我らの声は届くか
春の陽射しは、まるで長い眠りから覚めた人のように、柔らかく、そして少しだけ恥じらいながら、我々の上に降り注いでいた。木々の葉はまだ芽吹き切っていないが、その淡い緑が、まるで空気そのものを優しく染め上げるかのようだった。歩みを進める度に、足元には小さな草花が顔を出し、静かに語りかけてくるような気がした。世界全体が、どこか優しげに、そして温かく包まれている。心地よい風が頬を撫で、すれ違う人々の顔にも、無理なく微笑みが浮かんでいる。そんな、ひとときの平穏な春の午後だった。
セラフィエル学園の中庭では、学生たちの笑い声が響いていた。
教室には陽が差し込み、黒板には難解な魔術理論。
昼下がりの食堂では、パンの焼ける匂いが鼻をくすぐる。
一見すれば、どこにでもある平和な学園風景――
だが、それは仮初の平穏だった。
わずか一週間前。
帝都を襲った“悪夢”が、すべてを変えた。
ただ空が裂けたのではない。
むしろ、それは天の沈黙を破り、神々や悪魔達の忍耐の限界を告げる裂け目のように思えた。
そして、そこから降り立ったのは、かつて七柱に数えられし古の魔王、〈暴食王ベルゼブブ〉。
悪夢の体現者。欲望に名を与えられし者。
その存在は、世界が長く目を背けてきた“原罪”そのものであった。
帝国の魔導機関本部──
祈りを忘れたわけではない。神を嘲ったわけでもない。
だが、我々はいつからか、神に祈る傍らで己の知を信じすぎていたのだ。
信仰はあった。だが、それに比例する謙虚さは、いつしか薄れていた。
その報いはあまりに唐突で、残酷で、そして正しかったのかもしれない。
精鋭揃いの帝国陸軍直属第零師団《退魔騎士団》は、戦いに散った者よりも、生き残った者のほうが深く膝を折った。
なぜなら、魔王の襲来は“力”で押し返すべき災厄ではなく、魂そのものを試す問いかけだったからだ。
かつて神の力によって封じられた遺物たちは、主の気配を感じ取り、飢えを思い出すかのように暴走した。
まるで、人間という器の傲慢を映す鏡のように。
神はいる。
だからこそ、この現象には意味がある。
そして、それを問う資格があるのは、世界ではなく──一人一人の人間の、心でしかない。
かつての封印が破れ、魔障が目覚め、世界は静かに狂い始めている。
そして今――
帝国は深刻な「人手不足」に陥っていた。
優れた魔術師も、歴戦の騎士も、その多くがすでに戦場に立ち、あるいは命を落とした。
残された人材をかき集め、それでも足りない穴を埋めるために、
“最後の手段”が動き出した。
それが、《セラフィエル学園》で最近作られた特別制度――
**「選抜実践制度」**である。
表向きは王族、貴族子弟や高等知識者を育てる名門学園。
しかしその実態は、帝国直属の対魔訓練機関《レインバルド機構》の中枢。
一定以上の才能・血統・適性を持つ学生は、
その“未熟さ”に目を瞑ってでも、危険が伴う実戦任務に投入されることがある。
今回ミストウッド渓谷への派遣に選ばれたのは三人の青年。
名門の血を引く者、異端の力を継ぐ者、父に捨てられた天才。
彼らはなぜ選ばれたのか?
その任務とは何だったのか?
この記録は、その始まりを語るものである。




