一章第十ニ話
彼は農場部屋で一輪車を使い、刈り取った小麦を水車小屋に運んでいた。
ネブラは一人で大丈夫だと言っていたが、麦畑の面積を考えると難しいと感じていた、がポイントが厳しい事もあり増員は見送り。地下迷宮拡張を休み、ネブラの手伝いに精を出していた。
色々考え悩んだが、上に立つ人間として部下と共に仕事が出来る器量を示す、との建前を打ち出し説得。
ただ端から見たら情けなくて愛想つかされるかも?
この怖い考えを頭から追い出して、頑張って運んでいた。
しかし可能性があるので、エレナには朝食時に昼食と夕食不要と呼び出すまで農場入室禁止を命じ、黒パンと干し肉を弁当代わりに持ち込み農場部屋に引きこもった。
幸いにもトイレは公園にある公衆トイレのような物が建てられている。外見は物置小屋だが内部は男性用トイレと洋式水洗トイレがあり光源も魔具でとられている。
飲み水はホムンクルスが寝床に使用している小屋内の水道からか、何故かある井戸それか小川からだ。井戸は時代劇でよく見る桶を入れてつるべで引き上げる物でなく手動だがポンプ式。
風呂以外は引きこもるのに問題はない。
骸骨兵達には何時ものように訓練を命じている。
ミールは農場以外だと何も出来なくなる事に加え、水撒きを任せないと麦刈りが厳しいので水撒き中だ。
だからミールの眼差しが冷たいのはきっと気のせいだ。現最強のミールに反乱を起こされたら、骸骨兵と協力しても勝てないから。
胃が痛くなるので仕事に集中する。
媚びるのは確実に逆効果だろうしな。先を考えると頭と胃が痛む彼だった。
そんな内心は欠片程も外には出さずにネブラが刈り取った麦を水車小屋に運ぶ、交代して彼が刈り取りネブラが運ぶ。
ネブラの疲労具合に注意しながら、適度に休憩を入れ仕事を続ける二人。水撒きを終えたミールも水車小屋での麦の魔具投入を手伝う。
無表情で、ひどくさめた瞳をしたミールだが仕事ぶりは一生懸命だ。そんな姿を見ると己の被害妄想ぶりについ苦笑がもれる彼だった。
「……?」
麦を運んで来て、ミールの仕事ぶりを見ながら拭いてもあふれでる汗をタオルで拭ってそんな事を考えていた彼に、首を傾げるミール。
「何でもない」
苦笑をもらしたまま、彼女にそう伝え太陽の位置を確認する。
「いい時間だ。昼にしよう」
懸命に頑張る彼女が、手を抜いていたりするならまだしも全力で頑張る自分を悪く思うはずがないと。
ミールと共にネブラの元へ、三人で小屋に入り昼休みに。
ホムンクルスのネブラは砂糖水を飲むだけ、水精霊であるミールは食事の必要がない。
そうなると食事を口にするのは彼だけで、少々居心地が悪い。ミールが微動もせずに口元を見詰めるのも拍車をかけていた。
「……食べるか?」
パンを手でちぎり、差し出すも首を横に振り受け取らない。そうか、とそのパンを口に入れ咀嚼、その行為を瞬きもせずに凝視するミール。
内心をなるべく表に出さずに食事を続ける彼、そんな二人を首を傾げながら見守るネブラだった。
「でも、不思議だよね」
彼の食事も終わり一息ついた頃合いを見計らってネブラが彼に話かける。
もしエレナが同席していれば言葉使いに説教が飛んで来ただろう。
「小麦も大麦も実が詰まっていて豊作だよ」
「良い事ではないのか?」
三人で力を合わせて取り組んだ事が良い方向に向かったのだろう、と彼は特に注意する必要を感じずに続きを促す。
まだまだ仕事が残っているので些細な事で士気を下げる事もない、という判断も加わっているが。
「だから不思議なんだ、麦踏みは一応してたんだけど」
