第一話 怪しいメールにご用心
「――こうしてジャンヌは、神様の住む国へと旅立っていきました」
発声はお腹の底から。ペースはゆっくり、それでいてはきはきと。
リハーサルの記憶をひとつひとつ掘り返しながら、私はようやっとそれを読み終えた。
深く息を吐き出すと、緊張に押さえつけられていた胸元が、ほんの少し元の落ち着きを取り戻したような気がしていた。
「先生! 質問です!」
「私も私も!」
手にした教科書を下ろすと、それを待ち構えていたかのように、どっと教室中が沸き立っていた。
つぶらな瞳をとりどりに輝かせ、我先にと必死に手を挙げてアピールする子供達を見ながら、私は少し面食らってしまう。
教室の一番後ろ――暖かな光の射し込む窓辺から、クラス担任の黒宮先生が、にこにこと優しげな笑みを浮かべて、こちらを眺めている。特設のパイプ椅子に腰掛けた先生は、私の胸の動揺を和らげようとするかのように、何度も深く頷いていた。
黒宮先生は、教員を目指す私の元恩師で、私が通っていた頃からずっと、この小学校で教鞭をとり続けているらしい。
優しくて、穏やかで、どんな些細な話だろうと親身になってじっくりと聞いてくれる先生のことを、みんなが本当の母親のように慕っていたことは、今でもはっきりと覚えている。
元々、教育実習先が自分の母校になるのだということは知っていたけれど、大好きだった先生の下でもう一度教わる機会があるなんて、思ってもみなかった。
素直に嬉しくなった私は、思い出がいっぱいの懐かしい母校で、悔いなく実習を終えられるようにと、努力を惜しまない心積もりでいたのだった。
――その、はずだったんだけど。
「先生、何でジャンヌは、いい事したのに捕まっちゃったの?」
「いい事したけど、周りにいた大人が悪い奴だったから捕まっちゃったんだろ」
「神様の言う通りにしたせいで殺されちゃったのに、その原因を作った神様のところへ行ったって、幸せになんかなれるのかな――僕が神様に会ったら、酷い目に遭わされたんだって、すごく怒ると思うけど」
「だから、きっと神様は悪くないんだよ。だって、神様なんだよ?」
好奇心旺盛な子供達の話し合いはとどまる所を知らないようで、ざわめきに包まれる教室を静めることだけで、私はすっかり手一杯になってしまう。
小さな子供の質問って、何だか残酷だな――
そもそも、先生はどうして、このお話で私に授業をやらせようとしたんだろう。
結局、膨れ上がった議論の嵐をまとめることが出来なくなってしまった私は、実習前に、“もうひとりの先生”から教わった切り札を、早々に使わされる羽目になっていた。
「はいはい、静かに! じゃあその答えは、各自で持ち帰って、じっくり家で考えてきましょうね。月曜日にまた続きをやります」
「何だよ、宿題ってことかよ……都合いいなあ、先生」
ちょっと、今の誰が言ったの……?
思わず重たく据わりそうになった目をこじ開けて、私はひたすら苦笑いを浮かべる。
純粋に神様を信じてたりするのかと思えば、時々、突拍子もなく現実的なことを言ってきたりもするんだから、子供という存在は、やっぱり残酷だ。
そうして、目の前の議論にがっつりと白熱していたかと思えば、チャイムが鳴ったと同時、脳味噌に溜まり切った熱を、驚くほど簡単にクールダウンさせてしまったりもして、子供達の興味は次から次へと目まぐるしく変化を繰り返していくのだ。
思ってたよりもずっと、前途多難かもしれないな――
教卓の上で、散らばった藁半紙をトントンとまとめながら、小さく息をついた私の目の前に、ちょこんと控えめな影が落ちる。
「お疲れ様、匂坂先生」
振り返った先に立っていた恩師の笑顔は、十年の時間が過ぎた今も変わらず、木漏れ日のように優しかった。