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* 震える手を止めるのは *

※残酷な描写あり

魔物の咆哮が、地を這うように響いた。

空気が震え、砂が舞い上がる。


(残り五体。配置は――)


リシェルは静かに剣を構え、視線を流す。

味方の位置、魔物の動き、風向きと地形。

全てを一瞬で把握し、必要な動きを脳内に走らせる。


直後、風のように駆け出した。

剣閃一閃。

魔物の首が、音もなく落ちる。


(次。左斜め後方、味方三。うち一人、重傷)


その場に振り返らず跳躍し、一直線に味方の元へ向かう。

思考に迷いはなかった。


重傷の部下に、魔物の腕が振り下ろされる――

その瞬間、リシェルの剣が割って入った。


刃が弾ける音。空気が裂け、腕をかすめる冷気が走る。


「――っ、隊長!」


背後から叫ぶ声。

だがリシェルの視線は、目の前の魔物だけに向けられていた。


(半歩、遅れた)


魔物の爪が横薙ぎに迫る。

反応はできる。だが――


(止めきれない。間に合わない)


左腕、裂傷。出血。

返り討ちにする手筋を即座に巡らせる。


――その刹那。


魔物の頭が、鈍く爆ぜた。


鋭い音とともに、一撃で屠られる巨体。

吹き飛んだ血飛沫の向こう。

そこに、ノアがいた。


剣を手に、無言でリシェルを見る。


「……ありがとう。助かった」


その言葉に、ノアは軽く頷き、次の魔物へと走り出す。

淡く光る銀の髪が、夜の風に揺れた。


リシェルは背後に目を向ける。


「大丈夫か」


「はい、なんとか……」


「救護班! カイルの救助を!」


声を飛ばし、応急処置が始まるのを確認する。

わずかな間も無駄にせず、視線を前へ戻す。


再び剣を構えたその目には、迷いも恐れもなかった。


ただ「守るべき者を守る」――それだけが、彼女を動かしていた。

感情のないまなざしで、次の敵へと足を踏み出す。


そして。


銀と黒――ふたりの剣士が、まるで舞うように敵を断っていく。


一人は、命を顧みず盾となり。

一人は、圧倒的な剣捌きで敵を屠る。


その光景は、戦場に似つかわしくないほど美しく、まるで幻想の中の英雄譚のようだった。



* * *



その夜。

訓練場の片隅。

乾いた風が砂を巻き上げる中、ただ剣を振るう音だけが響いていた。


(もう少し……もう少しだけ……)


痛む腕に力を込め、剣を振り続ける。

汗が首筋をつたうのも、その熱に混じる胸の痛みも、考えないようにしていた。


そのとき。


「……差し入れ、です」


静かな声がすぐ傍から届いた。

振り返ると、ノアが水筒とタオルを手に、いつの間にか立っていた。


「……ああ、ありがとう」


息を整えるふりをしながら、水筒を受け取る。

ごく自然に、何気ない仕草で。

けれど――


水筒を持つ手が、かすかに震えていた。


自分でも気づいていた。でも、気づかれてはいないはず――

そう思ったのに、ふと視線を上げると、ノアがその手をじっと見ていた。


(……気づかれた、か)


