始まり。
春の終わりを告げる淡い陽光も、ここには届かなかった。
湿った風が谷間を渡り、古の樹木の間を這うように流れ込む。
その風には、遠い時間から刻まれた“異変の痕跡”が混じっている。
ミストウッド渓谷――かつては旅人たちの憩いの場であり、貴族の狩猟遠征地でもあった。
また、今は引き抜かれたが、かつてそこに――聖剣は、まるで悔悟のごとく沈黙していた。
それは、ただ土に伏し、己が役割を待ち続けることに疲弊したかのように。
誰にも選ばれぬまま、誰かを裁くこともなく、ただ赦しもなく、救いもなく、深い眠りに堕ちていた。
木漏れ日の下、野生の鹿や小鳥が安らかに命を紡いでいた。
だが今、その穏やかさは遠い過去の幻想にすぎない。
一週間前、封印の鍵となる魔導遺跡の付近から、異常魔力が漏れ出した。
岩肌を伝う赤黒い瘴気は、まるで生き物のように谷を這い回り、
大地の割れ目から湧き上がる闇の皺を増殖させた。
遺跡の守り手として派遣されていた調査隊は、次々に消息を絶った。
帰還した数少ない者は、精神を砕かれ、意味なき呻き声を漏らすだけだった。
ミストウッドは今や、“悪魔の入り江”と呼ばれる場所となっている。
――そして、三人の特別学生がここへ向かおうとしている。
ノア・エヴァンス。王家の伝統を乱す少年。神の子。
レタル・レギウス。神々を従えし者。分析と適応の秀才。
エゼル・ノクス。孤児として捨てられながら、夢と魔法を紡ぐ異端の魂。
彼らを突き動かすのは、学園教師たちの期待か。
あるいは、王国の命運を賭した切実な要請か。
いずれにせよ、この霧深い谷が許すのは、“勇者”だけではない。
――真実を知る者。
闇を織りなす者。
そして、最後まで立ち続ける者。
ミストウッド渓谷の霧の向こうで、彼らの試練が始まろうとしている。




