谷に沈む
レタルは茶を口に含み、ゆっくりと喉へ流し込んだ。最初に感じたのは――柔らかな甘み。だが、二口目を飲み終える頃には、舌の奥でじわりと苦みが膨らみ、脳裏に微かな痺れを走らせた。
「……おかしい、渋みが変わってる」
レタルの声に、ノアとエゼルも顔を寄せる。視界の端で、畳や柱が淡く歪んでいる。
「この茶には、ほかの薬草が混ぜてある……」
エゼルが皿に残る茶殻をすくい取り、指先で確かめる。そこには見慣れぬ小粒が混じっていた。
ノアはそれをつまみ上げ、月明かりに翳して観察する。
「これ……ナツメグか? しかしただのナツメグにしては香りが強すぎるぞ」
老婆――アブリミーナの顔が、焔の揺らめきに幽かに歪む。
「その通りじゃ。わらわが用意したのは“特別なナツメグ”じゃよ」
三人の鼓動が一気に高鳴る。ノアは慌てて茶碗を床に置き、一歩後ずさった。
「何を……? なぜそんなものを」
「愚問じゃ」老婆は指先で茶殻を散らしながら笑った。
「飲んだ者の心を揺さぶり、深層をさらけ出す。それが、主の御前にて器を試す儀式なのじゃ」
レタルは額に手を当て、苦悶の表情を浮かべる。
「記憶が……勝手に蘇る……!」
辺りの影が、三人を取り囲むように伸びてきた。苔むした柱がまるで生き物のように蠢き、床の間には誰かの泣き声がこだました。
エゼルは震える手で魔法陣を書き始める。
「――心を鎮めよ、静寂の鏡」
魔紋が淡く光り、歪む視界の片隅に切れ目を生む。そこへノアが駆け寄り、レタルを支えた。
「気を確かにしろ、レタル! これが罠だと見抜けたんだ。負けるな!」
レタルは呻きながらも表情を引き締め、短く頷いた。
「──わかっている。だが……消えない余韻が……」
──老婆は、にやりと笑った。
瞬間、影はぐにゃりと歪み、花が咲くように若返った。
皺が消え、枯れ木のような手は滑らかな白磁に変わり、
虚ろだった瞳には、星のような輝きが宿る。
銀の髪をなびかせた美しい女がそこにいた。
白髪の美貌。
それは、アブリミーナ自身のもう一つの姿だった。
力とは、欲望だ。
支配とは、命を搾り取る業だ。
彼女が抱え続けたそれらの「渇き」が、今や、形を持って現れたのだ。
そして若返ったその影は、愉悦に満ちた声で、そっと囁いた。
「さあ、試練よ。己が弱さを呑み込み、闘い抜けるか確かめろ!」
その瞬間、部屋の四隅から黒い霧が吹き出し、三人を包み込んだ。視界は再び深い闇へと沈む。




