二章第十五話
性的な場面を想像させる描写がありますので、そのような事に嫌悪感を感じる方や苦手な方はご注意ください。
「ネームレス様、エルフを除く捕虜達の懐柔は順調です」
「エルフのミールに対する反応は?」
「はい、予想通りに。迷子の幼子が母に巡り会えた如く必死に抱きついておりましたわ」
執務室でネームレスに農場部屋での出来事を報告するヴォラーレ。
農場部屋での会議終了後、エレナ、ネブラ、ミールの三人は掃除の為に残り、ネームレスはデンスとヴォラーレを連れ執務室へ物質購入に向かっていた。この時、デンスからネームレスに具申がある。エルフと精霊は親和性が高く、近くに置いておくのは危険、配置を変えるべき、と。それに対しネームレスは、ならば逆にこちら側に引き込む、と具申を退けた。
ネームレスの認識では、精霊の力を十全に出させる為には媒体が必要。仮に裏切ったとしても、精々農場部屋に立てこもるぐらい。水精霊と相性の良い魔物を創作するか、自己改造で処分可能な魔法を付与して対処すれば良い。いくら何でも数日かそこらで懐柔されたりはしないだろう。
それにこの時機に農場部屋から動かすのは、ミールに信頼していないと間接的に伝える事になるかもしれず。
信じず裏切られるより、信じて裏切られよう。
だが離反し反逆した時の為の対策は必須、決して死ぬ訳にはいかないのだから。信じるのに裏切られた時の対策を用意する矛盾に、内心苦笑いを浮かべるネームレス。
それにミールが裏切る土台を作らない事を優先すべきだろう。
だが積極的な具申の全てを却下して諫言や進言を述べても受け入れられぬ、と思われるのは良くない。デンスの具申の内、ネームレスの思惑と重なる内容は受け入れるのだった。
報告後、ネームレスの寝室へ移った二人。その狭いベッドの上で、肌を重ね隣接する浴槽に交代で入り身を清める。
先に使うように命じられたヴォラーレは、シャワーを浴びながら己の思惑が上手く運んだかの考察と、先程の行為の評価を行う。
女淫魔の独壇場と言える色事に持ち込み、自分に溺れさせ堕落に導き抹殺する。農場部屋での会議の時もその積もりで動いたのだが、デンスやエレナに妨害され誘惑の毒牙は退けられた。
最も結局は妨害も虚しく、ネームレスから夜伽を命じられこうなったのだが。所詮は男、下半身でしか考えられないか。と腹底で嘲笑っていたヴォラーレだが、実際に床を共にすると、というかしなければ理解できなかった事が解る。
余裕がなく突っ込む事しか頭にない猪ではなく、相手側(自分)の状態を気遣い独り善がりな行為でなく、共同作業としての性行為。行為後も用済みだと言わんばかりの態度を微塵も出さず、「良かったか?」等の馬鹿な会話もなく無言で労る事が出来る。言葉少なだったが、ピロートークがあったのもヴォラーレからすれば得点が高い。
と言うか男はどうして行為後、良かったか何て馬鹿な質問が出来るのだろうか?
サキュバスとして男性心理にも造詣が深いヴォラーレは、理解してはいるが腑に落ちない疑問を置いて結論を下す。ネームレスを落とすのは難しい、と。だからと諦める気は毛頭ない、久方ぶりの強敵に逆にますます気炎が燃える。
当初は自分に溺れさせ、内部分裂を誘導し他の魔物にネームレスを処分させようと考えていた。だがその案は破棄して、新たな計画に舵を切る。 バスタオルで身体を拭いガウンを羽織う、と浴槽の鏡にヴォラーレの表情が映る。
見る者を破滅へと導く壮絶で妖艶な表情を浮かべる悪魔がそこに存在していた。
魔法生物ホムンクルスは、そう設定された物以外に汗や涙以外の排泄は基本的にない。魔力提供があれば活動可能なのだが、体温調整等の為の汗、異物排除や感情表現等の為の涙、発音助長や口内殺菌等の為の唾液等の体内製造に水分を必要とする。
普段ならば体内貯蓄水分を無意識で計算して過剰摂取は制限されるのだが、偶に感情暴走などで制限が麻痺する事があり過剰摂取はありえた。その時は普段は機能停止している機能が活動し過剰水分を体外へ放出する。
長々とホムンクルスについて語ったが、何を言いたいかと言えば、ネブラがエレナを見てショーツを濡らしたという事である。
居住区から着替えを持ち出したネブラは、入浴前に井戸で小さめの洗濯桶で頬を羞恥で染め下着を手洗いする。今日この日もう一人同じ失敗をした人が居たが、彼は魔具の洗濯機と乾燥機を使い証拠隠滅を謀り一応の成功を納めていた。
ただネブラは犬人が小屋に戻るか監視していたデンスに発見される、が見なかった振りをされて名誉を守れたのだった。
捕虜二十六人に小鬼が一体、それにネームレスの分の食事を任されているエレナ。まだ帰還していないコブリン三体も加わると、調理以外の業務が滞ってしまう。ネームレスに増員を要望したエレナだったが、色好い返事は貰えておらず。ミールも休ませ独り、前倒し可能な仕事や明日の準備を片付けている。横になっても休めぬ事が目に見えているからだ。
今は料理の下準備、薩摩芋や人参の皮を剥き一口大に切り分け、追加された業務用キッチンの冷蔵庫(以前からある冷蔵庫と中身は共有)に仕舞う。
流石に今夜の規模の料理ではない、今日の料理は第一印象を良くする為であり、馬の鼻先に付ける人参だ。
ここに居れば、また美味しい料理を食べれるかも、との欲を植え付け反乱や怠業を事前に防ぐ。これが食事内容が豪華だった理由だ。
寝床についてもネームレスは当初、捕虜個々にベッドを与えるとしていたが、そこはデンスとヴォラーレが優遇しすぎると増長を招くと反対。エレナも資金面から反対しベッド購入と配給は見送られる事に。
「あら? 困りましたね、不良品かしら?」
下拵えしながら会議の様子を思い出していたエレナは、何故か真っ二つになっているまな板を前に困惑していた。ヴォラーレの事を思い出した時に『ちょっと』力が入ったぐらいで壊れるなんて、と。
衣類面でも優遇しようとするネームレスを三人で説得し、作業着二着に寝間着一着下着類を三組に。試案だと各三着ずつになっていた、下着三組だけは当初の試案通りだが。
ネームレス様の慈悲深い事は理解しておりますが、行き過ぎた慈悲は害悪にしかなりません。とエレナは両断された、まな板を片付けながら、そう思うのだった。
ネームレスも捕虜の増長や反抗に対策を考えなかった訳ではない。恐れられている自分やゴブリン――処分したがオクルスも――が抑止力として存在すれば、連行中の様子からそれらの恐れは少ないと読んでいた。
それ故に優先順位が下がり対策を施していないように見え、魔物達からすれば増長は許せぬが反抗すれば『人間やコボルトごとき』叩き潰せると問題にしていなかったのだ。