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三国記  作者: 上沼義一
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4話 長女生誕

歴代の魔王達は、生まれながらに人に悪意を持っていた。名由佳も例外ではない。世界に産み落とされた魔王という存在は、まるで人を憎むために存在するかのような千年であった。

しかし初めての他者との触れ合いが、歴代の魔王と名由佳では違っていた。歴代の魔王は、生れ落ちるなり人に忌避され、恐怖され、攻撃された。それに対し名由佳が得たのは、優しくもなければ暖かくもないが、言葉と一匹の魚と生きるための道具であった。彼女はこの暖かな日差しと冷たく澄んだ水の世界で、ゆるやかに暮らしていくのも悪くはないと感じていた。いみじくもそれは人と争うことになる前の魔族が、連綿と続けてきた生活である。

 魚を骨まで食し終え、水を掬いあげ口に含む。食後の水というのはまた乾いた喉に染み渡る潤いとは違った美味さが感じられた。まだ空腹ではあった。手の平ほどの魚一匹では腹は満ちない。名由佳は気配を消して、アイン同様に魚を取ろうとしたが、上手くいかなかった。生まれたばかりの彼女には、気配を殺すという行為がどういうことか良く分からない。手で掴むなり、魔術で魚を殺すのは簡単だったが、それはしなかった。アインの言うとおり無粋に感じたからだ。

魔王ともあろうものが食事を少し抜いたくらいでどうなるものでもないことを、彼女は知っていた。だからあえて空腹のまま、気の向くままに再び山中を歩き出した。

 

 

今度はすぐに気づいた。人の気配が大勢こちらに向かっていた。周囲には木々が立ち並んでおり、名由佳の目に人の姿は映っていない。しかし自分の周りを囲んでいく気配を感じる。アインのそれと違い、隠密と呼ぶには滑稽である彼らの動きを感じていた。名由佳は歩みを止め、人間であるだろう彼らの包囲が終わるのを待った。太陽が沈み始めていた。隣の山が太陽を既に隠してしまっている。赤みを増す世界を見ながら、太陽がどうやって沈みいくのか見れないのが少しだけ残念だと名由佳はぼんやりと思った。

飛んで逃げることは容易だったが、それはしなかった。自分が争いを求めぬことを示さぬ限り、人は自分を追い続けるだろう。名由佳は自分に敵意が無いことを相手に伝え、この山中を汚すことをしたくなかった。それがここで厄介を起こさないで欲しいと言っていた少年がいたからなのか、自分自身の願いなのかは名由佳には分からない。

「出てきなさい」

 人間達の気配が止まったのを感じ、名由佳は一帯に聞こえる大きめな声でそう言った。包囲が終わるまで口を開かなかったのは、彼らを安心させるためだった。しかしながら名由佳の声に、周囲の人間は応えない。当然である。気づかれぬうちに包囲したはずの相手に、終えるなり声をかけられたのだから。

「敵意はありません。私を魔王と知っての行動でしょう」

 誰一人として、出てくる様子はない。代わりに彼女に伝えられるのは、魔王が世界の誰よりも多くを与えられ続けたであろう感情。恐れ、憎しみ、殺意。歴代の魔王が人を滅ぼさんとした理由が、名由佳にはすぐ理解出来た。世界に産み落とされた魔王は、周囲の空気と他者の感情を自然と理解してしまう。魔王であるがゆえにその攻撃的な空気を常に与えられ、人ではない魔王という存在であるがゆえ、狂うことも許されなかった。

