未来を紡ぐ者たち
セラフィエル学園・中庭。春の光が静謐を纏い、刈り込まれた生垣の間を柔らかな風が吹き抜ける。小さな噴水の水音が耳をくすぐる。
蒼と金の制服を纏ったノア・エヴァンスは、肘掛け椅子にゆったりと身を委ね、澄んだ空を見据えていた。整った彫りの深い顔立ちは、どこか王族特有の威厳と気品を漂わせる。紅瞳は冷たい銀の剣のように鋭く、周囲の空気さえ切り裂きそうだった。
隣には、ジュリアン・マール・エグレアが立っていた。立ち姿は静謐にして端然、背筋は美しく伸び、その所作は一分の隙もなかった。
彼の眼差しは、青とも緑ともつかぬ色を宿していた。陽光の加減によっては水浅葱のようにも見えるが、そう形容してしまえば、何か大切なものを取りこぼしてしまうように思われた。
あるいは、その色は、いまだ誰の辞書にも記されていないものかもしれない。
名のない感情――穏やかで、冷たく、それでいて温もりの余白を感じさせる何か。
彼の眼に宿るそれは、理屈や色名を超えた“印象”として、見る者の記憶に残る。
目の前には、《ロイヤル・リーディング・ガゼット》の特派記者が座していた。
王都では最も発行部数の多い新聞でありながら、その紙面はしばしば皮肉と風刺に満ち、貴族社会からは「下品な煽り紙」と揶揄されることもある。
本来なら、セラフィエル学園のような特権階級の教育機関が取材を許す相手ではなかった。
だが今回に限り、取材申請は通された。
背景には、帝国教育省や王都の教育評議会からの圧力がある。
閉鎖性を問題視する声に対し、学園側が“外向きの開放姿勢”を示す必要に迫られていた。
同時に、蒼鷲クラスの現状――その突出した才能と、孤立ぎみの態度――を静かに見極めようとする一部関係者の意図もあった。
記者は椅子に腰かけ、きちんとした身なりをしてはいたが、学園の空気に馴染んでいるとは言いがたかった。
万年筆を握る手はわずかに汗ばんでおり、緊張と不慣れがその動作に現れていた。
紙面の上には、言葉ではなく、まず“距離”が刻まれていた。
「殿下にお尋ねします。蒼鷲クラスが、黒狼や白狐といった他クラスに比べ、特に優れている点はどこにございますか?」
ノアは鼻先で軽く嘲笑するように短く息を漏らし、視線を上げることなく、遠く揺れる白い花びらを見据えて答えた。
「……知性、だね」
記者の筆が止まる。時間が一瞬、凍りついたような空白が生まれる。
「ち、知性と……おっしゃいますか?」
ノアは初めて記者へ視線を向ける。その双眸は深淵を覗くように冷たく、揺らぎは微塵もなかった。
「……はぁ。耳が悪いのか、それとも頭が回ってないのか……いや、両方かもしれないな。だが、構わない」
ノアはそう言い放ち、淡々と続ける。早口ではないが、間には一切の慈悲がない。
「“知性”だ。他のクラスと僕たちとを分ける決定的な差は、それしかない。
戦争でも、政争でも、力をどう使うか――その問いに答えられる頭があるかどうかだ。
ただ剣を振り回して悦に入るのが戦いだと思ってるなら、最初から負けてる」
そこで一拍置いて、視線を記者に投げる。
「三手先、四手先――それを読む思考の射程。
状況を平面で見るな。立体で捉えろ。それができなければ、作戦なんて立てようがない」
そして、椅子の背にもたれながら、最後に静かに言い放つ。
「……勝ちたいなら、バカを戦場に出すな。そういう話だよ」
記者は口を開こうとしたが、言葉が出てこなかった。
ノアは身をわずかに乗り出し、嘲笑交じりに言葉を続ける。
「模擬戦で戦術の意図すら読めず、ただ剣を振るう黒狼。
策を弄しつつ、毎度その罠に自ら嵌まる白狐。
奴らには知性がない。
作戦を彼らに任せる?猿に爆弾を持たせるようなものさ……いや、違うな」
ノアはわずかに笑った。
「少なくとも、猿には危機感ってやつがある。
自分が何を手にしてるのか、少しは本能で察するだろう。でも、彼らにはそれすらない。――だから始末に負えないんだ。」
その嘲りの笑い声が中庭に張り詰めた静寂をもたらす。言葉は硝煙のように漂った。
その時、凛とした女声が風に乗って割り込んだ。
「ノア。それ以上はやめなさい。」
黒と銀の制服に身を包んだ黒狼クラス上級生――エレナ・セラフィムが現れた。
その目には怒りよりも深い憂いと諦念が宿っている。
「先を読む力と、目の前の人を思いやる力――
この二つが揃って、はじめて“知性”と呼べるものよ。
そのどちらか一方すら欠けているあなたに、それを語る資格なんてないわ。」
ノアは、エレナにちらりと視線を投げた。
言葉はない。だが、そこに込められた意思は明白だった。
(こんな記者にまともに答えるのは、愚の骨頂だ)
エレナはしばし沈黙のまま彼を見据え、静かにため息を漏らす。
「……まったく、あなたって子は」
声にならぬ声が、互いの胸に響く。
言葉を超えた、冷たくも温かな、言外の会話だった。
ノアは視線を逸らし、わずかに微笑んだ。
それはどこか不器用で、仄かな温もりを含んでいた。
「でもさ……叱ってくれる相手がいるってのは、悪くないんだよな」
その言葉は、姉以外で初めて彼に向けられた女性の優しさの灯火を、胸の奥でそっと抱きしめているかのようだった。
記者が恐る恐る声を上げる。
「あ、あの……殿下、インタビューは……」
ノアは露骨に面倒くさそうに眉をひそめて、短く言った。
「……もういいだろ。くだらない。取材は終わりだ。」
(蒼鷲……本当に面倒な連中だな)
記者は、わずかに眉をひそめつつも、手を止めなかった。
細いペン先が、緊張と汗を引きずるように紙面を走る。
(……記事のタイトルは、もうこれしかないな)
【蒼鷲の牙は知性なり――若き王族、他クラスを言葉で切り裂く。ノア・エヴァンス、傲慢にして冷徹】
心の中でため息をついた。
貴族でも軍人でもない、ただの一般市民である自分にとって、この学園はどこか別世界の建物のように感じられる。
(こんな連中が未来の国を担うんだもんな……)
重たい現実を見せられた気がして、胸の奥に妙な冷たさが残った。
心の中では、彼らの鼻持ちならない自尊心に辟易していた。
だが、この場所で取材をする以上、感情は抑えなければならない。
――少なくとも、彼らが本気で国を壊すまでは。
その時、静かに白手袋が手元に添えられる。
その重みは、この学園の格式と厳しさを思い知らされる瞬間でもあった。
ジュリアンが、柔らかな微笑と共に記者を見つめている。
「……その件につきましては、どうか掲載をお控えください。」
記者が戸惑ったように顔を上げると、ジュリアンは淡々と続けた。
「彼の発言は、あくまで個人の考えです。
学級全体の意志と受け取られるのは、本意ではありません。」
彼の放つ神威に圧倒され、記者は自然と背筋を伸ばし、慎み深く深く頭を垂れた。
まるで目の前に立つのが、ただの青年ではなく、運命そのものを背負った存在であるかのように。




