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* 潜入捜査 *

騎士団宿舎の一角、団長室。

昼下がりの光が窓越しに差し込む中、リシェルは団長の机の前に立っていた。隣には、静かに背筋を伸ばすノアの姿。


「……潜入捜査、ですか?」


リシェルの問いに、団長は重々しく頷いた。


「そうだ。王家からの密命だ。――アヴェリス公爵家主催の夜会、その場で毒の売買が秘密裏に行われているという情報が入った」


リシェルの眉がわずかに動く。


「狙われているのは、王家直轄の要人だ。今回の任務は、あくまで騒ぎを起こさず、証拠を掴み、関係者を特定・確保することにある」


「了解しました。しかし、貴族の夜会……となると――」


「平民である君が単独で招かれるのは難しい。だが、ノアは侯爵家の出身だ。招待状は、アヴェリス公爵家側から用意される。よって、君にはノアの――」


「恋人として、同行していただきます」


団長の言葉に被せるように、ノアが言った。


リシェルは言葉を失い、思わずノアを見上げる。彼はまっすぐな目で、団長を見据えたままだ。


「その方が自然ですし、疑われにくい。……ドレスや装飾品、必要なものはすべて、うちの家で準備させます」


「ノア、それは王家から支給される予定で――」


団長が異を唱えようとするも、ノアは首を横に振る。


「公の機関を通せば、情報が漏れる可能性があります。父の管理下で用意した方が、安全です。恋人同伴という建前を守るにも、うちの屋敷での事前準備が適していると思います」


一瞬、沈黙が落ちる。


リシェルは戸惑いながらも、小さく口を開いた。


「……わかりました。やってみます」


任務である以上、断る理由はなかった。

ただ一つ問題があるとすれば――

「恋人として振る舞う」ことに、心が揺れてしまう自分だった。


そんな内心に気づいてか気づかずか、ノアは隣で穏やかな笑みを浮かべ、じっと彼女を見つめていた。


団長は小さく咳払いをしながら、呆れたように言った。


「――では、詳細は明日改めて。準備は怠るな」


そして視線をノアとリシェルに向け、語気を強めて続ける。


「リシェル、ノア。任務中は私情を挟むな。くれぐれもな」


二人の表情が一変し、鋭い任務モードの顔になる。


「了解しました」


その言葉をもって、任務は正式に動き始めた。



* * *



ディアスフィールド侯爵家の客間は、華やかな緊張感に包まれていた。

侍女たちは、リシェルの支度に心を砕きながらも、目を輝かせてその変貌を見守っていた。


「……リシェル様、とてもお美しいですわ」


その言葉に、リシェルは戸惑いながら鏡を覗き込む。

映った自分の姿に、思わず息をのんだ。


――鏡の中の彼女は、まるで別人のようだった。


ドレスは、深く艶やかなラピスブルー。

裾に向かって繊細に流れるグラデーションは、まるで月光を落とし込んだようなシルバーへと変わっていく。

肩をやわらかく包む布地は、動きに合わせて静かに揺れ、纏う者の凛とした美しさを引き立てていた。


髪は軽く巻かれ、シンプルなアップスタイルにまとめられている。

編み込まれた細い銀糸の飾りが、月光を受けてやわらかく輝き、彼女のディープワインの髪色と絶妙なコントラストを生んでいた。


耳元には、小さなラピスラズリの雫型ピアス。

ノアの瞳と同じ、澄んだ青。

彼女の目元にもしのばせた、同系色のアイシャドウが静かに統一感を与えている。


(……これ、私……?)


思わず自分を疑いたくなるほどだった。


「さあ、そろそろお時間です。いってらっしゃいませ」


侍女の声に促され、リシェルは静かに玄関へ向かう。


玄関ホールに足を踏み出すと、ノアがそこに立っていた。


騎士団の制服とは違う、貴族らしい正装。

漆黒に近い深い紺の上着に、ラピスブルーの刺繍が肩から胸元へと流れ、銀の糸が繊細に編み込まれている。

その姿は、どこか儚くも気高く、夜の静寂に溶け込むようだった。


その姿を見て、リシェルは一瞬、息を呑んだ。


(……反則だろ、それは)


顔が熱くなるのを感じながら、彼女は静かに歩み寄る。


「……待たせたな。支度が、思ったより時間かかってしまって」


リシェルが気まずそうに言うと、ノアは小さく目を見開き――ふっと笑った。


「リシィ、綺麗だ。……想像してた以上に、ずっと」


彼の視線は真っ直ぐで、からかいの気配は一切なかった。

だからこそ、リシェルは目を逸らすことしかできなかった。



* * *



馬車が静かに走り出す。車窓に映る街並みが、夜の帳にゆらゆらと流れていく。


向かい合う席に座るノアとリシェル。さっきまで並んで歩いていた距離が、今はなぜか遠く感じられた。


沈黙を破ったのは、ノアだった。


「……団長、言ってたよね。『私情は挟むな』って」


ぽつりと零すように言った声は、どこか自嘲気味で。


ノアは窓の外に目を向ける。けれど、揺れる街灯の光に照らされたその横顔には、笑っているのか、悩んでいるのか、判別しづらい表情が浮かんでいた。


「……なのに、困ったな。今日のリシィ、綺麗すぎて……正直、誰にも見せたくない。閉じ込めてしまいたいくらい、独り占めしたくなる」


言葉の意味を理解した瞬間、リシェルの顔が一気に赤く染まる。


すると、ノアがふっと笑って身を引いた。


「なんてね。本気にした? 今は"恋人同士"なんだから、これくらいの意気込みで挑まないと……って、あれ? 顔赤いよ? リシィ」


「なっ、それくらい……わ、分かってるよ!」


リシェルは慌てて顔をそむける。


けれど、彼女の反応を見て、ノアはさらに意地悪く笑みを深めた。


「なんなら……もう少し“恋人っぽいこと”する?」


さらりと囁いて、わずかに身を乗り出すノア。


揶揄われてばかりだった記憶が、リシェルの中をよぎる。


(……たまには、仕返ししてもいいよね?)


ふっと息を吐いて、リシェルはわずかに微笑んだ。


「……いいよ。ノアの好きにして?」


声音は静かで落ち着いているのに、どこか艶を帯びていて。

まっすぐな視線が、ノアの心の奥に触れるようだった。


ノアの目が、一瞬だけ驚いたように見開かれた。


だが、それもほんの刹那。すぐに彼はふっと目を細め、穏やかな笑みを浮かべる。


「――うん、その調子」


何事もなかったように返すその声音に、隠された動揺の気配はまったくない。


(だめか……ノアの真似は難しい、な)


リシェルはふっと笑った。


「ありがとう、ノア。なんか、緊張が解けた」


その笑顔に、ノアも微笑みで返す。


ちょうどそのとき、馬車が静かに停止する。


一呼吸置いてから、ノアの表情がすっと変わった。

任務の男の顔だ。


「――参りましょう、リシェル嬢」


頷くリシェルもまた、瞬時に仕事の顔へと切り替える。


「ええ、ノア様」


任務開始の合図だった。

ご覧いただきまして、誠にありがとうございました。

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