チェスボクシング(日常回)
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日曜の午後、学園は喧騒から少し遠ざかり、学生たちは思い思いに羽を伸ばしていた。
芝生の上、弁当の残りをつつきながら、レタル・レギウスは懐から小さな折りたたみチェス盤を取り出す。そして、ノア・エヴァンスの前にそれを置いた。
「さて、始めようか。“戦争”を」
「レタルの“遊び”はいつも回りくどいな。今度はチェスか?」
「チェスだけじゃないよ。今回は“チェスボクシング”だ」
「……また妙な競技を持ち込んだな」
ノアは額を押さえながらも、興味を隠せない様子でグローブに目をやった。
「ルールは知ってる。交互にチェスとボクシングをやって、どっちかがチェックメイトかノックアウトされたら終わり、だったな」
「さすが優等生。で、君のプライド、今日も守れる自信ある?」
「言ってろ」
芝の上で、チェス盤とボクシング用マットが用意される。周囲には他の学生たちがちらほら集まり始めていた。
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【Round 1:チェス(3分)】
「e4」
「e5」
盤面に集中する二人。ノアの指先は正確で、慎重。それに対し、レタルは大胆かつトリッキーな手で揺さぶりをかける。
「君ってほんと、王道からしか打たないよね」
「そう姉さんに教えられた。余計な賭けをしないのが、王族の鉄則だよ。」
「でも、人間関係においては、ちょっと賭けも必要だと思わない?」
「……お前は本当に、そういう話をさりげなく混ぜるのが得意だな」
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【Round 2:ボクシング(1分)】
グローブをつけると、空気が一変する。
「さっきのクイーン、甘かったよね?」
「黙ってろ」
レタルの軽いジャブが飛ぶ。ノアはそれを真顔でブロックしながら、冷静に距離を測っている。反撃のストレート――
ウィービングの動作を取るが、レタルの頬がかすかに跳ねる。
「おぉ、やるじゃん。痛っ」
「口数が減ってきたな」
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【Round 3:チェス(3分)】
盤面に戻ると、ノアの集中は一段階上がっていた。
「b5。君のビショップ、死んだね」
「やるな……でも、それで詰むとは限らない」
ふたりの息遣いが、交差する静寂に沈む。見ている生徒たちも、次第に声をひそめ、まるで本物の試合を見守るかのような空気になっていた。
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【Round 4:ボクシング(1分)】
「じゃ、さっきの借り、返すね」
「やってみろ」
レタルの踏み込み。ノアはわずかにバランスを崩す――その隙に、左ボディ。
「ッ……!」
「おっと、効いた?」
「少し……だけな」
互いの拳に宿るのは“勝ちたい”という感情だけじゃない。“認め合いたい”という少年らしい誇りだった。
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【Final Round:チェス】
ラストの盤面。ノアの表情は冷静ながら、わずかに口角が上がっている。
一手。もう一手。王手。
レタルは、指を止め、そして――
「……負け、か」
「僕の勝ちだ」
「ふふ、ノアってさ、勝ったあともなんでそんなに嬉しそうじゃないんだい?」
「……勝ち負けはどうだって良い。レタルと勝負できるのが楽しいだけださ。」
「そういうの、素直に言えるようになったんだ。進歩だね」
「うるさい」
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エピローグ
木陰に寝そべりながら、グローブを放り投げた二人。
レタルが空を見上げながら言った。
「この学園、案外悪くないね。君といると、退屈しない」
「レタルがいなければもっと静かなんだが。」
「でも、それじゃ君の心、ちっとも動かないままだよ。」
ノアは薄く笑うと、空を仰いだ。雲がゆっくり流れていくのを見ながら、静かに呟く。
「……そうかもな。」
風が芝を撫で、チェス盤の駒がかすかに揺れた。