麦踏みって何? との疑問は噛み殺し聞き手に徹する。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥、と理解しているが話の途中で質問して横道にそらすこともない。
「土の状態が判らなかったから」
他の野菜の時も同じく不思議に思っていた、と告げるネブラに彼は何と答えるか考えていたのだが。
「ご主人様、僕仕事に戻るよ」
彼の返答を待たずに、麦わら帽子を被ると小屋から飛び出して行くのだった。
「……ところで麦踏みって知っているか?」
二人の会話を黙って聞いていたミールに、つい疑問を問いかけてしまった彼だがミールはふるふると首を振るとネブラを追いかけて出て行く。
音を立て閉じるドアをしばし固まって眺めた後、気を取りなおし――背中に哀愁を漂わせて――己とミールの使ったコップを洗うと仕事に戻る彼だった。
麦の刈り取りはネブラと二人で夕方までかかった。
昼食後からも互いの疲労に気を使い、刈り取りと運搬を交代したり、休憩をとったりしながら何とか終わらせたのだ。
水車小屋の魔具が四つあり、一つは穂と実を分ける魔具で長方形の箱に上部に投入口が、下部と側面に放出口が付いている。
一つは実と籾殻を分ける魔具で同じ長方形で側面の排出口がない、投入口の形が違う、下部排出口が二つある物だった。
一つは臼型の魔具で麦を粉にする、最後の一つは人間が入る程の大きな宝箱型で外見以上に容量がある倉庫の魔具。
今日は流石にネブラとミールをこれ以上働かせるつもりもなく、宝箱に刈り取った小麦、大麦も収納したので休ませる。
「ネブラ、苦労を掛けたな」
「え~と。はい、ご主人様。いいえ、え~と、う~ん?」
あわあわしてるネブラに癒されながらも、また泣かせぬ様に早めに声をかける。
「ネブラ、落ち着け。焦らなくて構わん」
「あう。ごめんなさい、ご主人様。先輩から教えて貰ったけど思いだせません」
仕事も終わったので言葉使いの件は簡単な注意だけ伝えたのだ。落ち込みそうな彼女を慰め、此方を眺めていたミールにも話かける。
「ミールも苦労を掛けた。水撒きに麦の収納と大変だったろ?」
首を左右に振ったミールを無言で見詰め続ける。
そんな二人を見て慌ててミールに声を掛けようとしたネブラを手で止める。
無表情のミールを見詰め続ける彼。
再びあわあわしだすネブラ。
無言で見詰め返すミール。
現最強のミールの機嫌を損ねる可能性もあるが、無言を許したら侮られかねないと危険を承知で見詰め続ける。
表情は意識して無表情に、手のひらが汗で濡れ、心臓は破裂しそうだ。
成人男性と十歳程度の少女が互いに無表情で見詰め合う。
「……大丈夫」
「そうか。二人とも休んで良いぞ」
二人はそれぞれ返事をした後、ミールは小川に溶け消え、ネブラは一度丸太小屋に入り着替えを持って農場から出て行く。
それらの後、意識してゆっくりと余裕がある様に歩いて農場から出る。
崩れ落ちそうな身体を気合いで支え、食堂に居たエレナに農場部屋の入室を許可して地下迷宮拡張に行く。
最悪、農場部屋から逃げ出せば良かったとはいえ無茶しすぎたか?
農場部屋から出た途端、消耗で倒れそうになった事を思いだしながら考えていた。
魔力回復中の何時もの思考だ。
自分に対しての無言で通すのは許してはいけない。
元から喋れない種族等なら別にしても。
現状のホムンクルスや骸骨兵達が見ても忠誠は変わらぬだろうが。
この先の創作魔物に見られたら、自分が話かけても答えなくても良いと考えかねない。
(残り時間は?)
