興味という恋
午後の陽が緩やかに傾きはじめた放課後。
帝国軍直属士官育成機関《セラフィエル学園》の中庭は、ざわめきから解放され、ひとときの静けさに包まれていた。
ノア・エヴァンスは、白い石畳の階段をのんびりと降りながら、足元の影をぼんやりと見つめていた。
制服の襟元は乱れ、鞄は持っておらず、まるで散歩にでも出てきたかのような風体。
それでも、彼の目は、相変わらず鋭く研ぎ澄まされている。
校舎の角を曲がったところで、彼はふと立ち止まり、前方を見やる。
白い噴水の縁。
その横に、彼女はいた。
エレナ・セラフィム。
誰もが一目置く主席生。新たな魔力理論を応用魔法にまで昇華させた逸材。
銀の装飾をあしらった制服が、彼女の生真面目さと気品を際立たせていた。
ノアは面倒くさそうに首を傾げ、呟いた。
「はぁ……わざわざ”放課後”に呼び出すって、どんな罰ゲームだよ。休ませてくれよ。」
足取りはいつも通り気だるげだが、目だけが違う。
まるで彼女の“言葉になる前の感情”を見透かそうとしているかのように、静かに光を宿していた。
そして、彼は歩み寄る。
夕陽が彼の白髪を金に染め、赤い瞳に翳りを宿す。
風がふわりと吹いて、エレナの亜麻色の髪を揺らす。
彼女は微動だにせず、ノアをじっと見つめていた。
その空気の中で、何かが始まろうとしていた。
——会話の刃が交わる前の、静かな幕開けだった。
ノアはエレナの正面まで来ると、片手をポケットに突っ込んだまま、小さく息を吐いた。
「……で、どうすればいい? お望み通り、頭の中でも覗いてみる?」
ノアの問いに、エレナはわずかに眉を寄せた。
彼の言葉には、挑発とも皮肉とも取れる響きがある。それでも、彼女は怯まずに言い返した。
「……あなたの力が、ただの噂じゃないなら。私の術式が通じるかどうか、試してみたいの。」
「試すって……初対面みたいな距離感で、いきなり精神干渉? なかなかだな、主席様は。」
「あなたとは初対面じゃないわ。すでに“注目”していたもの。」
ノアの瞳に一瞬、興味の火が灯る。
「……そう。じゃあ、注目してた相手に失望しないといいけど。」
彼はポケットに手を入れたまま、その場に立つ。
「構わない。やってみろよ。」
エレナは静かに頷くと、一歩前に出て右手を掲げる。
「——《知識穿孔》」
空気が震えた。
彼女の人技は、対象の精神波に干渉し、記憶や思考、思念の“流れ”を読む、極めて繊細な人技。
だがその瞬間、エレナの意識は一気に——混濁する。
情報が多すぎた。
しかも、ただの知識ではない。怒り、孤独、冷たさ、そして底の見えない“信仰”と“拒絶”の断片。
「っ……!」
一歩、足がふらつく。視界が揺れ、彼女の心が、その深奥に何か“異質な光”を捉えた時——
「そこから先は、危ない。」
ノアの手が、彼女の額に触れた。
干渉が、強制的に切断される。
エレナは肩で息をしながら、そのまま呆然と彼を見上げた。
「なに、今の……あれが、あなたの……」
ノアは静かに笑う。だが、それはどこか、憐れみすら含んだ微笑だった。
「俺の全部じゃないよ。……けど、その先に踏み込んだら、たぶん君の中の何かが壊れるよ。」
「……」
エレナはしばし黙っていたが、やがて深く息を吐いて言った。
「それでも、あなたを研究したいと思ったの。あなたの力も、存在も、すべて“規格外”すぎる。……今のままじゃ私は、あなたの背中も見えない。」
ノアは肩をすくめる。
「別に、見なくていいよ。俺は俺のやり方で進む。君は君のやり方で、好きにやれば?」
その言葉に、エレナはわずかに笑った。
「だからこそ、面白いのよ。」
二人の距離は、まだ遠い。
けれどその間にある静かな火種は、確かに燃え始めていた。
そして——
高台の校舎の窓から、その光景を見つめる瞳があった。
「……ふぅん。あの“堅物で噂の先輩”が、ノアと……ね。」
風に吹かれながら、レタルはひとりごちた。
「ま、いいけど。あいつ、興味持たれ始めるとすーぐ弄びだすし。」
けれど、どこか寂しそうに目を細めたその顔は、ほんの一瞬だけ、誰にも見られたくない表情をしていた。




