危険すらある。
急ぎ足で奥に進むフジャン、安全な地下迷宮内だが独りだと言い様のない恐怖が沸き起こり落ち着かないのだ。
ならば誰かに頼んで同行して貰えば良いのだが、断られたり嫌な表情をされるかもと怖くて頼めず。
地下迷宮の主にて創造主であるネームレスの保証もあるので、骸骨兵やゴブリンは己から同行を申し出る事もなく。
フジャン的には清水の舞台から飛び降りる決意で、地下迷宮から出て近場の朝霧を集めているのだ。
そんな臆病な彼女が、ネームレスにより創作されてから七日が過ぎ、八日目の朝を迎えていた。
※ ※ ※ ※ ※
ネームレスは起床後の棒術訓練時間を約二時間に増やし、シャワーで汗を流した後、エレナが作った朝食を食べ執務室へ。
ちなみに朝食は、焼きたてのパンに、野菜が溶けるまで煮込んだスープ、彼好みの黄身が堅焼きにされた目玉焼きに薩摩芋を蒸かし芋に調理された物だった。
簡単に見えるだろうが、目玉焼きの黄身は完璧な堅焼きなのに白身に焦げは見られず。
味付けは塩だけのシンプルなものだが、ネームレスの目と舌を飽きさせない。
フライパンに牛乳から自作したバターを溶かし、焦げ付かない低温で時間をかけて焼き上げ、彼の体調や心理状態を細かく観察し丁度良い具合の塩加減、焼き加減に調整するエレナの賜物だ。
無論他の料理にも細やかな心配りがされており、数少ない食材から多くのメニューを作り上げ、同じメニューが続けてネームレスに出される事はないが。
朝食を食べ終わったその足で執務室で施設への魔力補充後、本棚にある本の再調査を行っていた。
以前は読めない本ばかりだったのが、幾つかの言語系技能を身に付けた故に、何冊か読めるが理解出来ない本を発見。
予備知識のない人間にいきなり、専門用語が羅列された本を読めと言われても、理解は不可能だろう。
魔法語で書かれているので、魔導書だとは推測できるのだが。
新たな魔物を創作した直後は、三日程の付け焼き刃にしかならないだろうが連携訓練や遠征(約一日ぐらいの距離だから襲撃か?)準備も終わり、出立可能だと予想し予定を組んでいた。
だがランの調査と並行して行われたインプの飛行能力検証にて、想像以上に使える事が証明され。
これを踏まえ計画を修正。
交易路の監視をインプに任せ、獲物に相応しい規模や条件の隊商や旅人発見の報告が届いてから地下迷宮を出発、襲撃予定地点へ十分な余裕を持って到着、襲撃が可能と判断。
骸骨兵は今まで通りに、ゴブリンは余力を残す様に訓練させながら地下迷宮で待機しているのだった。
ただ農場部屋に居る捕虜、ゴブリン、交易路の監視にランとの同行調査にそれぞれの交代要員となるとデンス以下五体では手が足りず。
新たに二体の偵察特化型を創作、インプは総員七体に増やされていた。
他にも乳牛が二頭創作されており、残りの使用可能Pは219.5P。
インプ達の仕事振りを見、デンスと相談して負担が大きいならばもっと増員を創作する心積もりではある。
「「「お仕事するよ!」」」
ネームレスが本の調査から少しばかり意識を飛ばしている間に、住居精霊のリーン達が執務室の掃除に取り掛かっていた。
おそらく机周り担当のブラウニーが三体、何の悩みもなさそうな笑顔で「お仕事するよ!」を連呼する。
外装の改造を施さなかったら五頭身ぐらいの子供らしい姿をしているブラウニーだが、リーン達は約一メートルの身長で八頭身、スタイルも何処のモデルかと思わせるぐらいに出る所は出て、出ない方が良い所は出ていない。
顔の造形は整っているが、美人と言うより愛嬌がある造りだ。
「掃除か?」
「「「お仕事するよ!」」」
ネームレスが触った本棚以外は綺麗なもので、掃除の必要があるか疑問だが
「……DM室に居る。終わったのなら知らせる様に」
「「「お仕事するよ!」」」
やる気に満ちた彼女達に、水を差す必要もないだろうと席を立つ。
「後は任せる」
「「「お仕事するよ!」」」
新たに読書可能となった本と魔具のランタンを手に、執務室を出るネームレスに部屋に居るブラウニー全員が掃除を止め、「お仕事するよ!」を連呼しながら彼に両手をブンブンと振る。
彼がドアを出る直前、苦笑を浮かべ照れた様に軽く手を振り返すまで、彼女達は合唱と両手振りを止めなかった。
偵察に適した魔物をもう二種欲しいな。
DM室の宝石椅子に腰かけ、魔物創作予定に思いを馳せるネームレス。
当初は執務室から持ち出した本の解読を試みた彼だか、生憎どの本も現状では理解するには程遠く。
魔力回復の為に、あまり動けないネームレス。彼は玉座にて地下迷宮の未来に思考をさいていた。
