学舎に影さすとき
帝都エリオスの朝陽が、白亜の尖塔を金色に染める頃、セラフィエル学園の第一講堂はすでに熱気を孕んでいた。柱の影を縫い、澄んだ青に金の光を散らした制服が、ひとつ、またひとつと席を満たしていく。
重厚な扉が静かに閉じられ、黒衣の男――メトセラ・アサリエルが杖を掲げた。
「本日は四大エネルギー学の復習――進級を望む者に課せられた、まさに最低限の儀式である。
……これを真面目に受けぬ者には、夏期補習という名の哀しき現実が待ち受けていると、肝に銘じよ。」
低く絞られた言葉に、生徒たちの背筋が伸びる。やがて、教授の杖先で青い光球が現れ、ゆらりと揺れる。
「まず――魔力。世界の呼吸そのものを制御し、エクリュールを発動させる燃料だ。制御を誤れば何が起こるか、ノア」
教壇の左手に立つ白髪の青年が、片手で頬杖をつきながら眉をひくつかせた。
「爆発します」
そして、わざとらしく首をかしげる。
「……例を挙げるなら、エミールですかね。
前回の呪法演習で、眉毛が片っぽこそげ落ちて、
髪はまるで雷に打たれた後みたいにチリチリでしたよね?
……一体、誰がやったんでしょう?」
講堂の後方で、くすくすと笑いが広がった。
「ひっでぇ……本人が一番わかってるのに」
誰かが小声でつぶやく。
「……それもわざとだろ。あいつが制御ミスなんてするわけない」
周囲の生徒たちは、思わず頷き合った。
憎たらしい奴が、失敗するなんてあり得ないのだ。
窓際の席で、エミールはそっと頭を伏せた。
半分だけ生えかけた産毛が、朝陽にふわふわと光っている。
ノアは机の下で、指先に小さな雷光を無造作に走らせた。
ぱちり、と小さな音が弾ける。
――誰にも気づかれない悪戯。本人だけが、静かに満足げに笑う。
教授の灰色の瞳が鋭くノアを射抜いた。
「チッ……正解だ。だが余計な補足は不要だ、ノア。次──」
その途端、ノアはにわかに愛嬌を振りまくように肩をすくめた。
「先生、眉毛が片方って、アンバランスで妙にチャーミングですよね?悪くはないんだけど、僕はもう片方も消した方がカッコ良いと思うな〜」
笑い声は一段と大きくなり、教授の唇はかすかに震えた。
そのとき、隣のレタルがそっと身を乗り出し、低く囁く。
「…頼むよ。たかが復習講義だ——先生を煩わせんじゃない」
その声は絹のように柔らかく、まるで友を気遣う口ぶりだった。
だが、その含み笑いは、講堂の緊張をくすぐり、教授の威厳をそっと揺さぶっていた。
レタルの控えめな慈愛の中には、確固たる遊び心が潜み、向き先はいつしか——
先生の背中をそっと、けれど確実に刺していたのである。
「次に――命気。生命の鼓動や呼吸、血流から生まれる生の波動だ。癒しも筋力強化も、自然との対話も、この緑の熱が根底にある。無理に絞り出すものではなく、己の命そのものと言える――レタル、お前の言葉でまとめてみろ」
レタルは軽く微笑み、ノートの頁を指さした。
「命気は、自分の命そのものを外に広げる力です。鍛錬と精神の安定があってこそ、自然と響き合うことができます。」
「よろしい。では三つ目──魂気だ」
赤い光球がぱちりと点り、講堂に熱気とは別の昂揚が漂う。
「魂気は、意志と感情の炎。憤怒も恐怖も、希望も覚悟も、この爆発力に変換できる。ただし、燃やし尽くせば心は砕かれる。ノア、具体例は?」
ノアは本気の顔で一拍置き、言葉を紡いだ。
「最前線で仲間を庇うとき、その“離れ業”はゼーレンの極致です。しかし同時に、帰らぬ者も出す危険を孕む。」
その答えに、教授はわずかに頷いた。
「最後に、聖力。神に選ばれし者の祝福、秩序と光の体現だ。他エネルギーの毒素、魔や呪詛を浄化し、結界や奇跡を成す。ただし──」
教授は声を落とし、白光の中にわずかな闇を映し出す。
「悪魔の力、蝕力がその対概念となる。触れれば魂を蝕み、命を腐らせる。もし学園にその影が忍び寄れば、期末試験など瑣末な問題に過ぎまい」
教室は一瞬凍りついた。ステンドグラス越しの陽光も、どこか翳ったように見える。ノアがふと指先を空に翳し、そっと闇の気配を探るように目を細めた。その瞳が捉えたものは──まだ誰も知らない未来の影だった。