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三国記  作者: 上沼義一
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2-4 魔族と黒髪

敬心のいる本陣に戻った射絶は、まず黒髪の彼女に服を与えた。陣にある女性用の衣服は一通り用意させたが、彼女は身体をすっぽりと覆う黒いローブを選び、腰を布で結んだだけで装飾品の類は一切取らなかった。

「庵考様も、あまり着飾られる方ではありませんでした」

 射絶は敬心のいるテントに向かう間、そんなことを言った。

 彼女が着替えている間に、兵を使い、魔王と思しき者を発見したとの報告を敬心にさせていた。

「お連れした」

 射絶はテントの中にそう声をかける。後ろにはやはり黒髪の彼女と牡丹が並んでいる。

「ご案内しろ」

 中から敬心の声がして、射絶はテントの入り口の布を持ち、開いた。

「どうぞ」

 布を掴んだまま、射絶は彼女を中へ誘う。彼女は無言のままそれに従い、中へと入った。 射絶と牡丹は入らずに二人を見送って入り口を閉める。

「わざわざご足労頂き、失礼した」

 テントの中は、三十人は入りそうな広さがある。出征先では軍議の場を兼ねる敬心のテントは、他の者達のそれよりも大きい。敬心はテントの中に用意された椅子を彼女に勧め、彼女はそれに従った。

「話を伺わせて頂いてよろしいか?」

 敬心は目の前の黒髪の女性が自分を魔王ではないと言っていることを聞いていた。まずは確認が先決である。

「先にこちらから確認したい」

 彼女はここが交渉と駆け引きの場だと察することが出来た。経験を何ら持たない彼女がそれを知ることが出来たのは、交渉の場が書の中に頻繁に登場したからだろう。

「魔族は人を屠るが正義であり、定めであると聞いている。私が魔王でないと分かれば殺されざるを得ないなら、私は口を紡ぐ。そこのところはどうだ」

 死にたくないと、今彼女は思っている。世界には書物では得られないものが豊富にあるのだということを、僅かの時間から彼女は感じ、今彼女が生きる意味はそこにこそある。

 敬心は出鼻をくじかれながら笑った。敬心からすれば今は確認の場であり、交渉のそれではない。それを一言で変えてしまった彼女が面白かった。

「逆に尋ねるが、私の口から放たれる言葉が真実であるとは限らない。それでも貴女はそれを聞くのか」

 つい敬心も彼女に乗った。その時点で、敬心は一歩彼女に遅れを取るが、それさえ敬心は楽しめるようだった。

「真実であるとは限らずとも、予測はつこう。納得が出来なければ従わぬし、納得が出来ればそれでこの身が朽ちようと構わない」

「なるほど、面白い御仁だ」

 敬心は誰よりも魔王に近い魔族だった。庵考も言葉遊びを好み、よくそれに付き合った。どこか敬心は懐かしさを覚えていた。

「では再び逆に問わせて頂こう。我々からしてもあなたの言葉からあなたが次代の魔王であるかどうかを計らざるを得ない。あなたの出生に関して知るものがいないのだからな。そうである以上、あなたの言葉からあなたが魔王でないと判断をしても、あなたの言葉が真実であるかどうかをこちらが知りえない以上、やはりあなたが魔王である可能性も残る。確かに魔族にとって人は敵だが、一年の間我々が待ち続けた次代の魔王かもしれない存在を、無闇に害したりするだろうか」

「何故笑うのだ?」

 敬心は自覚していなかったが、その口元に刻まれた笑みは大きくなっていた。

「失礼した。気分を害されたのならば謝罪しよう」

「いや、それには及ばない。よもや貴公は今楽しいのかと、そう思っただけだ」

 口元から笑みを消した敬心に、今度は彼女が微笑んだ。

「少なくとも、私は面白い。生まれてから穴倉に篭っていたのでね」

「そうか。正直に言えば、私もまた楽しかった」

 言葉で相手の腹を探る、などということは二百年を越える敬心の生の中でも始めてのことであった。親である魔王と弟、妹である魔族に対して腹を探るようなことをする必要があるわけもなく、相手が人間であれば刃を交えるだけだったからだ。

「良く分かった。何でも聞いてくれ」

 再び笑みを浮かべた敬心を見て、彼女はそう答えた。酷く理屈的であるべき交渉の場は、酷く感情的な理由で閉幕した。つい先日まで誰とも見えることがなかった彼女からすれば、誰かと話すこと自体が酷く楽しいものであるに違いなかった。

 敬心もまた、微笑む彼女に一つ頷き返し、質問を始める。

「生まれはいつになられるか」

「分からない。時間という感覚を持ったことがないからだ。私は生まれてすぐアズサラム城の地下に放り込まれたようだ。先日の騒動で外に出たのが初めてだ」

 先に敬心自身が言ったように、その真偽は敬心には分からない。

「人の腹から生まれたのか?」

「分からん」

 言い切る彼女に、敬心は苦笑する。人間は魔族と違い、自分自身がどこから生まれたかを記憶していようはずもない。ただ他者から聞くか常識という代物から、自分が人間の腹から出てきたのだと後に知るだけだ。

