閑話 ディギン
その日の探索は不運としか言い表せなかった。
二階層を利用した戦闘訓練時は迷宮外に雪が積もり、侵入者の心配がほぼないもののゴブリン小隊の一つが警戒と湧き出る巨大鼠を狩るために居住区に残る。
その時で骸骨兵長イースだったりネームレス自身が勤める事もあるが、この日は監督者としてスチパノが率いた。二小隊隊十二名に救援隊としてハブとディギンを含む第一世代ゴブリン六名の合わせて十九名で第二階層へと降り立つ。
二階層突入直後の部屋を物資集積場としてスチパノと救援隊が詰め、小隊が二手に別れて魔物討伐と資源採取に向かう。探索開始初期は安全を第一に小隊も固まって動いていたが、二階層魔物の生態をほぼ把握してからは効率を重視するようになっていた。
二手に別れたゴブリン小隊は順調過ぎる程に襲い来る二階層魔物を屠り足を進める。これが一つ目の不運、両班共に遭遇する魔物の数が大抵二匹、多くても三匹で瞬く間に蹴散らす。そう先へ先へと互いに突き進んだ結果、両班が離ればなれとなった。倒した魔物の死体からの剥ぎ取りや無作為で発生する採掘箇所より採取といった補助を担当する救援隊も同様に拡散してしまう。
二つ目は両小隊がほぼ同時に数多の魔物が滞留する部屋に足を踏み入れてしまった事だ。いや、片方には丁度スチパノが同行していたので問題はなかった。
部屋に侵入して来たゴブリンに殺気立つまで完璧に息を殺していた魔物の群れ、山羊人と羊人を主に灰色狼が追随してゴブリンに迫る。前衛として前に出ていた三名のゴブリンに山羊人と羊人が合わせて九名、そして狼が十二匹が津波の如く押し寄せた。
ゴブリン一名に対してゴートとシープが部屋から脱出を阻む為に取り付く、ゴブリン同士の連携を阻害して数の優位を活かしてその場に釘付ける。ゴート達は適当な木の枝を簡易な棍棒に見立て武装してゴブリンに振り下ろす。
次々と繰り出される三本の棍棒にゴブリンらは楯と槍を捨て換えた小剣を使い後衛となった者達からの援護を受け何とか捌く、それで精一杯であり反撃も後退も出来ずに相手方の狙い通り足止めされる。
このまま時間をかけ攻め手を交互に変わりながら圧力をかければゴート達二階層魔物側の勝利となるが、駄目押しと狼達がゴートやシープの足元を抜けて襲いかかった。
なんとか硬直状態に持ち込んでいたゴブリン側だが狼が前線に加わり手足首目掛け牙を剥く。それでも狼が加わる寸秒、足元を抜けられて体勢を崩したり同士討ちを避けようと攻撃が緩んだ。
そしてその瞬く間はスチパノが前線に踊り出るには十分な時間だった。逆手に握る両刀で並み居るゴートとシープを鎧袖一触とばかりに殴り掛かるゴートの手首を落とし擦れ違ったシープの喉を引き裂き腹を裂き臓腑を撒き散らさせる。
必殺の陣を敷き待ち構えていた魔物達は圧倒的な暴力に心が折れ、十二分な数の優位を活かせずスチパノの活躍に勢いづいたゴブリンに駆逐されるのだった。
*****
一方、もう片方の小隊は盛大な逃走劇を演じている。
部屋に足を踏み入れた瞬間、待ち伏せに気付いたニジョ隊を率いていたアブアブは迷わず撤退を決断。すぐさまに大声で「逃げるわよ!」と叫び率先して反転すると駆け出す。条件反射的に追随するゴブリン、顔を合わせた瞬間に逃げの一手を打たれ思わず呆然とする魔物達。
だがしかし、本能的に罠を警戒して数秒無駄にしたが狼が猛然と追撃に移る。その姿に慌てて残りの魔物達もゴブリンを追い駆け出す。
「しつこいわね、女の尻を追い回すなんてスケベ!」
「アブ姉さん、余裕っすね!」
遁走開始時は先頭で他のゴブリンを引っ張っていたアブアブだが、彼女達が倒した魔物から剥ぎ取りをしていた救援隊ディギン他二名と合流後はディギンと二人で殿を務めている。行きの過程で道中の魔物は駆逐しているが念のために同期二名に若いゴブリン達を任せてだ。
