二章第十七話
「食事の前にまずは旅の垢を落とし身を清めましょう」
世話役だと名乗った悪魔――ヴォラーレの指導で入浴する人間族二十一名に森妖精族一名の少女達。
犬人四人は雄だったが、去勢されている事もあり一緒に参加していた。
犬や猫に裸を見られても気にならないような物だ。
途中までは粛々と入浴していた少女達だったが、年少組が泳ぎだしたりそれを止めさせようと年長組が声を張り上げたりと騒々しい事態に。
そんな事態にも叱る事もなく、シャンプーが目に入って泣く幼子を助けたりして確実に心理的距離を縮めたヴォラーレ。
入浴後、一休みし食事へ。
「この料理は偉大なる魔術師にて貴女達の新たな支配者であらせられるネームレス様からの御慈悲です。この慈悲に感謝し報いる事を願います」
よく理解出来なかった幼い子にも、分かり易いように噛み砕いて説明される。そして連れてこられた全員が一定の理解を示してから食べる事が許された。
白くて柔らかいパン、見たこともない野菜も多く鶏肉もふんだんに使われた料理の数々。少女やコボルトは美味しいそうな香気に、未知の食材や調理法への警戒心等欠片も働かずに口へ運ぶ。
「美味しい」「うそぉ……」「おいひぃよぉ」
感極まって泣きながら懸命に食べる者、感想を喋る時間さえ惜しいと必死に口に詰め込む者。余りの美味に尻尾を勢いよく振り、座った椅子に叩きつけ痛みで泣きながら食う者。
良く言えば素材を生かした素朴な風味、悪く言えば何の味付けもされていない料理。そんな料理しか知らなかった少女やコボルトは無我夢中で料理を平らげる。
幼く手が届かないテーブルの中央付近にある料理などを皿に取り分け渡す金髪の少女――ネブラ。
詰め込み過ぎてむせる娘の背中をさすったり、スープや飲み物で飲み込ませたりする黒髪の女性――エレナ。
エレナやネブラを紹介し娘やコボルトととの間の通訳など、二人の手助け・補助をするヴォラーレ。
エルフの膝上で辺りの観察をする青髪の少女――水精霊のミール。
コボルト四人が固まっているテーブルの上で、ピーマンの肉詰めから肉だけ食ってピーマンをコボルトに押し付けるネームレスの使い魔と紹介されている枝悪魔のデンス。
彼女達の親切や優しい・天真爛漫な笑顔にこれからの生活に希望を見出す少女やコボルト。
そんな食事会で最も衝撃的だったのはスィーツだろう。甘味など花の蜜や森で採れる果物ぐらいしか知らなかった少女達。
生まれてきて、生きてて良かったと幸せそうに笑顔を浮かべるのだった。
農村に生まれ農民として生き、同じ村の人と結ばれ子をなし、そして死ぬのだろう。
漠然とそう思って生きてきたチュヴァは奴隷として村を出て。誘拐されここに連れてこられた。己の運命に思いを馳せ、満腹で眠ってしまった娘を寝床まで運ぶ。
食堂から出ると身にしみる寒さが襲いかかって来たが、寝床の小屋の中は暖かい。これなら固まって眠らなくても寒くなく、凍死の心配もないと胸をなで下ろす。
これまで隙間風が入る狭い家の居間兼食卓兼寝床に、寒さを防ぎ凍死しないように家族で固まって寝ていた農民の少女達。
隙間風も入らない暖房が効き、十分に手足を伸ばして眠れる小屋は天国と言えた。少女も広い室内で、妹のブリザの手を握りしめ床についたのだった。
水でなく温かな湯で身を清める入浴、生まれて初めての豊かで美味しい食事。それらは奴隷として売られ、悲壮な未来を想像していた少女達の張り詰めていた物を緩めてしまう。
普段ならば覚醒していた時間に起きる事が出来ず。夜明け前に自力で目覚めたコボルトと、世話役のヴォラーレに起床を促され慌てて起きる少女達。
「慣れぬ長旅で疲れていたのだから気にしないの。ネームレス様には黙っておきますから」
真っ青になって詫びる少女達にヴォラーレは優しく言い聞かせる。
「さぁ目覚めたのなら顔を洗い、歯を磨きましょう」
ネームレスが用意していたタオルや歯ブラシやコップ等の小物を配ると井戸へ移る。
ヴォラーレからの細かい注意に真剣な表情で聞き入る少女とコボルト。
細かな注意と言っても基本的に『品物は大事に』、『ネームレス様に感謝を』が言葉や言い回しを変えて伝えられただけだが。
洗顔や花摘みを済ませ小屋に戻ると、少女達に下着や作業着の着付けの手ほどきをするヴォラーレ。
腰や胸に布を巻きつけるのが下着だという認識の少女達。彼女らに用意された下着は、飾り気のない肩紐で釣るキャミソールとショーツ。