「質問を変えよう。生まれてから何度眠った?」

「ふむ……」

 そこで初めて彼女は言葉を切り、考えた。幾度眠ったかなど普通人は覚えてはいないだろうが、なんとなく敬心の言いたいことが分かった。彼女も人間は一日に一度睡眠を取るものだということくらい知っている。

「万に届くかは分からないが、千はくだるまい」

 睡眠を取った数は覚えていないが、読んだ書物のことは全て覚えていた。万を越える書物を読んだ彼女は、大体数冊読み終えると一度眠りについた。そこから逆算しただけである。

「なるほど。どうやら魔王殿ではないらしいな」

 敬心はあっさりとそう言った。彼女が嘘を言っているようには見えなかった。庵考が死んでからまだ一年強。魔王も魔族も睡眠は必要とするし、少なくとも彼女がこの一年に生まれたわけでもないらしい。

 もとより射絶に魔王らしき者が見つかったと報告を受けた段階で、敬心は魔王である可能性は薄いと考えていた。人間が魔王の捕獲に成功し幽閉したのだとすれば、アズサラムの防備があれ程薄いはずがない。相当厳重な警備を行うはずなのだ。

「しかし黒髪の人間などが生まれるとは、奇異なこともあったものだ」

 敬心は腕を組み、姿勢を崩した。それこそが目の前の彼女を魔王と考えていない証明でもある。

「これからどうする? 命を取ろうとは思わんが」

 魔王である可能性がゼロではないという理由よりも、敬心にとって初めて会話をした人間である。不思議と親近感が沸いた。「いくつか確認したいことがある」

「答えられることであれば答えよう」

 敬心の言う答えられる、というのは駆け引きの話ではない。知らないことは答えられないだけで、知っていることは全て話すつもりでいた。敬心からすれば隠す必要のあることなどなかった。

「先ほど一年の間、魔王を待ち続けたと言っていたな。魔王庵考は崩御し、貴公らはその子だと考えて良いのか?」

 彼女の読んだ書物に、既に庵考の名はあった。射絶が自分を魔王と呼んだ時から、庵考が死んだことにある程度予測はついていたが、確認する。

「その通りだ」

「一つ確認するが、無礼なことを聞くかもしれん。よいか?」

「私も魔王ではないお前に礼を尽くす必要はあるまいな。砕けさせてもらおう。そちらも構わん。庵考様が亡くなられたことを崩御と表現したお前は、最低限の礼儀は持っていよう」

 通常の人間であれば、当然魔王を死んだと表現するだろう。

「庵考王はどうして亡くなられた? 寿命だろうか?」

 彼女は世界から知識を与えられて生まれてくる魔族とは違い、今の世の情勢に関してはまるで知識がない。

「―――討ち死になされた」

 敬心の表情から色が消える。それは守れなかった自分を責めるものであり、尋ねた彼女に対してではない。

「で、貴公らはこれよりどうする」

「庵考様の遺命に従い、次代の魔王を待ったが、一年待っても現れぬ。アズサラムを攻めたのは次代の魔王殿が気づけばと思ってのことだが、現れぬ者を待ち続けても仕方あるまい。このままミルスタインに侵攻するつもりだ」

 ミルスタインを滅ぼさない限り、魔族に平和は訪れない。それが庵考の口癖だった。

「勝算は酷く薄かろう。それでも行くか」

 過去、歴代の魔王が魔族を従えて侵攻してなお、ミルスタイン王朝は陥落させられなかった。魔王を失った子の魔族達だけでそれをしても、とても目的は果たせないだろうと彼女は思う。

「お前は魔族を知らん。知識として持ってはいてもな」

 敬心は彼女に怒ることもなく、極めて普段通りに言う。

「魔族にとって、王の言葉とは約束された未来である。ミルスタイン王朝を滅ぼすことを王が望まれたのであるならば、我々はそれを実現させることだけを考えればよい。魔族とは、自ら思考をしないものだ」

 実際には魔族にも思考も感情も存在する。しかしそれは全て彼らの王のためであって、人間のそれとは種類が違う。

「面白い」

 彼女は笑った。敬心は無礼であるとは感じず、その笑みを不思議に思った。

「何がだ?」

「貴公は頭が切れるように見える。実際に王を欠いた状態でミルスタインを滅ぼせると夢想するほど愚かであるはずがない。にもかかわらず、先ほどの言葉は強がりでも幻想でもなく、確として貴公が信じて言っているのが分かった。だから魔族とは面白いものだと思ったのだ」

