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* 優雅な夜に潜む影 *

※一部暴力的・性的な意図を含む描写が登場します。苦手な方はご注意のうえ、お読みください。

華やかな音楽と貴族たちの談笑が、夜会場を優雅に包んでいた。

その中心で、ノアとリシェルはペアを組み、ワルツのリズムに身を委ねていた。


――けれど、リシェルの目は、笑顔を浮かべながらも冷ややかに周囲を見渡している。


(……入口付近に配置された見張り、三人。給仕の動きに不自然さはなし。談笑の輪の外に立っている黒い燕尾服の男……不自然に視線を逸らした)


ノアが彼女の腰を引き寄せるように動いたとき、わずかに耳元で囁く。


「リシィ。気になる奴は?」


「……黒の燕尾服と、赤のベスト。二人とも、互いに視線を避けてるのに、意識してる。さっきから会場内を同じ軌道で移動してる」


ノアの瞳が鋭く光る。「確認した。今、片方が庭へ向かった」


「もう片方も追うわ」


ダンスの終わり際、ノアがさりげなくリシェルの手を取ったまま離れ、

「少し、外の空気でも」と甘く微笑んで貴族らしい口調で囁いた。


リシェルも頷き、控えめに笑う。

「ええ、少し涼みに行きましょうか、ノア様」


貴族たちの視線が二人を見送る中、ノアとリシェルは優雅に庭園へと歩み出た。


夜の庭は薄暗く、月光が薔薇の葉を照らしている。

その奥、屋敷の裏手に続く小道を進むと、ちょうど死角となる茂みの中――


「これで手を引いてもらう。……この毒なら、王家の騎士すら落とせる」



低くささやく声が聞こえた。

男たちは誰もいない場所で小さな包みをやり取りしようとしていた。


その瞬間だった。


リシェルが音もなく駆け出し、男たちの背後を取る。

同時に、ノアは建物の影から現れ、男たちの正面を塞ぐ位置に出た。


タキシードの内側から、仕立ての裏に仕込まれた短剣を抜く。

銀の刃が、月の光を受けてほのかに光る。


「――動くな。騎士団の者だ」


低く、通る声でノアが言った。

リシェルは背後から男の一人を素早く取り押さえ、足元へ蹴り倒す。

残る一人は、すでに二人に挟まれて逃げ場を失っていた。


ノアが指先を軽く払うと、男たちの足元から淡い鎖が現れ、音もなく絡みついた。二人は呆気なく、その場に膝をつく。


「……よし。任務完了」


ノアが短剣を収めながら呟く。


「ノア、ここは任せた。私は公爵様に報告して警備を呼ぶ。引き渡したら、あなたも公爵様のもとへ。近くで待機してる」


「了解。――気をつけて」


リシェルは頷き、包みを回収する。

そして、足音を殺して会場の方へ消えていった。


ノアはその背を見送りながら、捕らえた男たちの監視を続けた。



* * *



リシェルは、アヴェリス公爵に任務の報告と警備の手配を終えた後、会場内の柱の陰に身を寄せて立っていた。


アヴェリス公爵が視界に入る距離――

そして、ノアが戻ってきた時にすぐ合流できるような、控えめで目立たない待機位置。


(あとはノアが、捕らえた男たちの引き渡しを終えるのを待つだけ)


喧噪に包まれた夜会場。笑い声やグラスの音に紛れて、リシェルの目は静かに場を見渡していた。


そのとき、ふと視界の隅に奇妙な動きが映る。


壁際で、一人の上品な令嬢が、若い令息に手を取られている。

令嬢は明らかに困惑していたが、場の空気を壊すことを恐れてか、言葉にはできないようだった。


(断れずに流されてる……?)


令息の手に導かれるまま、二人は会場を離れていく。


リシェルは眉をひそめた。


(何か、嫌な予感がする)


迷いはなかった。リシェルはそっと歩き出し、人気のない廊下へと消えていく二人のあとを追った。


薄暗い廊下の先――

令息は令嬢の手を引いたまま、小さな扉の前で立ち止まり、ちらりと背後を確認する。誰もいないのを見届けると、彼女を伴って中へと姿を消した。


リシェルは廊下の影に身を潜め、音もなくその扉へと近づいていく。

わずかに空いた隙間から、かすかに聞こえてきたのは、押し殺した悲鳴と、不安に震える女性の声。


その瞬間――

リシェルの中でスイッチが、静かに入った。


「あら……部屋を間違えたみたい。ごめんなさいね――」


軽やかに扉を開け放ち、リシェルは何事もなかったかのような顔で室内に足を踏み入れた。

視線は令嬢には向けず、真っ直ぐにベッド脇の男――ニールを捉える。


不意の侵入者に驚いたニールの目が、一瞬だけ揺らぎ、すぐに形ばかりの余裕を取り繕う。だが、


(――かかった)


