魅せられて
教室の窓から射し込む橙色の光が、ノアとエレナの間に細長い影を落とす。ページの端を風がふわりとめくり、それに釣られてエレナの視線が一瞬、資料に戻った。
「……面白そう、か」
ぽつりと呟くように口にした言葉は、嫌味でもなく、ただ静かな感慨に満ちていた。
その言葉が意味するものが、彼女自身にもまだよくわからない。
エレナは少しだけ目を伏せて、視線をノアから逸らす。
だが、心の中ではひとつの問いがずっと絡みついていた――
「どうして、彼はこんなにも”美しい”のか。」
その答えを、少しだけでも知りたくなった。
ノアが突然、ふと顔を上げ、静かに問いかける。
「どういう基準で選んでるんだ?」
「強さ。――それと、どうしても外せないものがあ
るわ。言わないけどね。」
「..ふーん、だから俺を測った?」
「ええ。君の“拒絶”と“葛藤”は特異だった。普通の人間なら処理できないほどの――強さだったわ」
喉まで出かかった想いを、彼女は心の奥にだけ落とした。
エレナ(……理由は、それだけじゃないんだけどね)
言葉にならぬ想いが、心にそっと沈んでいく。
エレナはまっすぐノアを見た。彼女の声は、冷静で知的な響きを保ちつつ、どこかで震えるような微かな情熱が宿っていた。
ノアは黙っていた。だがその沈黙は、相手の言葉を軽視するものではなく、むしろ言葉以上の意味を咀嚼している証だった。
「……じゃあさ」
ノアがふいに視線を逸らし、窓の外、遠くに浮かぶ学園塔を見上げた。
「君自身の“揺らぎ”はどうだ? 自分の精神波、測ったことある?」
「え?」
珍しく、エレナが言葉に詰まった。
「君はいつも、他人の波を読むことばかりだ。でも、自分の内側を見つめるのは……怖いか?」
問いかけは柔らかいが、核心を突いていた。
それは“研究対象”としての視点ではなく、エレナ・セラフィムという“ひとりの人間”を見ようとするまなざしだった。
エレナはしばらく沈黙したあと、静かに笑った。
「そうね……確かに、怖いのかもしれない。私の中にも、測定不能な何かがあるってことを、知りたくなかったのかも」
「だったら――」
ノアはポケットから手を出し、彼女の手に軽く触れるほどの距離で指を差し出した。
「今度は、君自身のデータも解析してみなよ。誰かを知りたいなら、まず自分のことからだ」
その仕草は冗談交じりにも見えたが、瞳だけは真剣だった。
エレナはその指先を見つめ、ふっと息を吐いた。
「……変わってるわね、君は」
「よく言われる」
ノアは薄く笑った。だがその笑みには、どこかで安堵のようなものが混じっていた。
互いの仮面を少しだけ下ろした会話。その後に続いたのは、数秒の静けさ。
そして、不意に、エレナが言った。
「明日、空き実験室で続き、してみない?」
「精神波の?」
「違う。“対話”の続きよ。解析でも、観察でもない。ただ、君と私の話を」
ノアは驚いた顔を見せたわけではない。ただ、その目が一瞬だけ、大きく見開かれた。
「……いいよ。面白そうだ」
再び、同じ言葉。だが今度は、ほんの少しだけ、温かみを帯びていた。
その瞬間、窓の外では夕日が沈み、夜の帳がゆっくりと学園を包み始めていた。
騒がしさを取り戻す前の、一瞬の静寂――
その中で、確かに何かが始まりつつあった。
──それは“知”を越えて、心と心が触れ合う探求だった。




