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三国記  作者: 上沼義一
5/12

5話 願い

 魔王が死ねば、その子らが死ぬというわけではない。庵考軍は王都ミルスタインに迫るほど、人間の領土を進行していたが、庵考の死と共に退魔聖域の外まで撤退。魔王という支柱を失った彼らが、王の仇である存在を目前にしながら退いたのには理由がある。庵考の在命中に、自分が死んだ時は次代の魔王を導くのが残された魔族達の役目であると彼らに伝えていたからである。

 男は玉座のある玉間の中、玉座の横に佇んでいた。魔族は魔王同様、生まれながらにその形を変えず、成長することもないが、体格などは大まかには人のそれと変わらない。男はそんな中では大柄な部類だった。名由佳と対照的な黒い蝙蝠に似た、一般的な魔族の翼を持ち、額には見事な角が生えている。翼を害さないよう、魔族が好んで用いる布を上半身に巻きつけている。腕と背と肩が、外気に晒されている。布は彼の頭髪同様に蒼く、目の奥に見える青い瞳は酷く鋭く見えた。

「敬心様、いつまでこの場に留まるのです」

 玉間の扉は開け放たれていた。その向こうから、敬心と呼ばれた男とは対照的に小柄な、少年のような魔族が立っていた。

石造りであるはずの廊下を歩いてきたはずであるのに、敬心にはその足音は聞こえていなかった。

「庵考様のご命令通り、我らは新たな魔王を導かねばならぬ。魔の王であれば、程なく世に聞こえるようになるであろう。人間の手に落ちればその後に奪還すればよいし、魔王自らが軍勢を率いるようであればそれに越したことはない。どちらにしろ、暫くはここに留まるしかあるまい」

 此処とは、退魔聖域を出てすぐにあるエィル城のことである。人と魔の戦争が起こる前から存在していた人間の城を、魔族が改装しつつ用いているだけであって、酷く古臭かった。1千年の時を経たその城は、古城という表現ですら似つかわしくないかもしれない。そもそも魔族には、華やかであるとか、飾るという概念があまりない。

 敬心の立つ玉間こそ、赤い絨毯をひびの入った石の床の上にひいてはいるが、それも王である庵考が使う場所であったからであって、その庵考も今は無い。

 敬心は庵考の第一子であり、庵考が亡くなった今、軍を率いる最高責任者であるがゆえ、玉間に身を置いている。しかし彼はその部屋にいる間、一度として座ることはなく、庵考在命中同様、その玉座の傍らに控えていた。

「待つしか、ないのですね……」

 少年の姿をした茶髪の魔族は、悔しそうに唇を噛んだ。

「言うな杏煉。口惜しいのは皆同じだ」

 魔族にとって王は絶対であり、全てである。そうであるからこそ彼らは今すぐにでも、庵考の遺した命令を果たしたかった。しかし同じ庵考の命が、人間を滅ぼすという庵考の命令より先に、新たな魔王を確保すること命じていた。

「お前とて私ほどではないにしても永い時を生きているだろう。一年や二年など、束の間のことだ」

 魔族の寿命は三百年あると言われている。事実、庵考の前代の魔王の子は既に絶えていたし、第一子である敬心は既に二百年以上も生きていた。

「そう、ですね……」

 杏煉と呼ばれた魔族は、自分に言い聞かせるよう一つ頷いた。

 彼らは待っている。次代の王が歴史に参上し、人間を屠るその時を。




「はぁ……、派手にやったもんだなしかし」

 声は唐突にもたらされた。沈み始めた太陽が、それでもまだ世界に朱の色を残していた。名由佳が一連の騒動を終えるまでに、それほどに時間を要していないことを示していた。

「―――誰だ」

 伊礼は名由佳を庇うように声と名由佳の間に立った。少年―アインは姿を隠すこともなく、茜色が薄らいでいく木々の合間から顔を覗かせた。

「そちらの魔王様の知人さ。あんた、名由佳のお子さんかい」

 生まれたての魔王が傍に魔族を侍らせていれば、それが親子の関係であると考えるのは自然なことである。

「何をしにここへ来た」

 厳しい表情の伊礼と対照的に、アインは薄く笑ってみせた。周囲に倒れ付した百を越える人間と一面の血しぶきの中浮かぶその笑みは、彼にとっては死んだ男たちに何の興味も無いことを示している。

「悲鳴が聞こえたんでね。ちょっと顔を出したら大方の予想通りだったというだけさ」

 生まれたての魔王がいれば、人はそれを捕らえようとする。悪意を浴びれば、魔王は対抗する。アインの思考は自然なものである。

「そして貴様も王に害を与えにきたか、人間」

 伊礼の中に、アインが黒髪であることに対する疑問はわかなかった。それが何故であるか、魔王以外は黒髪と黒い瞳を持つことがないと知っている、紫がかった髪を持つ伊礼自身分からなかったが、アインが自分の同胞でないことは分かっていた。