個人の記憶はないのに、現代人としての知識があるネームレスは『情報を制する者は、戦いを制する』の知識があり、この言葉を重く受け止めている。
情報収集用の魔物ならば、既にインプが存在するが、デンス達の離反や造反時の対抗策を欲したのだ。
今現在は従順だが、この先インプばかりに情報収集を任せると増長や怠慢を招きかねず。
情報収集に三種族、三つ巴にし相互監視をさせて離反や反逆の目をいち早く叩き潰す。
同時に切磋琢磨を促し、純度が高く多方面の視点からの情報入手に結び付かせれば、と考えている。
戦闘部隊の充実や施設拡大にもPが必要なので、この構造を実現させるには時間がかかりそうだが。
思考を打ち切ると、本を手に取り読み進めるネームレスだった。
※ ※ ※ ※ ※
フジャンが地下迷宮のゴブリン居住区(寝床・トイレ・水場に風呂)の中部屋を抜け、大部屋に足を進めるまで地下迷宮内に響く音は、彼女自身がたてるものだけだった。
大部屋に繋がる道のおよそ半ばまで進むと、骸骨兵やゴブリンの訓練時にたてる、武器がぶつかり合う音、ゴブリンの咆哮が耳に入り出す。
フジャンも安堵の溜め息を吐くと足を緩め、ゆっくりと進む。
大部屋では骸骨兵が訓練に励み、ゴブリン達は各班のリーダーを中心に戦術を練るため討論しながら休憩していた。
フジャンはその中でアブアブがリーダーを勤め、ハブとディギンを含む班に声をかける。
「あ、あの、アブアブさん」
「フジャンの姉さん、どうしやした?」
フジャンは精霊魔法の使い手であり、魔法が使えない他ゴブリンよりも希少だ。
だが臆病な性根とアルビノの為、本来なら序列最下層に位置付けられる。
これが野良のゴブリンの群れならば、赤子の時に処分されていただろう。
そんな彼女がゴブリンの族長に任じられたのは、一重にネームレスの後押しだからだ。
フジャンが臆病なのも、アルビノ体質も創造主たる彼の思惑故。
その為にフジャンが不利益を被らない様にとの配慮だ。
立場的に『さん』付けは可笑しいのだが、彼女の性格から致し方ない事だろう。
「エレナ様に皆さんの食べ物を頂きに行こうと思いますので、荷物持ちをお願い出来ませんか?」
「了解しやした。おい、ハブ、ディギン行くぞ」
「「へい、アブの姉さん」」
内心、ビクビクでオドオドのガクガクで、日光の届かぬ迷宮内だがフードも脱がずに顔を見せずに何とか依頼したフジャン。
地下迷宮内の最上位がネームレスなのは当然だが、第二位となるとハイスケルトン骸骨兵長イースかホムンクルスエレナか。
あるいは水精霊ミールか。
定まらない所だが、ゴブリン内での序列はフジャンが最上位で、次席はラン。その次がヤン、マリ、その下にアブアブ達他ゴブリンが続き、最下層にハブとディギンとなる。
序列と言っても現状、このような雑事の時に使われるぐらいだが。
ネームレスの威光か、フジャン族長就任に他ゴブリンからは反対はなかった。
だが本当の族長となれるかは、フジャン次第であろう。
弱肉強食の魔物社会、それに加え基本的に女性上位社会である事は余り知られていない。
女尊男卑とまでいかないが、何事においても女性優先。
ただ弱肉強食の思想も強いので、雄が最上位や序列上位に位置する事も珍しくはない。
ハブやディギンが最下層に位置付けられても、彼らから不平や不満が出ないのはこれら事情や、権力欲が少ない事に起因する。
ネームレスの様な配下の食糧や武具を十二分に用意し、公平に配給・配備する主人の元ならば、権力欲は育ち難いだろうが。
アブ達三人を引き連れ、イースに話を通すと隠し扉を抜け噴水広場へ。
ウンディーネが全力で戦える様にと用意された部屋には、普段農場部屋に居る部屋の主であるミールが、噴水中心にある乙女の像を眺めていた。
「水精霊様、本日の献上品です」
噴水から五メートル程離れた場所で跪き頭を垂れるとミールに声をかけるフジャン。
ミールが振り返り、此方に視線が向くのを気配で感じると、その体勢のまま膝を擦り合わせ噴水に近付き、小瓶の蓋を開け、ミールに差し出す。
小瓶に集められていた朝霧の露は、瓶から飛び出るとミールに吸収される。
この間もひたすら頭は垂れたままのフジャン。 実体化した精霊と交流出来る、精霊魔法使いなら垂涎の的だろう。
だが根が臆病で、拒絶される事が何よりも恐ろしいフジャンは普通に交流する事が出来ず。
彼女も当初は勇気を振り絞り、会話で交流しようとしたが、無口で無表情のミールの前に敗退。
水精霊が喜びそうな物を集め、貢ぐ事で好感度を高めようとしている。
音もなく噴水に消えるミール、精霊魔法使いの感覚で居なくなったのを感知すると後ろで控えていたアブアブ達を連れエレナの元へと向かうフジャンだった。