 人間の幼子がこれだけの狂気に触れさせられ、仮にそれを理解したしまったとしたら、その子供はすぐに精神に異常をきたすだろう。

「かかれ!」

 名由佳の問いかけに、彼らは言葉を返さなかった。放たれたのは、仲間への号令。枝を折り、草を踏みつける足音が響き渡る。

「大人しく縛につけ!」

 木々の合間から姿を見せた数男達が分銅つきの鎖を投げつける。それらは名由佳の身体中を包囲し、すぐに締め付けた。

「―――これで満足ですか」

 投げつけられた十の鎖に全身を縛られながら、名由佳は目の前に現れた男達を見た。一つの鎖の先には十を超える人間がそれぞれの鎖を握っており、彼女の戒めを守っていた。

 顔色を変えない名由佳を恐れた人間達は、自然と鎖を握る手に込める力を強めた。しかし百人からの男達の力で締めあげられる鎖が、名由佳の肌に食い込むことは無い。

「人間と争うのは本意ではありません」

「そんな言葉を信じられるわけがないだろう!」

 男の中の誰かが叫ぶ。千年の時の中で魔族が屠っただけの人間の憎悪が、今彼女に向けられていた。そして万力を込める男達の中に湧き上がる、自分達では決して敵わないのだという本能からの恐怖が。

「食らえ化け物!」

 男の一人が、矢を射かける。鋼鉄で出来た筈の矢は、しかし名由佳の腕に届く前にからん、と乾いた音をたてて落ちる。まるで鉄の盾に弾かれたように。

 男達はいよいよ混乱し、恐怖する。魔王という存在を知ってはいても、人間の殆どがその姿を現実に見ることはない。戦場で見えるのも稀であり、見たものの大半は殺される。目の前の存在は、彼らが知る『普通』の魔族とは別種の存在なのだと理解する。

 名由佳にとって、虫に噛まれたほどすら感じることのないその一撃は、しかし彼女の本能を突き動かした。即ち、魔王とは人と対する者であるという一千年の歴史。その歴史を持つ世界より産み落とされた、彼女の衝動である。

 燃やすのは躊躇われた。木々を巻き添えにしたくなかった。雷を落とすのも同様だった。風の刃もそう。先ほどアインにして見せたように、彼女が願えばその全ては現実として起こるだろう。しかし名由佳はそれらを選ばず、自らの手で彼らを屠ることにした。


 名由佳の耳に、悲鳴が聞こえた気がした。その時既に百を超える男達は全て地に臥せっていた。深緑と土色に覆われた山中に、自然では起こりえない量の朱が混じっていた。

 すぐ傍に彼女を戒めるべき鎖と、名由佳鎖を引き寄せるに任せられ、そのまま屠られた男達が転がっていた。丁寧に全ての心臓が穿たれていた。

「―――え?」

 名由佳が小さく声をあげた。彼女の手には、最後に掴んだ男の心臓があった。

正気でなかったわけではない。しかし名由佳は一呼吸の内に全てを終えていた。身体が走ったという表現が正しい。男達を屠ってやろうと考えた直後、全ての男は眼前に倒れていた。先ほど自分に罵声を浴びせたものが動くことはもうない。矢を射掛けた男が口を開くこともない。それが彼女には酷く恐ろしかった。

 この千年の内に生まれた魔王は全て、生まれた直後には人を殺していた。それは人が必ず彼らを害そうとしたからではあるが、その後に感じたものはそれぞれ違っただろう。

 愉悦を覚えたものもいれば、儚さを感じたものもいたかもしれない。ただ名由佳という王は、そこに恐怖を感じた。魔王という特異な存在であれ、それは単なる個体差であるのだろう。

「ああ……」

 ふと静寂すら恐ろしくなり、名由佳は声をあげていた。自分が世界に存在する全てを屠れるのだという実感があった。それが怖くてたまらなかった。誰かに傍にいて欲しいと、そう願った。

それと同時、名由佳は自分の身体から何かが切り離されていくのを感じる。それが今しがた浮かんだ願いであることは、彼女はまだ知らない。

「では、わたしがあなたの傍にいましょう」

 声はすぐそばから聞こえた。魔王が魔王たる所以がそこにあった。名由佳のすぐ横にいつの間にか一人の少女がいて、名由佳の肩に手を置いていた。恐怖から産み落とされた、名由佳の最初の子供-魔族だった。

 自分がどうやってその少女を生み出したのか、名由佳は知らない。しかし少女が自分の子供であることは、本能的に理解できた。

「傍にいて……、伊礼」

 心の底から放たれた願いと、何気なく出たその名前が、しかし二人にとっては自然に感じられた。

「御意」

 伊礼と名づけられた少女は、それ以上何も言わず主の―否、母親の肩を抱いた。


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