作業着もツナギ服、ファスナーで脱ぎ着可能で着替え易さと機能性重視。
下は四歳から上は十六歳(エルフは除く)の少女達に、ツナギ服やファッション性皆無の下着を与える事で、自身の身分や扱いを無言で教える、とのネームレスの思惑だ。
が、『綺麗』『肌触りが良い』等々、少女達には好評で昨夜の料理の事もあり大部分の娘の好感度を高める結果に。
この事態はネームレスの認識の甘さを示していた。小物類は百円均一で購入可能な品質で、彼からすれば使い捨てや最低限に近い品物。
服一つとっても親から子へ、大きい子から小さい子へと大事に使うのが当然。
そんな少女やコボルトからすれば真新しい品物を与えられる事が初めての者ばかり。
大量生産・大量消費・大量破棄社会日本の常識と認識を持つネームレス。これで品物購入が難しいなら、その常識等も修正されたかも知れない。 が、ネット通販のごとく購入可能なシステムが、地下迷宮にあるために変われないでいた。
全員の着替えが終わり、少女やヴォラーレが小屋から出る。
その時すでに着替えの必要のなかったコボルトと通訳のデンス、ネブラの手で朝食前の仕事に予定されていた収穫と水撒きは終えていたのだった。
今までネブラとミールの二人で余裕を持って終われる仕事量しかなかった農作業。
そんな所に働く事を厭わない人員が四人増えれば、初めての下着・服装なおかつ二十人以上で手間取られ時間がかかれば終わっているのも道理である。
ヴォラーレもまず理解力が高い年長四人(チュヴァ、ミラーシ、ナーヴァ、エルフ)に着替えの仕方を教え、四人が他の少女に教えて彼女も四人の補助をしながら別の少女に教え。と、努力はしたのだが。
何はともあれ朝食にしようと、朝食の習慣がなく不思議顔の少女やコボルトを連れ食堂に入る。
大麦を水で茹で煮込み塩で味付けしただけの麦粥に飲み物として水。これが朝食として出された内容だ。
麦粥は熱いのでエレナやネブラも協力して、少女達にスプーンの使い方を教えた後、食事開始。
動けなくなるまで食べないなら、おかわり自由。配膳方法はバイキング方式で個人が食器を取り、エレナに渡し盛って貰いテーブルにつき食べる。
見本にヴォラーレが料理をエレナから盛って貰う様子を見せる。
少女やコボルトに分からないよう牽制のため勝者の余裕――ネームレスの寵がある事を『今日初めて顔を合わせた』エレナに知らしめる積もりだったヴォラーレ。
だが彼女はエレナを前にし、『何故か』内側から溢れ出しそうな恐怖を知られぬようにするのが精一杯だった。
約一名以外が朝食を堪能した後、幼く鍬の扱いに不安のある少女はデンス監視下で魚釣りに。
残りの少女とコボルトが、ネブラ指導ヴォラーレ通訳で畑を耕す。
鍬も少女達の知る刃先から柄まで全てが木製の物ではなく、鍬先が全て鉄でできており土質が良い事もあり大した苦労もせずに耕せる。
ある程度耕したら種蒔きも、こんなにいい加減――簡単で良いのかと疑問に思うも指導通りに蒔く少女達。コボルトと釣り組はこの時点で水撒きを。
昼食(白パンと野菜のスープ)をはさみ、夕方まで作業は続く。
釣りをしていた幼子が鶏や雛を鶏小屋に運び入れ、その日の作業は終了。
賑やかに入浴を済ませると夕食に。
夕食は麦粥に野菜のスープ。それに輪切りにして、ところどころ皮を剥いた薩摩芋を灰汁抜きし、醤油・砂糖・水で作った煮汁で鍋にかけ煮汁が飛ぶまで煮込んだ薩摩芋の甘煮を加えた三品だ。
食事を終えたら少女達は寝るまでの間は自由時間を与えられる
気を回したチュヴァを始めとした数人の少女が、食器洗いの手伝いを申し出てエレナやネブラと共に洗う。
コボルトも立候補したが馬の世話を任され馬小屋へと出て行く。
エルフの少女は仕事中は自制していたらしいミールへの接触を開始、身振り手振りで気を引こうと頑張っている。
残りの少女達は寝床小屋にヴォラーレと共に戻り、年少組は早々に横になると眠りだす。
まだ眠くならない少女達はヴォラーレを交え、意味のないお喋りを楽しげにするのだった。
「……いや、それは、て、話飛んでるし。え? そこから戻るの?」
暇なのでヴォラーレ達の会話を小屋外から聞いていたデンスは、女性のお喋りに翻弄されるのだった。
日も沈み少女やコボルトも横になる。見張りをミールに任せ執務室に集うホムンクルスと悪魔。
「報告を聞こう」
ミールとの会談後、食事やトイレ以外執務室で魔力補充や購入予定物資の書き出し等をしていたネームレス。