追い付いた三十頭近い狼集団の出鼻を手斧を振り回し拳と蹴りで挫き怯ませ追撃の足を鈍らせると、再び転進し逃走に移っていた。アブアブとディギンの働きで他の七名はかなり先へと進んでいるが、その分彼女達の逃走距離は短くなりゴートとシープの混合した二十名程の集団に追い付かれそうになっていた。
それを理解している狼達も無理な攻撃はせずに狙いをアブアブとディギンに絞り込んで足を鈍らせる程度に押さえている。その為に互いに体力は消耗しているが大きな怪我はない。
「先に行ってるニジョちゃん達は合流出来たかしら?」
「おそらくまだっすね。クジョ隊の担当だったすから俺達の様に後を追ってたはずっす」
噛み付く狼の鼻頭に楯の一撃を加え怯ませ、その隙を狙う別の狼を手斧で牽制するアブアブ。彼女と肩を並べ跳び掛かってくる複数の狼を素早い左右の連打でアブアブから遠ざけるディギンの二人はそんな軽口をやり取りして焦りで短絡化しそうな思考を落ち着かせていた。
(やれやれ、隊長も辛いわ。若い子達は勿論の事、同期も守らなくちゃいけないなんて)間近に聞こえる多数の足音にアブアブは討ち死ぬ覚悟を定める。此処で時間を稼げば先行したゴブリンらはスチパノと合流出来るだろう、そう計算した彼女は任じられた長としての責務を果たすべくディギン独り逃がす事を決めた。
「ディギン、先に行きなさいな」
小隊長の責務、敵に勝つこと、如何に効率良く殺すか、だ。敵は勿論だが、これは味方にも当てはまる。時に勝つ為に、または負けない為に味方を犠牲にしなければならない。その上で配下を多く生きて帰す、ならばニジョ隊で一番腕の立つアブアブ自身が捨て石となり時を稼ぐ、そして死ぬのは一人で十分。彼女の出した結論だ。
「先に行くのは姉さんっすよ!」
アブアブが反論する間を与えずにディギンは狼の群れに突貫、素早く四頭がアブアブを牽制し他の狼がディギンを囲む。
「ディギン!」
「死ぬ気はないっす、俺と姉さんなら俺の方が時間を稼げるだけっ、せぇいっ!」
足捌き、小刻みに足を動かし巧に狼の顎から逃れる。手捌き、掌底と手刀を使い分け飛び掛かる狼を受け流す。体捌き、背後や横合いから襲い来る狼を上体を前後左右に振り躱す。
八方から息継ぐ間も与えないと次々と流れる様に飛び掛かる狼達。三頭が跳び押し掛かりディギンの注意を引き、他の狼が地を這うように駆けて足首を狙う。喉、両手首に迫る爪と牙に体当たりを上半身の捻りと手捌きで流し、それを目くらましにした本命である足首への攻撃を軽やかな足運びのみで捌く。
「速く行け!」
狼の猛攻を無傷でかい潜ったディギンは狼が再攻撃に陣営を整える隙にアブアブの元へ、部屋と通路を繋ぐドア前に戻る。ディギンの鋭い声色と直前の魔物捌きぶりに彼女は身を翻した。
「死んじゃ駄目よ、死んだら殺すからね!」
戦闘形態基本防御が|受け止めるタイプであるアブアブよりも回避を重視するディギンの方が持ちこたえる時間は長くなる可能性は高い。そう判断した彼女は彼に後事を託し背を向ける。
後先を考えずに全速力で駆けていくアブアブの捨て台詞に苦笑いを浮かべたディギンは部屋に突入してきたゴートとシープ、半円で取り囲む狼達に鋭い視線を飛ばす。
「スチパノ師匠と違って攻防一体なんてまだ出来ねぇっすけど……
裂帛の気合いを込めて
……簡単に抜けるとは思うなっすよ!」
*****
スチパノが傷付けて戦闘力を激減させたゴートやシープのとどめを刺すクジョ隊のゴブリン、狼達は既に部屋から逃走を試み全滅済みだ。待ち伏せからの強襲でゴブリンを仕留める積もりだった魔物達は、逆に多過ぎる数が動きを阻害してスチパノの突貫を防げずに突破を許し前後を挟まれる。
この時点で狼達は逃走を試みスチパノしか守り手のない通路へと攻め寄せスチパノに狩り尽くされた。
武器を腕ごと落とされてのたうちまわるゴート、裂かれた腹部から内圧で飛び出た内臓を元に戻そうとうずくまるシープとスチパノにより壊滅状態に追い込まれた魔物達。