 敬心という固体の思考からすれば、彼女の言うようにミルスタインを滅ぼすのは当然不可能である。しかし敬心にはその事実が分かっているのに感じない。王である庵考が滅ぼせと言った以上は、敬心にはミルスタイン王朝が滅ぶ姿しか浮かばないのである。完全なる矛盾がそこにあり、しかし敬心自身がその矛盾に気づいていながら感じない。狂信した人間に似ているようであって、正常な思考力が存在する辺り別物である。彼女からすれば確かに興味深いと言えた。

「決めた。私も同行させてもらおう」

「いつ人間に情報を漏らすか分からない存在を同行させるのは危険だな」

 今まで敬心の話した内容は、既にミルスタインには入っているはずの情報ばかりだ。アズサラムに侵攻した以上、彼らは防備を固めるだろう。しかし次にどこへ侵攻するかを具体的に漏らされては不利益になる。

「そもそもお前が同行してどうするつもりだ」

 敬心には何故彼女が同行する気になったのか、検討がつかない。

「私は生まれてよりほぼ全ての時を、書物と対することで過ごしてきた」

 彼女の言葉は質問の回答とはかけ離れているように敬心は感じたが、実際はそうではない。

「現在の世にある書物で、最も多いのはなんだと思う?」

 それは即ち、今がどういう世であるかを尋ねている。

「戦争、戦術、戦略。戦乱の世が千年と続くこの世は、戦うための書物で溢れている」

 即ちそれは、彼女が人生の中で最も多く触れてきた内容が、戦争というものであるということ。

「それを使う場は、ここ以外にはありえまい」

 彼女は自分が黒髪であったから、人間に幽閉されたのだと考えている。そうである以上、自分が人間の中へ混じっても恐らく迫害されるであろう。それでは彼女は軍を動かせない。

「私を軍師として使え、敬心殿」

 決意を持って言い放った彼女に対し、敬心は困惑の感情が強い。

「そう言われて、すぐに信じられるほど私はお人よしではない。お前の言葉も、能力もだ」

 敬心の回答は至極当然のものである。

「能力はおいおい認めさせるしかあるまいが、私が裏切らぬようにするのは簡単だろう」

 彼女の浮かべた笑みは危険を好む子供のそれに似ていた。

「誓約させればよかろう。魔術でもって」

「随分と詳しいものだ……」

 敬心は嘆息した。彼女の言葉を信じきったわけではないが、彼女が通常の人間にあらざる知識を持っているのは今の一言で理解した。誓約の魔術などというものは、太古の昔に書物から言葉を消した。使う機会がないからだが、今は触れない。

「本当に良いのか?」

 今一度敬心は念を押す。確かに誓約させれば彼女が裏切ることは無くなる。しかし違えれば彼女は死ぬことになる。

「構わぬよ」

「何故そこまでする。お前が軍を動かしたいのだという気持ちは分かったが、話を聞く限り外に出たばかりのお前がいきなり命を賭けるほどのものか?」

 即答する彼女に、敬心は問いかける。

「理由は、もう一つある」

「何だ?」

 微笑む彼女の真意は、敬心には分からない。

「あなたが私を外に出してくれたからだ。あなたと言葉を交わすのは楽しく、心が踊る。単純に私は、そんなあなたの傍にいたいだけなのかもしれないな」

 そう言って微笑む彼女に、敬心は答えられなかった。彼自身、人間から好意などというものをぶつけられるのは初めてのことである。

「―――分かった。はじめよう」

 敬心の右手が淡く光った。彼女に敬心が制約を与え、彼女が誓約するのである。

「制約とともに、名を与えよう。名はないのだろう?」

「無いな。楽しみだ。―――本当に楽しみだ。名前というのは他者がいるからこそ必要なものなのだから」

 破れば死する制約を前にして、彼女は幼子のように笑う。

「終、ついだ。見事我らが、否。お前の言う戦乱の世を終わらせてみよ、軍師よ」

「なるほど。終わると書いてついか。気に入った」

 漢字とは魔族が名に用いるもので、人間は英字を用いることを彼女は知っていた。その漢字の名が、酷く今の彼女には嬉しかった。

「しかし無粋だな、敬心殿。いや、軍師と呼ばれたのだ。敬心様とお呼びしましょう」

 終は無粋といいつつも声を抑えて笑う。

「何がだ?」

「折角名を頂いたのです。役職ではなく名で呼んで欲しいのです」

 敬語を用いるようにした終が、区切りをつけたいのだと言っているのは敬心にも理解できた。

「なるほど……」

 制約の言葉を口にする前に、敬心はその名を口にする。

「終」

 その時の、自らを現す名を呼ばれた時の彼女の喜びを、生涯敬心が知ることは無い。それだけで命を賭けうる喜びを。

「始めるぞ」

 嗚咽が漏れぬよう、終は首だけで頷いた。彼女の生まれて初めて流した涙だった。


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