代表してエレナが答える。
「はい、ネームレス様。人間もエルフもコボルトも今の所従順です」
「初日ならばそんな物か。ネブラこれが購入予定の作物の種や創作予定家畜だが育成可能か?」
「はい!」
ネームレスが書き出した目録に目を通すネブラ。その間にも話を進める。
「ヴォラーレ。問題がないのなら私室は農家部屋を創作しようと思うが?」
「はい、ネームレス様の決定に異存などあるはずもございません」
本当ならここでネームレスが不快に感じない程度に媚びを売る所だが、生存本能がけたたましく警鐘を鳴らしているので止めておくヴォラーレ。
何故だろう、楽に死ねない予感しかしないのは、と内心で首を傾げる彼女だった。
「ジャガイモ、たまねぎ、カボチャ、トウモロコシ……うん、大丈夫だよ」
「家畜の方はどうだ?」
「乳牛さんに豚さんに羊さんに山羊さんかぁ、牧草地が狭くて馬さんもいるから乳牛さんと豚さんぐらいしか無理だと思うよ。あっ、えと、思います」
「牧草地の拡大は?」
「えと、はい、可能です。五日ぐらいで大丈夫だ、です」
だいぶ言葉使いが間違っているネブラ。
だが彼女が敬意を持って接しようとする努力は感じれるので不問とするネームレス。エレナから『ネブラ、後で説教です』との空気が出てもいる故でもあるが。
その空気にヴォラーレが震えているのを疑問に思いながらも話を進めるネームレス。
「ハーブ類はどうだ?」
「え~と、あった。ホップ、月桂樹、ローズマリー、ヤチヤナギ、イソツツジ……、多分だけど大丈夫だよ。あっ、です」
「そうか、ご苦労」
農場部屋の拡大に伴ってか、襲撃や略奪が成功した為か購入可能作物種が格段に増えた。
食用野菜が二十七品、香草や林檎や葡萄等も購入可能。
それらを全て書き出した為、ネブラが渡された文書から読み取るのに多少手間取っていた。
その後、不足品や必要な物がないか等と話し合い解散。
デンスは見張りの交代に農場部屋へ戻り、エレナ達三人はネームレスの食事作りや掃除の為に執務室を抜け応接室先の食堂に。
ネームレスはDM室でヴォラーレの私室である農家部屋、家畜の乳牛と豚を創作。
家畜は農場部屋の家畜小屋に召喚。一匹ずつの少数なので、就寝前の入浴前にネブラが世話をする予定だ。
必要な創作を終えたネームレスは、地下迷宮の心臓である宝石を冠した、貧相な椅子に腰を深く沈めて思考に耽っていた。
中鬼オクルス反逆に対しての考察と検証を。
「……戦闘能力、だろうな」
己の考えを確かめるように独り言を漏らす。
改造にて偵察に特化されたインプのデンス。
そして魅了されたり寝首を掻かれぬように、特殊技能と戦闘技能を削った女淫魔ヴォラーレ。
この二体は忠実だったのに対し、禄に話もせずに反逆したオクルスを比べると戦闘能力と種族しか差は見当たらない。
子鬼が忠実で従順だったため、妖魔系鬼種より悪魔系に警戒の比重が重かったのが災いになるとは、と苦笑を浮かべるネームレス。
戦闘用魔物創作は骸骨兵長イースの帰還を待ち実行する。
それまでは兵站(後方支援)を整える事を優先すべきだな、そう結論を下し食事をとりに立ち上がるネームレスだった。
ネブラは浴槽部屋の掃除に向かい、エレナは調理のためキッチンに。
ヴォラーレもエレナと共にキッチンで、なるべく離れた場所でパン生地作りに精を出していた。エレナから感じる精神的威圧を流そうと。
エレナの名誉の為に記すが、彼女は別にヴォラーレに威圧をかけたりはしていない。
ただ幽鬼を想わせる無表情で死んだ魚のような目をして苦悩しているだけだ。
「あ、あの、エレナ様?」
目眩や嘔吐感(吐き気)を感じ出したヴォラーレは、精神的重圧を軽減しようと話しかける。
緊張の余り甲高い声になったのは許してあげて欲しい。
「……何かしら?」
「よ、よよっ、よろしければ、私からネームレス様に、夜伽をエレナ様へ命じられるように願い出ますが、ひぃっ!?」
「ネームレス様の卑しいしもべである私達が主に望まれたのならまだしも願い出て床に伺うなど論外です」
一瞬前まで包丁で食材を捌いてましたよね? それが何故正面に? エレナ様髪の毛で表情が見えません!?
「申し訳ありません」
「……いえ、私も言い過ぎました。気持ちはありがたく頂いておきます」
教科書に載せたくなる見事な土下座で謝るヴォラーレに毒気を抜かれたように調理に戻ったエレナだった。