表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Unmade -歪みし世界の中、人身御供となりて奏でた仮初めの青春譚-  作者: イチジク浣腸
舞踏会で舞う

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

92/138

踊り子は誰にも従わない

午後3時半。

東棟の長針がその刻を告げると同時に、セラフィエル学園の舞踏会場――かつて修道院であったとされる大広間に、静かなる準備の気配が満ち初めていた。


大理石の床に広がる絨毯には、天球儀を模した精緻な金糸の刺繍。

 恒星と惑星、その軌道を描いた意匠が、踏むたびにわずかに煌めいた。

 クリスタルのシャンデリアには、すでに火の魔石が一つずつゆっくりと灯りはじめており、

 その内奥で燃える紅蓮の光が、広間全体をゆるやかに照らす。


 魔法で浮かせられた微細な粒子が空中をただよい、

 空気そのものが光を孕んでいるかのようにきらめいていた。

 粉雪のような光。星屑のような沈黙。

 耳を澄ませば、舞踏の前奏曲が、遠くから始まりかけている。


 ここは宮廷でも、寺院でもない。

 だがこの空間は、ただの学園の広間ではない。

 未来を“試される者たち”が、神の目の下に並び立つ、星の審判の間なのだ。



《星紗のスターヴェイル・ボール》――

これはただの学園行事ではない。

王侯貴族が見守る中、各国から集う若き才能たちが、その品格と教養を“見せる”夜。

それは外交であり、未来の人脈であり、時に政略の端緒ともなる。

「学園」という名を冠していても、ここには容赦も甘えもない。


今年もまた、皇帝代理が参列し、複数の大使館関係者や王家付きの従臣たちが同席する。

生徒たちは、社交舞踏会の礼儀作法を事前に指導され、

舞踏の相手や入場順、会話の話題に至るまで、細やかに配慮されている。




若い騎士の子息たちは、鏡の前に立ち、ぎこちなくも襟を立て、重い礼服の袖を整えていた。

彼らの指先はかすかに震え、だがその眼は己の姿に厳しい。

礼服の布は手に触れるたびに、ざらりとした織り目が感じられ、薄く塗られた銀のボタンは光を鈍く反射していた。

その頃、控えの間には、蒸気と香水、そして魔香草の甘く乾いた匂いが静かに満ちていた。

壁の暖炉はまだ赤々と煤を吐き、薄い煙が天井の漆喰にぼんやりと溶け込んでゆく。

木製の台に置かれたクリスタルの花瓶は、揺れる灯火を映して静かに煌めいていた。

貴族の娘たちは召使いの手を借りながら、繊細なレースの裾を持ち上げ、足元の細かな刺繍の施された靴を整える。

布地は肌に冷たく、しかし確かな重みをもって体を包み込む。

その合間に、魔香草の甘く苦い香りがふわりと揺れ、まるで時がゆっくりと息を潜めたかのようであった。


廊下の向こうからは微かな足音が聞こえ、絨毯に吸い込まれるように消えてゆく。

その足音はまるで、この厳かな空間の静寂を乱さぬための儀式の一部のように思えた。


すべてが品位に満ち、沈黙の中で支度は進む。

だが、その静けさの奥に、これから始まる舞踏会の華やぎと緊張が確かに宿っていた。



その空間の一隅に、一人、

漆喰の壁にもたれるようにして、静かに腰を下ろす少年がいた。


天井から吊るされたクリスタル製のシャンデリアが、柔らかな光をこぼしている。

魔素を灯す精霊灯は、蝋燭よりも静かに、しかし永く光を保つ。

淡く輝く灯りが、金の髪を金箔のように照らし、彼の睫毛の影を床に落としていた。


軍人のように鍛えられた体格に、妖精のような尖った耳。

天使の面影を映したような青年――エゼル・ノクス。


彼の出自を、学園の誰も知らない。

従者の列にも、貴族の系譜にも、その名はない。

だが特待生選抜戦では、魔力計を限界突破させ、

模擬戦闘では三秒で十人を沈めた。

そのすべてを、冷たい無音の中で成した。


だが何より、彼の纏う空気――

視線を逸らせなくなる、“沈黙の重力”。

それが噂を、敬意を、そして畏怖を生んだ。


「……着飾るのは苦手だ」

低くつぶやいたその声に、照れも見栄もない。

それは、劣等感ではなかった。

孤独の中で育った確信――ただそれだけだった。


身にまとっていたのは、帝都の老舗〈ウィンダム・アンド・サンズ〉製、

燕尾仕立ての夜会礼装。

黒曜のような艶を放つ防染布に、内布は深紅の魔糸混じり。

肩には魔障刺繍が淡く織られ、裾は軍楽隊式に鋭く切り落とされていた。

正規では準男爵以上の着用が許される規格だが、

これは特待生への“形式的貸与”という名目で与えられた。


だが、彼にとってはあくまで借り物の皮膚。

身分を隠すための仮面に過ぎなかった。


従者はいない。着付けもすべて自分で行った。

黒革の手袋を嵌める指先には、慣れた手付きがあった。

最後に胸元の銀製の校章バッジを留めると、

赤い裏地のマントの端がふわりと揺れた。


控室には、魔香草の香りが仄かに漂い、

炭酸水に溶けた魔素粒子が、空気中で微かに煌めいていた。

それは祝祭前の空間を満たす、帝国式の芳香と静寂。


そして、少年は立ち上がる。

誰に促されるでもなく。

誰かに見せるためでもなく。


――今宵、彼は舞踏の場に立つ。

己の生まれに意味などなくとも。

ただ、踊ることが好きなのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界 唯一神 選ばれし者 孤独 青春 成長 バトル チート  運命 主人公最強 神の力 家族  王族 受肉 天啓 葛藤  友情 救済 ファンタジー 神話
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