観察対象ノア・エヴァンス
「恋と興味は紙一重」
好奇心が、運命を狂わせる。
憧れが、破滅を招く。
愛しさが、神の名を呼ばせる。
校舎裏の白壁にもたれながら、エレナ・セラフィムは小さく息を吐いた。
噴水の水音は、ここまで届かない。ただ、遠くで鳥の鳴く声と、誰かの足音がかすかに交差している。
彼女の手はまだ、わずかに震えていた。
それは、力を使い果たした反動ではない。精神干渉を途中で断たれた、**異常な“遮断”**への反応だ。
(……私の術式を、彼は……素手で切った?)
驚愕というには冷静すぎる。ただ、認識が追いついていない。
ノア・エヴァンス。
新入生でありながら、すでに複数の教員から警戒され、
軍上層部の一部から「観察対象」とされている天才。
だがそれらの噂や報告のすべてが、今日、意味を失った。
エレナ自身が干渉して感じたもの——
(知識の奔流。記憶の断片。怒り、拒絶、空白、悲しみそして……祈り?)
まるで神に触れたかのような、凍てついた聖性。
それでいて、その中心には、声にならない喪失の記憶が渦巻いていた。
彼の精神は、「祈り」と「呪い」の境界で揺れる、ひとつの祈念碑で構成されていた。
人としての輪郭が、時折、すっと“消える”感覚。
(まるで……彼の存在自体が、完全にはこの世界に属していないような……)
制服の袖を握る。まだ指先が冷たい。
彼女はこの感覚を、怖いとは思わなかった。
むしろ、抗いがたいほどに魅了されていた。
(研究したい、だけじゃない……)
静かに、彼の言葉を思い出す。
「俺の全部じゃないよ。……けど、その先に踏み込んだら、たぶん君の中の何かが壊れるよ。」
自信とも、警告とも、あるいは……願いのようにも聞こえた。
(壊れてもいいと思ったの、久しぶりだった...そして、初めてだった、美しく感じたのは。)
感情というには淡すぎる。
けれど、確かに芽吹いた、未知への渇望と、言葉にならない興味。
彼女の中で、何かが静かに方向を変えていく。
——それはただの知識欲ではない。
ノア・エヴァンスという存在が、世界の法則を曲げる予兆のように思えたから。
「……やっぱり、甘く見てた。」
そう呟いた声は、少しだけ悔しそうで、少しだけ嬉しそうだった。
そして彼女は、鞄から一冊のノートを取り出す。
まだ何も書かれていない新しいページを開き、
静かに、ペンを走らせた。
『観察対象:ノア・エヴァンス。精神干渉の第一印象——“「祈るような拒絶」”と、
拒むことすら赦されなかった”選ばれし者”の絶望で構成されていた。。』
その一行目に、彼女の好奇心が詰まっていた。
そして、どこかで始まってしまった物語の鼓動が、確かにそこにあった。