「そういうつもりはないんだけどな……。って言っても信じてはくれないか」

 アインは首を傾げ、頭を掻いた。伊礼の目から見て、目の前の少年に敵意があるかどうかの判断は出来なかった。しかし人間が魔王と対したとき、その感情は恐怖、憎悪に包まれるのが常であるはずなのだ。そのどちらもが、アインからは感じられない。

「まずは王に頭を下げてもらおうか。その後で王を呼び捨てた不敬を裁いてやろう」

 伊礼はアインに向かい、一つ歩を進めた。

「なるほどそう来るか。そりゃ面白い」

 アインは余裕の笑みを崩さぬまま、伊礼に対し拳を構えた。それがまた伊礼を苛立たせる。

「―――伊礼」

「分かっております」

 名由佳の呼び声に、伊礼はそう答えた。アインが本当に名由佳と顔見知りであること。名由佳がアインに対して敵意を持っていないこと。その両方が伊礼には分かっていた。何故、という疑問はここでは意味を成さない。魔族は親たる魔王の意思を常に感じられるものなのだ。今名由佳の興味は目の前の少年に集約されている。何故目の前の少年は黒髪であるのか。何故魔王たる自分を恐れないのか。―――何故、名由佳がここにいて、しかも人間を屠っているという予測がついたにも関らずやってきたのか。

 それを吐かせるために、伊礼はアインに向き合ったのだ。結果は見えている筈だった。伊礼からすれば、生まれたばかりの自分の四肢を試す程度のつもりだった。人間が魔王の第一子に適う道理などあるはずもないのだと、伊礼は知っていた。ましてやここは退魔聖域の外である。前魔王庵考の第一子敬心は、万を越える人間をただ一騎で屠ると言われている。

「ふっ」

 取り押さえる目的の右手が伊礼から伸びる。伊礼からすればそっと触れようとする程度の力だが、人間であれば目に映らないほどに速い。15歩はあったであろうアインとの距離を刹那の間に詰め、伊礼の右手はしかし掴むはずであった永徳の右手に逆に掴まれていた。

「一つ忠告するけど……」

 アインは左の拳を握り締め、何故拘束するはずであった相手に手を掴まれているのか思考が追いついていないままの伊礼の右頬に、思い切りぶつけた。

「がっ……」

 生まれて初めて感じた苦痛。少女のなりをした伊礼の表情が歪む。吹き飛ばされた彼女は大木に打ち付けられ、地面に転がり落ちる。先ほど名由佳が殺した男の死骸の上に伊礼が転がり落ち、生まれたての彼女の薄い胸元と腰を纏っただけの黒い衣服を血に染める。伊礼は名由佳のような白い服でなくて良かったと場違いなことを考えたところで、ようやく自分を取り戻した。

「俺はこの見た目の通り、どうも普通の人間じゃあないらしい」

 伊礼を殴った左手で、アインは漆黒の髪をかきあげた。

「―――舐めていたよ、小僧」

 伊礼の唇には笑みが浮かんでいる。世界より与えられた知識に無い、目の前の男の存在が伊礼にとってもまた酷く興味深かった。人間には理解できない感覚であろうが、生まれた時既にあらゆる事象を内包して生まれてくる魔族にとって、『未知』ほど興味深いものはないのだろう。

 名由佳もまた、殴り飛ばされた伊礼に意識を払わず、アインに視線を注いでいる。

「生まれたばかりの、それもガキのなりした魔族に小僧といわれてもなぁ」

 アインは中指を二回自分に向けて振った。挑発という行為であることは知っていても、それを不快であると感じる思考が伊礼には無い。ただ彼女は今、酷く楽しかった。

「ほざけ!」

 伊礼の身体が踊る。小さな翼がはためき、再び見る間にアインとの距離を詰める。今度は加減せず、アインに向かって拳を繰り出す。アインはそれを右手で受け流し、自分の立っていた石の上から飛び降りた。木の根が邪魔をする土の上、永徳は飛来する伊礼を待ち構える。