ゴブリン勢は圧倒的な戦果を目の前でたたき出しているスチパノに負けるなと襲い掛かり死体を量産する。
伝令インプからの知らせでハブ達三名が救護に駆け付けた時には大勢は決しており、既に終焉間近の戦闘は任せて積み重なる死体から剥ぎ取りしだす。
ゴブリン側に大した被害を与えられずに全滅した五十は数える骸は、その多さに戦闘班クジョ隊も休憩を兼ねて解体を手伝う。圧倒的多数を犠牲なく打倒した興奮冷めぬなかにニジョ隊付き伝令インプのもたらした知らせに若いゴブリン達は冷水を浴びせられた様に凍り付いた。
「スチパノの兄貴と俺らが行く! クジョ隊は此処の処置が終わり次第集積場で待機!」
この場での最上位たるスチパノが命じるよりも速くハブが指示を出す。
「ラン姐さん、クジョ隊のまとめを! 駆け足でニジョ隊救援に向かうぞ!!」
ランが視線でスチパノに問題ないか確認、的確な判断にスチパノも無言で頷き承諾を伝える。
こうしてハブが先頭に立ち救援隊とスチパノの混合隊がニジョ隊救助に急ぎ向かう。
途中で今日の隊長であるアブアブを除いたニジョ隊とディギン以外の救援隊と合流、そのまま殿を務めている二名の元へと駆ける。
そうして
「アブアブの姉さん! ディギンは!?」
「ゼェ、ゼェ、ハァハァー、後ろで、足止め、し、てる」
息も絶え絶えなアブアブとも合流、疲労が濃い彼女と護衛に二名残してディギン救援を目指すのだった。
*****
左腕は根棒の一撃を防いだ時に受けた前腕が砕け、右鎖骨は回避に失敗して折れ、片耳は狼に食いちぎられ、他にも大小様々な怪我を負う満身創痍であり肩で激しく息を紡ぎながらもディギンは猛攻を凌いでいた。
鎖骨が折れた為に満足に動かせなくなった右腕は狼に食いちぎられて手の半分を失い、砕けた左腕は既に使い物にならない。
戦いの途中から部屋より狭い通路へ戦場を移す事で人型の魔物と狼が彼に攻撃出来る絶対数を減らし攻撃方法も限定させている。それでもこの被害だ、いや、この数の差で未だに戦闘行為というか立っているだけでもディギンは十二分に称賛されるだろう。
魔物勢は数の優位を生かしてディギンと戦う魔物に疲れが見えたら交代、常に気力体力十分な者をぶつけてディギンに圧力をかけ続け一方的な消耗を強いている。避け、躱し、逸らして攻撃を回避するのが手一杯で反撃もままならないディギンが魔物勢を削るのは不可能に近い。
濃密な圧力で摩擦する体力と集中力、結果として両腕と耳を失う。自己鼓舞の軽口も零れなくなり、血と汗で身体を濡らして死に体であるディギンだが、肩で息をしながらも鋭い眼光で魔物勢を押し止めていた。
だが、攻撃を逸らしていた腕が使い物にならなくなったのは致命的である。
魔物勢も先ほどまでのディギンから反撃され手傷を負うのを避けた攻め手でなく、もはや反撃はないと仕留める為に必殺の構えを見せていた。
絶対絶命の苦境の中でもディギンは必死に打開策を見出さんと頭を動かし呼吸を整える。
狼達が左右の壁を使い三角跳びの要領で襲い掛かるのを皮切りに根棒を頭上高くに振りかぶり防御を考えず雄叫びを上げディギンに向かう。
左右から二頭ずつ、合わせて四頭の狼がほぼ同時に迫るなか、疲労と激痛、失われ続ける血に意識が混濁しつつあるも身体に叩き込まれた型が、上半身を前後左右に振り狼の攻撃をすり抜けさせた。続く三名の上から振り下ろす根棒の打ち下ろしはあえて目に付いたゴートの懐に踏み込み半身となりかわすと同時に砕けた左腕で肘打ちを叩き込む。
だが踏み込みのタイミングが擦れ負傷を与える程の打撃にはならず、ゴートを一歩後退させるにとどまる。だが同士討ちをおそれて手を止めていたシープがディギンと仲間が離れた瞬間に根棒で殴りかかった。
朦朧としだした意識がそれまであえて繰り出さなかった攻撃を日々の修練にて染み付いた肉体が条件反射的に動いてしまい、回避に費やすはずだった機を完全に外してしまう。背中と左足に重い一撃をくらい崩れる体勢、チャンス到来に一斉に襲い掛かる狼達、負の連鎖はとうとうディギンを地に叩きのめす。
