閑話 商人
フルゥスターリ王国の主な輸出品は麦を主体とした農産物、放牧や牧畜で増やした羊や豚などの畜産物。軍、乗用等に調教した馬である。
肉類は輸出品ゆえ農村での消費は贅沢とされていて、彼らが育てた家畜が口に入る機会は少ない。
そして、フルゥスターリ産の馬は、名馬揃いと評判で特に高値で取引される。
ヌイ帝国産の馬よりも一回り体格が良く、瞬発力や持久力も比例して高い。
ヌイ帝国を筆頭にした輸入国も、自国で増やそうと飼育や配合に力を入れているが上手くいかず。馬輸出業はまだまだ安泰だ。
食料品は不作続きで、逆輸入せねばならなくなったが。
「ここからだな」
荷馬車を前にボームは、そう感嘆深く独り言を呟いた。
農家の四男坊に産まれた彼は十歳ごろ、ある交易商に丁稚奉公を願い出た。
運よく成長できたが、実家に子供全員にわけられる畑はなく。開拓者になるよりも、と自分から動いたのだった。
村長達の助力を取り付け、希望通り奉公にあがる事に成功。
交易商の下で使い走りや掃除、荷物運び等の丁稚働きを懸命にこなす。
丁稚とは徒弟制度の一種。住み込みで働きながら、商売の基礎等の教育を受けるのだ。空いた時間等で商人や先輩に読み書きや商売人としての礼儀作法を学ぶ。ちなみに丁稚は商人の家や店内に住居を、衣服に食事も与えられるが給料はないに等しい。
数年の丁稚働きを認められ下働きとなる。下働きは丁稚や見習いと違い、主要な業務は接客等となり給料も支給される。
下働きとなっても真面目に、熱心に仕事にうちこみ、遂に従業員に。
丁稚の時、農家出身だと馬鹿にされ見下され。
下働きに抜擢されると、ボームを追い出そうと主人に悟られぬ様に行われた妨害等もあった。
それらにも歯を食いしばり耐え、追い出されない様に用心を重ねて。
ボームは自分のおかれた状況を誰に教わる事もなく、理解し将来を見すめた行動をとれる知性に決断力。
両親をはじめとした親族、村のまとめ役の村長や長老を説得する弁舌。 それらの根回しを後ろ楯とした、大地母神神殿への仲介交渉を成功させた交渉力。
十歳にみたない時点で、これだけの傑物ぶりを示した彼が選んだ主人がただ者な筈もなく。
フルゥスターリ王国の常識的に、若すぎる正規従業員昇進を周りの反対を押し切っての決断だった。
ボームもその期待に応え、見事な働きを示す。
他の商人の下ならば昇進はおろか、奴隷とかわらぬ扱いで使い潰されていた可能性が高かっただろう。
従業員は帳簿付けを任されたり、主人の代理人として交渉も可能となる。フルゥスターリ王国の商人だと、結婚や自宅通勤が許されるのも従業員からだ。
二十も半ばとなり、ボームは受けた恩も十分に返せたと判断。それに主人が己の息子を後継者に願っているのを感じ、独立を願い出たのだった。
主人としては彼が独立するのは痛手だが、商店を息子に譲りたい主人は許す以外なかった。
主人の後継者たる息子が無能ならば、また話が変わったが。
ボームの才が突出しているだけで、息子も主人の後継者たる器量がある。その片鱗に息子はボームの独立に最後まで反対したのだった。ボームに主の地位を譲る事になっても、と。
結局は主人の判断である事、ボームの熱意に息子は説得を一時的に諦めたのだが。
その様な経緯もあったが商業証が発行され、餞別として一頭立ての幌馬車と馬が分けられ独立したのだ。
今回はハルの交易商ギルドに登録と、食料品の購入が目的。
本当ならアベローナから何か荷物を積んで行きたいが、ヌイ帝国側の商業証がないので課税や手続きに問題が出る。商人として口惜しいが、今回は諦めるしかない。
ギルド証は身分証明証にも使える。ボームが取得した商業証――正確には売買許可証――は緊急時以外の荷物確認の簡略化等の特典があり、商業証がなければ売買は元より荷物を城門から市内に通す事もできない。
アベローナから荷を運んでも、城門を通せずに商品をさばけない。
ハルで商業証を取得後に、城門から引き取っても再び税をとられてしまう。
今回は改めてボーム自身の取引先の開拓も命題だ。断言は出来ないが心当たりもある。
独立を決めたからと、主人の下で働いている間にボーム自身の商売の為には動かなかった。
商業証の申請と発行手続きが終わるまでの時間で、取引先の開拓と食料品の購入を済ませる予定だ。成功する自信もボームにはあった。
傭兵ギルドで護衛を雇い出発せねば。
国境付近は安定しているが、護衛が居ないとよろしくない人間に目をつけられかねない。
ヌイ帝国のハル城塞都市との往復間で商業証発行期間もあり、少々長期契約となる。出来れば将来性のある傭兵と顔を繋げれれば最上だが。
傭兵ギルドへと足を急がせながら、色々と思惑を働かせるボームだった。
要塞都市アベローナの傭兵ギルドは三ヵ所ある。アベローナ傭兵ギルド本部の中央ギルド、北門近くにある通称門番ギルド支店。三つのギルド支店の中で唯一、宿屋に併設された支店。
国境にあり、元が要塞であるアベローナには多くの傭兵や、傭兵希望者が訪れる。
要塞を守る軍人や交易・行商人等の商人が落とす金を目当てに宿屋(フルゥスターリだと宿屋は酒場と併設するのが基本)を始めとした繁華街ができ人が集まった。
そうなると税収を取る為に外壁が作られ、アベローナは要塞都市へ。この時期に作られたのが本部ギルドだ。
この様に大きくなるたびに、ギルド支店が作られていき傭兵ギルドが一つの都市に三ヵ所も作られたのだった。
傭兵ギルドで雇用した若者二人を荷台に乗せ、ハルへ向け出立する。
普段なら交易品で満杯で、傭兵などは馬を所持してないなら徒歩(荷物ぐらいなら荷台にのせるが)で護衛する。馬車が多くなる程に速度は落ちるのだ。
護衛を荷台に乗せた事、馬車が空同然だった事。このような状態が重なり、移動速度が上がった事が、少人数だった一行を助ける事になったのだった。
もっとも、ボームも護衛の傭兵も自分達の危険に気付きもしなかった。 地下迷宮から出立した彼率いる襲撃隊が移動時間を読み間違え、襲撃予定地を通りすぎた事に気付くのが日が沈んでからだったために。
運も実力ならばボームは成功するだろう。