笑ってごまかそうとしたが、思うように口角が上がらない。

つい、ぽつりと漏らしてしまう。


「……震えてしまうんだ。情けないことにね」


ぽつりとこぼれた言葉は、自分に言い聞かせるように静かだった。


「訓練すれば、そのうち消える……気にするな」


もう一度、剣に手を伸ばした――その瞬間。

背中に、あたたかな感触が触れた。


「……ノア?」


気づけば、彼の腕に抱き寄せられていた。

驚きに声を上げる暇もなく、彼の声が耳元に落ちる。


「訓練する以外に、こうやって抱きしめると、落ち着くんですよ」


冗談めいたその声に、リシェルは思わず身を強張らせた。


「い、いや……余計落ち着かないから……っ」


背中に触れる体温がじわじわと染みこんできて、鼓動が早くなるのを止められない。


「ノ、ノア、そろそろ離れて……」


「え? なんで?」


「な、なんでって……! だいたい、こんな……こんな抱きつく必要は……!」


必死に言葉を繋げながら暴れようとしたが、ノアは微動だにせず、むしろ楽しげに笑みを浮かべた。


「くくっ……リシィってば、顔真っ赤」


「う、うるさい! からかうな!」


「あはは、だって反応が可愛いんだもん。もっと抱きしめたくなる」


「やめなさいっ!」


ぷいっと顔をそらすリシェルの頬は、確実に耳の先まで染まっていた。

ノアはその様子に満足げに目を細めながら、少しだけ腕の力を緩める。


「……でも、本当のことだよ。こうしていると、安心するんだ」


その声はさっきよりずっと穏やかで、胸にまっすぐ届く。


思わずリシェルの身体から、ふっと力が抜けた。

そして――


「……覚えてる? あの朝のこと」


「え……?」


「七年前、助けてもらった次の日……俺と“また稽古しよう”って約束して別れたよね。でもそのあと……倒れるまで剣を振ってたの、見たんだ」


リシェルは何も言えなかった。

彼の記憶が、なぜか自分より鮮明な気がして――息を呑む。


「見てて……怖かった。俺、何もできなくて……」


その声とともに、彼の腕がわずかに強くなった。

その力に抗えず、リシェルの手から剣がぽとりと落ちる。


「今もきっと、また同じことするんでしょ?

もう……無理してほしくないんだ」


ノアの声は静かだった。

けれど、その奥に確かな熱があって、背中越しにひしひしと伝わってくる。


(……どうして)


まるで、心の奥をのぞかれたみたいだった。

その言葉に、胸の奥がざわついて、呼吸が少しだけ乱れる。


「リシィ、ちゃんと聞いてる?」


背後から届いた声は、深くて、静かで、けれど妙に柔らかくて――


「本当に怖かった。リシィが……このまま、いなくなってしまうんじゃないかって」


――その一言が、胸に深く刺さる。心臓が跳ねた。


「……私は……」


何かを言おうとした。でも、言葉が見つからない。


そのとき――

ノアの気配が、すっと横へ移動する。


そして、彼の指先がそっと顎に触れた。

自然と顔が向けられ、視線が交わる。


「俺の目、見て。逃げないで」


その瞳に、息が止まりそうになる。

やさしさの奥に、揺るがぬ意志があった。

ただ見つめられているだけなのに、胸が締めつけられる。


「強がるの、もうやめていい。俺の前だけでいいから」


「ノ、ア……」


次の瞬間、額がそっと触れ合う。

呼吸が近すぎて、言葉が出なかった。


「……頼むからさ。今だけでも、甘えてよ」


まるで囁くように。けれど、その声は抗えないほどまっすぐで。

その一言に、胸の奥で、何かがふっとほどけた気がした。


ノアの腕が、そっとリシェルの背に回される。

抱き寄せるというより、包み込むように。

無理に力を込めるのではなく、彼女のすべてを受け入れるような、静かな抱擁だった。


その温もりに、リシェルの呼吸がわずかに震える。


(……あたたかい)


張り詰めていた意志の糸が、一つひとつほどけていくようで――

彼女の身体から、すとんと力が抜けていった。


そっと目を伏せたその横顔に、もう言葉は必要なかった。



遠くの方で、草を踏む微かな足音が聞こえた。


それに気づいたノアは、ふ、と名残惜しそうに目を伏せると――


「……おやすみ」


小さく呟き、そっとリシェルの体を離した。


あたたかな腕が離れていく。熱の名残が、風にさらわれていくようで、リシェルは思わず視線を落とした。


ノアは何も言わず、振り返ると足音の聞こえる方へと歩き出す。

その背中が、妙に大人びて見えた。


「……あれ? 隊長?」


声が届いたのは、ちょうどノアが視界から消えるころだった。

部下の一人がこちらへ歩いてくる。


「訓練中ですか? もう、夜ですよ」


リシェルは反射的に、片手で額の汗を拭いながら答える。


「ああ……すまない。少し熱が入りすぎたみたいだ」


「いえ、真面目なのはいつものことですから」


部下の笑いに苦笑しつつ、リシェルはふと剣を拾おうと手を伸ばした。


そのとき――


(……止まってる)


さっきまであれほど震えていた手が、嘘のように静かだった。


「……もう終わるところだ」


一瞬遅れて出た言葉は、まるで自分に言い聞かせるように穏やかだった。


「そうでしたか。お疲れ様でした。では、自分は先に戻りますね」


「ああ、ありがとう」


軽くうなずき、見送る。


そして――ひとり、取り残された訓練場で、リシェルはそっと水筒に触れた。


ほんのりと温もりの残るそれに指を添えて、ぼんやりとつぶやく。


「……落ち着く、ね」


風が吹いた。

誰もいないはずのその場所に、彼の体温の余韻だけが、確かに残っていた。

ご覧いただきまして、誠にありがとうございました。

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