致命傷となる喉への食いつきは使えなくなった腕を差し出して防ぐも何頭もの狼に押さえ付けられた体勢では防ぐ事もままならず。腹部へ二頭、右太股、足首、左足首それぞれ噛み付かれ牙が食い込みディギンの血で渇きを癒しますます力を注ぐ狼達。
激痛で声にならぬ絶叫をあげながらもディギンは身を跳ね、揺すり、まともに動かぬ腕を使い一秒でも長く生き抜く努力を怠らない。逃がしたゴブリン達への時間稼ぎ、ではない、彼はこの絶体絶命のただ中でも救援を心の底から信じているのだ。
突き刺さった牙で皮膚を貫かれ肉が裂けるのも構わず何とか逃れようと身体を激しく動かして拘束を解こうと試みる。革鎧を貫通して肉を裂き、骨を砕く狼の牙と顎による激痛と生きたまま喰われる恐怖に苛まれ、いっそ諦めて抵抗を捨てた方が楽に死ねるとの誘惑を振り払って。
そんなディギンの抗戦を嘲笑う様に抵抗を抑えんと体重をかけ押さえ込み牙を食い込ませる狼、血に酔い本能のまま肉を食い千切り咀嚼する狼、シープとゴートは念のため逃げられぬ様に囲み飛び散る血潮に暗い笑みを浮かべてディギンに嘲謔を投げ掛けて己らに疲労を強いた小憎たらしいゴブリンが痛め付けられるのを見物する。
「殺せ、殺せ、殺せ」
「痛め付けろ! 楽に殺すな!」
「へへっ、いきり立ってきたメェ。ちょっと尻貸すメェー」
「ベ、ベェ!? そんな趣味ねぇベェ!」
「八つ裂きだ、串刺しだ、手足をちぎれ!」
「お、おぅ、狼! 下半身というか尻は残しとけ! オラが貞操の危機だベェェエェ」
血肉が飛び散る殺戮の狂乱を尻目に戦闘で高ぶった生存本能を解消すべく、一頭のシープが手近に居ただけのゴートを引きずり集団から先行しようと僅かに離れた瞬間、シープの片足に手斧の刃が食い込んだ。
他の魔物達があげていた叫び声すらも掻き消す絶叫、ディギンに食らい付いて居た狼達ですら思わず動きが固まってしまう。そこに黒い暴風が飛び込み両手に逆手で握った短刀にて魔物達を吹き飛ばす。
「生きているかディギン! 俺を置いて独りで楽にはさせんぞ!(助けに来たぞ!)」
「間に合って、ないじゃないですかヤダー!」
「先生パネェっ!」
「親分が居たらきっと『ゲームが違う!』って感想よねぇ。私はディギンの治療に専念するから、ニジョ隊付きインプはフジャン姉に転送陣まで急行、クジョ隊付きは親分に処女厨要請を伝令、急いで」
「兄じゃ、俺らって必要?」
「言うな弟よ、突撃じゃぁ!」
ディギンの粘りと生存への努力の賜物か、獲物を前にして舌なめずりをするという行為故か、魔物達の集団は主にスチパノの活躍の前に屍を晒す。
「ディギン、俺を置いて逝くな! 返事をしろ!」
「ちょっ、ハブ、正気に戻りなさい、貴方がとどめを刺してどうするのよ、こらぁ! 男共これを引き離しなさい!」
槍と剥ぎ取った皮を利用した簡易ストレッチャーに乗せられて移送される直前、ハブがディギンに『寝るな、返事をしろ』とばかりに胸ぐらを取り頬を張って揺さぶって殺しかけるも駆け付けたフジャンの精霊魔法と一角獣ユーンの活躍により一命を取り留める。
喰われて失われた肉体すらも還元したユーンの癒しの力で以前とたいして変わらない姿に戻っていた。
病み上がりとも言えるディギンをニジョ隊やクジョ隊のゴブリンが何故か胴上げをして失血で血が足りないディギンを白目にさせたり、「生きてて良かった」と本気泣きするハブを慰める第二世代ゴブリンの横で
《我の力だよね? べ、別に邪悪で劣等な妖魔如きに感謝されても何とも思わないけど、けど、けど、……》
「そうだな、ユーンを迎え入れられた事は大きい。感謝しているよ」
《わ、我が偉大な事は当然であるから褒められるのも当たり前であるな!》
エレナとヴォラーレに手をまわして捕虜の少女達にユーンを慰めさせようと決意するネームレスだった。