「なるほど、こりゃ面倒だ」

 伊礼の乱舞を受け流しながらでたその言葉は、余裕こそあれ本心だった。足を地に付けて戦わなければならない彼は、空を飛び続ける伊礼に対し圧倒的に足場が不利だった。

「化け物め」

 面倒といいながら繰り出していく拳の全てを軽々といなすアインに対し、舌打ちしながら伊礼が呟く。

「まさか魔族からそう言われる日が来るとは思わなかったよ」

 アインは伊礼の繰り出す肉弾を避け、いなし、時に防御した。足場の利が伊礼にあったとしても、勝敗の結果は見えている。それほどに能力に差があった。

「たいしたことないな、あんたの子も」

 二人が舞うのを見つめ続けている名由佳に、アインはそう笑いかけた。

「―――ん、なんだ終わりか?」

 伊礼が拳を繰り出すのを止め、アインと距離を置き、地に足をつけていた。

「名由佳様を侮辱するのは許さん」

 アインは気づいていない。魔族に対しての禁句を放ったことに。

「本業で相手をしてやる。もっとも、こちらでは一方的になってしまうが……」

「何を言って……」

 伊礼の瞳が、アインの瞳を射抜く。

「しまっ……」

 気づいた時には既に遅い。魔族が用いる術であるから魔術。それは必ずしも名由佳が先に見せたような、炎を出すといったような『現象』だけではない。

アインの思考は、伊礼のそれに支配される。

『跪け』

 脳に直接響くその声に、アインは抗えない。土の上に膝をつき、伊礼に対してではなく、名由佳に対して向き直る。魔術については語るべきは多いが、今は省く。

「黒髪の人間といっても、たいしたことはないな」

 先ほどの意趣返しに、伊礼は跪いたアインに対して嘲う。

「本業は精神戦か……。一本取られたな。油断してた」

「まるで油断をしなければ屈しないとでも言いたげだな」

「やってみなけりゃ分からないね。正直今話せるのもそっちが手を抜いてるからだろ」

 アインは自分の身体の自由がまるで利かない状態でありながら、口だけがその拘束から漏れていることに気づいていた。

「伊礼、もういいわ」

 跪いたアインから興味を失ったように、名由佳は視線を伊礼に移した。

「しかしこいつは……」

 名由佳を侮辱した、と伊礼は言いかけて止めた。いつであっても、王の命は絶対である。

「っと、動くうようになったな」

 地面に膝はついたまま、アインは首をこきこきと振る。金縛りそのものである伊礼の魔術が解かれていた。

「たいしたことないっていうのは取り消すよ。悪かった」

 アインはそのまま、伊礼に対し頭を下げた。

「わたしに頭を下げてどうする! 王に下げろ、王に」

「え? いやこの場合はお前だろ」

「わたしのことなどどうでもいい」

 頭を上げて伊礼に反論するアインに、伊礼は謝られたというのに苛立ちを足で地を踏みつけることで示す。

「ふふっ」

「お……、笑ったね魔王様」

「くす……。すまない、何故かおかしくて」

 名由佳に笑うための知識は存在しない。人間が何を面白いと感じ、過去の魔族が何に笑ってきたか。その知識はあっても彼女自身の笑みは違う。彼女はまた一つ未知に触れた。

「やはりあなたは面白いわね」

 アインに向ける名由佳の視線が、ゆっくりと細まる。

「一つだけ、試してもいいかしら」

「何をだい?」

 名由佳は尋ね返すアインに答えぬまま、足を崩していた体制から人の目、否、この場にいるアインと伊礼にすらうつらない速度。世界が産み落とした魔王の速度を持ってアインの胸へと右手を伸ばした。

 刹那の後、名由佳の右手はアインに掴まれている。

「殺気が無い分性質が悪いな」

 アインは口こそ笑みの形に歪めていたが、その頬に冷や汗を流していた。名由佳の人差し指と中指がアインの右胸に触れている。つまりアインが右手を掴んだのは、名由佳の手が右胸に届いた後である。

「王がその気であれば致命傷だな」

 伊礼の表情に色は無い。それが当然。魔の力を極端に制限する退魔聖域の外であれば、魔王の一撃を受けることが出来る者などいるはずがない。

「そうね、致命傷ね……」

 再び、名由佳の顔には笑み。しかしそれは楽から来るものではなく、嬉の笑みである。

「けれど、死ではない」

 襲った名由佳には良く分かった。今の一撃を、全力を持って放ったとしても、それがアインの心臓までは届かぬことが。右手首に伝わるアインの放つ束縛の力の強さが、それを

確信させる。

「死なない……」

 名由佳の脳裏に、先ほどの光景が甦る。世界から与えられたそれではなく、自らが経験した鮮明な景色。自らを襲った人間の血に塗れた、死体の群れ。そして現実に今三人を囲む、死骸の山。

「止めてくれる、あなたは」

 魔王が正気を失っても、理性を取り戻すまでの間生きていることが出来る人間。そんな存在は歴代の魔王には存在しなかった。だからこそ、歴代の魔王達は自らの子、魔族としか対することがなかった。魔王にとって全ての魔族は子であり、子である魔族にとって王は絶対である。人間と魔族の戦争が始まってから、初めて魔王が『他者』に触れた瞬間だった。

「あなたの、傍にいたい……」

 自然と溢れた涙とともに、生まれて初めての願望が名由佳の口から零れていた。


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