《残り後約211時間》
残り時間も約九日、長い様で短い時間だ。
骸骨兵達の上げる喧騒が遠くから聞こえて来るだけの空間。
魔力の使いすぎと、農場部屋での疲労が重なり彼を弱気にさせる。
誰にも内情を相談や吐露できぬ心労。
なかなか寝付けない事で、仕事に逃避していたために蓄積されていた疲労も重なったのだろう。
残り時間を確認するごとに、何者かに追われる様な恐怖に襲われる。
息を切らせながらひたすら走るのに、後ろからカッンカッンと追い掛けて来る足音が離れない、いや近づいてくる。
そんな恐怖を。
地下迷宮の壁に背を預け、ズルズルと床に腰を落とす。
無意識に近い反応で周囲を伺い、そんな自分を嘲笑う。
なんて情けなく臆病で卑怯者なんだろうか!
こぼれる涙と、もれでそうな嗚咽を両手で覆い隠す。
死と戦いに怯え、顔色を伺い媚びへつらう。
こんな人格でイース達の主に相応しいとでも?
忠誠を得るため?
自分の代わりに殺し死んで欲しいだけだろ?
それも演技で騙して得てる忠誠で!
このままで良いじゃないか、嗜虐趣味があるわけでも、殺人狂でもないのだ。
ゲームもインターネットもないが、食事だってエレナとネブラの努力で豊かになった。
このまま、そっとしてくれれば無理に殺し殺される事もない。
溢れる涙を左手で覆い隠したまま、右腕に噛み付く。
血の匂いと味で強烈な嘔吐感、腕の痛みを気付け薬がわりに。
左手をおろし虚空を睨み付ける。
駄目だ、前を向け、俺!
そっとしておいて欲しい?
人間の欲望と執念を侮るな、自分をこうした存在を忘れるな!
殺したくない?
初日の問答で答えと覚悟は得ただろうに!
騙してる?
その通りだ、演技をして騙してる。
だが騙したままで終らない、嘘を本当にしてみせる。
殺せと命じられる事を、死ねと命じられる事を誇れる主に成長してみせる。
だからもう少しだけ泣かせて欲しい。
涙を流した事が良かったのか普段どおりの彼に戻った。
子供の様に泣いてしまった事に羞恥を感じたが、その後も拡張に励んだ。
泣いて腫れたかもしれない目元が戻るまで。
かなり遅い時間まで頑張り、念のためイースに変わった事がなかったか尋ねた後、就寝。
農場での労働か、泣いたのが良かったのか、今夜は悪夢に悩まされなかった。
彼は宝石椅子に座り、新たに付与した技能フルゥスターリ王国知識で手に入れた情報を元に計画の修正に没頭していた。
再カスタムが可能となり新たに付与した技能がある。
フルゥスターリ王国知識
大陸共通語
フルゥスターリ王国語
投げ
カスタム使用ポイント10ポイント。
残り使用可能ポイント177,5ポイント。
当初の計画では未開拓地域に潜伏し、開拓村と魔物を狩る予定だったが開拓村の住民の多数が元兵士だと知り修正を考えていた。
開拓村なら住民が全滅しても、野良魔物等に襲われた可能性もあると、地下迷宮探索の手も緩むかと期待していたのだが。
修正案はすぐに思いついたのだが、メリット・デメリットを思考していた。
「……ここが最良だろう」
自分に言い聞かせる様に呟く。
要塞都市アベローナより北東部、ヌイ帝国との中立地域であり未開拓地域が重なる地点。
戦争時の危険が高すぎるために村はないが、ヌイ帝国との貿易のため商隊が多く通り、国境の中立地域のため大々的な軍事行動が難しいだろう事。
問題もある、未開拓地域の森が近いので護衛がついている事。
両国の重要な貿易路のため、両国から攻められる可能性だ。
だが王国国内に出現するよりは、まだリスクを押さえられるだろう。
宝石椅子から立ち上がると作業に戻るため、ダンジョン奥へ向かう彼の背に迷いはなかった。