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三国記  作者: 上沼義一
8/12

8話 日常

 その日も山奥で暮らすアイン達にとっては何気ない一日だった。アインと名由佳が朝食の準備をしている。小屋の戸は朝方には開けられていて、新鮮な空気を小屋の中に入れていた。名由佳は小屋の外で昨日取っておいた山菜を洗っている。台所というには粗雑な作業台は小屋の入り口からすぐに左手にあって、開け放たれた戸からは名由佳がしゃがみこみ、山菜を洗っている姿がアインには映った。アインは熊の肉が載っている作業台の上に視線を戻す。肉は先ほど名由佳によって焼かれたばかりでかなり熱いが、アインにはあまり気にならないらしい。焼けたての肉を手で固定しながら、肘から手くらいまでの長さはある包丁でさくさくと切り分け、時折ガラが街まで行って手に入れてくる塩を振り掛ける。朝から中々に重い献立だが、山で暮らす彼らからすると普段通りの朝食だった。

 伊礼は椅子に腰掛け、ガラが所有している書物を読んでいる。最初は名由佳が雑務をすることに反対した。分担制であることをようやく受け入れた後も、名由佳が作業中は傍に控えていたが、名由佳自身に諌められて最近は時間があれば本を読んでいる。世界からあらかじめ与えられた知識と、自らが学習し覚えていくことで整合させていくという作業の感覚は、おそらく人間には生涯分からないだろう。

「おー、おはようさん。あーさみぃ……」

 のそのそと、ガラが小屋の一番奥の寝台から起き上がり、伊礼とアインに声をかける。ガラが小屋の一番奥を自分の寝床にしたのは、常人には朝の冷たい空気は中々に耐え難いからであろう。

「最近随分起きるのが遅くないか……。昔はさんざん山で暮らす人間なら太陽が昇る前に起きるのは当然だって言ってたくせに」

 アインが振り返ると、ガラはまだ毛皮で作られた布団から出ようとしていない。呆れてすぐに作業台に目を戻す。

「そりゃまぁ、お天道様が昇ってくれないと俺みたいな普通の人間は何もできねーからなぁ。ただ魔王様がいらっしゃってからそうでもなくなったからよ」

ガラは寝台の上で胡坐をかき、布団でしっかりと身を包む。

「―――朝やればよかろうに」

 伊礼は紙面から目を上げぬまま、ため息をつく。名由佳の炎によって、本来山奥で暮らすガラにとって貴重である光は日常のものとなった。最初に燃えない炎を名由佳が出したときのガラの喜びようが尋常でなかったのも、仕方がないことかもしれない。

「分かっとらんねぇ伊礼。やれなかったことをやれるのが楽しいのさ。ま、すぐに飽きるだろうがな」

 ガラの夜更かしが始まってまだ二週間程度である。伊礼は何も答えず紙面を捲った。アインとガラが名由佳と伊礼のことを呼び捨てるのは、大分前に慣れていた。

「それじゃ、ご飯にしましょう」

 山菜を入れた籠を手に名由佳が小屋の中に戻り、四つに増えた椅子が備えられた机の上にそれを載せる。アインが切り分けた肉をその隣に乗せ、今日の朝食の準備が整った。

「いただきます」

『いただきます』

 手を合わせ言うガラを、三人が追う。アインとガラの二人の生活であった時から決まっていた大半のことを、名由佳と伊礼は受け入れた。

「しかしまぁ、名由佳が来てから色々楽になったよなぁ」

 中央に置かれた肉を手掴みし、ガラが口の中に放り込む。

「昔は熊なんて獲ったときは暫く熊漬けだったが」

 今口にしている熊の肉は、既に二週前に獲ったものだ。

「魔術ってのは便利なもんだよなぁ。名由佳は凄ぇや」

 もう一つある食材や道具をしまってある小屋を名由佳が冷却するようになってから、確かに食材の保存効率は格段に良くなった。アインは名由佳を褒めるが、名由佳はいまだに褒められるのはあまり慣れていないらしい。白い頬を朱に染め、謙遜する。

「特別にたいしたことはしていませんが」

「王の力を家政婦のように使うとは……」

 褒めるガラとアイン、照れる名由佳と対照的に、伊礼は一人だけ不服そうである。すぐにガラがそんな伊礼にちゃちゃを入れる。

「それならお前がやりゃあいいじゃねぇか」

 名由佳が肉を焼いたり、灯りを点したり、食材を冷やしたりするようになってからもう既に何度繰り返されたか分からないやり取り。結果が分かっているにもかかわらずガラが同じ発言を繰り返すのは、完全に伊礼をからかっているに過ぎない。