リシェルはその動揺と興味の色を、確実に読み取っていた。


「あら……あなた、とても素敵な殿方ですわね。お名前を伺ってもよろしいかしら?」


彼女の声音は柔らかく、どこか甘く――けれど、その裏に冷徹な計算がひそんでいる。


「ニール・ファルストンだ」


男は警戒を隠しながらも、にやついた笑みで名乗る。


「まぁ……ニール様とおっしゃるのですね。よろしければ、わたくしのお相手をしていただけませんか?」


ドレスの裾を優雅に揺らしながら、リシェルはゆっくりと距離を詰める。

部屋の隅、飾り棚の上に置かれたワインの瓶とグラスが目に入った。


「せっかくですもの。まずは、乾杯でもいかがかしら?」


「いいね」


男は満足げに頷き、ワインの瓶に手を伸ばす。


その隙を突いて――

リシェルは令嬢の肩へそっと手を添える。


「さて……あなたは、もう用無しね。ご退場いただけるかしら?」


顔を強張らせた令嬢を廊下へと導きながら、リシェルは耳元に素早く囁く。


「アヴェリス公爵様のもとへ行って。銀髪の令息がいるはずです。――彼に、助けを求めて」


「で、でも……あなたは……?」


「大丈夫。すぐに行って」


問いを遮るように、静かに背を押す。


再び扉を閉めると、リシェルは背中越しに音を拾いながら、静かに状況を把握する。


ソファ前のテーブルにグラスを並べ、ワインのコルクを抜いているニールの姿が見える。柔らかな灯りに照らされたその背中は、今のところ油断に満ちていた。


(……今なら拘束できる)


けれど、その手を伸ばすことはしなかった。


(まだ“未遂”の段階。無理に押さえれば、この夜会そのものが壊れる可能性がある。確実な証拠が要る)


まさにその瞬間、ニールがこちらに振り返り、手招きする。


「お待たせいたしました、ニール様」


リシェルは笑みを浮かべ、音を立てぬよう近づいてグラスを受け取る。


乾杯のグラスが軽く触れ合い、透き通った音が鳴った。


唇を縁に寄せ、一口。


(……強い)


途端に、喉が焼けるような熱を走り、胃の奥へ重く落ちる。身体の芯がじわりと緩む感覚――それでもリシェルの思考は静かだった。


(……思ったより早く回る)


彼女はもともと、酒に強い体質ではない。だが、表情は微塵も揺るがせず、ニールのグラスへワインを注ぎながら、声を落とす。


「せっかくですもの。もう一杯、ご一緒にいかが?」


「ふ……楽しませてくれそうだな」


ニールの目に浮かぶのは、もはや理性ではなかった。飢えた肉食獣のような眼差し。


「……そろそろいいだろう?」


低く、喉を震わせる声とともに、彼の手がリシェルの腰をなぞるように滑る。


「……それ以上は、困りますわ。どうか……お控えになって」


声は静かに。だが、はっきりと線を引く。


だがニールは笑った。


「ここまできて拒むなんて、無粋だな?」


その瞬間――


強引に抱き寄せられ、リシェルの体はソファに押し倒された。


ニールの手が、ゆっくりとドレスの肩口にかかった。布が滑る感触。左肩が露わになる。空気の冷たさが肌に触れた。


「そそられるね……」


耳元に落ちる吐息。近づく唇。リシェルの首筋に熱がかかる。


(……証拠は十分)


身体の感覚は、酔いと抑制で遠のいている。だが思考は研ぎ澄まされ、脈拍一つ、筋肉の反応さえも他人事のように観察していた。


(身体の動きは鈍い。この体勢からの反撃は困難。ドレスも動きを妨げる。――他の手段を)


その時だった。


「……そこまでだ」


低く鋭い声が、空気を切り裂いた。


ノアだった。


扉が開き、銀髪の青年が無言で一歩、室内へと踏み込む。


リシェルの露わになった肩が視界に入り――彼の目から、一瞬で色が消えた。


そして、剣も構えず、距離を詰めたノアは、ニールの肩を掴み、容赦なく引き剥がす。


「誰だ貴様――っ!」


ニールが振り返りざまに声を荒げるが、その言葉の途中で、ノアの拳が沈黙を与えた。


拳は正確に顎を捉え、ニールの体がぐらつく。


そのまま、ノアは無言で彼を床に押し倒し、動きを封じた。


「隊長、大丈夫ですか」


その一言が、リシェルの“スイッチ”を切る。


「ああ。助かった。ありがとう」


かすれた声で答え、彼女はソファから身を起こす。ノアの手は借りない。けれど、肩があらわな姿に気づいたノアは、黙って自分の上着を脱いで彼女にかけた。


リシェルはそれを受け取りながら、静かに告げる。


「すまない。少し、手間取った」


ノアの肩が微かに震えたかと思うと――


次の瞬間、彼はニールを床に押さえ込み、無言のまま拳を叩きつける。


淡々と、何の怒声もなく、ただ殴り続ける。


「ノア。やめなさい」


リシェルの声は冷静だったが、ノアの拳は止まらない。


「それ以上は任務違反。命令だ」


拳が宙で静止し、そして――ゆっくりと肩が落ちる。


「……了解です、隊長」


その声には、わずかに震えがにじんでいた。

ご覧いただきまして、誠にありがとうございました。

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