谷間の黎明
帝国東方の辺境、霧深きミストウッド渓谷。そこでは、古代の封印が破られ、悪魔の眷属が蠢き始めていた。この異常事態に対処すべく、セラフィエル学園の特別学生であるノア・エヴァンス、レタル・レギウス、エゼル・ノクスの三人が任務に召集される。彼らは、王国直属の対魔機関《リヴァンディア機構》の選抜実践制度「コンクラーヴェ・トレーニング」の一環として、実戦任務に投入されることとなった。
教員室の扉がゆっくりと開き、冷えた廊下の空気が流れ込んだ。
ノア・エヴァンス、レタル・レギウス、エゼル・ノクスの三人は、それぞれの足音を殺しながら室内へと踏み入れた。
薄明かりに照らされた机の向こう側で、教師は書類を前にじっと彼らを見つめている。
「――東方ミストウッド渓谷の異変は想像を超えて深刻だ」
教師の声は硬く、しかし怒気や冷笑は含まれていない。
あくまで淡々と事実を告げるだけの冷静さが、かえっておぞましさを際立たせている。
ノアは封筒越しに地図を受け取り、視線を落とした。
霧に溺れかけたようにぼんやりと示された谷底の輪郭は、まるで手を伸ばせば吸い込まれてしまいそうな闇を孕んでいる。
彼の胸に、かすかな高揚と底なしの不安が同時に波打った。
レタルは地図の紙面を指で撫で、口をつぐんだまま教師の言葉を待つ。
あの氷のように冷えた瞳が、次に発せられる言葉の一語一句を確かめようとしている。
エゼルは扉の外に続く廊下の影を一瞥し、すぐにその瞳を教師に向けた。
“孤児”として覚えた警戒心と、“魔導の申し子”としての誇りが、彼の奥底で静かにせめぎ合っている。
教師はゆっくりと書類の束を閉じ、机の上に左手をついた。
「君たちには三つの課題がある。まず眷属の殲滅。次に――封印の再構築。そして最後に、事態を招いた魔導遺物の回収だ」
その言葉の重みが沈黙を呼び込む。
誰もが知らぬ、誰もが恐れる“あの魔王”の名すら忌避してしまいそうなほどの、破滅の予感。
ノアは静かに顔を上げた。
「理由は? どうして“僕たち”が」
教師はノアの瞳をじっと見返し、軽く息を吐く。
「君たち以上に適任となる者は、今この学園にも、帝国にも――いないからだ」
その答えは冷たいほどに明快で、同時に誰もが胸に刻む暗い真実だった。
レタルが沈黙を破った。
「承知しました。申し訳ないのですが、一点だけ――装備の再確認をさせてください。あの谷の気配は、予想を遥かに超えていますよ。嫌な予感がします。」
教師はうなずき、近くの棚から重厚な皮筒を取り出した。
「これは特殊魔弾の追加支給だ。雷、氷、炎の三属性を切り替え可能。手持ちの魔銃に装填してくれ」
エゼルがそっと手を伸ばし、皮筒を受け取る。
「ありがとうございます。魔法の補助にも使わせていただきます。」
教師は三人の顔を見回し、最後にだけ微かに口角を上げた。
「行け。君たちの帰還を――学園も、帝国も待っている」
そうして扉が閉じると、遠くから時計の音だけがかすかに響いた。
三人は互いの視線を交わすことなく、静かにそれぞれの装備を手に取り、廊下へと足を踏み出した。
廊下の先、薄闇に喰われかけた窓の向こうには、まだ見ぬ霧の谷が、彼らの試練をじっと待ち受けている。