「出来るものならやっている! 私の魔術は精神面が本分で、現象の類は不得手なんだ」

 その理由が名由佳の恐怖という感情が伊礼を産み落としたことに起因することは、誰も知らない。アインもまたガラに便乗して伊礼をからかう。

「不得手っていうか出来ないんだろ。素直に言えばいいのに」

「―――っ、魔術に頼って生きる人間の話など、わたしは聞いたことがないぞ」

 伊礼の肌は小麦色で、名由佳と違い見た目には分からないが、仮に彼女が白い肌であったとしたら先ほどの名由佳同様、今の伊礼もまた顔を朱に染めているだろう。もっとも照れではなく怒りからではあるが。

「そんなこと言ったら魔族と、それも魔王様と暮らしてる人間なんて古今東西聞いたことがねーぞ」

「そうだそうだ」

 毎度のように伊礼が二人の煽りに反応し、冷静に切り返すガラにアインが便乗する。

「くっ……」

「二人とも、そのくらいにしてあげて」

 言葉に詰まる伊礼に、名由佳が代り口を挟むが

「伊礼は良くやってけれている。私の仕事を取らない辺りが特にね」

 助け舟を出したというわけでもないらしい。

「名由佳様まで……」

 伊礼が情けない声をあげる。普段気丈を装っていても、名由佳に茶化されると急に勢いを無くす。

「冗談―――とは言い切れないわね。伊礼が何でもかんでもやってしまっていたら、私はここにいることが出来なかったかもしれない」

 名由佳の目が細まり、薄く笑う。

 魔王に仕事というものが他者に与えられたこともまた、過去存在しなかった。王は自らの意思を現し、それに臣下である魔族がつき従うのが常であった。この辺境の山小屋に置いて、与えられたこなすべき仕事があることこそが、名由佳がここにいることが出来る理由の一つであるのだろう。

「しかし一年か。中々にあっという間だ」

 ガラは壁にかけられた暦を記す布を振り返る。成長期のアインの背が名由佳に並び、抜いたのはつい先日のことだった。

「正直お前らを迎え入れたとき、ここまで何も無いとは思わなかったけどな」

 机の上の食事をあらかたかたし、ガラは椅子の背もたれに寄りかかる。

「人間の本来の目的、目標と今の我々の行動は合致している。まだ連中の疑念はあるだろうが。時間が解決してくれるのであればよいのだが―――ご馳走さま」

 伊礼が食後の挨拶を飛ばし、くつろぎ始めたガラを見て、自分で食事を終える挨拶をする。

「労せず目的を果たせるなら、無駄な苦労もすることないさ―――ごちそうさま」

 アインは伊礼に比べると楽観的だ。彼らの言う人間、ミルスタイン王朝の目的とは言うまでもなく、生まれたての魔王を監禁し、戦力、即ち魔族を生み出させずに平和を得ることである。

「場所が良かったのかもしれねーな。ミルスタインの国土でありながら偏狭。はるか東方の魔族の地で何の動きもなければ不気味だろうが、ここなら魔王が動けばすぐに情報は入る。加えて本国までは距離があるし、何かあった後に対処するだけの時間はあるだろう」

 ガラは自分の生というものに関心が薄く、アインはその人間離れした強さゆえに二人とも恐怖こそしていなかったが、名由佳と伊礼がやってきてから暫くは、すぐに国軍が来るのではないかという不安を常に抱えていた。時間が解決するとは良く言ったもので、二人の不安は一年という時間が解決させようとしている。―――尤も、問題の解決ではないのだが。

「このままずっと―――少なくとも三十年くらいはこうしてここにいられると良いのですが。ご馳走さまでした」

 いつも食事の遅い名由佳がそう言って、彼らの朝食は終わる。

「三十年ってのはどっから出てきたんだ?」

 一年たってもアインの落ち着きのなさは変わらないらしく、食事が終わるとすぐにベッドに腰掛、身体を左右に揺らし始める。

「最低限、ガラさんが亡くなるまでの話ね」

「俺に後三十年生きろってか。これでも結構いい年だぜ?」

「そういや最近抜け毛多いよな」

「気にしてることをあっさり言うんじゃねーよアイン!」

「やれやれ……」

 伊礼が苦笑しつつ立ち上がり、卓上の食器を片付け始める。調理が名由佳の仕事であれば、片付けが伊礼の仕事だった。

「本当に……」

 伊礼はそのまま小屋の中で騒がしく話し続ける三人から抜け出て、食器を抱えたまま小屋を出る。

「このままであれば良いのだが」

 中の人間に聞こえぬよう、外に出てからそう呟いた。

 アインとガラの不安は解決されても、名由佳のそれはそうではない。常に今の生活に終止符が打たれることに不安を感じ、恐れていた。

「本当に……」

 そう繰り返す伊礼にとって、王の不安こそが彼女の不安であり、王の恐怖こそ彼女の恐怖であった。魔族にとってそれは当然であり、王こそが全てなのである。だから名由佳の願い通り、この生活が続くことを彼女は願っている。

「さて、はじめるか」

 一年続けてきた食器の水洗いを始めた彼女自身もまた名由佳同様の願いを持っていることに、まだ彼女は気づかない。


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